夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

ズボンの尻を撮影したら「みだら」なのか

2008年11月17日 | Weblog
 最高裁で、ズボンの尻を撮影した事が「みだらな言動」に当たるとして、有罪となった。高裁でも有罪だったから、高級審が揃って有罪と認めた訳だ。新聞には「ズボンの上からの撮影でも被害者が不安を覚える行為」と指摘したとある。
 「被害者が不安を覚えるかどうか」も決め手らしいが、有罪か無罪かの分かれ目は、どうやら「尻を狙って撮影したかどうか」にあるらしい。なぜなら、無罪として簡裁は、「衣服の上から撮影しており、尻を狙って撮影したとも断定できない」としているのに対して、高裁は「尻を狙って撮影したことは認められ、社会通念上許されないみだらな言動」としているからだ。

 そうか、人間の体は興味を持って見る人がいれば、簡単にみだらな部位に堕落するのか。でも、尻ってそんなにみだらだろうか。俗に尻の大きい女性は安産型だと言われている。それは子宝の象徴でこそあれ、決してみだらな存在ではない。
 尻だけを取り出したからみだらなのか。いや、そんな事は無い。尻だけよりも、体全体の方がずっと刺激的なはずだ。言い換えれば、「みだら」になり得る。尻だけにしか興味を持たないなら、それは単に「部品」としての肉体にしか興味の無い、極めて異常な人間だと思う。
 被告はカメラ付き携帯で11回も撮影しており、いささか異常だが、それだって程度の問題だろう。判決は1回だから良くて、11回だから駄目だ、とは言っていないらしい。回数の事は措くとして、ではそうした「みだらな」部分を持ち、それをズボンで強調したとも思える女性の責任はどうなるのだろう。
 この女性はズボンで自らの尻が強調される事を十分認識しているはずだ。多分、ぴっちりとしたズボン姿だったから、被告は撮影する気になったはずだ。撮影されたから迷惑だと言うなら、そんな「みだら」な肉体をこれ見よがしにする事はもっと迷惑である。
 大体、セクシーでない衣服など女性が着るもんか。男性だって、若い男性なら十分セクシーさを意識していて当然である。

 「みだら」を強調しても罪にはならないが、「みだら」を執拗に見れば罪になる訳だ。もしも、撮影ではなく、ずっと付いて歩いて見ているだけだったら、一体罪は成立するのかしないのか。いわゆるストーカーではなく、単に見ているだけだったら、付いて歩いている、と言う事さえ立証出来るのか。
 これが何でもない事で、写真を撮られ続けている場合で考えてみる。それは普通の人なら嫌だ。迷惑だ。しかし、自分でも何で撮られているか想像が付くような姿格好をしているなら、一概に迷惑とは言い切れなくなるのではないだろうか。見る人によりけりだが、見詰められてしまうような原因を自らが作っているのだ。それを本人が認識していないはずが無い。

 人間の体は異性にとっては全身がセクシーな対象になる。どこをどのようにセクシーと思うかは人それぞれである。尻に全く興味を持たない人だっているだろう。この裁判官は高裁、最高裁のどちらも、自分は女性の尻に非常にセクシーな興味を持ちます、と告白しているようなものだと私は思う。私は彼等に、このほかにどこを撮ったらあなたは「みだら」だと思いますか、と聞いてみたい。反対に、みだらではない部分はどこですか、と。
 こうした考えを読んで、変な理屈だなあ、と思う人もいるだろう。ただ、私は安易に「みだら」だとか「みだら」ではない、などと言う事に大きな疑問を持っているに過ぎない。