神楽坂で居酒屋女将!つれづれ日誌

神楽坂・本多横町で50年続く、いざかや「甲州屋」。つたないながらも、お客さんに愛されるお店づくりに奮闘中です。

2016 山梨県立博物館へ その3

2016-12-04 10:52:52 | 山梨へGO!
11月26日に行った葡萄と葡萄酒展のレポートの続きです。( 注!この展示は11月28日で終了しています。)
学芸員さんのトークを聴きながら、ワタシが感じた事をタラタラと書いています。多少ウザいと思いますが、お付き合いください



江戸時代には葡萄が棚仕立ての育成方法になって、文化の面でも親しまれる図柄になってきました。

江戸から甲州街道を進み、笹子峠を抜けると目前に甲府盆地が広がります。
その最初の宿場・勝沼で食べる葡萄が「甲州名物」になっている。甘い果実は旅人の疲れを癒したのでしょう。

全国的に知れ渡る葡萄王国・甲州 は甲州人にも自覚があったのでしょうね。


明治時代の文明開花で「西洋人は食事のたびにワインを飲む」「ワインは葡萄からできるお酒」と知ったら、葡萄王国ならば俺達がワインを造らなければ!と思い立ったでしょう。

何より葡萄産地の勝沼では「葡萄が酒になる 」って、凄い驚きだと思うんです。

勝沼は水はけが良すぎて、お米を作れない土地。米が原料の日本酒は作れなかった訳です。
それが、葡萄で酒ができちゃう!って、マジかよ それホントっすか の、大騒ぎだと思う(あくまでワタシの想像ですが)。



日本で最初の国産ワインは明治3年に山梨の山田ひろのりと詫間憲久によって醸造されたとされています。明治9年には山梨県によって甲府に勧業試験場が造られ、ワイン醸造をしています。


明治10年頃、山梨県勧業試験場のワインに貼られていたラベル。右ページのラベルに白葡萄酒、ス井イト、ビツトルスとラベルに描いてあるの分かりますか。ラベル真ん中の山の絵は当時の山梨県のマークだそうです。

しかし、見様見真似で造ったワインは上手くいかなかったのか数年で試験場は閉鎖してしまいます。

そして勝沼で明治10年に「大日本山梨葡萄酒株式会社」が設立されています。
この会社名からも、日本で葡萄酒造るなら、山梨がやらずに誰がやる!的なプライドを感じるのはワタシだけでしょうか?

見様見真似の醸造ではワインはできない、と知ってるので2人の青年をフランスに派遣します。

右が土屋龍憲、左が高野正誠。この写真はフランスで撮影されたものだそうです。明治10年10月に横浜港からフランスに向かい、明治12年5月に帰国したそうです。

フランスから持ち帰った葡萄は途中病気になってしまい育てられず、彼らは昔からある甲州ぶどうでワインを造ります。しかし技術的な問題や販路などの営業上の問題、当時のデフレによる不況もあり、明治19年に大日本山梨葡萄株式会社は解散します。
2人の青年はフランスでたった1シーズンの醸造しか体験できずに帰国しています。これがせめて3シーズン学べれば、技術的な問題はクリアできたのでは?と思ってしまいます。が、金銭的に1シーズンが限界だったのかな、とも思います。


明治政府は国家プロジェクトとしても葡萄の栽培とワイン醸造を行おうとし、明治13年に兵庫県に播州葡萄園を設立しています。ですが植えた葡萄は病気になるし、台風の被害にあうなどして数年で閉園しています。


国のバックアップがありながら失敗したワイン醸造。
それでも山梨では諦めません


勝沼の宮崎光太郎は大日本葡萄株式会社の用具を引き継いでのちに「甲斐産商店」を興します。
宮崎は本格的なワインを造っても販路がない状態の日本で、宮崎は東京に事務所をおき、ぶどうとワインの販売普及を目指します。

鉄道の中央線に勝沼駅を作り、ワインを鉄道で出荷させ、東京からお客様を呼んで、ぶどう棚の下でワインをもてなします。お客様は東京の酒屋さんだったり、学生さん。そしてハンパない!セレブも呼んでます。当時の東宮(のちの昭和天皇)もお越し下さり、その映像でプロモーションビデオを作り、絵葉書も作って配るわけです。
その頃の日本で天皇家ほど圧倒的な存在は無いし、宮様が来たぶどう園なんて、神々しさまで加わる すごい宣伝効果です。


右側の黒い傘を持っているのが東宮様。ご来園記念にハガキにしてあります。


当時のワインは蜂蜜入りの甘いワイン。薬代わりに飲んで元気になる!なんて広告もありました。本格的な辛口ワインは日本人の口には受け入れ難かった。

でもこの甘いワインを造ることで葡萄農家は救われるし、勝沼が葡萄産地として残ることが出来たのです。

江戸時代から葡萄産地だった勝沼は、言い換えれば「葡萄しか育たない土地」だったのではないでしょうか? この時代に米が作れない土地は、致命的に貧乏で貧困な土地になるでしょうから。。。

生の葡萄は日持ちがしない、けれどワインなら熟成期間を経て1年中売る事が出来るのです。年中商売が出来るのです。何としても葡萄でワインを造って、売って生き残る!それが勝沼が生き残る道だったと思います。
そして生き抜いて、今があるんですよね。

現在の山梨では辛口のワインがスタンダードで、甲州ぶどうの育成方法も様々あります。棚の栽培もワイン向けに工夫されているし、垣根栽培も成功し世界のコンクールでも金賞受賞するほどになりました。

この成功はやはり、葡萄王国・山梨!のプライドがあったからだと思います。


葡萄はどこでも育つし、土地の特性を活かしたワインは日本全国で造られていますが、歴史を持っている産地といえば山梨最強です
これからもプライドを持ったワインを造ってほしいし、それを呑みたい です。


長くなってますが、まだ続きます



コメント
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