空梅雨だそうです。
雨がけっこう降ってるようですが、水源地(利根川水系)ではほとんど降らず、現在の貯水率は30%台にまで落ちこんでいるとか。
取水制限も始まりましたね。
このまま雨が降らなけば、遠からず給水制限となるでしょう。
はるか昔、もう30年も前のことですが、
やはり渇水の夏がありました。
保育園のビニールプールやシャワーでさえ使えない状態が続きました。
そんな折、我が家の息子が夜中に熱性けいれんを起こし救急車で病院に運ばれるという事態が発生。
水もろくに使えない炎天下で遊んでいたので、今でいう熱中症になったようです。
そこで、せめて子どもたちにシャワーくらいは使わせてもらえないだろうかと、
保育園に申し入れをしました。
ところが、
私の申し入れに敏感に反応したのは、保育園側ではなく、お母さんたちでした。
お母さんたちは言いました。
子どもが熱を出したのは親の責任であり、自分の責任を棚にあげて、保育園に水を使わせろというのは間違っている。
節水は、子どもたちに「我慢」を教えるいい機会だ。せっかく「我慢」を教えているのに水を使ってもいいとなったら、子どもたちはどう思うだろうか・・
企業では水をいっぱい使っているではないか。子どもたちのために少しくらい使わせてもらうのがいけないのか、と私が問いかけると、
企業が水を使うのは当然。私たちは企業に勤めて生活をしているのだから。企業と保育園は一緒じゃない。どちらが優先されるかといえば、企業のほうに決まっている。
こうした反論が次から次へと出て、私が保育園に行っても誰も挨拶してくれなくなりました。
結局、保育園側が配慮してくれて、シャワーが使えるようになったのでしたが。
あの時、私は心底不思議でした。
一体何が起きているのだろう・・
子どもの命より企業のほうが大事とは・・
お母さんたちの発言に唖然とすると同時に、なぜなのだろうという気持ちで一杯でした。
ところが、
原発事故が起き、福島の人たちが逃げるに逃げられないという話をきいたとき、
ああ、あの時と同じだ・・
と思ったのでした。
幸い、我が息子は数日後には退院し、救急車に乗った武勇伝を友達に話したりして、
実にあっけらかんとしたものでしたが。
私は今も、あれが日本人の体質なのではないかと思っています。
それが、結局は自分たち自身の首を絞めることになる。
確実にそうなりつつあると、最近のいろんな動向を見るにつけ、思います。
一人ひとりが自分の立ち位置を見つめ、自分の頭で考えて行動しないと、
この先、日本は(たとえ大地震が起きなくても)沈没していくに違いないと、
大きな危惧を抱いています。
【日本人の体質について、追加説明です。後日書き加えました】
自己責任論や企業優先の考え方は、それほど珍しくはありません。今でも横行していますから。
ただ、あのとき、他のお母さんたちすべてが私に反対だったわけではなかったようです。
誰かが大声で発言し、それに逆らえない空気があった気がするのです。
力のある者に逆らえない、意見を自由に言えない空気。その空気にあえて逆らい発言する勇気がない。なぜなら、それはやがて自分にも向かうだろうから。子どものいじめと似ています。それが日本人の体質なのではないかと私は思うのです。
雨がけっこう降ってるようですが、水源地(利根川水系)ではほとんど降らず、現在の貯水率は30%台にまで落ちこんでいるとか。
取水制限も始まりましたね。
このまま雨が降らなけば、遠からず給水制限となるでしょう。
はるか昔、もう30年も前のことですが、
やはり渇水の夏がありました。
保育園のビニールプールやシャワーでさえ使えない状態が続きました。
そんな折、我が家の息子が夜中に熱性けいれんを起こし救急車で病院に運ばれるという事態が発生。
水もろくに使えない炎天下で遊んでいたので、今でいう熱中症になったようです。
そこで、せめて子どもたちにシャワーくらいは使わせてもらえないだろうかと、
保育園に申し入れをしました。
ところが、
私の申し入れに敏感に反応したのは、保育園側ではなく、お母さんたちでした。
お母さんたちは言いました。
子どもが熱を出したのは親の責任であり、自分の責任を棚にあげて、保育園に水を使わせろというのは間違っている。
節水は、子どもたちに「我慢」を教えるいい機会だ。せっかく「我慢」を教えているのに水を使ってもいいとなったら、子どもたちはどう思うだろうか・・
企業では水をいっぱい使っているではないか。子どもたちのために少しくらい使わせてもらうのがいけないのか、と私が問いかけると、
企業が水を使うのは当然。私たちは企業に勤めて生活をしているのだから。企業と保育園は一緒じゃない。どちらが優先されるかといえば、企業のほうに決まっている。
こうした反論が次から次へと出て、私が保育園に行っても誰も挨拶してくれなくなりました。
結局、保育園側が配慮してくれて、シャワーが使えるようになったのでしたが。
あの時、私は心底不思議でした。
一体何が起きているのだろう・・
子どもの命より企業のほうが大事とは・・
お母さんたちの発言に唖然とすると同時に、なぜなのだろうという気持ちで一杯でした。
ところが、
原発事故が起き、福島の人たちが逃げるに逃げられないという話をきいたとき、
ああ、あの時と同じだ・・
と思ったのでした。
幸い、我が息子は数日後には退院し、救急車に乗った武勇伝を友達に話したりして、
実にあっけらかんとしたものでしたが。
私は今も、あれが日本人の体質なのではないかと思っています。
それが、結局は自分たち自身の首を絞めることになる。
確実にそうなりつつあると、最近のいろんな動向を見るにつけ、思います。
一人ひとりが自分の立ち位置を見つめ、自分の頭で考えて行動しないと、
この先、日本は(たとえ大地震が起きなくても)沈没していくに違いないと、
大きな危惧を抱いています。
【日本人の体質について、追加説明です。後日書き加えました】
自己責任論や企業優先の考え方は、それほど珍しくはありません。今でも横行していますから。
ただ、あのとき、他のお母さんたちすべてが私に反対だったわけではなかったようです。
誰かが大声で発言し、それに逆らえない空気があった気がするのです。
力のある者に逆らえない、意見を自由に言えない空気。その空気にあえて逆らい発言する勇気がない。なぜなら、それはやがて自分にも向かうだろうから。子どものいじめと似ています。それが日本人の体質なのではないかと私は思うのです。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます