筋・鰯・羊の青き天空に浮かぶを仰ぐ朝のうれしき
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きんとうんひととび十万八千里われも乗りたし浮雲すてて
(・・・紫雲にはまだ早いようで)
いまのじゃ芸がなさすぎるので、一応ハンドルネームを考えました。というか、ほんとうは主人に申し訳ないので(妻の愚行にいいかげん男泣きと推測される・・・)。それと、国籍不明で気楽に来たいので。
塚本邦雄の
四十にして朽ちざるこころ一瞬を滂沱たり風中の蜻蛉
から、dragonflyで、「ドラ子」にしようかと・・・。
(あ、自慢のセンスはあえて発揮してませんから。おまけにまだ三十代ですから。)
「ドラ子」で以後、よろしくおにゃがいしみゃす。
飽きるまでですが。ここにしか呼ばれないし。
と、堂々と書く。で、バレバレ。これが、わたし。
賢明に生きる、という考え方が、欠如してるんだな。
あはは。
ちなみに、壮年男性歌人では右に(左に、と書きたいところですが)出る者なし、の坂井修一さんが、『アメリカ』という歌集を出されたようです。一読の価値あり、なのかもしれません。あえてここでお知らせするのが楽しい。ふふふ。
ドラ子、読み方は、どらご、ですから。あはは。
本当にそうですね。
まあ、人生の秋にしか見えない、味わえないものもある(?)のが救いですが。
牛スジ・イワシ・マトン、いいですね
みんな、大好きです。
坂井修一さんの『アメリカ』という歌集、知りませんでした。
探してみます。
現代歌人文庫『続塚本邦雄歌集』より。
来年の木犀の香を言ひて哭く父よそれでも死んでもらはう
あ。こんな歌ひいたら、あれか(笑)。
わるい冗談はさておき、どの作品も、燦然たる・・・と言ったらいいか、華麗で、冷酷で、・・・たまりません。戦争や思想をめぐる歌がたくさんあり(ここにひくのが憚られる)、非情に難解ですが、ここに集まられるお仲間の方々には、読みごたえあると思います。ドラ子は、醒めつつ酔う、というのを、酒ではなく、こういうもので密かに・・・。
どなたもそうでしょうが、知と経験が深いほど、憂いの質も深いことと拝察します。どの生も、ゆたかに、安寧に、天寿をまっとうする日まで、つづきますように。
坂井さんには、塚本論もあります。
ではでは
天寿を全うするまでに、近寄れるようになるかどうかもあやしいものですが。
ははは。
都心に出て、ひとりでスペイン料理をたべて帰ってきました。ロゼ2杯でほろ酔いです。肌もロゼ色、気持ちもロゼ色。つかのまの高揚を味わいました。
ははは。実はちゃんとお酒もたしなむわけです(笑)
それがわたしの本日のナマミだったわけですが、帰るさ某総合誌を立ち読みしたら、近藤芳美を論じ合っている座談会の記事が。(戦後派は彼の精神の高潔な領域に届けず、しきりに平俗な分析をしたがっていたような。たとえ同じ時代に生きていても、個々の感受性によって、たとえば今現在も戦後だったり戦前だったり戦中だったりするんだろうな・・・なんて、感傷的になってしまいました。)ナマミの立場と観念の乖離についても語られていて、それは誰もに言える事実なのだ、と改めて噛み締めました。
小市民が小市民的観念オンリーで生きているわけはなく、なくてもよく。毎日おんなじ暮らしでおわるだけの出口なしの自分の中に、激しく純粋な反戦の思いもあれば、酷薄な女狐も棲み、髭彦さまに私淑する健気な?書生もいて。
たとえあの岐路をあちらに曲がりエリート街道を爆走していたとしても、あるいはあの岐路でたちどまり慎重に計算づくの後半生を準備していたとしても、ソトミはどうあれ、結局ナカミはこんなバカな奴だったような気がします(笑)。
天才塚本邦雄のような、甘ちゃんヒューマニズム唾棄の精神性に痺れるのもドラ子、近藤芳美の良心を低俗な評論で汚さないでほしいだなどと、団塊世代の無神経にぷんぷんしてしまうのもドラ子。
近藤作品では、万葉集をうちやまぬなり、だったか、旗を振って相聞の情を遠い妻に捧げる歌、あれが大好きです。
<海か野か果てて還らぬ鮮人の兵よ哀しき記念日もなく>
昭和48年の投稿とあります。
その後歌人として知られるようになった、李正子さんの20代半ばの歌ですね。
こういう歌に真正面から向き合う近藤の誠実さが、今のぼくには塚本の天才より身近です。
私などでも共感帯はたくさんあり、「彼女はもう古いでしょう?わからない世代でしょう、あなたは。」と無邪気におっしゃった歌人(戦犯の孫だとか)の方に、傷つけたくなくて、曖昧に苦笑いしてしまった経験があります。
戦犯の孫、引揚者の子孫、そういう人々にとっての戦争や朝鮮と、在日のそれとは異なりますが、個人レベルでうしろめたがったり敵対しては、愚かだと思います。かと言って、とうに免罪されている、とことさらに強調し、被害者面するな、と批判を封殺するひとも、自己を乗り越えられていないのでしょう。負った痛みが深いのでしょうね。無知・無神経は論外。
誠実とは、まず自分の眼鏡をはずさなければ、真には実現しないことなのかもしれませんね。どの人も、たかだか百年の間を、それぞれに喜怒哀楽する、ただのにんげんですからね~。
誠実はいいのですが、たいてい時代に影響された誤認や上から見下ろすかのような同情が含まれていて、いただけない、というのが、ご年配の方の特徴で、ありがたやはらただしや、という場合も少なくないです。
近藤さんには朝日歌壇の一席にとられた経験があります。自身はそれほどインパクトを与えるつもりもなかった歌なのに、苦渋に満ちたような真摯な鑑賞文をふされていた。申し訳ないような気分でした(笑)。
近藤さんは朝鮮で生まれた方。ご自身はエリートだった。愛妻家だった。一人の人間を構成する要素は、複雑ですね。李さんも、在日歌人、とくくらずに見れば、いろいろな作品が発見できるのかもしれません。
逆境にあるひとって、国籍民族問わず、案外たくましく生き抜いてるもんで、ずっと不幸な被害者、という見方は傲慢だし、現実とずれたイメージでしょう。ですが、ある面では自分たちとは別世界を生きてきた存在が、すぐ隣りでリアルタイムで息をしていること、内奥で別種の痛みや感慨を抱いているだろうことは、誰もが認識・感受すべきでしょうね。ほとんどのひとは歌わないし発言もしないんで。
李さんはあえて使われたんだな、鮮人か。これや北鮮などの短縮語は、差別の色濃く、今は避けたほうがよいでしょう。少なくとも私は、いい気分はしない語どもです。バカチョンカメラなんて語も、在日の友人も平気で使っていたが、私は内心、知らないということはさみしいな、知っても気にしないということはさみしいな、と、子供ながらに痛みを感じてました。
塚本も思想的に格闘したひとです。誠実だったと思います。そのうちご一読ください。
父は木槿に向きてほほゑむ 千萬の軍に言挙げせざりける悔い (塚本邦雄)
岡井隆の有名な
右翼の木そそりたつ見ゆたまきはるわがうちにこそ茂りたつみゆ
とともに、自己内部を通過させる実験的手法を用いた日本人としての自己検証の歌、と解説にありましたが、私もそう読んでいます。
ナマミの歌人は、生きていればどんどん肥えて、時代に順応して、商売してますが(笑)。(あ、また問題発言)