日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

放蕩息子とハムスター

2009年08月31日 | 地震のあとで
去年の秋、幼稚園でハムスターを飼い始めました。お体が不自由になり、入院を余儀なくされた方から譲っていただいた3匹。ともこ、はるか、こういちという名前がついています。その方がとってもかわいがっておられたハムスターでした。
幼稚園に来た時点でもう1歳半。ハムスターの寿命は2,3年。今年の夏にはけっこう高齢です。暑さに弱いハムスターにとっては、幼稚園の園舎の中は暑い為、7月から牧師館に連れてきました。
ハムスターでも一匹ずつ性格が違っていて、穏やかでかまってほしいともこちゃん、やんちゃなこういちくん、気が強く放っておいてほしいはるかちゃん、と3匹三様。けれど気の強いはるかちゃんのご機嫌をとる方法が一つあります。それはハムスターのミックスフードの中に入っている黒い固まりをあげる事。これを出すと喜んで近づいてきて、あげるとカリカリ嬉しそうに口にします。
それを見ながら「これはなんだろう?」「どっかでみたことがあるんだけどな・・・」と思っていました。昨日箱を見ていて大発見。原材料の中にあった「イナゴ豆」という文字。
そうか!イナゴ豆だ!
結婚して一年後、大久保照先生を団長とするイスラエル旅行に二人で参加しました。その時に見た「イナゴ豆」。かじってみると甘かったのを覚えています。ハムスターのミックスフードの中には、干して砕いたものが入っていたのでした。
結婚して24年の月日が流れ、結局二人で旅行したのは、そのイスラエル旅行だけです。地震がなければ、来年あたり一度と3年前には思っていたのですが・・・。
今はあまり旅行したいとか、七尾を離れたいと思わなくなりました。のんびり旅行する事よりも、会堂建築という、自分が神様から与えられた仕事をやり遂げたいと願う毎日です。(かまどらんこ)

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交流人口を増やそう

2009年08月30日 | 地震のあとで
本日の教会学校の聖書箇所は、五千人の食事のところでした。
昨日ベルマークで鐘を買うのは無理だなぁと思っていましたが、5つのパンと2匹の魚で5000人というのは、人間の目で見るともっと無茶苦茶な話ですね。でも神にはできる。
主日礼拝には今日も能登を旅行している方が出席。夏の能登にはこういう旅行者が来てくださいます。感謝。
礼拝後、食事をしながら森山奈美長老とおしゃべりする中で、彼女が今携わっている「交流人口を増やす」という事業の話をききました。大学生を合宿やインターンシップで能登に来てもらう活動。その事によって、能登・七尾の交流人口を増やすのです。定住人口は減っていっても交流人口を増やす。またそうやってくる大学生達からいろんな意見を聞いて、街作りに活かしていく。

なるほど・・。それを教会に当てはめるなら、どうなるか。自分の教会ではカンタンに現住陪餐会員が増えない。けれども、旅行中の来会者があったりすると交流する方は増える。能登半島地震を通してたくさんの方が能登の教会の為に祈ってくださるようになった。これもすばらしい、交流人口。
人口減少地帯の、人数の少ない教会だからこそ、考えていきたい課題です。(かまどらんこ)
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ベルでベルは無理でも

2009年08月29日 | 地震のあとで
今日は土曜日ですが、幼稚園は預かり保育をしております。といっても夏休み最後の週末ということで出席者は10名。午前中はのんびりとした幼稚園でした。
けれど今日の夕方に「ちびっこカーニバル」という七尾市のイベントに年長さんが参加する為、午後からは支度の為忙しくなりました。
七尾市内の保育園・幼稚園の5歳児(年長児)が全員参加して、よさこいを踊るという行事で、本来は7月にするはずだったのが一ヶ月延期になり、今日開催となりました。午後5時から6時までの行事。

