ないない島通信

「ポケットに愛と映画を!」改め。

「忘れられた巨人」再読!

2019-04-13 20:01:58 | 映画

 

(これは2017年10月22日の記事です)

カズオ・イシグロの「忘れられた巨人」を再読した。
(以下ネタバレで書くので未読の方は注意)

よくわからない箇所がいくつかあり、確かめたかったので読み始めたら、二度目はさすがに面白くて、二日間で読み通した。

不思議なことに、ちっとも眠くならないし退屈でもない。ストーリーの行方がわかっているだけでこんなにも読書ペースが違うのかと驚くばかり。

人生もこれくらい先の展開がわかっていればすいすい行くのにね。
でも、わからないから手探りで進むしかないのだけど。

そう、この小説全体が手探りで進む(つまり実人生のような)書き方をしているのだ。まるで暗闇の中で手探りでモノを探すみたいに。あたりの景色や情景描写も、鼻先にぶら下がったニンジンの匂いから描写し始めるような書き方なので、全体像がすごくつかみにくい。二度目は最初よりは読みやすいけれど、わかりにくいという点では全く変わらない。

物語全体が重層構造をしているので、作者の言いたいことは何となく伝わるのだけれど、それさえも暗闇の中で手探りしているようで、ほんとにこれでいいのか、何度も問い直さずにはいられない。

カズオ・イシグロの作品群の中では、やはりわかりにくい作品であることは間違いないだろう。

前回も書いたけれど、これは基本ラブストーリーで、最後のページを閉じたときに、私が思ったのは、

アクセルとベアトリス(主人公の老夫婦)は冒頭で亡くなっているのではないか。
つまり、これは二人の死の道行きの話なのではないか、ということだ。

村の中で、なぜ彼らの家にだけ灯りがないのか。なぜ二人だけ、夜を闇の中で過ごさなくてはいけないのか? 老人なので蝋燭を倒して火事になると困るから、とベアトリスはいうのだが、彼らはすでにこの世の人たちではない、という解釈をすればすんなりと受け入れられる。

彼らの旅の道中で出会う人たち、ガウェイン卿、サクソン人の戦士ウィスタン、その連れの少年エドウィン、そして多くの鬼、悪鬼、妖精、襤褸をまとった老婆たち、入江の船頭・・
すべてが、この世の人たちではない、あるいはこの世とあの世のアワイに住んでいる人たちや生き物たちなのだ。

だとすると、クエリグという竜もまたアワイに生息する生き物であることになる。
冒頭で村にある「棘の木(山査子)」の話が出てくるのだが、不思議なことに、クエリグの巣にも(たった一つの竜以外の生きているモノとして)山査子の木が出てくる。山査子は愛を結ぶ木、あるいは魔除けの木でもある。

アクセルとベアトリスは、瀕死の竜クエリグに会う。
クエリグの息のせいで人々が記憶を失っているので、記憶を取り戻すために竜と対峙する。二人の旅はクエリグを退治して記憶を取り戻す旅でもある。

けれども、クエリグを退治して、記憶を取り戻したアクセルとベアトリスは二人の間の葛藤も思い出す。彼らの息子が流行り病で亡くなったという事実も思い出し、憎しみに近い感情すら沸き出してくる。けれども、二人の絆は非常に強く、それくらいで弱まることはない。

だが、結局、二人は一緒に島に渡る(彼岸に行く)ことができないで終わるのだ。

ベアトリスを彼岸に送り届けた後、アクセルは一人取り残される。
それが、アクセルの運命だから・・

これは私の解釈で、もちろん、別の解釈もありうるし、幾つもの解釈が可能な物語でもある。

複雑で面白い物語ではある。しかし二度読んでみて、ラブストーリーとしては少し弱い感じも否めない気がした。

やはり、カズオ・イシグロの視点は世界の混沌に向いていると感じた。

コメント
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