日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

育てるということ

2008年08月18日 | 地震のあとで
オリンピックを見ていると、一人の選手がそこに立つ時にいかに多くの人の支えがあるかを感じます。コーチ、家族、友人・・・。そこまでできるのかというほど、その一人の選手のために生きる人々。
そして一人の選手が育つまでにいかに時間がかかるか、と。
あまり注目されていない競技で、メダルをとったり入賞したりすると、その競技の「・・・協会」の関係者が本当に嬉しそうにコメントする。一つのメダル、一つの入賞を生み出すために、多くの時間を費やしてきたことかと想像できます。

そこで、思うのです。私たちの「教会」はこれらの「協会」よりも、情熱的に時間も労力も惜しまずに人を育てているのだろうか、と。「働き人が少ない」と嘆き、即戦力を求めるよりも、時間をかけ力を注いで人を育てていくべきではないのか。もちろん、「教会」にはいろんなものの上に「祈り」が必要ですが。

さて、明日から私入院することになりました。C型肝炎の治療として、インターフェロン投与を始めるためです。生涯で3度目の入院となります。前回2度の入院はそれぞれ、大きなターニングポイントとなりました。今回は入院プラス約1年の治療。少々長い病院とのおつきあいになります。
私にとって」七尾にでの日々、特に園舎を改築した後の1990年からの日々は、「七尾幼稚園」中心の毎日でありました。それは人を育てるという事こそ、神様から与えられた私の大事な役割だと信じてきたからであります。
けれどそれはともすれば、「私がいないと幼稚園はだめになる」という誤った思いにとらわれます。何でも自分で把握し、何でも自分で処理をする。けれどもそれではまた、人は育たないのです。尊敬する先輩方が、その点で失敗する姿をよく見ました。
今回の入院・治療は、自分が大事にしてきたものを、人にゆだね任せる大きな機会になります。自分がいなくても、七尾幼稚園は七尾幼稚園であり、七尾教会教会学校は七尾教会教会学校であること。そうでなければなりません。誰もが限られた時に限られた業を任されているに過ぎないのですから。

というわけで、しばらくブログもお休みです。元気になって礼拝堂の改築に立ち会えるようにしたいと思っています。

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CSおとまり会のあとで

2008年08月17日 | 地震のあとで
14-15日に小学校1年生から4年生の為のおとまり会、15-16日の5年生から6年生のためのキャンプを終え、今日そのお片づけを無事終了。
1991年に新しい園舎完成後初めての夏に初めて会を重ねてきたこの行事。釜土達雄、森山奈美、そして私の3人のメインは変わらぬものの、いろんな方の協力で続けてこられた会です。初期の頃は夏期伝神学生がかなりの役割をしましたが、最近は卒業生達がいろんな手伝いをしてくれるようになりました。
中学生や高校生がこの会の手伝いの為にやってきて、3日間楽しそうに教会で時を過ごしていきます。
今朝、その様子を春成長老に報告。「なんだかわからないけれど、教会にいっしょにいて楽しそうでした」と高校生の様子を報告すると、春成さんも私も自分の高校生時代を思い出し・・・。
長い長いスパンでの、伝道。小学6年の子がキャンプの食事の時に「なんか大きな家族だね」とニコニコ顔で言ってくれました。そうだよ、君たちは神様の家族だよ。それを今感じてほしい。本当の意味は後でわかってくれたら嬉しい。

私の個人的な事では、今回はよく自分の体がもってくれたという3日間でした。子供達の前では元気に過ごし、牧師館に戻ると完全ダウンという状態で、病気を意識しながら過ごしました。去年の夏はこのおとまり会を終えて、幼稚園園舎の改修工事が始まりました。今年は、自分の体の改修工事となります。
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富来伝道所起工式

2008年08月11日 | 地震のあとで
本日午前11時より、富来伝道所の起工式がありました。
羽咋教会の方々と設計士の角尾さん、アーク建設の方。そして釜土達雄。
私は行かれなかったので、写真をとってきてもらいました。
神様の導きによって工事の全てが守られますよう。
また、輪島教会牧師館の起工式は昨日の午後行われました。
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初々しい説教者

2008年08月10日 | 地震のあとで
今日の主日礼拝、七尾教会の説教奉仕をされたのは、長谷川神学生。
北陸連合長老会としての夏期伝奉仕をされている。金沢教会・富山鹿島町教会での奉仕が多いスケジュールだが、今日は七尾教会へ。七尾教会の釜土達雄牧師は生産式応援のため小松教会へ。
「神学生」の説教は本当に久しぶりでした。以前は能登圏として夏期伝神学生を迎えていたのですが・・・。
長谷川先生、大変緊張されているように見えました。目と原稿が合わなかったりして・・。指導牧師達からはいろいろアドバイスをされることでしょう。北陸連合長老会で一番教えたがりはK先生でしょうか・・・。
私は久しぶりに初々しい説教者の初々しい説教を主の御言葉として感謝して受けました。これからたくさんの事を学ばれ、深めていくことでしょう。けれど自分が説教者として立たされている、そのストレートな思いを忘れずにいてほしいと思います。小さな者が神様から召されて御言葉の取り次ぎをする。なんとすばらしいことでしょうか。
以前、夏期伝で初々しい説教者だった先生達。どうされているかなぁ。
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カネを残さず、カネを残そう

