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猫田ジャレの 『 天然!にゃー語 』

~ 見ネコ聞くネコ言うネコの とびきり天然な日常 ~

ただいまぁ~♪ (^o^)v

2010年12月13日 | お出かけ、レジャー、イベント等
奈良旅(ならたび)2泊3日、今日帰ってきました~♪♪

奈良の達人の別の友人が言うには、「遷都1300年とはあまりカンケイなさそうなチョイス・笑」で、しかも「時間のロス、ありすぎてもったいない。」というくらい、うかつにも、行ったりきたりするようなルートになってしまったけど、

1日目 名古屋から三重県堺の「室生寺」(同行の友人ナオミの希望)行って 奈良市内泊。
2日目 早起きして、早朝の「興福寺」。  
    そのあと、明日香村へ移動して、自転車で、二人とも大好きな「飛鳥巡り」、橿原神宮泊。
3日目 また2、早起きして、京都 太秦で「広隆寺」。(興福寺、広隆寺は私の希望)

で、

結果としては、ものすごぉーーーく、楽しくて、

ものすごーーーく、よくって、

サイコーにステキな3日間でした。!!!  

季節外れだったので、どこもめちゃめちゃ混んでなくて(それでも土日だったせいか、そこそこ人はいたよ~w(@@)w)、最初の二日間はお天気にも恵まれたので 12月なのに晩秋みたいな感じで、けっこうあったかかったし、今日は雨だったんだけど、雨の京都、お寺というのもけっこう、いいもん、なんすよー。


田舎に住んでるくせに、けっこう田舎が好きなんで、すごぉ~い山の中の室生寺も、のどかな田園の広がる飛鳥も、それぞれに、心に沁みて、癒されて、よかったし、

やっぱ、

興福寺の「阿修羅像」と

広隆寺の「弥勒菩薩」は、

サイコー!!!   



これだけは、どうしても行きたい!!ってところに絞って、半日でひと寺(一箇所)まわる、ゆったりスケジュールだったので、じっくりと見られて堪能できたし、
なんといっても、ナオミが、ちょーオモロイひと、なんですワ。やっちゃんと違う意味で。

だから、

♪ ナオミといれば、いつだって Sunny days~ ♪♪ 

(↑ アルフィー『Good Times Boogie』←最近の、ちょーお気に入り♪の、替え歌。ホンモノは、「ナオミと」のところが「君が」です(^^;)ゞ)

ってカンジで、いっそう楽しかった気が。


でもって、あんまり楽しかったので、あさってはもう軽井沢取材なのに、明日からどうやって生きていこうかしら? みたいな感じで、がっくりしてたら、


きゃぁ!!!

以前申し込んであった、たかみーの今年のソロライブDVDと、まだ買ってなかった、“おととし”のアルフィー武道館のクリスマスライブDVDが、留守中に届いてたの ♪

う・れ・しぃ~~~   


さっそく、今晩、寝る前に見よっと ♪♪



そして明日からまた、がんばりマショー!!! 


とりあえずの、ただいま、の報告なので、また時間できたら、ゆっくり書きますね。写真もいっぱいとってあるし♪←って、いつだ!? (^^;)ゞ    







ただいまぁ~(^o^)v

2010年09月14日 | お出かけ、レジャー、イベント等
Hey! 行ってきましたぜぃ、Tokyo!!  (9/11~12)

楽しかったよぉ~♪
いつもの、ごとく。

今回は、まず高速バスを中央道日野で降りて、拓の30年来の友人Aさんに車で迎えに来てもらって(←例会は八王子で、新宿まで行ってると戻ることになり、時間もギリギリで忙しいので、家がこのあたりのAさんにたまに迎えに来てもらう。しかも彼は例会に出ないのに。へへ、ずーずーしいでしょ。(^^;)←ちゃんとお礼にK土産もって行ったよ)、ついでに図書館に寄ってから、一緒にお昼を食べた。
彼とは大学が隣同士で、児童文学関連の関東の大会で18のときから顔を合わせていたので、もう、お兄さんのような存在である。(雰囲気は、兄というよりおとーさん、て感じですが・笑)
なので、気心も知れていて、喋っていても楽しいし、なんだかホッとする人なのです。
あの、ぬぼーっとした、喋り、笑い、雰囲気。←ホメことば。

で、せっかく間に合うように迎えに来てもらったのに、30分くらい遅刻して・笑、合評会会場へ。
合評は、ですねぇ。
やっぱ、思ったとおりのことを言われたので、落ち込みはしませんでした、今回。
でも、色々考えちゃぃまシタね。例のごとく。
ま、それはまた長くなるので、誕生日前に本家「にゃー語」にでも書きます。

って、書けたらいーんだけど、
23日に、スポットの今度(157号)の取材先、下諏訪北小学校の子供御柱祭りがあるので、
あさって16日に、下調べ取材のために来諏訪。
両方の取材はもちろん、準備とまとめがあり、記事書きもあるし、その間になんとー!!
20日には「とうげの旗」156号が発売になってしまう(笑)ので、取材先と、探検隊の子供たちにそれぞれ送付しなくちゃだし、なんか、ダブっちゃって、いそがしーノダ・汗×2。あっ、そういえば地元の本屋さんにも置いていただいてるので、持っていって前回の売れ残りを引き取って清算して、とゆーのも、あったんでした。

そんでもって26日はせっかくの記念すべきお誕生日なのに、きっと記事書いてる最中だよ~・涙。←でも、地元でちょうどこの日、山本貴志のショパンコンサートがあってチケットとっているので、聞きに行っちゃうノダ。母と二人で♪

こんなに忙しい?のに、30日締め切りで、どーやってこの間の作品、書き直せとゆーんぢゃあ~っっっ!!!???  ←大げさすぎ? 笑。


あ。

こんなこと書くんぢゃぁなくって、

トーキョ滞在記、でしたね。


そのあと、合評会はふた枠とってあったのだけど(作品が10も出ていて終わらないので)、私は5時で失礼させてもらって、御茶ノ水で、私の尊敬する大好きなダンスの先生、真弓先生(もち、女性ね)と、イズミ・ミュージカルアカデミー同期のナオミとトモコと4人での、15年ぶりくらいの飲み会だったの♪ ふふふ。
↑ 真弓先生ファンの皆さま、抜け駆けしちゃってごめんなさい。 へへ、ゆるちてね。

まゆみ先生は、あいかーらず、細くて、お美しくて、エレガントで、すごーくステキでした。
そして、教育者として、ダンス指導者(もとダンサー)として、何より一人の人間として、やっぱりものすごく尊敬できる素晴らしい方なんだ、と再認識できたのがうれしかったです。

4人で、夢のような、楽しい時間を過しました♪♪♪

真弓先生には、いつもKのお土産とか、舞台に出られたときには差し入れや贈り物などをずぅーとし続けているので(だって、大好き、だから!)、この日もお土産や贈り物を、うんとこさ、うんこらせ、とKから運んだのでした。

