神楽坂で居酒屋女将!つれづれ日誌

神楽坂・本多横町で50年続く、いざかや「甲州屋」。つたないながらも、お客さんに愛されるお店づくりに奮闘中です。

2016総括

2016-12-31 13:11:51 | Weblog
ここに来てようやく年末っぽい気温になって、年の瀬実感ですね。
皆さま体調は大丈夫ですか。無事にお正月を迎えられそうですか?

ワタシは29日、無事に仕事納めをさせていただきました。新年は4日からはじめる予定です!

今年もたくさんの方にお店に来ていただき、本当にありがとうございます
そして、ブログも読んでくれてありがとうございます


昨日の宴会でみんなが作ってた箸袋の箸置。同じ折り方を教わっていましたが



出来上がりは個性的で面白い 思わず写真撮ってしまいました。来年はとり年だし、縁起物だよね。


今年はワタシがお店で仕事し始めて10年。早いものですが、確実に時は経っているのを実感しました。


実は今年の12月は、結構ヒマでした
例えるなら、普段が100ノックの練習で、今月は1000本ノック来ると思って立ってたのに、300本位しか来なかった。そんな感じ。

理由は解ってます。常連さんの高齢化です。


10年前は月に一度は来てた65才から75才のおじいちゃん達は、3年程前から来る回数が減り始めていました。そりゃそうだよね。80才近くなったら前ほど楽に外出できないじゃないですか。家族も心配するしね。

でも忘年会は皆さんが楽しみにしてて、毎年同じ日に行って来たので、その日はキープしていました。

ですが12月に入って次々にかかって来るキャンセルの電話。。。
理由はご本人の体調不良ではなく、家族の介護やインフルエンザなどの理由が多かったです。例えばいつも4人で集まってて、1人参加できないとなるとまたの機会に集まるか、となるんです。なので今回はキャンセルしよう、と連絡が入ります。

ワタシもみんなが元気で、楽しめる時に来てよ〜!待ってるからね〜! と言う。その言葉に嘘はありません。


でも、本当に寂しくなりました。毎年見てたのに、今年の暮に見れなかったお顔は30人近くです 今年は急に増えました。
年配の方への接客は気を使うし、呑み過ぎない様に見守るのも大変ですが、こうも次から次へとキャンセルがあると、会えない寂しさがズーンときます。仕方ないですけどね。

わがまま増えても許すから(怒るけど)、春になったら来てね。マジで待ってるから



そして、もちろん売上げ的にもヤバイ訳ですよ


そこで今後も考えて、若者層への集客も色々考えました。

ウチは以前からぐるなびさんに登録してるのですが、料金は最下層の設定なんですが、ぐるなびスタッフさんは毎月電話で様子を聞いてくれたり、新しいサービスの提案をしてくれるのです。結構マメなんですよ。その中でいくつかのサービスを試してみたり。

ですが、やはりグルメサイト経由のお客さんは、雰囲気が違います。一回限りの「旅の恥はかき捨て」的なニュアンスを感じるのです。遠方からの方も多いし、一期一会も大事ですから、楽しんでもらいたいと思うのですが。。。


そして実感。ワタシ達がどういう店でありたいのか。
やはり、ワタシは常連さんを作りたい。また来よう、と思って貰いたいのです。

一回限りのイベント的な集客よりも、普段の生活に寄り添う “いつもの店” になりたいのです。
皆さんが仲良しの人を “連れて行きたくなる店” を目指します。


「今夜はほうとう食べよう」「山梨のワインが飲みたい」「そろそろ日本酒の蔵出しだなぁ」と訪ねて来て欲しいのです。
その中に「ジュンちゃんの顔でも見に行くか!」が入ってると嬉しいのです。



そういう訳で。

今後も “お客さんは営業マン” システムを継続させます
初めて来たお客さんは次に来る時、初めての人を連れて来る。ネズミ講式営業を続けます

グルメサイトはあくまで補足。皆さんの本気のくちコミが頼りです


先日も住吉に住んでる人が地元で飲んでて、隣に座った方と話すことになって、神楽坂近辺で働いてると話したら甲州屋を紹介されたので、来てみました!と言ってくれました。嬉しいです😆
グッジョブ!イイ仕事しました

