日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

胸に白い百合を

2009年11月18日 | 地震のあとで
茶木さんの告別式。昨日と同じセレモニーホールで内城牧師の司式で行われました。
告別式後、ご遺族のあいさつの中で、奥さんとよく口げんかをしていた姿が語られました。ああ、茶木さんは親しい者とはやはり口論するんだなぁと思いました。教会の事、幼稚園のこと、よく釜土達雄とは議論しました。そして、違う席では、ちょっと言い過ぎたかもしれんけど・・・」と私にはよく語っていた茶木さん。

羽咋教会の教会員たちの悲痛な姿が、私にはとてもこたえました。

棺の中にお花をいれながらご遺体に別れを告げる時、私は羽咋教会で最高齢のキリスト者である、鈴木リデヤ姉のそばにおりました。90歳を超える鈴木姉。学校の教師として、茶木さんは教え子でした。信仰の後輩であり、教え子を見送るそのつらさがひしひしと伝わってきました。羽咋の松本姉は、「白いお花だけでなく、もっと色のついた花をいれてあげようよ」と泣きながら言いだし、飾ってあったいろんな花をご遺体のまわりに飾り・・・。それもまた心の痛む姿でした。
9月に茶木さんと語り合った時、「まだまだ若い者にはまかせられん」とおっしゃるので、「若い人って誰ですか?」と聞くと「松本さん」と答えておられたのが頭をよぎりました。
葬儀社の方がもうそろそろとおっしゃる中で、最後に大きな白い百合を胸の上においた羽咋の人々。白百合幼稚園を支えたいとお気持ちが強かった茶木さんへの思い。

地方の小さな教会にとって、長老の死は本当に大きな出来事です。(かまどらんこ)






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あと2年

2009年11月17日 | 地震のあとで
羽咋教会茶木長老の前夜式。今日の7時からセレモニーホールで行われました。
向かって左側に親族、右側に教会関係者となっていました。羽咋教会の川原長老、高岡教会の風間先生、輪島教会の吉田さん、羽咋教会の中村長老そして七尾教会から、春成長老、堀岡長老、池口長老そして田村さんと最前列に並びました。(風間先生は、能登に夏期伝にいらしていますので、そこから考えると茶木さんとは長いおつきあいです)。
この会場でキリスト教式の葬儀が行われるのは初めてということで、羽咋教会の方々は、一生懸命説明して葬儀に臨まれたようですが、なかなか・・。隣の式場のお経の声が壁越しに聞こえながらの前夜式でした。

茶木さんの遺影を見ながら思うのはやはり、「早すぎる・・」という思いです。礼拝堂を建てるとあれだけ言って、建築委員長をしていたのに、あと2年、この世での命が与えられてほしかったと思います。
讃美歌を歌うのが大好きだった茶木さんの前夜式らしく、美しい歌声がいろいろな所から聞こえてきました。

日曜の朝、近くの銭湯にいかれ、帰ろうとした駐車場で倒れ、その日の内に召されたという、最後の一日。ご家族の方もまだ死を受け入れがたい様子でした。

前夜式の後、能登の信徒たちは肩をたたきあい、手を握り、「元気でいましょう」と語りあいました。一人もかけることなく復興の日を迎えたいのです。
何度もいいたい。「早すぎますよ、茶木さん。」(かまどらんこ)

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急死・・。

2009年11月16日 | 地震のあとで
昨日の夜遅く、羽咋教会の内城先生から釜土牧師に連絡がありました。電話を切って、茶木さんが亡くなったと私に言いました。
私は何度も聞き返しました。「誰?」「うそ?」「なんで?」。
急死でした。

羽咋教会の茶木さん。長老として羽咋教会を支え続けてきた方でした。
歯に衣着せぬというところもおありだったので、正直いつも意見が一致したというわけではありませんでした。能登に来た最初の頃は私はどうも苦手でした。けれど年を経ると逆に何でもお話しできるようになってきて・・。最後にお会いしたのは11月3日の能登圏信徒修養会でした。が、思い出されるのは能登圏役員研修会の夜に語り合った事です。会堂建築を教会員として言わば最後のご奉仕と考えておられ、なんとか完成させたいと思っていらしたのに・・・。

なぜ今なのか?会堂完成まで神様は待っていてくださらなかったのか・・・。隣の教会の私でもそう思うのですから、羽咋教会の教会員達はどんなに悲しい事かと思います。羽咋教会の為にどうぞお祈り下さい。(かまどらんこ)
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能登と加賀

