長野県在住のみなさま。
HNK長野放送局の『イブニング信州』って、ご存知かしら?
そこでメインキャスターを務める、
田中千絵アナウンサーは、実は私の遠縁に当たる人なのである。
えっとですね、話せば長くなるんだけど、
母の姉妹の、長女(産後まもなく病死)の夫・和男(昭和20年ボルネオ島にて戦死)の弟・保の、千絵さんは孫に当たるらしい。
ここだけ見たら血のつながりはなく思われるだろうが、母の義兄の和男さんは、実は母の父(私の祖父)義惣次のいとこの子供らしい(昔は遠縁からもらうことが割合あったのです)ので、やっぱり、うんと、うんと遠いんだけど、私とも血のつながりがあるということになるんざぁーますのよん。
おほほ。(保さんは叔父の異母弟であるようだが、父は同じなので血はつながっている、のよね?)
で、うちの両親はNHKマニアなので、夕方になるとTVをつけて、当然NHKを見てるんですが、特にこういう人が出てるよ、見においで、とか呼ばれなかったし、ずっとそんなことは知らないでいた。(てか、もしかしたら、おととしくらい、つまりは下に書くYさんの四十九日とかの法要に母が行って聞き出してきて、そのときに聞いてたような気もするのだが、何しろちょうど具合悪い、絶不調のときだったので、あんまり気に留められなかったのだと思う。)
昨年のこと、本家(祖父の出たうちで、松本の、とある造り酒屋)のご当主で社長であられたYさん(母のいとこの子供に当たる人で、私達夫婦の御仲人でもあった。)の一周忌に、母が行った帰りに、なんと千絵さんのお母様(保さんの娘)が、車でKまで母を送ってきてくれたのだ。
それで話の中から、娘さんがアナウンサーであり、TVに出ているらしいということを、恥ずかしながらはじめて知る私であった(いや、だぶんずっと前に聞いて忘れてたのを思い出したんだと思う)。
保さんの娘さんは、店の二階にある祖父の両親、祖父母の肖像画(昔は写真がなかったので全て肖像画である)の横にかけてある和男さん(千絵さんのお母様にとっては伯父。私にとっても伯父に当たるのだが、出生前の服を着ていて若くして戦死したため、子供心にずっと「兵隊のお兄さん」と呼んでいた。その子でいとこに当たる和人君も乳飲み子で亡くなって赤ちゃんの写真だったので、ずっと「和人赤ちゃん」と呼んでたし)の肖像画をまじまじと眺め、「やはり保(自分の父)に似てますね。」と感慨深げにつぶやいたのが、ものすごく胸に響いた。
私にしてみれば、会ったこともない、若くして戦死した気の毒な兵隊のお兄さんでしかなかった人の、まさか子孫の方に行き会えるなどという事は考えにも及ばなかったことなので。千絵さんのお母様も、千絵さんによく似て、ふっくらとした丸顔で、笑顔の素敵なおっとりとした、とても美しい人で、よけいに感動した。
うちの父は、伯父や伯母が亡くなった後に、後を継ぐことになった三女の母(次女も若くしてすでに病死している)のところにお婿に来た人なので、生前の伯父のことは知らないが、TVに出ている千絵さんを見るたびに、ああ、あの肖像画の人によく似ているなぁーと思っていた、と言った。その時点で私は千絵さんのことを見たことなかったのだが、あとでTVで見たら、本当に伯父の肖像画とよく似ていたので、すごくびっくりして、なんだかうれしかった。
千絵さんのお母様は、そのあとお茶を飲みながら、うちの母から、一生懸命家系の血縁関係を聞き出し、紙に書いていた。「これを家系図にしたら、お送りしますから。」といっていたが、まだ、送られてきていないようである。(^^;)
ほんとに、家系図ってむずかしくってさぁー、誰の子供が誰で、とかってわけわかんなくて、私なんて聞いてもすぐ忘れるよ~。(今回このブログのために紙に書いて聞きなおしたのだが