20年前バイトしてた青年達が来てくれたのも嬉しかった。あと、ずっとブログ読んでて来てみたかった〜なんてのも凄く嬉しいです

今来てくれてる常連さんがおじいちゃんおばあちゃんになるまで、しっかり面倒見ますから。あれ?面倒見てもらう方かな


これからもお客さんの腕が頼りです。笑。来年もよろしくお願いします


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クリスマス気分に

2016-12-22 12:46:51 | Weblog
クリスマスウィーク🎄 なのに気分が乗ってこないのは、お向かいのフランス料理店さんがツリーを飾ってないからだと思います。
もともと神楽坂はクリスマスイルミネーションが薄いので、お向かいの大きなクリスマスツリーを見て気分を上げていたのに、今年は飾ってません。別に、怒ってませんよ。ガッカリしてるけどね

毎年借景で済ませていたのに。。。笑。

ですが新宿駅周辺は素敵なイルミネーションだったので、写真撮って来ました。


気分だけでも上げていきましょー


甲州屋ロゴ入りポケット付カレンダーも残り少なくなってます!



グレイスワインの船橋さんが作ってくれるぶどうカレンダーもご希望の方に差し上げています

ウチは年内は29日、年明けは4日から営業します
皆さん、風邪もインフルエンザもノロにも負けずに、年越ししましょう
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まさかの口説き文句

2016-12-13 13:19:10 | Weblog
本来なら忘年会シーズンで大忙し!と言いたいところですが、キャンセル続出 で暇です。

早めにご予約頂いてると、予定が立て込んだり本人ではなく家族がインフルだったりでは、仕方ないですよね。ウンウン、解ってる。大丈夫ですよ、来年体調万全で臨んでください

予約の電話をいただくと、皆さんが「今日なんて空いて無いですよね〜」と申し訳なさそうにおっしゃるのですが、ワタシはテンション高めに「大丈夫ですよ!」と言っちゃうの。だって嬉しいんだモン😆



さて、山梨出身ではないワタシは山梨県ネタを仕入れる為に、テレビ番組で山梨っぽいのがあると録画してます。
昨夜、NHK鶴瓶さんの家族に乾杯が山梨県笛吹市だったので、モチロン録画しました。女子レスリングの吉田沙保里さんがゲスト。サオリン好きなので二重に嬉しくて、放送を楽しみにしてました。


そしたら、番組で知人登場


アルプスワインの醸造家、前島 良さん!デタ〜〜っ



しかもインテリ系イケメンで、サオリン口説く設定。
ゴメン、大爆笑 まさかNHKにイジられるとは想像の上を行くな〜。


インテリ系なのかは知らないけれど、造るワインは美味しいですよ!イケメン、は否定しません。笑。

しかしこのシーンはスタジオで吉田沙保里さんに向けて放送してたので、こんな恥ずかし目を受けて?良さんは吉田さんにも鶴瓶さんにも会えずじまい。なんか可哀想。あ、ゴメン。やっぱり面白い
せめて良さんの造ったワインを味わうシーンがあってもいいのに〜

とはいえ。

吉田沙保里さんがワイナリーの嫁になる、石和温泉旅館に嫁に行き女将になる、なんて事になったら面白いなぁ〜と妄想しました。し、幸せになって欲しいの!サオリンには

再放送は12月16日午前0時15分からです。見逃した方は是非に
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ビール好きに朗報です

2016-12-12 12:11:23 | Weblog
12月の忘年会シーズンですが、飲んでますか


先日、20年程前にウチでアルバイトをしていた方達が呑みに来てくれました 凄いね!嬉しいね 洗い場とか見て、懐かしい〜を連発。確かに客席はプチリニューアルしてますが、厨房はほとんど変わってません。何か壊れても同じサイズの同じ物を交換してるので、ぱっと見変わらないのでね!やっぱり洗い物もやってもらえば良かったかなぁ ノーギャラですが。笑。
皆さんワタシのブログを読んでくれているそうで、初対面なのに妙に打ち解けた気分になりました!ありがとうございます

業務連絡〜 ワタシもみんなの写真を撮って、オトウサンに見せよう!と思ってたのに、忘れてました。スミマセン。写真撮りたいんで、近いうちにまた来てくださいーっ


さて先日、読売新聞で気になる記事が。

ビールはアルツハイマー予防になります!堂々と呑めますよ!

