学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

夏の庭のイソップ物語

2022-08-16 16:20:48 | 日記
 先週末に蝉の声が聞こえなくなったことに気がついて、週が明けるとなぜかますます気になり出した。蝉の一生は短くて、1週間だとか、10日だとか聞くと、彼らのこの世の中での役割とはなんなのだろうと気になってしまう。何かにぶつかって、地上に落下、そのまま命を失って地上で冬の食糧をせっせと集める蟻軍団の餌食になる。今年はそんな蝉の哀れな姿もなぜかあまり目にしない。8月に入って猛暑が続くのと、何かの関係があるのだろうか。
 蝉の一生を考えると、いつもイソップ物語の「キリギリスとアリ」を思い出す。短い一生のキリギリスは綺麗な音色をできる限り外に知らしめて存在を誇示し、やはり、働き者のありの餌食で一生を終える。イソップの教訓を考えると、将来を見越して働く蟻たちと、短い人生、その日を精一杯生きるセミやキリギリス、どちらの生き様も一瞬の出来事だ。なぜなら宇宙年齢などと何万光年も先のことを考えると人間の一生も同様で、まばたき一つの時間なのだ。中世ヨーロッパの童話、寓話はキリスト教の価値観を子供達に教えるべく教訓や道徳を強調して今日につながっている。人間の生き様やあるべき姿(?)などを後世に伝えて、などと考えていると、やはり人間は共存共栄、お互いを尊重しながらこれからも長い長い年月を地球と共に生きていかねばならないことを教えられる。セミと蟻、キリギリスと蟻、彼らにとっての一瞬の夏の出来事と人の一生を重ね合わせて考えると、人間の世界での戦争だの、侵略だの、覇権争いなどと、つまらないイザコザを馬鹿らしいと考えない權力至上主義者がなぜか存在するのが不思議である。

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