解散して、先生達と幼稚園に戻りいろいろ後片付けをして先生達が帰宅したのが、午後7時。その後買い物に行って夕食・・。とちょっとさすがに疲れてしまい、9時頃にはテレビを見ながら居眠りしてしまいました。こりゃいかん、と思って何かしなきゃと考えてもさすがに体が動かない。座って出来ることは何かないかと見回すと目についたのはベルマーク。そういえば最近整理してない・・・・

幼稚園が一番お金がなかった時代、ハンドベルや鉄棒などいろいろなものを購入できたベルマーク。来年建築が終わったら、少しでも何かと交換できるかも・・・。ベルマークで教会の塔の鐘がかえたら、シャレになるのだけれど、さすがにそれは無理ですよね。(かまどらんこ)
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バスのダイヤ

2009年08月28日 | 地震のあとで
全国一斉の学力テストのことがニュースで取り上げられていました。その中で、小学生の算数で、「・・・に・・・時までにいくにはどのバスに乗ればいいでしょうか」という問題が議論されていました。
正解率が低かったということです。生活力がないのではないかという意見がありました。
そのコメントを聞きながら、なんか違うんじゃないかなぁと思っていました。
だって、能登の子達にバス停で時刻表を見る習慣はないだろうと思うのです。1時間に何本もバスがくる状態はない。一日何便かのバス。それもたいていお年寄りが朝街にいって夕方帰れるようなバス。小学生がどこかに行くのにバスに乗る、それはあまり想定されていない街もあるんだけど。日本全国同じ交通事情だとは思わないでほしいと思うのです。
ちなみに、私は東京では茅場町という地下鉄の駅の近くでした。青山学院中等部から大学時代は、茅場町~渋谷に通学。この頃は逆に、時刻表なんて見なくてもどんどん電車がくるので、見る必要はなし、でした。

日本にはいろいろな地域があります。地域にあった生活力があるのではと思うのです。年に何度か東京にいくといまだに自動改札にドキドキします。(かまどらんこ)
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選挙カー

2009年08月27日 | 地震のあとで
総選挙前ですが、能登ではあまり「選挙カー」を見かけません。東京都と同じ広さの能登半島に候補者3人。それに最近はどうも金沢に近い方の、かほくや津幡や内灘の方が人が増えているので、応援演説とかもそちらで多いらしいです。
選挙カーがうるさいくらいなのは、だいたい市議選ぐらいですね。
比例区では、北陸信越ブロック。福井・石川・富山という3県はだいたいどのグループ分けでも一緒ですが、この選挙の区割りではそれに新潟・長野がつきます。長野と同じ地域という意識はあまりないような気がするのですが・・・。
新潟の方が同じ日本海側ですから近いような。それにプラスして、中越、中越沖地震と能登半島地震という事もあって、なんだかつながりが深くなったように思います。(かまどらんこ)
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同じように

2009年08月26日 | 地震のあとで
薬が効いてきたのか、少しおとなしくしていたのが良かったのか、なんとか回復してきた釜土達雄。今日の午後は金沢から設計士さんがいらして、打ち合わせでした。

会堂の立面図を持ってきてくださいました。国道から見たものです。言わば一番目立つ面。とにかく今と同じように、です。
設計士さんは、予算をおさえつつ、今と同じような外壁になるようにと苦心してくださっています。まだいい材料が見つからないとおっしゃっていましたが・・・。

現在の礼拝堂のイメージを大切にして設計がすすんでいます。(かまどらんこ)
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チェーン店

2009年08月25日 | 地震のあとで
薬が効いてきて、一度は38.5までいった熱が36.8になった釜土達雄。でも見るからに本調子ではなく、暑いといったり寒いといったり・・・。午前中はずっと牧師館にいたので、今日は一日休むように助言したのですが、どうしても行くといって、3時すぎに車を運転して富山に向かいました。富山学院福祉会の理事会だそうです。できることなら、会堂建築が終わるまでは七尾の仕事に集中してほしいと私は願うのですが、なかなかそうもいきません。

