虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

大人が勉強させたい理由 子どもが勉強したい理由

2010-01-13 13:35:22 | 教育論 読者の方からのQ&A
先日、テレビで、「筆談ホステス」として話題を集めた斉藤里恵さんの半生をドラマ化したものが流れていました。

ドラマそのものは、かなり脚色したものだったようですが、
斉藤里恵さんの著書によると、

2歳になる前に、聴力を失った斉藤里恵さんは、ハンディをはねかえすよう
「1番になりさない!」という母親の励ましのもとで育ちます。
しかし次第に周囲との軋轢などから落ちこぼれてゆき、お酒、たばこ、盗みまでして、青森一の不良娘とまでよばれるまでになりました。

そんな里恵さんが見つけた天職がホステスの仕事でした。
ハンディキャップを持つ斉藤さんがペンとメモ帳を駆使して、
『筆談』でするコミュニケーションが人気になり、銀座でも大きな評判となって、
最終的に理恵さんは「1番になる」という思いを達成することができました。

こうした話を聞いて、なら、「一番になりなさい」と
言って育てたら良いんだ~
と単純に受け取って子育てで実行するのは危険だな~と感じました。
またこの話は、教育や子育てについての、とても大事な真実を
あらわしているのだろうな~とも感じました。


そんな風に自分の人生を思い描くように開花させていった斉藤理恵さんを、
そうした成功に導いたのは、
斉藤さんの母の「一番になりなさい」というアドバイスだったようにも
見えますし、真実、そうでもあるのでしょう。

けれども、
一般的に、「一番になりなさい」と子どもにアドバイスする親御さんというのは、

競争相手が必要で比較がうれしいという「競争性」という強みを自分が持っていて、そこからアドバイスしているかもしれないし、

目立ちたがりで尊敬されたいという「自我」や

自分が主導権を握ろうとする「指令性」から、子どもに「一番になりなさい」と
言っているのかもしれないのです。

競争性も 自我も 指令性も、自分を成長させるという目的の
もとではすばらしい資質ではあります。

けれども自分の資質に無自覚のまま、自分とは異なる資質の子に
そうした圧力をかけ続けることは、
子どもが本来持っている「強み」をつぶしてしまう可能性があるのではないでしょうか。

最終的に斉藤理恵さんが栄光を勝ち取るために自分を高め続ける原動力となった資質は、
ストレングスファインダーという自分の強みを見つけ出す方法で判断すると、

自分の優秀さを最高に高めたい という「最上志向」だったような気がします。
人と競うと言うよりも、個性的な内面からくる向上心の輝きを感じるからです。


『さあ、才能に目覚めよう』マーカス・バッキンガム&ドナルド・O・クリフトンによると、

自分の本来の資質に気付き理解することが、
資質を最大限に活かし、将来の成功につながる手がかりとなるそうです。




言葉にすると同じ
「一番になりなさい」という一言も、
その動機が、「競争性」から来るか、「最上志向」から来るかでは、
まったく別物でしょう。
どっちが良いかとか、悪いかとかいうのではないのです。

最上志向を持っている子を見ていると、
学校のテストの点とか、ライバルと自分の力の差はどれくらいかなんて、
どうでも良いことで、場合によっては全て無視して捨ててしまえる
ことろがあるように見えるときがあります。

「最上志向」を強みとしている子どもがフォーカスしているのは、常に自分を最高のレベルにまで
高める方法であり、そのための努力であり、最短距離です。

しかし、「競争性」を動機としている方は、
一度の競争ででも全力を尽くさなければ、「逃げ」と捉えるでしょう。

とにかく誰かをライバルとして目をつけたら、それが自分のお友だちの子でも、
同じ塾の子どもの友だちでも、
その相手とわが子は、棄権できないレースの出場している最中のような
気持ちになってしまいがちです。

そうすると、「一番になりなさい」という親が、
「一番になりたい」と願う子の成長を妨害ばかりする……ということも
起こりうるはずです。

でも人生は長いので、親や周囲との微妙な思いのずれの中で、自分の実力を
発揮できないでいても、
そのときの努力は、自分の資質を生かしやすい環境、
資質を支援してくれる人々に囲まれた場に行けば、

結局は「とても良い物」「苦労して身につけた力」に転じるケースも多いのでしょうね。

私にしても、母はどう考えても私の資質を伸ばせるとは思えない働きかけばかりしていました。
もし、私が母の言いなりになっていて、母の望むとおり、習い事に励み良い成果を出していたとしたら、大人になった今、自分にはどうでも良い能力ばかり磨いてきた事実にむなしさを感じていることでしょう。

私はさぼって、怠けて、
読みたいだけ本を読み、考えたいだけ考え、何でも実験して試してきたので、その全てが他人から見ればガラクタみたいな内容でも、
自分にすれば、
持っている資質のどれにも十分時間をかけてこれたという満足感があるんですよ。
成功しているかとか、他人が自分をどう評価しているかなんて、
二の次で、自分のしていることが楽しいから良い!とそれだけですが……。

そして、母の勧めるままに自分を染めてしまわなくてよかったという思いと、
そうした母の働きかけがあったから、
親と子の関係についてや、自分が何を本当に望んでいるのかということに、
いろいろ気づきもし、学ぶことも多かったとも思うのです。
だから何が良いか悪いかは、よくわからない……でも、隙間とか、余裕とか、
抜けているところとかいるな~と感じています。
隙間さえあれば、子どもは、雑草みたいに自分の強みを親の願望の脇で、
伸ばしていけますから。

子どもの資質は親にとって無価値に見えるものが多いです。

たとえば、「収集心」なんて、
子どもが、石ころやらガチャポンのおもちゃやら、やたら集めたがるときには、
親にはイライラするだけの資質かもしれません。

でも、この収集心を強みとする人は、物もコレクションするけれど、
同じように知識もコレクションしたいという要求を持っています。
子どものがんばる動機が収集することなら、
親子でたくさんの知識を集め、整理し、眺め、語り合う時間を設ければ
子どもは学習意欲ではちきれそうになるのです。

それを、無理に親が自分が持っている動機である「活発性」で、
「とにかくまず行動しなさい。行動しないと何も意味がないの」と言って、
子どもを駆り立てれば、

遠い目で呆然と立ち尽くすがんばる気力のない子にしかなりようがない

ですよね。

長くなってしまいましたが、
子どもに勉強させるには(学校の勉強だけではないですが)
大人が自分が子どもに学ばせたい理由やそう駆り立てている自分の資質を見つめてみて、

子どもが勉強したい理由となっている資質もよく観察してみる

ということが、とても大切なのではないでしょうか?


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親の私が「てきとー」で「ぐーたら」なのと、子どもたちを信頼してなるべく自由にさせたい思いで育ててますから、時々、ドカーンとカミナリを落とさなきゃならない場面に遭遇します。
今日も息子を本気で叱りつけたところです。
そうした言葉を心できちんと受け止めて、軌道修正してくれる息子の
純粋さに感謝です




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