そうそう、真弓先生は、出会ったときから27年、ずうーっと、茶色の髪をソバージュにしていて、前髪も全部うしろへ持っていくポニーテールにしていた(私も一時期、この髪形を真似ていた(^^;)ゞ)のだけど、なんと、びっくりすることに、黒髪のストレートになっていて結んでなくて、前髪も下ろして、ちょっと長めなので自然に分けてた感じでした。
最初気づかなくて、ぢつは、別れたあとに、そーいえば!?
って、びっくりした。このっ、早く気づけよ!! ←久しぶりの再会で舞い上がってたの・笑。
でも、ストレートの黒髪も、とってもステキだったわ。


それでその日は、ナオミと一緒におとなりの両国駅近くのホテルにお泊まりしたのでス。
ナオミとのお泊りは2月以来なので、いっぱい2、おしゃべりして←たいてい私が喋っていた、すごーく楽しかったです。
私、いつでもどこでも、しゃべってばかりいるわけぢゃぁなくって、気の置けない古くからの友人といるときだけ、おしゃべりになるのよ。お忘れなきようにねっ(^_-)☆



ホテルを出てすぐのところに、おすもうさんの銅像が。「きゃぁ、か~わいいっ!」というと、ナオミが写真を撮ってくれました。「同じカッコしてね。」とゆーので、つぃ、私もノリました。
そしたら・・・まったく体形が同じだって・涙。

昨日は夜だったので気づかなかったが、国技館は駅のすぐそばで、たくさんののぼりがたち、記念の饅頭を売る店が出ている。改札のほうからは若いお相撲さんの二人組みがやってきた。
ネ「もしかして、今って場所中?」
ナ「知らない。」
・・・その夜帰ってTVをつけたら・・・場所中でした。しかも、初日。(--;)二人とも知らなかったとは・・・汗。
あー、場所中とわかっていれば、記念写真とって来るんだった。饅頭、買ってくればよかった・涙。




それから、ホテルで調べてもらって近いということで錦糸町のOLinas(オリナス)というショッピングモールへ、映画を見に。←私、のみ。歩いている途中、前方には、なんとー!、かの、ゆーめーな建設中の“スカイツリー”が!!
カンゲキしたなぁー。

ナオミは、ここまで一緒についてきてくれて、オリナスでブランチを取って別れました。
ありがとう!!


今年もS条に、里帰り

2010年05月16日 | お出かけ、レジャー、イベント等


毎年恒例、夫の実家、新潟県S条への、S条祭りにあわせた帰省。
5月14、15日に行ってきた。

どらちは、近づいたら逃げて、いまだ触らせてくれない状態が続いているため、やむなく置いて(って、そーでなくってもS条逃亡事件があったから二度と連れて行きたくにゃいのだが)、ゴンだけつれて、2人といっぴき、珍道中。


行く途中で「日帰り温泉」に寄るのが唯一の楽しみなのだけど、今年は飯山の湯滝温泉に。

こんなふうに(写真上)千曲川にかかる、青い橋を渡ったところにあります。
お湯は、内風呂と露天風呂があり、やや熱め。景色はイマイチだったかしら。(露天風呂の囲いがすぐ近くにあって眺めが悪い。内風呂からは遠く千曲川が望めるが、ガラスが湯気で曇っていてよくみえにゃい

が、まぁ、山あいの静かな温泉郷で、ゆったりはできた。
山の人間が山いってどーすんの?ってカンジですが・笑。



近くを流れる千曲川。



ごんち、千曲川をみつめる、の図。



こんなふうに、菜の花畑がずっと続いている。
菜の花、大好き

千曲川沿いの丘陵の、肥沃な土地を利用して、畑も多く作られている。
川岸に畑が作れるなんて、谷あいのわずかな平地の間を縫うように流れるK川とは大違い。

ふだん、山の押し迫ってくるようなところに住んでいるので、こういう、明るくて広~い土地を見ると、同じ田舎でも、なんだかほこほこ、ゆったぁ~りします♪



夕方、S条に到着。
両親や兄弟がみな集まり、祭りの祝い膳に舌鼓。楽しいひと時を過しました。




翌日は両親と高校生になったばかりの姪を連れて八幡様へお参りに。まつりの「雰囲気」だけ、ささっと味わってくる。
おみくじは、まぁまぁ。



ごんちはどこでも人気者♪
「行く先々で、みんなに声掛けられちゃったよぉ~
鼻の下伸ばしてデレデレの愚夫。(左後姿)


お昼頃実家をあとにして、毎年帰りに必ず寄る、柏崎のお魚センターで買い物。
そこから少し行くと、海岸へ出る。



断崖から海を臨む。



砂浜にて。海を見つめるゴン。
ほんとは水がきょわいのだ、ワン。

やっぱ う~みは、ひろいな、おぉきぃなぁ~♪

春の日にきらめく海を見ていると、なんか、穏やかな、ゆったりとした気持ちになりますね。 るんるん。



車の中から、壮大な妙高の山が望めます。
雪をかぶった山って、本当に美しい!!



妙高サービスエリアにて。
逆光で妙高が美しく入らず、残念。

運転お疲れのしょぼくれ夫と、おとーさんべったりのゴン。


それにしても、ごんちと一緒の旅行は、楽しいなっと



運転席へ身を乗り出すゴン。
首輪のお花は、例の送り迎えつき美容院のお花、5月バージョン(ピンクのアジサイ)です。



こちらは、ちょっとお疲れで伏せになってるゴン。
ねむそぉ~。
「ねむくても、おとーさんの近くに、いるの♪」
おててが、かわゆいでしょ? 
(ゴンのために買った水色の「あしあと柄サークル」と、茶色の車用の「あしあと柄マット」もね♪)


で、も・・・



長旅とよそのうちでの気疲れで、ごんち、帰ったらぐったりしてました。


ごんちも疲れたけど、人間もづがれだぁ~。
向こうの方々は、皆さんいい方たちばかりで、とっても歓迎してくれて、色々よくしてくれるんだけど、やっぱり夫の実家なので気ィつかうので。
って、年に一度くらい、気ィ使えってか!?(この、家付きムスメが

それに・・・みぃがた、とおいんだもん。(ニッポン縦断! 笑)
自分じゃ運転もせず、たまに隣で寝てましたが・汗


でも、年に一度の温泉&ドライブは、やっぱ楽しいなっと

また2、トーキョに行ってきた。 v(^^;)ゞ その1.

2010年03月25日 | お出かけ、レジャー、イベント等
でへへ。
また2、トーキョ、いってきちゃぃまシタ。

いえね、今回は、20数年前務めていた日本児童文学者協会の事務局長で、元上司の、児童文学評論家、藤田のぼるさんが、このたびめでたく?、とりあえずの「定年退職」を迎えられるということで、そのご苦労様会が3月19日(金)に、歴代の事務局員を中心に、関係者の方々で行われ、私もご招待いただいたので、こんな名誉なことはにゃぃ、と思って行って来たのだ。←長いな・汗。

とりあえず、というのは、一応常駐勤務ではなくなっただけのことで、週に何日か、まだ事務局長という肩書きのまま、事務局には勤務を続けるというので、いなくなるわけではないのだが、私としては90歳になって車椅子に乗っても事務局長として居続けてくれるものと信じていたので、少し残念な気もした。
ま、財政の事情とかもあるので。たぶん。


で、その会が6時から、協会のある神楽坂の、とある居酒屋で行われたため、お昼の高速バスで新宿に着くので、時間がたっぷりとある。
なので、たまにしか出てこないんだけど、よく帰りがけにお惣菜とかのお土産を買うので、少しでももったいないと思って、小田急と京王デパートのポイントカードを作った。(どうせならもっと早くに作るべきであった。)