2009年11月15日 | 地震のあとで
今日の午後は小松教会で北陸連合長老会の巡回長老会がありました。たまたま、七尾教会の長老が皆都合がつかなかったので、牧師と執事としての私とが出席。
私にとってはひさしぶりの小松教会。5年以上ぶりです。
能登有料道路から北陸自動車道へ。そこで体験したのはETCレーンを初めて通ることでした。(何度も繰り返しますが能登有料道路にETCはありません。)通るだけでいいなんてなんと不思議な・・・。「550円です」。機械のお姉さんの声。
金沢から小松まで北陸自動車道を通って感じるのは、能登と加賀の風景の違い。特に道路沿いは「大きな工場が多いなぁ」と思います。能登にも工場はあるけれどこんなに大きくない。でも不況の影響は工場の多い加賀地域の方があるのですよね。

巡回長老会後、ブログのおかげで、12月に実現することになったハンドベルコンサートのうちあわせ?を軽くすることもできました。

帰りの車内でラジオからハンドベルの音色。それは青山学院大学のハンドベルクワイアのものでした。ああ、もうすぐツリー点火祭。あの木は私が卒業した頃と変わらないのだろうか、大きくなっているのだろうか・・・。気がついたらすぐにアドベントクリスマスですよね。準備しっかりやらなくてはいけませんね。(かまどらんこ)

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ホームページ

2009年11月14日 | 地震のあとで
第2土曜日で幼稚園は休園です。教会のおそうじに西野さんがいらした以外は訪問者もなく静かな土曜日。特別な予定もありません。そんな日だったからか、「医者にいってくる」と出かけた釜土達雄牧師。ひざの具合がよくないようです。

一人ゴソゴソ幼稚園の職員室で仕事をしていると、幼稚園の電話がなりました。「もしや誰かインフルエンザになったかな」(なにせ今近隣の学校では大流行中。七尾幼稚園にほとんど流行していないのが奇跡的なのです。)、心配しながら電話に出ると、全く見ず知らずの方からのお電話。

「幼稚園のホームページで見せていただいたのですが、カレンダーの作り方を教えていただきたいのです。」

あ、アドベントカレンダーの事かと思い、てっきり教会関係者か幼稚園関係者だと思って話を始めました。ところがしばらくして、その人が「アドベントカレンダー」というものをご存知ないことがわかってきました。手芸が好きな人のようで、個人的に作ってみたいものの参考にしたいらしい・・・。そこでアドベントカレンダーとは何かから話し、幼稚園でどう用いているか、どうやって作ったものかを10分くらいかけてお話ししました。ちょっとアドベントに興味を持って、クリスマスの意義をかんがえてくれたらいいなぁ・・・。

ホームページってこんなふうに意外な出会いがあります。幼稚園のホームページは私がちょこちょこ更新しますが、七尾教会のホームページは牧師の担当なのでほとんど更新されていませんね・・。
ちなみに、ひざは痛み止めをもらってきて、ついでに季節性インフルエンザの予防注射もされてしまった釜土達雄でした。(かまどらんこ)
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下水道

2009年11月13日 | 地震のあとで
事業仕分けというのが行われていて、そこには「下水道事業」というのも対象になっているようです。その様子を見ながら、そうでなければいいと思いながら、自分が25年前に思っていた勘違いをここに記しておきます。

東京で生まれ育った私は幼い頃から「下水道」は当たり前のものでした。ですから、下水道がない処にいくとそこはとっても僻地なんだと思っていました。今思うととても傲慢な事ですが、くみ取りトイレなんてイナカだと考えていたのです。日本全国、下水道があって当たり前、無いのは本当に人が住んでないところ、勝手にそう思いこんでいたのです。そして東京にいる限り、それが間違いであることに気づかせてくれる友人や知人はおりませんでした。

ところが24年前能登に来たら、「下水道」はどこにも無い。無いのが当たり前。バキュームカーが来るのが当たり前。それが徐々に個人の家の浄化槽というものになり、5,6年前からようやく七尾でも下水道整備が始まったのです。七尾市でも中心部です。人が住んでいる場所です。
でも仕分けをしている人の言葉を聞くと、きっとこの人達は24年前の私と同じ思いこみをしているんじゃないかと心配になるのです。もうほとんどの所でいきわたっているんだからいいんじゃないかと言っているような・・・。

