日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

お天気のよいうちに

2009年10月31日 | 地震のあとで
土曜日、いつものようにお掃除当番2人が礼拝堂の掃除をしています。
「幼稚園、インフルエンザ大丈夫ですか?」と田村さん。近隣の小学校で学級閉鎖になっているのは耳に入っているようです。幼稚園はまだ一人なので・・としばらくインフルエンザの話題。今、七尾で流行しそうで、みんなが用心しています。
「今日はいいお天気でよかったですね」。お掃除はやっぱり晴れている方がいい。田村さんはまた、道路脇の草むしり。晴れてない時にするのは大変です。

けれど来週の初めはどうも冷え込むようです。「雪が降るかも」という天気予報もあったりして・・。まさかと思うけれど、庭にはユキムシがとんでいる。

来年の今頃はどんな状態なのだろうか?お天気のいいうちにどこまでできているのだろう。(かまどらんこ)
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観光地一本杉

2009年10月29日 | 地震のあとで
幼稚園の仕事で一番よくいく金融機関は、のと共栄信用金庫という地元の信用金庫です。そこに今月は観光客らしい人がよく出入りしています。先日もなぜか「トイレはどこですか?」と聞かれてしまいました。信用金庫2階ギャラリーで花嫁のれん展をしていて、それを見に来た方らしいのです。
これは七尾の一本杉通りを散策するという観光ツアーの方。今日の新聞でその団体ツアーの観光客が2000人を超えたと報じられていました。
商店街あげての、ツアー誘致。他の地区の信用金庫の顧客のツアーや能登演劇堂「マクベス」の観劇客など様々なところからの観光客。一本杉通りを歩いていると、手作りっぽい観光案内を見かけます。地元の方が案内して歩いているのです。

2000人、という数字、都会では相手にされないかもしれません。けれど地元の方は本当に一生懸命。あまりお金をかけず、でも人々の気持ちは伝わってくるような気がします。七尾を好きになってほしい、そんな気持ちです。

一本杉といえば、七尾一番のメインストリートそして、七尾教会が最初にあった通り。だからがんばってほしい、一本杉です。(かまどらんこ)
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北海道でできなかったこと

2009年10月28日 | 地震のあとで
昨日、釜土達雄牧師は、北海道キリスト教学園の研修会の講師としてご奉仕させていただきました。その為月曜の朝に七尾を出発して、今日の夕方に戻ってきたのです。(さすがに北海道は遠く、日帰りとか1泊では難しかったのでした。)
全国どこでも、なのかもしれません。教会幼稚園の岐路に立たされているのでしょう。真剣な研修会だったようです。

七尾幼稚園は、小さな幼稚園です。けれど、一つの教会幼稚園として、園児数を12人~89人まで経験し、改修、改築などなどいろんな事をしてきました。その分、釜土達雄はいろんな話ができるかと思います。それが、何か役立てば嬉しいと思います。牧師が幼稚園の責任を負うのは、時間的にもけっこう大変です。けれど大変さの向こうに、それに勝る喜びがあります。

さて、せっかく北海道まで行ってきたので、少し自由時間に札幌の中心部を回ってきた釜土達雄。心残りは「札幌ラーメン」を食べようと思って、一番行列のできているお店に並んだら、実はそのお店は「トンコツラーメン」だったということだそうです。そしてもう一つ残念だったのは、札幌教会の礼拝堂内部を見る時間がなかった事だそうです。

北海道のおみやげに評判の「生キャラメル」を買ってきてくれました。それはやはりおいしい・・・。研修会で出されたという「帯ちゃん広ちゃん」という和菓子も一個持ち帰ってくれました。(研修会などの時に、その場で食べずに持ってきてくれるのが我が家のパターン。)それもなかなかおいしかったです。(まだ北海道に行ったことがない、かまどらんこ)
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閉鎖の決定

2009年10月27日 | 地震のあとで
全国ニュースでは、大企業のリストラの一つとして伝えられた事が、石川県内ニュースでは昨日も今日もトップニュースになっています。
キリンビール北陸工場(白山市)が来年8月に閉鎖されるという事。ちなみに白山市は、能登ではなく加賀の方になります。
地元では、寝耳に水という事で、雇用の問題、広大な敷地の問題などいろんな意味で大きなニュースです。

本社で決定された撤退。地方の工場に決定権はありません。本社の経営者の判断です。全国的には下から2番目の小さい規模の工場。でもその地方では大きな工場。

そんなニュースを聞きながら、能登の教会の歴史に思いをはせました。能登の教会はメソジストのミッションによって設立され、伝道者が派遣されて来ました。けれども、第二次世界大戦後期、伝道者は能登からいなくなります。当時はほぼ派遣という形態ですので、本部の決定で伝道者は転任するという具合です。
その状況の中で、珠洲にあった伝道所はなくなりました。
輪島教会は、数少ない信徒が立ち上がり、無牧となった教会を献身的な行動で守りきりました。
七尾教会は、不思議なことにその時期だけ、七尾に転勤となったクリスチャン達の働きにより教会が守られます。まるで神様から直接派遣命令をうけたかのように。

ちょっと変な言い方をおゆるしください。教会の経営者は、やはり神様なのです。(かまどらんこ)
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イエスがどんな人か見たい

2009年10月26日 | 地震のあとで
月曜の朝は、なんとなく気持ちが焦る。今週はこれをしなければ、あれをしておかなければと思う。そして先週のうちにしておかなくてはいけなかった事もあれこれ浮かんでくる。教会の、そして幼稚園の荷物の整頓、段取り・・・。時間が足りないし、自分の体力が足りない。焦る。