そのあと、原宿に用があったのでそこへ向かう。
原宿の、有名な「竹下通り」に、14年東京に住んでいながら、またその後もたびだび上京しながらも、生まれて初めていった。なぜいったことがないかというと、全然興味がなかったからだ。今回は、目的地がそこを通っていくと一番わかりやすくて近かったために、偶然通ったに過ぎないのだが。

竹下通りは、思ったよりも狭かった。案の定、中、高生とかの若者でにぎわっていたが、以外にも年配の人も、チラホラ。夫の実家の姪が、新潟から東京見物に家族と来た際も寄ったという、アイドルのブロマイドを売るお店や、いかにも若者の好きそうなどれでも1000円!とかの安いアクセサリーや、お安くて流行物のお洋服を売る店がずらりと並んでいて、あっ!写真とっとけばよかったな、定員さんが店頭で、一生懸命プラカードなんかもって客引きをしていた。
うーん、なかなか、おもろいぞっと。

で、目的地について、ある物を見せていただき、受注生産だというので、清水の舞台から飛び降りて、注文をしてきた。

帰りに、通りをちょっと入ったところに、東郷平八郎を祭った東郷神社を発見。こんなところにあったのね! とカンゲキして、寄ってきた。
東郷平八郎といえば、『坂の上の雲』、そして「黒猫大明神」。
境内に入ると、竹下通りの喧騒とはまるで異次元の、静かな空気が辺りを包み込んでいた。
東郷元帥の一生、ということで、境内(意外と狭い)を取り囲む塀のところに、十数枚の絵画、または写真が額に入れて飾ってあり、説明書きもしてあったので、順番に読んでみる。
額は、何十年もの風雨にさらされて、かなり年季が入っており、それがいっそう重厚な雰囲気をかもし出していた。
途中、広瀬武夫がロシア艦隊の銃撃を受けて死す、みたいなのもあったので、同じ海軍の秋元真之についての額もあるのかしら、と期待したけど、なかったワ。
東郷さんは、確か80代と、当時にしてはものすごく長生きした人です。

で、日清、日露と日本を勝利に導いたというので、と思うけど、勝守りとして名高いらしくて、お札やお守りを売っていて、思わずほしくなったが、私は上杉謙信さまの勝ち守りを持ってるんだったワ、けんかすると困るからやめよう、と思って、お参りだけして帰ってきました。



高校生くらいのキャピキャピした女の子(写真右よりの階段付近)が、連れ立ってお参りしていて、ほほえましかったよ。
やっぱり、中、高生くらいの男の子は、社務所でお札かなんかを購入していたので、もしかしたら近所の受験生かも、なんて思ったり。
林真理子のご主人は江戸っ子で、東郷さんというので、もしかして東郷元帥と関係があるのかも、とか思ったり。


それからまだ時間がたっぷりとあったので、すぐ近くの明治神宮にも「ご参拝」してきました。
いつもの渋谷から原宿駅まで行って戻ってくるだけの散歩?コースの際通るのだが、普段は時間がなくて、前回上京した際は時間がたっぷりあったのだが、雨が降っていたので。



これが、境内に入る前の、最初の大鳥居です。なんか、赤シャツの人が偶然二人もいて、アングルが悪いですな。
写真とってたら、韓国か中国鉛のある若い男性がカメラを差し出してきて、自分を入れて撮ってくれという(てゆーか、ほとんどしゃべらずにいきにりカメラを押し付けて、自分も納まろうとしたため(^^;)優しい?私は、「人間も入れて、鳥居も入れるのね」と確認しつつ撮ってあげたのでした。で、お互い連れがいなかったので誘われたら困るので、って、アンタいくつだと思ってるのよ、写ってることだけ確認してもらったら、そそくさとその場を離れて、早足で歩いたのでシタ・笑。

いつか母が女学校の同窓会で東京会場のときに、明治神宮に行ったんだけど、「案内してくれた人は、すぐそこだよって言うんだけど、遠いのなんのって。やっぱ東京の人は普段よく歩いてるから平気なんだねぇ。」とびっくりしていたが、ほんとにここからが遠いッたら・笑。
歩きながら、ダイエット、ダイエットって、唱えましたがね。

途中もうひとつ鳥居をくぐって、そこからがまた歩く。
やっと明治天皇辞世の句と、昭憲皇太后(明治天皇の奥さま、ですな)の句が大きく書かれた看板のところにやってきて、そうだ、明治神宮って、明治天皇を祭った神社だったんだ、と思い出したわけである。

そこからまた門をくぐって、



外拝殿を望む。




やっと内拝殿(柱の向こうに見えているやつね)を望める位置に来て、お参り。
内拝殿の近くには行かれなくて、この位置から、手を合わせるのだ。
なんにゃ、もったいぶってまんなぁー。


この日は結婚式が二組あって、境内を行列したり、記念写真を撮っていた。
おととし、東京の姉んとこの姪の結婚式はチャペルで、今流行のハウスウエディングであったが、神社もいいものである。参拝客が足を止めて見たり、写真を撮ったりしている。
若いって、えぇなーぁ。(別に年取って結婚してもいいわけですが)

と、それを見ているうちに、あれ?
明治神宮にも初めて来たような気がしてたけど、15,6年前に友人が結婚式挙げたの、もしかして明治神宮だったかも。と、突然思い出した。確か、私達も一緒に行列について歩き、参拝客の注目を浴びて、照れくさくも嬉しかったものだ。特に新郎が紋付はかまを着けた金髪の外国人だったのでよけいに注目されたように思う。


帰りに境内からちょっと入った、お食事&お土産処のようなところで、明治神宮参拝記念の最中ときなこあめ、そして最近ハマっているご当地キティーちゃんの「原宿・表参道バージョン」を見つけたので買ってきた。

それがコレ、です。



最中は天皇家のご紋、菊の形をしておるのです。(家に来てデジカメで撮ったので、いきなり写真がデカイぞっと(^^;))



こっちがご当地キティーちゃん。原宿、表参道バージョン。
オシャレしてピンクのバラのリボンと、ピンクのバックを下げてるのよ


明治神宮参拝記念最中と原宿キティーちゃんなんか買っちゃって、まるでおのぼりさんじゃん。
いや、おのぼりさんにはちげぇーねぇが。
と思いながら、明治神宮をあとにした。


フトみると向こうに代々木体育館があるのを発見。
来月ここに来る予定があるのだが、どうやって行くのかなぁーと思っていたら、なぁんだ、こんなトコにあったじゃん。(気をつけてないと気がつかないもんです)
いつもの散歩コースでの「折り返し地点」、歩道橋の上にてパチリ。



左手奥が代々木体育館の、有名な船のマストを思わせるような吊り屋根。
右手は明治神宮入り口。


帰りは、時間がまだ余りすぎると思っていたので、神宮前から地下鉄に乗ればよかったのに、渋谷まで歩いて、途中アニバーサリーカフェでも時間つぶして、いたら・・・
乗り換えがすっごく不便なことになっていて、遠回りになったとゆーか、結局最後は「あ~ん、まにあわんじゃん。」とアセルことになり・・・
てか、まったく時間の読みが甘かったわけですが、久しぶりの神楽坂の町並みを楽しむ余裕どころか、町中を走りに走り・・・
チコクしたのでした。があん・・・