ウチの常連さんで凄くビール好きの人がいて、ビールを呑む理由を誰か発表してくれないかなーっといつも話していたんです。
赤ワインのポリフェノールが健康にいいとか、そういう感じの、大手を振って呑める理由

どうですか? 「ボケない為に毎日ビール呑まなくちゃ!」って言えるんじゃない
他にも「アルコールだけど健康になる系」の素敵な呑む理由があったら教えて欲しいです。


ちなみにワタシの実家の父もビールが好きで、母はから「お腹が出るからダメ」と言われてて。それでも父の日にはいつもビールをプレゼントしています。
これからは「お父さんがボケたら困るでしょ!」と言えますよ もう手遅れかも知れないけどね!(昔からお腹は出まくってるし、オヤジギャグのキレも悪くなってるし、会話がボケた振りなのか本気ボケなのか複雑だし。。。)

とはいえ。何を呑んでも飲み過ぎには注意です。念のため、言っておきます 笑。
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2016 山梨県立博物館へ その4

2016-12-06 16:23:54 | 山梨へGO!
12月になってしまいましたが、11月26日に山梨県立博物館に行ったレポート?をお送りしてます。


葡萄と葡萄酒展は主に山梨がどうやって葡萄王国になっていったか? というのが主体なんですが、ワタシの好きな川上善兵衛さんの紹介もありました。ウレシー

川上善兵衛さんは明治元年生まれで若くして新潟の大地主の当主になります。当時の新潟は米どころではありましたが豊作年は少なく、農民は貧しい暮らしをしていました。そこで冬場にも仕事を作るために葡萄栽培とワイン醸造を志します。その為に山梨に来て学んでました。


川上善兵衛さんのお顔 何が嬉しいってこの若き日の写真が紹介されている事

多分、若い頃山梨に滞在していたので、このお写真を展示したのだと思います。他の本で紹介されると晩年のお爺ちゃんな写真が出るので(もっとカッコイイ写真を載せてくれ〜)と思ってたもので。。。
よく載ってるのがこちらの写真(別の本から拝借してます)

若き日の写真と比べると、苦労されたんだな〜と思ったりしますね(^^)


川上善兵衛さんは農民の為に私財を投げ打って岩の原葡萄園を創業、ワインを造ります。しかし当時の日本ではワインが大衆に受け入られ無かった。。。その為、私財は無くなり借金も背負います。
しかし、ワイン醸造をやめなかった。なぜならワイン醸造は農民救済の事業だったからです。

宮光園を造った宮崎光太郎さんも辛口の本格ワイン醸造が世間に受け入れられないと知ると、甘味ワインを造り、広告戦略を考え売り込みます。ワイン醸造が葡萄を育てる農家を救う手段だったからです。

葡萄買付表。表紙の名前、宮崎市左衛門は光太郎さんのお父さん。明治25年に農家から葡萄を買い付けた記録。


明治から昭和初期のワイン醸造は農民救済的要素が多かったのですね。これはプレッシャー半端ないね。成功しなければ村が滅びる、くらいの使命感で突き進んでますね。

川上善兵衛さんは日本人にワインが受け入れられないなら、受けやすいワイン、その為の葡萄を作る!と し葡萄の品種改良に挑戦します。これまたお金のかかる挑戦で、大借金して研究を続けて、一万種もの交配を行い昭和2年に誕生したのがマスカットベーリーAなのです。
この品種改良の為に山梨からも葡萄の苗を購入している記録も残っていました。



土屋龍憲さんが川上善兵衛さんに送った手紙。内容は川上さんが葡萄を送って品質を見て欲しいとお願いしたもののお答えが書いてあるそうです。



葡萄を育てる為の道具も展示していました。

これは肥料を入れやすくする為の道具。コロコロのローラが付いて、歩きながら下のシャベルで土を削り、石や土が跳ねるので人に当たらないように上に傘が付いている農機具です。
これも説明して貰わないと、何これ?で終わってたと思います。話を聞いて超納得!


