8月15日です。
終戦記念日。本当は敗戦記念日。日本が戦争に負けた日です。
昔、まだ子どもだったころ、夏休みに群馬の親戚を訪ねたことがあります。
8月のある朝、おばさんが庭に立って、空を見上げて、ぽつりと言いました。
「何だろうって思ってたんだよね、今朝起きて・・終戦記念日だったんだ」
おばさんがそれから何を言ったのか、あるいは言わなかったのか、覚えていませんが、その言葉だけは鮮明に記憶しています。
人の気持ちはたった一言で伝わるものです。
戦争で亡くなった兄弟、親戚、友人、知人の顔が脳裏に浮かんでは消えていったのでしょう。おばさんはしばらく庭に立ち尽くしていました。
言葉では伝えきれないたくさんの思いがそこにはありました。
毎年、この季節になるとTVでは戦争特集をやります。
今年はオリンピックで戦争ものは少なくなった気がしますが、
それでも、各局で何らかの形で取り上げています。
あれは終わった戦争なので、安心して取り上げることができるのですね。
「過ちは繰り返しませぬから」という言葉も、主語が不明確なまま、言葉だけが浮遊しています。
なぜなら、過ちはその後も何度も繰り返されてきているからです。
私たちは今も戦争のさなかにいるのだと思います。
原爆は一瞬で大勢の命を奪いますが、原発事故はゆっくりと大勢の人の命を奪っていきます。未来にわたり、長い長い時間を、私たちは放射能と共に生きていかなくてはいけなくなったのです。
その自覚が、福島第一原発の事故から5年を経た今、たった5年しかたっていないのに、
人々の記憶から薄らいでいきつつあるようで恐ろしい。
福島では甲状腺がんにかかる子どもたちが増えているというのに、
子どもたちが口にするミルクや学校給食の食材ですら、きちんと測定されていないという現実。
今も放射線量の高い街に人々を帰還させようとしている政府。
そして、原発について口にすることができない空気が醸成され、日本じゅうに蔓延しているような気がしてなりません。
危険なのに、危険じゃないふりをする。
汚染されている地域の放射線量を計測せず放置し、
あたかも汚染されていないかのように、ふるまう。
「退却」を「転進」と言いかえていた、かつての大本営と同じではありませんか。
人々はゆっくりと少しずつ、体調を壊し、病気になり、この世を去っていきます。
少しずつ、ゆっくり進行するものは目に見えない。
原爆が一瞬にして人々の命を奪い去ったのとは違う方法で、
原発はゆっくりと人々の命を奪いつつあります。
日本人はゆっくりと死に向かって行進しているのだと思います。
熊本地震から四か月がたとうとしていますが、震源に近い街のがれきは放置されたままです。仮設住宅も十分ではなく、人々は困難な暮らしを余儀なくされています。
3・11で自宅を失った人たちも同様です。今だに困難な中に放置されています。
豊かな先進国日本で、いったん事が起きると誰も助けてくれない現実があります。
やむを得ない事情で生活保護を受ける人たちは叩かれ、
病人や高齢者、障碍者は邪魔者にされる、そんな世の中になりつつあります。
これはもう戦争といってもいいのではないでしょうか。
私たちは過ぎ去った戦争の惨禍を思い起こすと同時に、
今も進行しつつある見えない戦争について考える必要があると思います。
日本が戦争に負けた日に、
再び、新たな戦争に負けつつある日本の現実を、
しっかりと直視する必要があると思います。
終戦記念日。本当は敗戦記念日。日本が戦争に負けた日です。
昔、まだ子どもだったころ、夏休みに群馬の親戚を訪ねたことがあります。
8月のある朝、おばさんが庭に立って、空を見上げて、ぽつりと言いました。
「何だろうって思ってたんだよね、今朝起きて・・終戦記念日だったんだ」
おばさんがそれから何を言ったのか、あるいは言わなかったのか、覚えていませんが、その言葉だけは鮮明に記憶しています。
人の気持ちはたった一言で伝わるものです。
戦争で亡くなった兄弟、親戚、友人、知人の顔が脳裏に浮かんでは消えていったのでしょう。おばさんはしばらく庭に立ち尽くしていました。
言葉では伝えきれないたくさんの思いがそこにはありました。
毎年、この季節になるとTVでは戦争特集をやります。
今年はオリンピックで戦争ものは少なくなった気がしますが、
それでも、各局で何らかの形で取り上げています。
あれは終わった戦争なので、安心して取り上げることができるのですね。
「過ちは繰り返しませぬから」という言葉も、主語が不明確なまま、言葉だけが浮遊しています。
なぜなら、過ちはその後も何度も繰り返されてきているからです。
私たちは今も戦争のさなかにいるのだと思います。
原爆は一瞬で大勢の命を奪いますが、原発事故はゆっくりと大勢の人の命を奪っていきます。未来にわたり、長い長い時間を、私たちは放射能と共に生きていかなくてはいけなくなったのです。
その自覚が、福島第一原発の事故から5年を経た今、たった5年しかたっていないのに、
人々の記憶から薄らいでいきつつあるようで恐ろしい。
福島では甲状腺がんにかかる子どもたちが増えているというのに、
子どもたちが口にするミルクや学校給食の食材ですら、きちんと測定されていないという現実。
今も放射線量の高い街に人々を帰還させようとしている政府。
そして、原発について口にすることができない空気が醸成され、日本じゅうに蔓延しているような気がしてなりません。
危険なのに、危険じゃないふりをする。
汚染されている地域の放射線量を計測せず放置し、
あたかも汚染されていないかのように、ふるまう。
「退却」を「転進」と言いかえていた、かつての大本営と同じではありませんか。
人々はゆっくりと少しずつ、体調を壊し、病気になり、この世を去っていきます。
少しずつ、ゆっくり進行するものは目に見えない。
原爆が一瞬にして人々の命を奪い去ったのとは違う方法で、
原発はゆっくりと人々の命を奪いつつあります。
日本人はゆっくりと死に向かって行進しているのだと思います。
熊本地震から四か月がたとうとしていますが、震源に近い街のがれきは放置されたままです。仮設住宅も十分ではなく、人々は困難な暮らしを余儀なくされています。
3・11で自宅を失った人たちも同様です。今だに困難な中に放置されています。
豊かな先進国日本で、いったん事が起きると誰も助けてくれない現実があります。
やむを得ない事情で生活保護を受ける人たちは叩かれ、
病人や高齢者、障碍者は邪魔者にされる、そんな世の中になりつつあります。
これはもう戦争といってもいいのではないでしょうか。
私たちは過ぎ去った戦争の惨禍を思い起こすと同時に、
今も進行しつつある見えない戦争について考える必要があると思います。
日本が戦争に負けた日に、
再び、新たな戦争に負けつつある日本の現実を、
しっかりと直視する必要があると思います。