ついたら、ちょうど初期の頃の事務局員で現在協会理事代表の児童文学作家、川北亮司さんが、まさに乾杯のご挨拶をしているところで、向かいの席の藤田さんに「ふつう、遠い人ほど早く着いてしまうもんだけど・笑」とイヤミ?を言われてしまいましタ。

でへへ。


と、ゆーわけで、続きます。


第10回 雪灯りの散歩路

2010年02月06日 | お出かけ、レジャー、イベント等
2月の5,6日に、町内で「雪灯りの散歩路(みち)」というイベントがあって、5日は愚夫の誕生日だったので、こんなの行かんわな、と思いつつも「いく?」と一応聞いてみた。
そしたら、あーらびっくり。
「誕生日だし、ゴン連れて行くかな♪」だってさ。
金曜だというのに、仕事早上がりするらしい。「稼ぎ時にいーのかよ?」「ゴンと行くって言えば、なんとかなるんだよ。」「へー、いい職場だね。←イヤミ」

仕事終わってからだともう閉まっちゃいそうだったので、ならば私もと、7時頃店を抜け出して、二人と一匹、いざ、町内の雪灯りロード目指して、しゅっぱぁ~つ!!
二月初めに積もった雪で、町内はどこも、イイ感じ。

地図によると、町内のいたるところでアイスキャンドルがともるらしい。
何年か前、母といったときより、アイスキャンドルを置く地区が格段に増えたようだ。


まず、上町(かんまち)の駐車場で、ミニ展示コーナーを見る。赤い消防車の雪像と、青いヘリコプターの雪像が、たくさんのキャンドルに照らされて、とってもキレイ!!!
愚夫は写真好きで、私がブログ用に人物をいれずに写真を撮ろうとしていると、
「とってよ!」といって入ってくる。



消防車前で、パチリ。
もう撮ったから行こうとすると、中々去ろうとしない。何かと思ってイライラしていると「こっちも撮ってよ」。ヘリコプター前の先客の家族の撮影が終わるのを、待っていたようだ。あほかい。



↑ これがそれ、です。


それから、本町(かつての町内のメインストリート。)へと回る。ふだん車で通り過ぎるだけなので、あ、コレが例の新しくできたお店ね、とか、今まであった店も久しぶりにゆっくり見て、へーえ、この店、こんな感じだったんだぁーとか、初めて来る人みたいに、キョロキョロ見ながら。



本町に新しくできた、公園みたいなところ。ちいさいながらも、ライトアップされて、きれいでした。



そこから、上の段、という地区へと向かう。
ここは、町内で唯一、旧中仙道の町並みが、ほんのチラッとだけ(4、500メートルくらい?)残っている地区で、新たな観光地にしようと、「まちづくり」組織が色々取り組んでいる所である。
数年前は、アイスキャンドルはこの辺の地区だけで、車も通れた。今は、当日は歩行者天国になっている。

左に見える明かりは、古民家を再生したお料理やさん、二件(和食とイタリアン)。真ん中後姿は、愚オットと愛犬。



ここが中山道であったことを伝える、古井戸。




ここから、某お寺へと続く小道は、実は最近整備され、新たに作られた石畳。新しいのだが、情緒あふれる場所となっており、カメラを構えた人があとを絶たない。



そこを下って、メイン会場である、八沢(やさわ)の駐車場へ。
ふだん夜は全く静かな街が明るく輝き、露天も出て、大勢の人でにぎわう。
数年前におとづれた時より、さらにバージョンアップして、人も増えたように思う。

ふと見たら、なんと、この雪灯りのお祭り、今年で第10回目であった。(冒頭写真)すっかり、この町に根付いたようである。



雪で作った凱旋門の中にて。
あとで聞いたら、3人くらいの人に写真撮らせてくれとせがまれたんだって。
どーりで、ウレシそうなはずだ。
犬連れたおっさんなんて、そりゃ、オモロイだろーよ。
(雪灯りの散歩路写真コンテストも企画されていたので、それでカメラ持った人が多かったんだろーなぁ~。どーしよ!?愚オットの写ったのが入賞しちゃったら?笑)

最近注目の郷土保存食「すんき」(後述)の『第二回すんきまつり』というのが2月5日から14日まで、たぶん雪灯りイベントと併設して開催されているため、会場屋台では「すんきカレー」や「すっとん汁」(すんきを入れたトン汁)などが売られていたので、食してみる。
すんきというのはかぶ菜を発酵させて作った漬物のようなもので、酸味がある。そばやうどん、味噌汁には合うが、果たして、カレーやトン汁にはいかがなものか?と思ったが、これが意外に悪くなく、よく煮込んだカレーと、あったかくて具沢山のトン汁のおいしさに手伝わされて、なかなか美味であった。ゴンにもおジャガをあげたが、あまり食べなかった。



それから、最近の新企画、八沢川に浮かぶアイスキャンドル灯篭を見下ろし、帰路へとついた。帰り道、家の近所の地区でもキャンドルを並べている民家、何軒かがあった。

今年は寒かったからよかったが、暖冬でキャンドルの氷がとけ、冷凍庫を持つ会社などに手伝ってもらって作った年もあったんだよね。
とてもきれいだけど、これだけのものを作るのは、さぞタイヘンなんだろうなー、と思う。

が、普段は裏寂れて人気のない街中に、にわか人があふれ、(てか、人がいる~!!、歩いてる~!!!←普段は車で通り過ぎるだけ、ってだけで、カンドーもん、デシタ。)活気付いてるってゆーのは、なかなかいいもんである。

何より、このような古い町並みが人工的なネオンとかじゃなくて、やさしい雪灯りでライトアップされているのは、美しいし、風情があってすばらしいと思う。
これからも、K町の伝統行事として、ずっと続いてほしいものである。



厄払い

2010年01月15日 | お出かけ、レジャー、イベント等
夫がたまたま遅番だったので、松本の牛伏寺(ごふくじ)に厄払いに行ってきた。

ここは、厄除け観音として名高く、Kからでもよくお参りに行くところ。
子どもの頃、父の厄年のお払いのため、1月14日から15日にかけての夜中の厄除け参り(縁日)に一度だけ家族で出かけたことがある。この日は特別に混むので、ふだんより遠いところにしか車が止められず、長く歩いたのが、縁日の屋台で何か買ってもらうとか、賑わいが楽しいとかいう記憶より、ひたすら寒くて遠くて、嫌だったのを覚えている。
もちろん、大人になってからは自分の厄年、夫の厄年でも何度かおとづれている。

もしして、今日がその縁日だったらどーしよ!?と思い電話で確かめると、今年は10,11日(祝祭日)に終わったとのこと。縁日は楽しいが、夫は休みなのではなく遅番でさっさと帰らなくてはならず忙しいので、悠長に遠くから歩いてお参りしてるバヤイじゃないのだ。ちょっとがっかりしつつも、ほっとして出かける。


が、いってみたら平日なのにけっこうお参りの人が大勢いてびっくりする。よく考えてみたら、15日は小正月で昔からどんど焼きをしたりして厄落としをする日だったのだ。偶然だが、いい日にきたな、と思う。


