夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

テレビ番組の底が浅い

2008年11月25日 | Weblog
 日本テレビで古代史の謎解きをやっていた。ポンペイの話などはなるほどと思って見ていた。そして話はクレオパトラになった。彼女が毒蛇に噛ませて自殺したのは嘘だったと言う新説が登場した。そしてその証拠として挙げられた事を見て、私は唖然とした。
 毒が全身に回って死ぬには2時間以上は掛かるのだと言う。しかし彼女が自殺をしたとの知らせを聞いてローマの役人が駆け付けた時、彼女はまだ生きていたのであり、死因は全く別の事だったと言うのがそのお話である。
 クレオパトラはある建物に拘束されていた。その建物とローマの役人が滞在している建物の間は至近距離であって、すぐに駆け付ける事が出来て、彼女はまだ生きていた。
 二つの建物の間の距離が分かったのがCG画面だった。それを見て、一人の学者が疑問を抱いたのだ、と言う話になっている。馬鹿を言っちゃあいけない。
 CGを制作するには、基になるデータが要る。もちろん、そのデータには二つの建物の間の距離も入っている。何もCGなどにしなくたって、そのデータを見れば分かるではないか。何をもっともらしく、学者がCGを見て驚いたようなシーンを作る必要があるのか。これではその学者は馬鹿同然になってしまう。

 ここで分かるのは、番組は視聴者がそんな事気付いてしまう事に気付いていないと言う事実である。私はこの番組をきちんと最後まで見た訳ではない。と言うのは、自殺の真の原因に言及する前に、例の如く、つまらない、しかも面白くもない、私には何の縁もゆかりも無いCMが長々と流れる。早寝早起きを旨としている私としては、夜9時半過ぎだから、もう必死になって見ていると言うのに。もう一度風呂で暖まって寝たいし、結局、そのCMの所でテレビを消して風呂に入った。つまり、結末は見ていない。それで文句を言うのもなんだが、死因がどうであれ、自殺したのが変わらないのなら、あまり興味は無い。底の浅い作り方、言うならば、視聴者を馬鹿にした作り方を見せられて、興ざめしただけである。

 話は違うが、今朝は早くからゴルフ場に「しゅりゅうだん」が仕掛けられた話をしている。あれっ、二、三年前は確か「てりゅうだん」だったはずだ。漢字にすれば「手榴弾」。常用漢字で書けば「手りゅう弾」になる。当時、私はそれが納得出来ずにいた。確かに辞書には「しゅりゅうだん」と「てりゅうだん」の両方がある。そして「てりゅうだん」のような読み方は「湯桶読み」として馬鹿にされた。もちろん「湯桶読み」の言葉は幾つもある。辞書を見れば、「手本・見本・身分・消印・夕飯・切符・野宿」など、身近な言葉が多い。
 考えてみれば、日本語としてはこうした湯桶読みの方がずっと意味が分かり易い。「てりゅうだん」が幅を利かしたのは、表記が「手りゅう弾」だったからのはずだ。これを「しゅりゅうだん」と読むのはかえって難しい。そして「榴」が常用漢字ではないのは今も変わらない。それなのに、なぜ「しゅりゅうだん」と読むようになったのか。
 テレビで見たのはわずかに一局だけだから何とも言えないが、それにしても、節操の無い話である。

 先のクレオパトラの話と言い、この「しゅりゅうだん」の話と言い、本当にいい加減で底が浅いとしか思えない。これらは大した事ではない。しかし、だからと言っていい加減にしていれば、こうしたいい加減はどんどんのさばる。そこが怖い。我々がいい加減になりそうな所を、何とか引き留めようとするのが、マスコミの役目ではないのか。

 全くの余談だが、昨日、風呂場好きの我が家の犬には「ふろ」の言葉を聞かせないようにして「ニューヨーク」とか「合衆国」と暗号にしていると書いた。ところが、家内が「合衆国」と言った途端、犬は大騒ぎをして、私に早く風呂場に行こうとせっついたのである。うーん、困った。犬を騙すのはどうも難しいらしい。それに比べて、我々の何と騙され易い事か。