そんな月曜日の朝に自分の一番しなくてはいけない事があるのは、幸いだ。それは幼稚園の子供達に聖書のお話をする事。
今年はあえてその時々に聖書を選んで話す事にしている。今日はザアカイの話。

幼稚園の子供達にどこまで伝えることができるか。「いつも一緒にいてくださる神様」それが伝わればいいとも思う。けれど、子供の心の片隅に、聖書の物語がちょこっと残ってくれないかと願う。大人になってどこかで再び聖書と出会う時に、「あれ、聞いたことあるお話だ」と思ってほしい。人生の岐路に立った時、「イエスがどんな人か見たい」、そう思ってくれないだろうか。(かまどらんこ)
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羽咋教会90周年

2009年10月25日 | 地震のあとで
主日礼拝の後、今日は午後からは何の予定もない日曜日。安息日としたいところですが、少し幼稚園の仕事をしなくてはならずゴソゴソしていると、教会の玄関扉をあけようとする音。あわてて玄関にいくと誰もいない。
職員室に戻ると、通用口にやってきたのは、輪島教会の大下さんでした。
午前中、羽咋教会の礼拝に出て、七尾で買い物をして、夜は輪島教会の夕拝に出席するということでした。

今日羽咋教会は創立90周年記念礼拝として、大宮教会の疋田国麻呂先生をお招きしての伝道礼拝。もうご存じの方が多いと思いますが、疋田先生は羽咋教会の出身教職です。地震直後には、関東教区での様々な経験に基づいて助言もくださいました。
大下さんのお話では、今日の伝道礼拝は初来会者も多く、疋田先生のご親戚もいらしていたようで、恵みに満ちた伝道礼拝であったようです。どんな様子だったかなぁとちょっと気になっていたので、思わぬところから情報を得て嬉しく思いました。能登圏は3つの教会、一つの伝道所。(かまどらんこ)



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常用漢字

2009年10月24日 | 地震のあとで
今日は、地震とも能登半島とも関係のない事でおゆるしください。
「常用漢字表」についてのニュースが報じられていました。追加される漢字の中に、釜土の「釜」がありました。正直、驚いたのは、「え、今まで常用漢字の中に入っていなかったの?」という事でした。
そして、削除される候補には、「聘」という字がありました。日常に使われないというのがその理由らしいです。けれど教会では「招聘」という言葉の中で使われる字。牧師交代の時に、「次の牧師の招聘を・・・」と出てきますよね。
ちなみに七尾教会は、前任の今村先生も37年と長く、現在釜土達雄も26年を超えておりまして、七尾教会の教会員達は「牧師招聘」とはどうやってするのか?がわからないかも・・・。頭で手続きがわかっていてもという意味ですが。
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中越地震5周年

2009年10月23日 | 地震のあとで
今日は中越地震からちょうど5年目の日。テレビでもいろいろな角度で「あれから5年」の姿を報じていました。
中越地震が起きた頃、申し訳ないのですが、それはやはり遠い処の出来事でありました。けれども能登半島地震の後、見方は全く変わりました。中越で何が起き、その後どうなったのか。それは最大関心事の一つです。直接的に間接的に多くの事を教えてくれる、中越の人々。

復興の喜びが語られる5年後の姿。一方で、住民が激減した村。まだ復興できない田畑。鬱病に悩む人。癒えない傷。月日がたったからといって、解決できない問題。今後の能登でも同じような悩みがあることでしょう。

そしてそんな日に、震度4の地震が中越であったと小さく報じられています。当事者にとっては最も怖い出来事かもしれません。何も今日じゃなくても・・と思ってしまいます。(かまどらんこ)
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ひざの痛み

2009年10月22日 | 地震のあとで
今週にはいって、釜土達雄牧師は、「ひざがいたい」と何度も訴えていました。「それなら、お医者さんにいけば」というと「いい」と言って、痛いのを我慢。でもやっぱり痛いという。
昨日、どう考えてももう次に医者に行けるチャンスは一週間後になると思ったので、もう一度話をして、ついに病院に。ひざには水がたまっていたそうで、それをぬいてきたという事でした。
そのおかげで今日はだいぶよくなったようでした。
牧師というのは、なかなか代理をしてもらえない仕事。痛いと思ったらなるべくすぐ医者にいってもらいたいと思うのですが・・・。(かまどらんこ)
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どこから見ても教会

2009年10月21日 | 地震のあとで
午前10時すぎ、教会のドアホンがなったので玄関に行ってみると、見知らぬ若い女性が3人立っていました。
「教会の結婚式の音楽について教えてください」
友達の結婚式にどんな音楽を演奏したらいいのか考えているところで、“キリスト教の結婚式ってどんなのだろう”と思ったようです。そこで、目についた礼拝堂。そこが教会だろうと思って突然やってきたというわけでした。
その後、釜土達雄牧師が1時間ほど、話をして、讃美歌や奏楽曲のコピーをさしあげたりしました。
彼女達とすれば、教会のドアホンを押してみるのはちょっと勇気のいったことだろう。
実のところ、こんな来訪者は時々あります。「キリスト教の葬式にいくにはどうしたらいいか」なんて質問をされることもあったりします。「とりあえず、あそこにある教会に行ってきいてみよう」と思うらしいのです。

「どこから見ても教会」、そうわかるのが、塔の上に高くかかげられた十字架。礼拝堂は無言で、教会の存在を知らしめる。礼拝堂がそこに立つ意義は深い。
十字架を高くかかげ続けたいと心から思うのでした。
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