上の写真は、最初の石段を登ってある、最初の門です。



石段の向こうに山門を望む。階段下の右端は、夫とゴンです。

門をくぐるとお線香(一束100円)があり、火をつけて煙をかぶってお参り。二人で一束、にする。



左にある、ご本殿。
たぶんここは犬禁だと思うので、下にいて、一人ずつ賽銭を上げながら参拝。夫の番になり私がゴンの紐を持って待っている間中、お線香のときもそうだったけど、そのたびゴンがおとーさん恋しくてキュウキュウ鳴いて、そわそわし、もどるたびに夫に飛びついて喜ぶので、わたしゃおもしろくにゃい。ふん、そんなにおとーさんがいーのかよ、すぐそこにいんじゃん。ぷんぷん。

時間を調べずに行ったのでご祈祷の時間には合わなかったので、参拝だけして、お札を買って帰ろう、と思う。
向こうの石段を登ったところに「厄除けの鐘」というのがあったので、せっかくだからたたいてくる。そこにもお賽銭箱があったので、二人で100円にして、一度ずつたたく。
ごぉーんーーー。
さっきから境内に鳴り響いていたのは、これだったんだ。



山門を降りたところ(つまりは、登る前の広場)の両脇には、牛が伏している像が二体。みな、たぶんそうするように、なで光りで、つるつるに光った頭をなでながら、つい頭がよくなりますよーに、とか唱える。行きはそうこうしてたので、写真に取り忘れ(しかもデジカメ忘れたのでケータイ)、やっぱ撮っておくかって帰りに撮ったので変な構図に。
牛の隣にいるのは愛犬と愚夫。
全然見えてないが、右にもう一体いて、まったくわかりづらいが、こっちから見て左奥の生垣の上に観音様がいらっしゃるのだ。

ところでこの愚オット、ごんちがあちこちでほめられたといっては、いちいち報告して、得意満面。「女の子が、かわいーい、だってさ」「あら、花つけてる。名前はハナコかしら?」とか。鼻の下デレデレのぱしちゃって、バッカみたい。まぁ、ゴンと出かけたいのと、ゴンを見せびらかしたいのと、両方ですな。毎日の散歩のときのこともよく喋ってるよ。←肝心なことはほとんど喋らないのだが、つまらんことをよく喋る、ほんとに「愚」オットっす。
いつだったか、「余計なことばっかしゃべって大事なことを言わん。」というと「ゴンのことは大事なことじゃないか!」だとさ。


さて、それから、社務所でお札を買う。
こういうところではケチらない主義なので(とかいーながら、大熊手は3000円もしたので小熊手1200円也にする)、小熊手の家内安全を自分とこと親のうちと2本、店用に商売繁盛を1本。それから交通安全を車の運転をする人分(父、夫、私)で3個と、夫方の姪が高校受験のため学業成就と、私のために十二支の守り神、子年をひとつ。と思ったら、お守りだけで5つにもなった。
これに厄除け饅頭を家用と夫の職場用に2つ求めたら、全部で結構なお値段になってしまったので、たまげた。
でも、けちらない、けちらない、と。
それから、100円のおみくじを一人ずつ引いて、マンゾクして帰ってきた。



これが、厄除け饅頭の包み紙と、お守りの入っていた袋、です。


なぜ、厄年でもないのに厄除けに行こうかと思ったかというと、ぢつは昨年、車を変えるきっかけになった、人の車にぶつけちゃって、自分の車をへこませてしまっただけでなく、新しい車に変えて、今度は町内のS神社でちゃんとご祈祷と車のお払いをしてもらい、お守りも搭載、シールも車内に貼っていた、のにもかかわらず、さっそく12月に側溝にはまり込んで左のタイヤ2本をパンクさせてしまったことがあったからだ。
なんと・・・一年に2度も車の保険を使ってしまった。
しかも、新しいのに変えたばっかりで。
しかも、実を言うと「風が強く吹いている」を見に行った帰りに、すごく眠くて、そのたび車をよけてお茶飲んだりして眠気を覚まし、休みながら行ったのに、もうちょっとで家、っていうときにはっと気がついたら、道路左わきの側溝に突っ込んでいたのだ。つまり、一瞬の眠気が襲ってこうなったというわけで、飛び出したのが反対車線でなくてよかったと思うと、パンクした以上にドキドキして、エレーショックであった。
まあ、前の車も、免許取りたての頃や、慣れて忘れてきたころなどに、何度ぶつけたりこすったりしたかわからないが(人にすられたことも・・・)、最近なかったので、この二つは大きかった。
そして、年末には、思ったよりすぐに治ったとはいえ、ぎっくり腰である。
もちろん、数年来のウツが治ったという、ものすごく大きな幸せもあった年ではあったのだが、これはちょっと厄払いでもしてくるか、でないと安心して運転できないよ。今年も映画に行ったりスポットの取材にと、精力的に動くつもりなので、なおさらである。

もうひとつあって、実は私が側溝にはまったすぐ後に、父も郵便局の駐車場からバックで出ようとして、ちょうど出ようとしていた人の車にぶつけてしまったらしいのだ。なんとゆー親子。親子して農協の車保険に、同時期お世話になっていたのだ・・・

なので、厄払いとともに、父の分と、夫も加えて、交通安全のお守りは絶対にいる、と思ったわけです。(私は持ってるけど、さらに強化)

おみくじは「吉」でしたが、中々いいことが書いてあったよ。写真下真ん中。



右の小さいのが、子年の守り神。干支はけっこう信じてて、まだ大学に入りたての頃に引いた子年の9月26日生まれ、というおみくじに「結婚するなら丑年、友達にするなら申年が最高」と出ていて、なぜか大切に持っていたら、全くもって偶然なのだが、そのとおりになったので。子年のお守りを一つ持っていてもいいかな、と。千手観音様です。

左は大好きなあこがれの先輩Iさん(女性)がくれた今年の年賀状で、なんと「おみくじ」がはってあって、めくってみたら「大吉」で、いいことばかり書いてあったので、嬉しくてパソコンのところに飾ってあるもの。


毎年元旦に初詣に行っている近所のS神社は、夜なのでもう誰もいなくて、お札も買えないので、今年は厄除けもして、健康第一、商売繁盛、家内安全、交通安全、願い事成就など祈ってお札も沢山勝ってきたので、今年はいいことが沢山あって、楽しく元気に毎日が過せることでしょう、と思っています。

楽しい家族旅行 その2

2009年11月21日 | お出かけ、レジャー、イベント等
次の日は、朝5時に起きて、姉と一緒に朝風呂、朝ビールしたあとに風情のある町中を通って5分先の駅前あたりまで散歩、と決めて気合入れて楽しみにして寝たのに、起きたら真っ暗。景色も見えないんじゃつまらん、と、また寝て起きたらもう6時で、朝の露天風呂(さ、さぶかった・・・)入って温泉の楽しみ、朝ビール(なんとー!姉は飲まなかったので、一人でつまらん・・・)して、4人で朝食バイキング食べたら、8時半にはもう出発だったので、散歩の時間はなかった。がっくし・・・