2008年08月09日 | 地震のあとで
朝刊に、能登半島地震で倒壊した鐘楼堂が復興されたという記事を見つけました。輪島市門前町のお寺。
鐘です。
七尾教会の礼拝堂には道路からそして鉄道からも見える塔があります。(今はちょいと傾いているわけですが)。その塔の上部。当然鐘がついていたらいいのになぁというデザインなのに、鐘がない。
なんでなのかと聞くと前任の故・今村牧師は「カネがなかったから、カネがないんだ」と。
それはユーモアあふれる答え。でもその頃の事を調べると、本当は金はあったのに鐘はつけなかったような気もします。多額の金ではありませんが、無理をしたらできたのでは・・・。
次の礼拝堂。できることなら「鐘」をつけたいと私は願っております。
「かねをのこさず、かねをのこそう」。
復興の象徴としての鐘。伝道をし続ける証しの鐘。ここに教会があると高らかに街の人々に告げる鐘。
次の世代に、鐘のついた礼拝堂を残したい。それは昭和36年の七尾教会が果たせなかった事。建築資金もない七尾教会が何を言っているんだと叱られそうではありますが。
「カネをのこさず、カネを残そう」。私はそう、七尾教会の人々に語りたいのです。
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スイカをたたくと

2008年08月08日 | 地震のあとで
暑い日が続いています。こんな時には「幼稚園でどうぞ」とスイカをいただくことがあります。自分のお家の畑でとれたようなスイカ。ちょっと見栄えは悪いのですが・・・。
スイカをもらうと、人はなぜかたたきたくなりますよね。こんこんしてみて、これは中がいっぱいだぞとか思うのです。
さて、一部の七尾教会の教会員の間では、礼拝堂の床をコンコンしてみるクセがついております。礼拝堂の前の方と後ろの方では音が違う。つまり、後ろの方の床下がちょっとぽかぽかしている感じです。
幼稚園の調理のお仕事をしている、池口さんはつい毎朝床をコツコツ。変化がないかどうかコンコン。それで何がわかるという事なのですが、やっぱりなんとなく心配でコツコツしてしまうのであります。
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申し訳ないこと

2008年08月07日 | 地震のあとで
テレビから、赤塚不二夫先生の葬儀の様子が流れ、感慨深く見ている、かまどたつお。一時期、大変お世話になった方の死。いろんな事を思い出すようです。様々なジャンルの方が、赤塚先生に優しくしていただいたというのですが、かまどたつおもその一人。
まあ、最近では釜土達雄が、「かまどたつお」として腹話術でテレビに出ていたりしたことを知らない方も多いのですが・・・。タモリさんが赤塚先生に見いだされたことを知らない人が増えていることを今回改めて知らされ、時代の流れを感じます。

さて、「おとまり会」が終わった幼稚園。相変わらず毎日「夏期保育」が行われております。
今日の午後、教会を訪ねてこられた方がいらしたのですが、残念ながら牧師も私も不在の時でありました。幼稚園教師が対応してくれたのですが、たまたま今日は研修にいった教師がいたので、その時は教師一人でいたので、その方々にうまく応対することができず・・・。申し訳ないことをしてしまいました。
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東海北陸自動車道のおかげで

2008年08月05日 | 地震のあとで
七尾市の能登島水族館の入場者が7月、10年ぶりに4万人突破したと新聞に報じられておりました。東海北陸自動車道のおかげで、岐阜県や愛知県からの観光客が大幅に増えたのだそうです。
道路の力はやはりすごいのだなと思わされます。
それなら、能登島の向かい側にある和倉温泉は景気がいいのかというと・・・。
和倉在住の教会員のYさんにきくと、「よくない」と一言。
ガソリンがこう高くては、観光地にきてもみなさん節約気味なのかもしれませんね。
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夏の訪問者

2008年08月04日 | 地震のあとで
愛知西地区の牧師先生3名が能登を訪問中。
考えてみるとこれは本当にありがたいことだと思う。
大きな地震が続けておこり、メディアに取り上げられることも少ない。
もしかしたら、「中越地震と、能登半島地震と中越沖地震でどれが一番最初におきたでしょう」とクイズを出したら、その地方ではない人はちゃんと答えられなかったりするかもしれない。
そういう自分も、能登半島地震の前に起こった九州や北海道の地震がいつだったか、答えることはできない。身勝手な者だと思う。
そんな中で、能登半島地震の被災教会をたずねてきてくださる方がいて、その方の向こうには多くの人が祈りをあわせていてくださる。覚えていてもらえる。何より感謝な事。
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聖書の中の地震の話

2008年08月03日 | 地震のあとで
今日の教会学校の聖書箇所は、使徒言行録16章。
地震とパウロとシラスの話。何度も子供達に語った物語。
でもやはり能登半島地震の後はちょっと違う。
「地震」という言葉につい止まってしまう。子供達も反応する。
特に一緒に同じ場所であの時を体験したTちゃんは特別。
「揺れたね」「こわかったね」「本棚倒れたね」「茶碗もいっぱいわれた」ついそんな言葉が口から出る。
パウロさんは怖くなかったの?
うーん。
神の救いは地震にも関わらず、力強く語られる。
「主イエスを信じなさい」。
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