夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

理屈では生きられないし、身も守れない

2008年11月12日 | Weblog
 日本は憲法で戦争を放棄した。素晴らしい理念である。だが、もしも他国から攻められたらどうなるのか。そのために自衛隊がある、と言う設定になっている。自ら戦争を仕掛ける事は出来ないが、守る事は出来る。
 では、守ると言うのはどのような事なのか。日常の生活ではどのような事になるのか。例えば、盗難には厳重に鍵を掛ける。自転車などは二つも鍵を掛ける事が勧められている。交通事故や他人から受ける身の危険には、常に気を配っている事しか出来ない。しかし昨日もあったように、後ろから故意に車ではねられたら、もうどうしようも無い。秋葉原の事件のように、赤信号を無視して殺意を持った車に突進されたら、やはりどうにもならない。日本のようなどこでも日本語が通用し、多くの人々が単一民族だと錯覚するくらいな平和な国でも、危険はあらゆる所に潜んでいる。それが、国が違ったらどのようになるのか。すぐ隣には、簡単にテポドンなどを発射してしまう北朝鮮がある。

 自らを守ると言うのはそんなに簡単な事ではない。何とか平和に暮らせているのは、信じ合う事が出来ているからだろう。しかしそれが国際的にも通用する事だと思えるだろうか。もしも、自分が食べる物にも困ったら、果たしてそのまま死を待つ事が出来るだろうか。多分、多くの人々が他人の食べ物を奪うだろう。よほど力の弱い者ではない限り、そうするだろう。
 心を持っているはずの個人でさえそうなるのだから、心など持たない国になったら、一体どのような行動に出るか。人々の心を抹殺する事なんか簡単に出来る国家だからこそ、恐ろしいのだ。

 国は個人などとはスケールの大きさが違う。個人が自分を守るような気合いでは、国は守れない。何しろ、仕掛けて来るのが個人では想像も出来ないスケールの国なのだ。我々日本人は自分の身の回りが安心だから、と国までも安心だと思い込んでいる。
 でも現実に、韓国は竹島を自国の領土だと主張して占領している。ロシアは日本領土の千島を無法占拠したままである。中国だって大同小異である。相手は十分戦うつもりである。日本が弱腰だから舐めて掛かっている。
 それを歴代の日本政府は平和外交だと主張して、自らのだらしなさを弁護している。憲法で規制されて守る事しか出来ないのであれば、その守りはもっともっと真剣に血の出るような思いでしなければ嘘だ。政府首脳は自らの身はそうして守っているはずだ。
 野党だって同じだ。自分の身は真剣に守っているくせに、国の身を守るのには真剣になっていない。それが、いまだに戦後処理をきちんと出来ていない事に明確に現れている。航空自衛隊の隊員が真剣になって考えれば、それを躍起になって押し潰そうとする。押し潰すのではなく、これを機会に国を挙げて全員で考え直せば良いではないか。

 この国の「偉い」人々は、誰も彼も、面倒な事、難しい事、隣国を刺激するような事、そうした事は考えたくない。隣国だけではない、世界中の国々から平和な国、素晴らしい国だと思われていたい。カッコ付けて何が嬉しいのか。
 国が国民個人を守る気が無いのは、拉致被害者に対する対応を見ればよく分かる。他力本願、それしか無い。自らは何の犠牲も払おうとは思わない。自分さえ安全なら、国民なんかどうだって良いのである。与党だって野党だって同じ穴のむじなである。拉致被害者が身の危険を冒して母国にして来た連絡を、事もあろうに北朝鮮に売ったと言われている野党党首だっているのである。
 そうした人々が今更戦争当時の日本の考えや日本の在り方を再検討しようなどと思うはずも無い。自分がやるつもりが無いのは構わない。そんな期待はしていない。だが、他人が考えようとするのを妨げようとするのは許せない。