そのあと、一行はお魚センターで買い物したあと、魚津へ。



「魚津埋没林」は、かつて片貝川の氾濫による土砂流出によって埋没させられた杉原生林が、その後氷河期の海面上昇により現在の海面より下になってしまっていたものが、2000年もの時を経た1930年、魚津港改修工事の際に海底で発見されたという、大自然の痕跡、奇跡である。特別天然記念物で、大小あわせて、約200ほどのスギが見つかっているという。

その一部が、「魚津埋没林博物館」に展示されている。(写真上)
この写真はイマイチであるが、入組んでゴツゴツした、ねじれ模様のような杉の大木は、とても神秘的。海底の中に埋まっている感じにしたのを、上から、水中から眺められるものもある。←粘土細工のようであった。(暗くてうまく写真に撮れず
平成天皇が皇太子だった頃をはじめ、皇室の要人達が次々おとづれているらしく、パネルにして飾ってあった。

二階で、魚津のもうひとつの奇跡「蜃気楼」の美しく幻想的な映像と、蜃気楼のできるわけを説明したビデオを見たが、ちょぃむずかしくて、よくわからんかった。
ただ、ひとつだけ思い出したのは・・・
そういえば昔NHKの朝ドラのファンでもあったのだが、そのとき田中実のやった主人公の出身地が、確か魚津だったんだよなー、でもって、彼が仕事上の将来の夢を見ているんだけど、それがまるでふるさと魚津の蜃気楼のようだ(幻であり、叶えるのが難しい)、とか言ってたんだよな。魚津にいる優しいお母さん、顔は思い出すんだけど、あれはなんて役者さんだったかしら。
何より、そのドラマのタイトルと、どんな内容だったかを、一生懸命思い出そうとするのだが、ついに思い出せなかった。

で、家に帰ってPCで検索してみて、やっとわかった!
1990年上半期に放映された『凛凛と』だった。
物語は、大正時代にテレビ開発を夢見て魚津から上京した川原田政太郎(役名:畠山幸吉)の夢と希望と苦悩に、彼らを取り巻く人々の成長の軌跡を追った青春群像。幸吉の妻に荻野目洋子、その兄に野村宏伸、幸吉の友人で江戸っ子の粋、大工だか鍛冶屋のせがれに梨本健次郎、その父にハナ肇、という、とにかく朝から元気いっぱいの楽しいドラマだった。魚津の優しい母は長島暎子、はちゃめちゃな父はイッセー尾形であった。
ほんとに楽しいドラマだったなー。青年が夢を追う(川原田はのちに日本のテレビ界の第一人者となる)という設定がよく、「凛凛と」というタイトルもよかった。懐かしいものを思い出せてよかったわ。

それにしても、あー、すっきりしたぁー。パソコンて、便利だなっと♪(^o^)



博物館展望台より、立山連峰を望む。



反対側には富山湾。蜃気楼は見ることができませんでしたが・・・笑。

海と山、両方楽しめるなんて、魚津っていいところね。


その後、かまぼこ工場に行って製造過程の一部を見たり細工の実演を見たりして、お土産を。
東京の姉は、前回は塩尻まで戻ってあづさで帰って、電車に間に合うかエレーやきもきしたり、遠くなったので、今回はここから新幹線で帰ったほうが近いとのことで、ここでお別れ。サミシイ。



バスは一路、岐阜県白川郷へ。
3年前のノーサイ旅行の際もおとづれたのだが、そのときは雨で歩かなかったので、今回は期待。
お昼も、前回は飛騨牛みそ焼き、といいつつ、薄いお肉数枚だったのが、今回はバージョンアップして、3切れだったけど、霜降りの厚いステーキだったよん♪マンゾク。←写真とるの忘れた。(一日目の昼、夕は撮ったが、チープに見えたので却下・笑)



その後、世界遺産となった白川郷、秋の集落を、のんびりと歩きます。



今でも中に人が住んでいることを伺わせる、乗用車や洗濯物が見える。



この家は、裏に回ったら、屋根の吹き替え中でした。
めったにない、いいものが見られたと喜びつつ、いゃぁー、タイヘンだすなぁ~、こーゆーウチに住むのも、金かかってしょーがねぇー(あ、補助くらい出るんスかね?ほんでも、めんどー)とか、思い。



この家は、なんとー!
車庫までもが、合掌造り、かやぶき屋根。二階は倉庫かなんすかね。



こちらは、消防の消火栓。
景観を考えて、こーんな小屋に入ってあちこちに立っておりました。
かわゆいけど、いやはや、世界遺産に住むのは大変だにゃ、とほとほと感心ともタメイキともつかぬものをついた私です。


その後全員で記念写真を撮り(姉が入ってないよ~残念)、バスが中津経由でKにたどり着いたのは、夜の7時半頃でした。


前回の旅行で、私は体調が悪くてバスの中で寝てばかりいたんだけど、姉はびっくりするくらい、目が覚めると旅行中ずっと飲んでたんすが笑、今回酒に弱くなったとかで、二日目は全然のまず(新幹線では飲むと言ってましたが)なんか、ちょっぴりさみしく、つまらなかったわ。
みんな、年、とるんすね。

でも、この年になっても両親が健在で、こうやってダンナ抜きで一家4人で旅行に行かれるなんて、なんて幸せなんでしょう。
私も今回は体長がよくなっての旅だったので、とっても楽しかったです。
2,3年にいっぺん、とかいわずに、親が元気なうちにまた来年も行こうよ、と電話口の姉が言ったので、そーしよ~ねぇ~♪と答えた私です。
が、しかし、今回私達姉妹が49と51で乗客の中でたぶん最年少だが、両親は83と80でたぶん最年長。長旅だけに、元気に行ってきてくれるか、けっこう心配したりもした。二人とも元気で楽しそうでよかったけど、来年また旅行できるだけの体力があるかしらん、とか、ちょぃ心配。
子どもの欲目で、親にはいつまでも元気で長生きしてほしいと願うもの。

それでもこうやって、親が元気でいてくれること、快く出してくれる双方の殿方にも感謝、です。


おまけ。おみやげの数々。



左。富山限定の「ご当地キティーちゃん」。黒部渓谷を名物のトロッコでゆく、黒部ダム建設のいでたち(ヘルメットにつるはし)のキティーちゃん。
ついでに、真ん中はK限定のK駒に乗ったキティーちゃんと、知人にもらった浅草で買ったのに、なぜか埼玉限定「草加煎餅ドラえもん」の根付です。



左から、富山名物「ます寿司」(ぶり寿司がほしかったのに売り切れてた)、飛騨牛の昆布巻き(白川郷にて購入)、魚津名産「白えび」の釜あげ



「ごちそう玉手箱」というかわいい発泡スチロールの手提げ(写真奥)に入っていた、富山名物「黒かじきのこぶ締め刺身」(写真手前左)
と、変わりかまぼこ。
左より、あなご、しゃけ(一面に蒸したアナゴやしゃけが乗っていて豪華)、上にいって昆布巻きチーズ。



うに含有率90パーセントという「粒うに」(左)と、

おまけで、最近お寺の奥さんからいただいた、仙台の「七夕漬け」「仙台長なす漬け」。おいしそうです。下は、奥さんからの毛筆、達筆のおたより。


このほかにどこでも買える桜海老の干したのや、煎餅を3種類も、あと夕飯のおかずに飛騨牛のコロッケなんてのも買ってしまった。(^^;)
財布のヒモは、次第にどんどんゆるみ、行く先々で買っているうちに、サイフがすっからかんに・・・

うーん、明日から、どーしよ!?

