夏木広介の日本語ワールド

駄目な日本語を斬る。いい加減な発言も斬る。文化、科学、芸能、政治、暮しと、目にした物は何でも。文句は過激なくらいがいい。

航空幕僚長の更迭で済む問題ではない。もっと考えよう

2008年11月04日 | Weblog
 航空幕僚長が更迭された。論文の「日本は侵略国家であったのか」が非難されたのである。「日中戦争は侵略戦争ではない」「日韓併合は国際条約に則って合法的に行われた」などの主張が柱になっていると言う。この論文がこの10月31日、第一回「真の近現代史観」懸賞論文募集で最優秀賞を受賞した。
 日本政府は過去の植民地支配と侵略について反省をし、それが日本政府としての統一見解になっているのは知っている。それで中国や韓国と友好関係が結べているのも承知している。
 だが、この論文は日本政府が発表した見解などではない。航空幕僚長の見解に過ぎない。国内に色々な意見があってはいけないのか。野党はこぞって任命権者の責任問題だと言うが、野党だって一枚岩ではなかろう。一枚岩なんかであったら怖くて仕方がない。100人居れば100通りの考え方があって当然ではないか。そんな右向け右っ! みたいな事でどうすると言うのだろう。もしも首相が間違ったら、政府は全員が間違った方向に行ってしまうではないか。 
 様々な意見・異見をけんけんがくがく戦わせて多くの人々が納得出来る所に落ち着くのではないのか。小泉政治がトップダウン方式で日本を間違った方向に導いてしまったのではないのか。私は田中真紀子外相が更迭された時の首相の態度をしっかりと覚えている。
 田中氏は気性の強さで知られている。その彼女が涙を流して記者会見をした。それを見て、首相は「涙は女の武器だからね」と言った。田中氏の涙に、私は勝手だろうが、理解して貰えない悔しさを感じた。
 「涙が女の武器」だって? 一国の政治の問題をまるで色恋沙汰かのようにしか見ていないその心根に、私は、ああ、こりゃ駄目だ、と、それ以来、同氏には全く期待を持たなかった。

 田中氏が閣僚として、外務大臣としてまさに適任だったかは別問題である。でも政治家が本当に適任だ、などと思える場合があるのか。それよりも、人間として物事を見詰める眼力の方がずっと大切ではないか。
 この首相の資質の低さについて、野党は何の批判もしなかった。そんな野党が麻生首相の責任を問えるのだろうか。
 この論文の内容は重い。簡単にどうのこうのと言えるような事ではない。それこそ、国論をまっぷたつに割って論議される事なのかも知れない。大体、我々庶民はこうした問題を正面切って論じて来ただろうか。政治家やマスコミの言う事をそのまま受け入れているだけではないのか。私自身、こうした事を真剣になって考えた事が無い。あまりにも難しい問題だから意識して避けている。材料だって、公平な材料がどれほどあるか。
 与党だって野党だって、きちんと考えている人がどれだけ居るのか。社民党も吠えているが、同党がそれほどしっかりとした見識を持っているなら、何でこんなにも凋落してしまったのか。民主党にしても烏合の衆ではないか。日本人の政治意識が低いんだ、などと逃げてはいけない。意識が高いとは言えないだろうが、与党も野党も人気が無く、無党派層が圧倒的に多いのは、誰も彼もが現在の政治家を信頼などしていないからだ。

 相手がちょっとでも隙を見せたらすかさず突っ込むのではなく、その「隙」を考えを深める絶好の機会と考える事は出来ないのか。第一、その「隙」はそんなに簡単な事ではない。深く考えもせずに、やれ任命権者の責任だ、との一点張りなら、簡単だし、誰にでも出来る。中国や韓国に対する配慮も大事だが、何よりも自分達の国民に対する配慮が重要だろうに。
 結局、日本人の戦争責任への取り組みはまるでされていないのではないのか。あれは侵略戦争だった、の一言で簡単に終わらせてしまってはいないか。せっかくの機会に恵まれたのだから、マスコミは堂々と「日本の戦争責任を考える」との特集を、それこそ何カ月でも続けたら良いではないか。我々がきちんと考えられていないのは、マスコミの責任でもあるのだから。