まささん
にクレパス絵画展の紹介をしていただきました。
受験前で自宅にいる息子は、勉強に疲れてくると家族とちょっとした議論をして気分転換を図っています。
といっても娘は何かと忙しいし、ダンナは一方的に自分の意見を押し付けるばかりで議論は苦手。
それで、たいてい私と息子が延々と語り合うことになります。
普段の生活で、私の心に引っかかっていることと、息子の心に引っかかっていることというのは、全く異分野の内容です。
でもそれなのに、
同じひとつのキーワードが、どちらの問題の解決とも大きく関わっていることがよくあって、同時に「そうか!」とひらめくことがあって面白いです。
さまざまな現代の問題というのはつながっているものなんでしょうね。
昨晩、息子がはじめに話していたのは、ネット上の本のレビューについての
不満でした。
「反対意見や批評って、よく聞いてみると一理あるものもあるし、
大事だとは思うんだよ。そうした意見を全て無視してしまう態度はぼくも嫌なんだ。
でもね、ほとんどのアンチ派の人たちの問題は、
きちんと本を読まずに反対意見を言ってるってところなんだ。
ちゃんと読まないとその本の持っている本当の意味での悪い部分って見えないものだよね。どんなすばらしい本にも、長所と短所を兼ね備えているものだから、攻撃しようと思ったら急所を攻めればいいわけだけど、文句をつけているのが、背が低いとか、顔が悪いとか、まともに読んでいないことが露呈するものばかりなんだ。
もっとも、いいいい言ってる人も、ちゃんと読んでいる感じがしないんだけどさ。」
息子はこうした本のレビュー以外でも、ネット上での討論に不満があるらしくちょっと考え込んでいました。
「ネット上の会話がもう少し創造的で生産的な会話になるには、
どういう形がいいのか、いつも考えているんだけどね。
匿名の掲示板でも難しいけど、実名でそういう場を作ったところでやっぱり難しいな。
みんなそれぞれ考える力が高い人もいるし、良い考えも出ているのに、
会話が生産的な何かに結びついていかないんだよ。
たとえば最初にアウトプットした人の意見がきっかけで、いろんな意見が引き出されてきたとするよね。
最初の意見は未完成なものだったとしても、
まずアウトプットしてみようという試みといろんな意見の引き金になったことで意味があるのに、
そこで、最初の意見のおかしいところに突っ込む人があらわれたりして、
他の人も意見が出しずらくなってきて停滞していくなんてことがしょっちゅう起こるんだ。
小説家のレビューみたいなものでも、真剣に話しあったら得るものがたくさんあるし、創造的で生産的な何かが生まれてくるはずなんだけどな」
「そうした会話が表面的なものに終始していくのを解決するには、やはり哲学が必要なんじゃないかしら? 哲学のような根本的なものを問う視線がないと、いつもおしゃべりを垂れ流すだけで終わってしまうわよね」
と言うと、ネット上の討論する場のシステムのあり方の方が気になっていたらしい息子は、ちょっと笑ってから次のように答えました。
「そうだよね。議論を俯瞰するメタな視線が必要だ。
ただ難しいのは、ルール違反者を批判してコントロールするなると、そうする側もルール違反者と同じような性質を帯びるってことだよ。
あくまでも謙虚なひとりの参加者として、それぞれの人の意見や人権を大事にしながら、会話が創造的な流れを作っていくようにするにはどうすればいいのか、そこが問題なんだ。」
次回に続きます。
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にクレパス絵画展の紹介をしていただきました。
受験前で自宅にいる息子は、勉強に疲れてくると家族とちょっとした議論をして気分転換を図っています。
といっても娘は何かと忙しいし、ダンナは一方的に自分の意見を押し付けるばかりで議論は苦手。
それで、たいてい私と息子が延々と語り合うことになります。
普段の生活で、私の心に引っかかっていることと、息子の心に引っかかっていることというのは、全く異分野の内容です。
でもそれなのに、
同じひとつのキーワードが、どちらの問題の解決とも大きく関わっていることがよくあって、同時に「そうか!」とひらめくことがあって面白いです。
さまざまな現代の問題というのはつながっているものなんでしょうね。
昨晩、息子がはじめに話していたのは、ネット上の本のレビューについての
不満でした。
「反対意見や批評って、よく聞いてみると一理あるものもあるし、
大事だとは思うんだよ。そうした意見を全て無視してしまう態度はぼくも嫌なんだ。
でもね、ほとんどのアンチ派の人たちの問題は、
きちんと本を読まずに反対意見を言ってるってところなんだ。
ちゃんと読まないとその本の持っている本当の意味での悪い部分って見えないものだよね。どんなすばらしい本にも、長所と短所を兼ね備えているものだから、攻撃しようと思ったら急所を攻めればいいわけだけど、文句をつけているのが、背が低いとか、顔が悪いとか、まともに読んでいないことが露呈するものばかりなんだ。
もっとも、いいいい言ってる人も、ちゃんと読んでいる感じがしないんだけどさ。」
息子はこうした本のレビュー以外でも、ネット上での討論に不満があるらしくちょっと考え込んでいました。
「ネット上の会話がもう少し創造的で生産的な会話になるには、
どういう形がいいのか、いつも考えているんだけどね。
匿名の掲示板でも難しいけど、実名でそういう場を作ったところでやっぱり難しいな。
みんなそれぞれ考える力が高い人もいるし、良い考えも出ているのに、
会話が生産的な何かに結びついていかないんだよ。
たとえば最初にアウトプットした人の意見がきっかけで、いろんな意見が引き出されてきたとするよね。
最初の意見は未完成なものだったとしても、
まずアウトプットしてみようという試みといろんな意見の引き金になったことで意味があるのに、
そこで、最初の意見のおかしいところに突っ込む人があらわれたりして、
他の人も意見が出しずらくなってきて停滞していくなんてことがしょっちゅう起こるんだ。
小説家のレビューみたいなものでも、真剣に話しあったら得るものがたくさんあるし、創造的で生産的な何かが生まれてくるはずなんだけどな」
「そうした会話が表面的なものに終始していくのを解決するには、やはり哲学が必要なんじゃないかしら? 哲学のような根本的なものを問う視線がないと、いつもおしゃべりを垂れ流すだけで終わってしまうわよね」
と言うと、ネット上の討論する場のシステムのあり方の方が気になっていたらしい息子は、ちょっと笑ってから次のように答えました。
「そうだよね。議論を俯瞰するメタな視線が必要だ。
ただ難しいのは、ルール違反者を批判してコントロールするなると、そうする側もルール違反者と同じような性質を帯びるってことだよ。
あくまでも謙虚なひとりの参加者として、それぞれの人の意見や人権を大事にしながら、会話が創造的な流れを作っていくようにするにはどうすればいいのか、そこが問題なんだ。」
次回に続きます。
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