楽しい家族旅行 その1

2009年11月20日 | お出かけ、レジャー、イベント等
11月18,19日と、珍しく旅行とか行って来ちゃいました。

3年前の2006年秋、NOSAI(ノーサイ・農業共済組合の略・家は農家ではないが、ノーサイの建物共済に入っているため会員扱いになっている。農協の保険とかも入ってるし。田舎では郵便局と農協の力は強いぞっと・笑)の組合員ふれあい旅行、というので両親と姉と4人で能登の和倉温泉一泊バス旅行に行った。あんときは体調が悪くなり始めた頃で、楽しかったのだが、心底は楽しめず残念だったのだが、今回は体調がよくなってからの参加、とても楽しみにしていた。
同じく、安くて、何もしなくてもバスでどこでもつれてってくれる、ノーサイの職員が同行して至れり尽くせりのサービスをしてくれる、バスの中から酒がどんどん出る、などの利点?笑、から、今回も同じノーサイふれあい旅行、一泊富山宇奈月温泉の旅。
ダンナと子ども抜きで、姉はわざわざ東京から来ての参加である。結婚前の家族4人、親子水入らず?ということでも、楽しい旅行ナノダ。


前日からの雨も上がり、長野はお天気がよかったのだが・・・
途中なんたらいうトンネルを抜けたら、そこは雪国だった・・・がぁん・・・


新潟では雨に変わり、まず向かったのは上越市での「天地人博」。
NHKの今年の大河ドラマ『天地人』の主人公直江兼続(なおえかねつぐ)ゆかりの地がここ上越ということで、いってみれば大河ドラマをあてこんでやっている主人公のふるさとめぐりシリーズですな。
大河ドラマは高校時代からしばらく、ものすごいファンであったが、その後「なんだ、結局うまいこといって武将が自分の名誉と私利私欲のために領土を広げたいだけじゃないか」と思ったとたん興ざめして見なくなった。(戦で人を殺しあうのも好きじゃないし)
なので、天地人ももちろん見てないが、今話題のスポットなので、楽しかったよ。姉は兼続をやった妻木くんのファンで天地人を見てたので、まさにタイムリーと喜んどりました。

詳しいことはよくわかりませんが、天地人(直江兼続を主人公にした)を大河ドラマにして上越に呼ぼう!ということで、地元の人が10年がかりでNHKと交渉して実現したらしいっす。
うーむ、スゴイぞっ。
ぢつは・・・今回再選を果たしたK町のT町長は、「Kに大河ドラマを呼ぼう!」とがんばっておられるのだそうな。Kには、なんといっても日本中の人が知っている天下の名将源義仲さまがおられるのですぞ。義仲は、たった3日ではあったが天下を取り、巴御前との恋もドラマにはうってつけ。(義経よりよほど美男子で、優れた武将であったが、Kの山猿といって馬鹿にされたのだそーな・・・よよっ。ぐっ、ぐやじぃ・・・・)
大河ドラマも、最近では07年に武田信玄に仕えた山本勘助や09年に上杉謙信に使えた直江兼続など、今まで主人公にはなりえなかった人物を取り上げたりして面白いが、義仲なら主人公にうってつけではないか・・・

そうだ! 町おこしには大河ドラマだぁ~
原作は、もちろん、このワタシよっ!!
今から始めれば10年後には間にあうだろう。親には見てもらえないかもしれないけど・・・
そうだ、義仲のことを書こう!
高校、大学の頃の夢のひとつに、いつか大河ドラマの原作を書きたいというのがあったのを思い出した。
義仲がライフ・ワークだ!

と、すっかりその気になった私は、いい気分で「天地人博」をあとにしたのでした。
ははは、たっんじゅぅぅぅーん!!!



その後、直江兼続が主君上杉景勝(かげかつ)とともに入ったという「春日山城址」へ。
ここは、その後景勝の子、上杉謙信とともに過した場所でもあります。山全体が「城」なのだそうな。
雨が降っていて、急で長い石段があり、主要な場所だけで散策に一時間もかかるというので、客の年齢と(6、70代のジジババ←失礼、がほとんど)客のお酒の酔い加減から、下で説明を受けるだけにとどめ、山には登らないと判断。
市のボランティアのガイドさんから説明だけ受ける。



< 春日山城址 >
この石段を登ったところに、上杉謙信像や、謙信を祭ってある神社があるのだそうな。
私は登れるのになぁー、と思うと、見たかったな、残念、と思う。ガイドさんも、好きでやってるだけに、「行くといえば私はいくらでも行くんですが、皆さん行かないとおっしゃるんで・・・」と、残念そうであった・笑。


次に、上杉謙信が幼少の頃預けられて、益翁宗謙(やくおうしゅうけん)大和尚から文武両道を学び、死後はそこに祭られたという謙信ゆかりの菩提寺「林泉寺(りんせんじ)」へ。
雨でしたが、落ち葉がしっとり濡れていい風情でした。



上杉謙信が春日山から移築したという、唯一当時を伝える「惣門」(そうもん)。わらぶき屋根です。



その隣を通って、二階建ての「山門」を抜ける。仁王様がいます。謙信直筆の「春日山」の額がかかる。
謙信建立のものは江戸時代の地震により消失。現在のものは大正時代に再建されたもの。



< 本堂 > 平成9年、開創500年を記念して建立されたそうで、さすがに新しい。



< 上杉謙信 墓 > 本堂脇の山を登ったところにありました。


上杉謙信は、天正6年(1578年)3月、49歳で春日山城内でなくなられたのだそうです。
生涯独身(うーん、ウツクシイ。いい男の独身てミステリアスだぞっと。かつて大好きだった吉田松陰も生涯独身だったし、今のところ、たかみーも。Gacktは離婚歴はあるものの現在独身だし。)で、人質を取るのをよしと思わずその子ら二人を養子として向かえ、益翁宗謙和尚の一字をもらって謙信と名づけたように(幼少名は長尾景虎)、生涯にわたって修学修繕に励み、精進されたそうです。
特に武将というものは自分の私利私欲のために領土を広げるものだが、謙信に至っては常に苦しめられている人々を救うため、というのが戦の目的で、私利私欲のために戦うことが全くなかったので、多くの人々、臣下から慕われたのだそうな、とゆーのが、
お、おー!! すんばらすぃぃ~っっっ!!!
と思ったのであります。(特に武田信玄軍の傷ついた兵士に塩を送った話は有名で「敵に塩を送る」ということわざになったほど。私、何を書くそう、それまで「傷口に塩を塗る」と同義語だと思っとりました。は、ばずかしい・・・全く逆の意味でしたね。

『天地人』では、謙信はあべちゃん(阿部寛)だったそうですが、全然知らんかったので、私のアタマん中では、上杉謙信イコール一昨年大河ドラマ(『風林火山』←といっても色々理由があって見てはおりませんでしたが(^^;)でのGackt(大好き)だぁー! と思っとりますので、謙信、ステキ!と、Gacktと重ねあわせて思うわけです。