図録を読んでいて、思わずワオ!と思った一文。

文章の中程に、明治31年に郵便局長であった若尾勘五郎が電信線の架線法を応用した〜とあります。これ、勝沼のマルサン葡萄酒の若尾さんですね!知ってる人のご先祖様 出てきたーっ!

マルサン葡萄酒は若尾果樹園も併設してて、毎年食べる葡萄を送ってもらってます。ご先祖様にも感謝します



甲州市勝沼町の菱山地区は種無しデラウエアの発祥の地だそうです。

デラウエアの花が咲く頃にジベレリンという薬品に浸すと種のない葡萄の実になるのです。菱山地区は種無しデラウエアの名産地になり、ジベレリンをつけたデラウエア、で種無しデラウエアを「ジベデラ」と呼んだそうです。

凄いのはそのジベデラの大収穫を願って「慈幣天羅不動尊(ジベデラふどうそん)」を祭った所です。

こ、怖い。手に持ったデラウエアが棍棒に見える(葡萄に見えない?)。昭和56年頃に祭ったそうです。


勝沼は江戸時代からの葡萄産地でしたが、現在のような果樹王国・山梨になる前は養蚕王国でした。

明治時代はお蚕さんの為の桑畑が広がる地域で、化学繊維の発達により絹製品は売れなくなります。それから山梨は勝沼で培ったノウハウのある葡萄栽培が広がっていったそうです。

今でこそ果樹王国、そしてワインの一大産地・山梨ですが、何かのきっかけで全く違う産業に変わってしまうかもしれません。

それこそ生きていく為には現状を捨てる時が来るかも知れないのです。
すでに現在、葡萄畑の一角が太陽光発電パネルに変わった姿を見ていると、そう思わずにいられません。


だからこそ、

流行りだけでワインを飲んでもらうのではなく、歴史的なニュアンスに先人達の苦労や今の醸造家や栽培農家の努力も伝えて、味わいを深めてもらいたい。。。そんな思いを改めて感じました。

俺たちの葡萄がある! このプライドを未来永劫、守っていけますように


以上で博物館編は終わりにしますが、石和温泉駅のレポートも後日お送りしますね〜




















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2016 山梨県立博物館へ その3

2016-12-04 10:52:52 | 山梨へGO!
11月26日に行った葡萄と葡萄酒展のレポートの続きです。( 注!この展示は11月28日で終了しています。)
学芸員さんのトークを聴きながら、ワタシが感じた事をタラタラと書いています。多少ウザいと思いますが、お付き合いください



江戸時代には葡萄が棚仕立ての育成方法になって、文化の面でも親しまれる図柄になってきました。

江戸から甲州街道を進み、笹子峠を抜けると目前に甲府盆地が広がります。
その最初の宿場・勝沼で食べる葡萄が「甲州名物」になっている。甘い果実は旅人の疲れを癒したのでしょう。

全国的に知れ渡る葡萄王国・甲州 は甲州人にも自覚があったのでしょうね。


明治時代の文明開花で「西洋人は食事のたびにワインを飲む」「ワインは葡萄からできるお酒」と知ったら、葡萄王国ならば俺達がワインを造らなければ!と思い立ったでしょう。

何より葡萄産地の勝沼では「葡萄が酒になる 」って、凄い驚きだと思うんです。

勝沼は水はけが良すぎて、お米を作れない土地。米が原料の日本酒は作れなかった訳です。
それが、葡萄で酒ができちゃう!って、マジかよ それホントっすか の、大騒ぎだと思う(あくまでワタシの想像ですが)。



日本で最初の国産ワインは明治3年に山梨の山田ひろのりと詫間憲久によって醸造されたとされています。明治9年には山梨県によって甲府に勧業試験場が造られ、ワイン醸造をしています。


明治10年頃、山梨県勧業試験場のワインに貼られていたラベル。右ページのラベルに白葡萄酒、ス井イト、ビツトルスとラベルに描いてあるの分かりますか。ラベル真ん中の山の絵は当時の山梨県のマークだそうです。

しかし、見様見真似で造ったワインは上手くいかなかったのか数年で試験場は閉鎖してしまいます。

そして勝沼で明治10年に「大日本山梨葡萄酒株式会社」が設立されています。
この会社名からも、日本で葡萄酒造るなら、山梨がやらずに誰がやる!的なプライドを感じるのはワタシだけでしょうか?

