学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

学び:小さいことを見逃すな

2018-06-18 20:42:09 | 日記

不思議なことがあるものだ。ここ数日、かつてアメリカ留学をしていた頃の出来事が頻繁に夢に出てくる。楽しいことも、つらいことも、いろいろあったが、必ずしも自慢げに人に話せるようなものばかりではない。でもひとつ忘れられない小さな思い出がある。
アメリカ生活の1年目、日本で出会ったある家族のお世話になってミズリー州の大学に1年だけ在籍していたことがあった。緑の芝生一面の大学のキャンパスの中央に教会があった。この教会の前の階段の一段目の石畳の間から小さな黄色い花を咲かせていたタンポポがなぜか忘れなれない。お世話になった家族に連れられて何度か教会に出かけた。日曜日にはたくさんの人々がその教会にやってくる。それでも誰もそのタンポポを踏まずに避けて通るのだ。人が優しくなれる一瞬があって、まさにこのタンポポはその一瞬のある空間にはえていたのだと思っている。
半世紀も前の、僕がまだ二十歳になったばかりでの単身渡米、なぜか寂しくなったらこの教会に足を運んだ。キリスト教徒でもない僕は別に祈るわけではない。ただ黙って誰もいない静かで薄暗い教会の椅子に座っているだけである。ステンドグラスの光が美しいと思った。

いろいろ考えを巡らせて、自分の周りに注意することはどんな場面でも大切なことだ。
It’s all a matter of keeping your eyes open. (目をしっかり見開いて周りに注意を払うことは大切だ)You don’t want to miss a thing, do you? (なにも見逃したくはないでしょ)

(追)朝、激しい突き上げと横揺れの地震が大阪を襲った。やっぱり地球は生きている。

青い目の甲冑師

2018-06-15 20:12:52 | 日記
青い目の甲冑師(かっちゅうし)が埼玉県蕨市(わらべし)に居る。先日、BSプレミアムでの再放送でアンドリュー・マンカベリさん(50才)の甲冑修復の仕事に打ち込む職人生活を紹介していた。アメリカはニューヨークからやって来て、“日本の文化は世界の文化”と言い切って、結婚しないでひとり日本で生活している。甲冑師の仕事についての講演などをしながら細かい甲冑修復の作業に明け暮れる生活を続けている。いつかは弟子をとって、この仕事が受け継がれていくことを願っていると彼は言った。

コツコツと積み重ねることの重要性を彼の生き方から学ぶことができる。“技芸は長く、人生は短かし”という格言がある。技術や芸術、文芸をマスターするには長い年月の繰り返しの訓練が要求される。スポーツや語学、あらゆる分野で極めるということに挑戦した人の話しはあらゆる人の心に響くものがある。人生とは自分のタレントを見つける旅であると挑戦する人達はわれわれに教えてくれているように思う。

Talent is part of an individual’s very being. So why not figure out what your talent is.
[タレント(才能)とはその人の存在そのもの。ならば君の才能を探求しようではないか]

散歩中に思うこと

2018-06-13 15:07:08 | 日記
公園を散歩していると、たくさんの人が健康のために速足歩きやジョッギングをしているのに出会う。僕のような年齢になると、同年代のみなさんは寝たきりになったり、認知症になることを恐れている人が多いようだ。

先日、タクシーに乗る機会があった。良くしゃべる運転手さんで楽しく乗せてもらった。「この車、高速に乗るのにランプを登るときに速度が落ちるのですよ。まだまだ走れるのですがやはり歳ですね」。ドキッとした僕、「この車、どれくらい走っているのですか」。その時点で50万キロを超えているという返事であった。走れる限り走って一生を終えるというのがタクシー車の運命なのだろうか。「車は走り続けるのがいいのです。日本の車はいくらでも走りますよ」と会話が続いた。
そう、車は道路を走るように造られて、飛行機は空を飛ぶように造られている。それでは人間は何のために創造されたのか。一人で生きていけない人生を、少しでも人に必要とされる人間になれるように人生を歩き続けて生きればよいのかな。

話をもとに戻して、僕も老人病に冒されないように、健康で、二本足で歩き続けることができるように頑張らねば。 A sickly body makes a sickly mind.(病身は病心のもと)

愛は愛を生む

2018-06-11 20:20:11 | 日記

土曜日に東京の友人達と大阪天保山の海遊館を訪れる機会があった。あのジンベイザメで有名な水族館である。子供を連れた家族が皆子供を楽しませようと一生懸命の姿がうれしかった。

一方、対照的に子供を虐待するというひどいニュースが毎日のように報道されている。こと細かく報道されると聞いているだけで気分が悪くなってくる。どうして人が人の心を失ってしまうのだろうか。無抵抗の子供や動物を虐待する人の心理状態が全く理解できなくて、心が穏やかでなくなってしまうので、とにかくニースが流れるとテレビから離れるか、他局に切り替える。この種の事件のニュースが微に入り細に入り報道されると本当に耳を塞ぎたくなり、聞いているのに堪えられなくなってくるのである。何とか報道のあり方を工夫してもらえないかと真剣に考えてしまう。原稿を読むアナウンサーのみなさんは平気なのだろうか。

無抵抗な子供の虐待報道の度に、次の“愛情”に関する英語を思い出す。
We all long for love. (我々は皆愛を求めている)Babies cry because they are hungry or wet, but often they just want to be held. (赤ちゃんが泣くのはおなかが減ったかオシメを濡らしたかだが、大抵の場合抱いてほしいのだ)

混雑した水族館で完成を上げる子供の声に騒々しいというより元気をもらった。

花はストレスの解消に

2018-06-07 20:43:36 | 日記

庭の低木クチナシに真っ白な花が咲きだした。この白さはどのように作られるのだろうかという程の純白である。蕾(つぼみ)もいっぱいついている。この花を部屋の一輪差しに生けてみると、部屋中にミルクとバターのミックスされたような香りが漂う。時々ふっと匂うこの香りはまるでケーキ屋さんにはいった時のようなものである。人によってはジャスミンの香りと表現されることもあるらしい。
匂いは人によって好き嫌いがあるだろうが、我が家ではエンジョイしている。10年も前になるだろうかどこかで小さな枝の一片を切り取らせてもらって持ち帰った。それがどんどん増えて現在は10個の植木鉢で元気である。この木の生命力には本当に感心させられる。切り取った3,4センチの枝先の一部をグラスの水に入れておいて毛根が出てきたら、後は頃合いをみはからって鉢に植えるだけである。

Flowers help me release my stress and by looking at them I get my day refreshed.
(花はストレスの解消になり、眺めているとその日がさわやかなものになる)
アメリカの花好きの女性のブログの中にこんな文章が書かれていた。花の匂いや,その咲くさまをみていると、自然が身の回りにあることになぜか安心感を覚えものだ。

Find happiness in nature. (自然の中に幸せを探せ)という言葉があって、人が山登りをしたり、公園に出かけたり、花壇を楽しんだりすることには深い意味があるのだろう。いよいよ梅雨に入って、次は紫陽花(アジサイ)の季節である。