そのあと、隣の宝物館へ行って、謙信ゆかりの品々をご住職の説明を聞きながら見せていただきました。もう、私のアタマんなか、Gackt、Gackt。謙信イコールGacktになっとるわけですから、説明聞いてても、楽しいのなんのって♪
宝物の展示の最後に、Gacktが謙信をやったときの『風林火山』のポスターや、Gacktファンが描いたという彼の鉛筆画(私も新聞で読んだことあるのだが、これがまた、すんばらしいの。主婦の趣味とは思えないウマさ!)Gacktが謙信を演じるにあたって林泉寺の彼の墓を参ったときの写真つきの新聞記事、上越謙信祭りの際、謙信公に扮んして、よろいをつけて馬に乗るGacktのポスターと新聞記事など、Gackt満載!!
そばに一冊だけ、あべちゃん扮する謙信が表紙になったNHKの『ステラ』が、さみしそうに置いてありました。あべちゃん、かわいそ。

が、林泉寺は、「風林火山」と「天地人」と3年の間に2度もおいしい思いをしたわけで、よかったですな♪

宝物殿入り口でお守りなどを売っていたので、これだけ見たあとだとなんかすっかり謙信公に洗脳されており、つい、なにか謙信さまゆかりのものをひとつ、と思う。
「天地人博」で、「龍」の文字(謙信は龍なので)の入ったぐいのみ?(湯飲み)を売っていて、青がかった薄い緑にに藍色の文字で色もよく、ちょっとほしいかなと思ったのだけど1000円もして使い道もないだろうと思って、しかも最初から土産買ってどーすんの、とまだサイフのヒモも固く買わなかったので、龍の文字の入ったものを探したけどなかった。
で、見つけたのが・・・



毘沙門天の「毘」の字のついたお守り。(右)

謙信は自らを、戦いの神、勝利の神である毘沙門天の生まれ変わりと呼び、厚く信仰していた。
「毘」という文字は、究極の真理、絶対の真理を意味し、謙信が好んで用いた「第一義」という言葉と同じ意味を持っていて、謙信の出陣の際の軍旗にこの「毘」の字を掲げていたほどである。(宝物殿にはその軍旗が飾ってあった)
謙信は生涯多くの戦をしたが、その間、負けた試合はたったの2つしかなく、勝ち戦が多いことでも有名。

お守りの入ったかごには「負け知らず」と書いたお札がかけてあり、このお守りは「勝守」なのだそうな。
うーん、これはいいかも。
一発で購入しました。しかも、500円。
私のこれからの人生、負け知らず。謙信さま、毘沙門天がついている♪
お守りの入ったお財布を胸に、いい気分で林泉寺をあとにしました。

忘れてた! 写真左は、「天地人博」で買った、柿の種、ならぬ「愛の種」
直江兼続の兜に「愛」の字が掲げてあったので。
オモロイのと、180円だったので購入。


今回の旅行、何もしなくてもバスで連れてってくれるから、父も私も直前までどこ行くか、しっかり把握してなかったんですが(^^;)笑、偶然にも?興味深い場所を巡れて、とっても有意義、楽しかったわ。

バスはその後新潟から富山へと抜け、黒部峡の宇奈月温泉へ。
山間の静かな温泉旅館で、いいお湯にゆっくりとつかり、その後山海の珍味に舌鼓。ふれあい旅行なので宴会もありーので、楽しい一夜を過して眠りについたのでした。

つづく・・・

K田高原ドライブ

2009年10月20日 | お出かけ、レジャー、イベント等
なんだか、エレー、ご無沙汰しちゃいましたよっと・笑(^^;)

あのあと、ちょうど伊勢湾以来の大型台風が来るとかで大騒ぎしてる頃、ですが(^^;)←結局こなかったっすね・笑、上田小学校に、個人購入用のチラシを相談しながら作成して100枚印刷して持っていったり(10/8)、週末、突然東京から下の姪がなんとー!バイクでKに来て、次の日開田に遊びに行こうねぇーと約束してたのに、また突然帰りやがって・怒、大騒ぎ。

がっくりしてアタマきたので、うさばらしに?母と二人だけで開田へドライブに行ってきました(10/11)。
そういえば9月の22日にも、前日誕生日の母と、26日誕生日の私を祝って?開田へドライブ&できたばかりの道の駅風特産品売り場&レストランへ出かけていたのでした。(話題の地元産、豪華・三岳牛のステーキ2500円なり、を食してみたが、んまかった♪←しまった、写真がにゃい・・・(^^;)

そん時は曇っていてオンタケ山が全く見えずがっかりだったけど、この日は見えた!



が、オンタケ山て、雪をかぶっていてこそ、美しいもの。
雪のないオンタケって、なんだかものたりにゃい・・・(^^;))))



展望台へ降りて行く途中に見える、シラカバ林。
うつくしい・・・すがすがしい。



少し坂を下りたところにある「九蔵峠(くぞうとうげ)展望台」。お天気もよく、見晴らしは、上々。



展望台より、遠く「西野(にしの)」を見下ろす。
しん、として静か。
心が落ち着く。

たまに落ち込んだとき、車を飛ばして?ここへ来る。
大地の静けさ、山々のぬくもりに癒される。


その後、もと来た道をすぐ下らずに、さらに抜けて岐阜県境まで行ってみた。
ふもと?に戻ってから日義のGというおそばやさんでお昼を食べる。
うーん、そばの香りが豊かで、かなり、おいしいかも。
が、写真はナシ。
どーも私は、よそへ行って食事の写真を撮るのがニガテ。
さんざん待って、出されたらもう、食べることしか頭にないのか・苦笑。

いゃぁー、見るほうは私のチープでお粗末な手づくりの食卓なんかより、うんまいよその豪華食卓の方が、よほど見たいだろうにねぇー・笑。

長くなったので、つづく。

いってきましたぁ~。

2009年09月15日 | お出かけ、レジャー、イベント等
トーキョ。
たのしかったぁ~。

でも、2泊三日だったので、エレー疲れたよ。
おまけに2日目はマック3時間居座りの作品一気読みして、3日目はそれの合評会で、ちょー濃密スケジュールだったし。
で毎日いっぱい食べて飲んでたので、よく歩いたにもかかわらず、戻ったら体重、体脂肪などの数値が上がってた。
がぁ~ん。
ダイエット中なのに・・・

あちこちお礼メールして、9月25日に松代の黒猫大明神に取材に行く段取りをつけたので、今週じゅうに「にゃー語」をUPして、来週から取材の下調べをしなくては。今回は、歴史的なことなど事前に調べておくことがけっこうあるので、楽しみでもあり、大変でもあり。


今日はお友達の車で三岳の道の駅にいって、野菜や特産品などの買い物して、そのあと隣の上松町に行ってみたら目当てのお店がみんなあいてなかったので、そのまま日義の道の駅までいってお昼食べてきたよ。旧三岳村から日義村までK路ドライブしたわけで。楽しかったよ~。私が言うのもなんだけど、三岳はすんごい山の中なの・笑。Kもまだまだ知らないところがいっぱいあって、たまにはお出かけもしてみないとね。

そうそう、最近車を新しくしたの。最新式のオーディオ一体型ナビがついてて録音ができるんだよ♪
これで、もうどこへでも行くのが怖くないぞっと。
何しろ私、スポット担当記者さんですから・笑。