見様見真似の醸造ではワインはできない、と知ってるので2人の青年をフランスに派遣します。

右が土屋龍憲、左が高野正誠。この写真はフランスで撮影されたものだそうです。明治10年10月に横浜港からフランスに向かい、明治12年5月に帰国したそうです。

フランスから持ち帰った葡萄は途中病気になってしまい育てられず、彼らは昔からある甲州ぶどうでワインを造ります。しかし技術的な問題や販路などの営業上の問題、当時のデフレによる不況もあり、明治19年に大日本山梨葡萄株式会社は解散します。
2人の青年はフランスでたった1シーズンの醸造しか体験できずに帰国しています。これがせめて3シーズン学べれば、技術的な問題はクリアできたのでは?と思ってしまいます。が、金銭的に1シーズンが限界だったのかな、とも思います。


明治政府は国家プロジェクトとしても葡萄の栽培とワイン醸造を行おうとし、明治13年に兵庫県に播州葡萄園を設立しています。ですが植えた葡萄は病気になるし、台風の被害にあうなどして数年で閉園しています。


国のバックアップがありながら失敗したワイン醸造。
それでも山梨では諦めません


勝沼の宮崎光太郎は大日本葡萄株式会社の用具を引き継いでのちに「甲斐産商店」を興します。
宮崎は本格的なワインを造っても販路がない状態の日本で、宮崎は東京に事務所をおき、ぶどうとワインの販売普及を目指します。

鉄道の中央線に勝沼駅を作り、ワインを鉄道で出荷させ、東京からお客様を呼んで、ぶどう棚の下でワインをもてなします。お客様は東京の酒屋さんだったり、学生さん。そしてハンパない!セレブも呼んでます。当時の東宮(のちの昭和天皇)もお越し下さり、その映像でプロモーションビデオを作り、絵葉書も作って配るわけです。
その頃の日本で天皇家ほど圧倒的な存在は無いし、宮様が来たぶどう園なんて、神々しさまで加わる すごい宣伝効果です。


右側の黒い傘を持っているのが東宮様。ご来園記念にハガキにしてあります。


当時のワインは蜂蜜入りの甘いワイン。薬代わりに飲んで元気になる!なんて広告もありました。本格的な辛口ワインは日本人の口には受け入れ難かった。

でもこの甘いワインを造ることで葡萄農家は救われるし、勝沼が葡萄産地として残ることが出来たのです。

江戸時代から葡萄産地だった勝沼は、言い換えれば「葡萄しか育たない土地」だったのではないでしょうか? この時代に米が作れない土地は、致命的に貧乏で貧困な土地になるでしょうから。。。

生の葡萄は日持ちがしない、けれどワインなら熟成期間を経て1年中売る事が出来るのです。年中商売が出来るのです。何としても葡萄でワインを造って、売って生き残る!それが勝沼が生き残る道だったと思います。
そして生き抜いて、今があるんですよね。

現在の山梨では辛口のワインがスタンダードで、甲州ぶどうの育成方法も様々あります。棚の栽培もワイン向けに工夫されているし、垣根栽培も成功し世界のコンクールでも金賞受賞するほどになりました。

この成功はやはり、葡萄王国・山梨!のプライドがあったからだと思います。


葡萄はどこでも育つし、土地の特性を活かしたワインは日本全国で造られていますが、歴史を持っている産地といえば山梨最強です
これからもプライドを持ったワインを造ってほしいし、それを呑みたい です。


長くなってますが、まだ続きます



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