)
で、それからというもの、毎日ではないが、たまにおやつを食べながら、TVの千絵さんを見て、笑顔のステキな、かわいらしい人だなぁー、ガンバレ! と応援していたものである。
ところが、今日、たまたま偶然だが、「イブニング信州」のスポーツ担当の人が今日で番組を降りるというので、母と「千絵さんはどうなのかなぁー」、なんていっていたら、番組の最後になって、なんと田中千絵さんも今日で最後だということを知るのだった。
挨拶の冒頭から涙ぐんでいて、ついもらい泣きに。
4月からはどこへ行くのかなぁー、と思って、番組では一切言わなかったのでネットで調べてみたんだけど、わからなかった。
わかったのは、千絵さんはNHKの長野局から福島局を経て、平成19年にまた長野局に戻ってきた(当初から「イブニング信州」担当)ということと、そしてもっと驚いたのは、NHK長野放送局の専属ではなくて契約キャスターで、フリーのアナウンサーだったということだ。
もともとは塩尻の方に家があったらしいが、今はご両親と、安曇野だったかな、どっかあっちの方に家を建てて住んでいて、長野まで電車で毎日通っていたんだそうな。
田中千絵さん、3年間、毎日「イブニング信州」でお疲れ様でした。
4月からはどうされるのでしょう?
これからも、どんな場所であれ、ぜひがんばってほしいですね。
またいつか、ブラウン管を通して、お茶の間から、元気な千絵さんを見ることができますように。
報道関係なんて、私の憧れの職業ですからね、そんなお仕事をされているなんて、尊敬しちゃうわ。
う~ん、カックイ~ぃっ!!!
でもって、そんな田中千絵さんが私の親せきだなんて、すっごくうれしいです。
今頃になってナンですが、親せき自慢?デシタ。

てか、もう降板になる日に公表?したって、おそいっつーの。(^^;)ゞ
もっと早くに宣伝して、見てねって、なんで言わなかったかなーあ?
ごみんなしゃい。
HNK長野放送局の『イブニング信州』って、ご存知かしら?
そこでメインキャスターを務める、
田中千絵アナウンサーは、実は私の遠縁に当たる人なのである。
えっとですね、話せば長くなるんだけど、
母の姉妹の、長女(産後まもなく病死)の夫・和男(昭和20年ボルネオ島にて戦死)の弟・保の、千絵さんは孫に当たるらしい。
ここだけ見たら血のつながりはなく思われるだろうが、母の義兄の和男さんは、実は母の父(私の祖父)義惣次のいとこの子供らしい(昔は遠縁からもらうことが割合あったのです)ので、やっぱり、うんと、うんと遠いんだけど、私とも血のつながりがあるということになるんざぁーますのよん。

で、うちの両親はNHKマニアなので、夕方になるとTVをつけて、当然NHKを見てるんですが、特にこういう人が出てるよ、見においで、とか呼ばれなかったし、ずっとそんなことは知らないでいた。(てか、もしかしたら、おととしくらい、つまりは下に書くYさんの四十九日とかの法要に母が行って聞き出してきて、そのときに聞いてたような気もするのだが、何しろちょうど具合悪い、絶不調のときだったので、あんまり気に留められなかったのだと思う。)
昨年のこと、本家(祖父の出たうちで、松本の、とある造り酒屋)のご当主で社長であられたYさん(母のいとこの子供に当たる人で、私達夫婦の御仲人でもあった。)の一周忌に、母が行った帰りに、なんと千絵さんのお母様(保さんの娘)が、車でKまで母を送ってきてくれたのだ。
それで話の中から、娘さんがアナウンサーであり、TVに出ているらしいということを、恥ずかしながらはじめて知る私であった(いや、だぶんずっと前に聞いて忘れてたのを思い出したんだと思う)。
