学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

片付けは体操?

2021-03-26 16:38:32 | 日記
10日ほど前に桜の開花で騒いでいたらもうあちこちで満開の知らせが。今日の最高温度も20度に近づくという天気予報にいよいよ春を通り越して夏の兆しが、などと気の早いことを考えるような温度になってきた。周りが暖かくなると外に出て、などと言うようなことはコロナで控えるとしても、屋内で相撲だの高校野球だのとテレビに子守をされているうちは体力はつかない。なんとか運動をと今年もやっぱり断捨離や部屋の片付けに取り掛かることにした。
生活オーガナイザー(Clutter Organizer)と呼ばれる人が最近は大活躍していて、部屋の片付けや断捨離、整理整頓は人生を変える、などと僕をけしかける。彼らの主張に耳を傾けると、「収納するなら捨てなさい」「いつか使うかもしれないという“いつか”は永遠に来ない」などというものだ。僕にはかなりの焦りを覚えさせるのがこの二つの提言だ。収納という言葉はよく考えてみると使わないのにいろんな物(時にはガラクタ)をとりあえず移動するだけで保管の場所を変えているだけに過ぎない時が多々あるのだ。確かに整理整頓されて部屋の中はすっきりと気持ちよく風通しも良くなる。しかしあのガラクタどもはまだ家のどこかに居座っているのである。もう一つ、僕にはそれほど当てはまらないと考えているものの時々顔を出す“いつか”は厄介な言葉で、学術書や専門書以外のいつかまた読むと保存した新書版や文庫本などはいつもほとんど読むことはない。「いつかまた会いましょう」という約束(?)をする人の約束は実現可能性の一番弱い約束だ。『ガラクタを捨てれば自分が見える』をはじめたくさんの著書があるので詳しくは紹介しないがカレン・キングストン氏は “「いつか」は散らかりの最良の友(Later is the best friend of clutter.)”という名言を考えた。多分、いつか後で片付けしようという弁解に支配される「片付けベタ」の人への戒めなのだろう。とにかく、片付けから家具の配置換え、整理整頓は僕にとっては体に良い体操、とはいえやっぱり腰が痛くなる、トホホ〜。