幸い、七尾教会は今年度中の工事が決定し、工期は1月中旬~2月と聞きました。ホッとしています。けれど市内の未整備のところはこれからどうなるのだろうと心配です。そして、下水につなぐための工事費用などもかなり高額です。これも初めから当たり前にあるところの人にはわかりにくい事。
「下水道」。また、「地方と首都」の違いを考えさせられる議論なのでした。(かまどらんこ)
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変えなくていいもの

2009年11月12日 | 地震のあとで
久しぶりに設計士さんとの打ち合わせ。お帰りになる前に礼拝堂でお話をしていて、意外な事がわかりました。
それは礼拝堂の照明器具を新しい礼拝堂にとりつけられるという事でした。この器具、実は1961年に礼拝堂ができた時からあるもので、1990年の改修時にもそのまま残ったもの。今の礼拝堂の雰囲気をなるべく残す、とは思っていたものの、器具そのものを残せるとは思っていなかったのです。でも「ちゃんときれいにしてまたつけましょう」と言われるとは・・・。

変えなくていいものがある、それはやはり嬉しいことなのでした。
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万歩計

2009年11月11日 | 地震のあとで
釜土達雄が今日ようやく健康診断にいきました。七尾幼稚園の職員としての健康診断。他の職員は私も含めて10月中にすませたのですが、園長だけが日程調整がうまくいかず、無理を言ってようやく今日いれてもらったのです。
「何か言われた?」と聞いてみると「万歩計はお持ちですかと言われた」。

メタボです。歩かなくてはいけないのです。健康の為に。
診断してくださったお医者さんは、幼稚園の卒業生のお父さんなので、「幼稚園で子供達と一緒に動いたら・・」というアドバイスもあったようです。

さて、万歩計。確か持っていたはずなのに、地震後の引っ越し騒ぎでどこかにいってしまいました。探すより、安いのを買った方がよさそうです。(かまどらんこ)
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冬越しの準備

2009年11月10日 | 地震のあとで
冬が近づくと天気の良い日はどんどん少なくなってきます。冬が来る前に、いろんな準備をしておかなくてはいけません。
ゴミをいれるような2つの大きな収納ボックス。実はここにカブトムシの幼虫が入っています。元々は高岡の風間先生が持ってきてくださったものですが、毎年カブトムシになりそしてまた卵を産んで・・・と繰り返されているのです。

本当は10月のうちにはしておかなくてはいけなかったのです。なかなかできずでももうタイムリミットだったので、冬越しの準備をしました。

正直なところ、私は幼虫があんまりいないといいなぁと思っておりました。工事のことを考えるとこの幼虫飼育の為のボックスは大きくて重くてとても邪魔なものです。幼虫の数がすくなければボックス一個になっていいのになぁ・・・。
けれどこちらの思惑とは関係なく、幼虫は45匹も育っていて、2つのボックスが必要でした。工事中どこにおくんだ!と思うのですが、大丈夫大丈夫と牧師は楽観的です。(かまどらんこ)
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1,2,3,4,・・・・99

2009年11月09日 | 地震のあとで
今日も月曜日の朝。幼稚園の礼拝で聖書のお話をしました。
元々は釜土達雄牧師が園長として話していたものですが、この半年はほとんど私。評価はいろいろあると思いますが、釜土達雄は話が上手い方です。以前は時々私の方に話の順番が来ても、正直うまくできないしイヤだなぁと思っていました。
けれど最近は、七尾幼稚園での子供達への説教ということに限定すれば、ちょっと私の方がいいかもと思えるようになってきました。私の強みは何より子供達の日常をよりよく知っているということです。ですから子供達が今何に興味を持っているかを元にして話ができる。

さて、インターフェロンをしている間は、眠れない時や何もできないほどぐったりしている時によく落語を聞きました。最初は暇つぶしでしたが、だんだん極めてきまして・・・。同じ演目を覚えるほど聞いたり、違う噺家のものと聞き比べたりと楽しめるようになりました。これが実に勉強になりました。一つの話を演じきること、聖書の話をすることに通じるものがあります。同じ話を何度もする、話し手によって違う演じ方がある。

今日は「迷子の羊」の話をしました。子供達と一緒に1,2,3・・・と100までの数を何度も数えるという構成。(今幼稚園ではお金ごっこがはやっているので)。同じ言葉を何度も繰り返すというのは落語によくありますね。どんな形でも子供達に聖書の話をするのは本当に楽しいことだと思います。
そして七尾教会が、いろいろあっても迷わないで待っていた99匹の羊でありたいと願っています。(かまどらんこ)
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