保さんの娘さんは、店の二階にある祖父の両親、祖父母の肖像画(昔は写真がなかったので全て肖像画である)の横にかけてある和男さん(千絵さんのお母様にとっては伯父。私にとっても伯父に当たるのだが、出生前の服を着ていて若くして戦死したため、子供心にずっと「兵隊のお兄さん」と呼んでいた。その子でいとこに当たる和人君も乳飲み子で亡くなって赤ちゃんの写真だったので、ずっと「和人赤ちゃん」と呼んでたし)の肖像画をまじまじと眺め、「やはり保(自分の父)に似てますね。」と感慨深げにつぶやいたのが、ものすごく胸に響いた。
私にしてみれば、会ったこともない、若くして戦死した気の毒な兵隊のお兄さんでしかなかった人の、まさか子孫の方に行き会えるなどという事は考えにも及ばなかったことなので。千絵さんのお母様も、千絵さんによく似て、ふっくらとした丸顔で、笑顔の素敵なおっとりとした、とても美しい人で、よけいに感動した。
うちの父は、伯父や伯母が亡くなった後に、後を継ぐことになった三女の母(次女も若くしてすでに病死している)のところにお婿に来た人なので、生前の伯父のことは知らないが、TVに出ている千絵さんを見るたびに、ああ、あの肖像画の人によく似ているなぁーと思っていた、と言った。その時点で私は千絵さんのことを見たことなかったのだが、あとでTVで見たら、本当に伯父の肖像画とよく似ていたので、すごくびっくりして、なんだかうれしかった。
千絵さんのお母様は、そのあとお茶を飲みながら、うちの母から、一生懸命家系の血縁関係を聞き出し、紙に書いていた。「これを家系図にしたら、お送りしますから。」といっていたが、まだ、送られてきていないようである。(^^;)
ほんとに、家系図ってむずかしくってさぁー、誰の子供が誰で、とかってわけわかんなくて、私なんて聞いてもすぐ忘れるよ~。(今回このブログのために紙に書いて聞きなおしたのだが

で、それからというもの、毎日ではないが、たまにおやつを食べながら、TVの千絵さんを見て、笑顔のステキな、かわいらしい人だなぁー、ガンバレ! と応援していたものである。
ところが、今日、たまたま偶然だが、「イブニング信州」のスポーツ担当の人が今日で番組を降りるというので、母と「千絵さんはどうなのかなぁー」、なんていっていたら、番組の最後になって、なんと田中千絵さんも今日で最後だということを知るのだった。
挨拶の冒頭から涙ぐんでいて、ついもらい泣きに。
4月からはどこへ行くのかなぁー、と思って、番組では一切言わなかったのでネットで調べてみたんだけど、わからなかった。
わかったのは、千絵さんはNHKの長野局から福島局を経て、平成19年にまた長野局に戻ってきた(当初から「イブニング信州」担当)ということと、そしてもっと驚いたのは、NHK長野放送局の専属ではなくて契約キャスターで、フリーのアナウンサーだったということだ。
もともとは塩尻の方に家があったらしいが、今はご両親と、安曇野だったかな、どっかあっちの方に家を建てて住んでいて、長野まで電車で毎日通っていたんだそうな。
田中千絵さん、3年間、毎日「イブニング信州」でお疲れ様でした。
4月からはどうされるのでしょう?
これからも、どんな場所であれ、ぜひがんばってほしいですね。
またいつか、ブラウン管を通して、お茶の間から、元気な千絵さんを見ることができますように。
報道関係なんて、私の憧れの職業ですからね、そんなお仕事をされているなんて、尊敬しちゃうわ。
う~ん、カックイ~ぃっ!!!
でもって、そんな田中千絵さんが私の親せきだなんて、すっごくうれしいです。
今頃になってナンですが、親せき自慢?デシタ。


てか、もう降板になる日に公表?したって、おそいっつーの。(^^;)ゞ
もっと早くに宣伝して、見てねって、なんで言わなかったかなーあ?
ごみんなしゃい。