テレビではマツモトキヨシとローソンが提携すると報道していました。七尾にはローソンはありますが、マツモトキヨシはありません。提携したら新店舗が能登にもやってくるのでしょうか・・・。
思えば、この20年で日本全国、チェーン店がとても増えたと思います。私が七尾にきた1985年、スーパーのジャスコとユニーがあったものの、他のチェーン店といえばミスタードーナツぐらい。それが今では、モスバーガー、ユニクロ、めがね市場、サークルk、COCOS、しまむら、ダイソー、庄や、coco壱番館、七尾にもいろいろなチェーン店がやってきました。マクドナルドは市内にはありませんが、郊外のショッピングセンターにあります。7月には、すき家がオープン。日本中どこにいってもおなじ看板、同じメニュー、同じ値段?

さて、私たちの日本基督教団。日本中どこに行ってもあるといえば下手なチェーン店よりすごい?明治の時代から、神さまのご計画の中で、宣教師も日本人伝道者も信徒も力を尽くした結果でしょう。現在のチェーン店であれば、採算のあわない所からは撤退する(七尾ではケンタッキーとジャスコがそうでした。)けれど、教会はそこにこそ立つ意味がある。
震災復興の一次工事として、幼稚園改修と牧師館建築がなされたときには、「さすが世界展開しているところは違う」と妙な納得のされかたを街の方がしていました。(七尾教会と七尾幼稚園に金があるはずはないという前提があります。)たくさんの方々の祈りに支えられて、能登の教会が地域に立っています。(かまどらんこ)
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ダウン

2009年08月24日 | 地震のあとで
午前中、静かに過ごしていても、具合は悪くなるばかりの釜土達雄。ついに午後には医者に行ってきました。
のどが相当炎症をおこしているということで、抗生物質をもらって帰ってきました。少し熱も出てきてしまって(38.5℃)、とりあえず今は寝ています。念のため、インフルエンザではありません。

この一年は私の方がダウンをして寝ているというのが多かったので、久々に逆の立場です。薬が効いてきて早くなおるとよいのですが・・・。(かまどらんこ)
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しゃべらないのが難しい人

2009年08月23日 | 地震のあとで
金曜日から、釜土達雄牧師の声が変でした。疲れからのどを痛めたようです。そこで、なるべく声を出さないようにとアドバイスしていたのですが、何せ静かにしているのが難しい方です。
結局、誰かと一緒にいるとしゃべります。土曜日は幼稚園の夕涼み会ということもあって、夜にはかなりひどい声になっていました。
一晩休んで朝には少しよくなっていたのですが、今日は日曜日。まず教会学校中学科礼拝があり、そこで悪化。主日礼拝の説教の時にはかなり聞きづらい声になってしまい、説教後の讃美歌は声が出なくなってしまいました。

午後からはさすがにおとなしくしています。それでもすぐにしゃべりたがるので、とにかく黙っているように助言しています。うがい薬とのど飴とのどスプレー、そして沈黙。
でも電話がかかってくると結局しゃべってしまって、またカスカス声。

明日はなるべく人と会わないで牧師館にこもってお仕事するといっていますが・・・。(かまどらんこ)
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はっぴに込められた思い

2009年08月22日 | 地震のあとで
今日は幼稚園の夕涼み会。一年に一度このときに物置から出される「はっぴ」。以前にもこのブログに記しましたが、1985年からの教会・幼稚園合同バザーの時に作られたものです。
教会婦人会の手作りのはっぴ。背中の字は当時の青年達がペンキでふきつけたのでした。

今振り返ると思うのです。あのバザーは、「七尾幼稚園をつぶさないぞ」バザーだったと。当時風前の灯火と言われていた七尾幼稚園。ボロボロの園舎に少ない園児、いつ廃園になるかと思われていたのでした。そのなかで始まったバザー。資金集めも大事でしたが、何より、みんなの気持ちを一つにしていた一日。その盛り上がりの中で確認した、「七尾幼稚園をつぶさない」という共通の気持ち。幼稚園の父兄は幼稚園の父兄として、教会員は教会員として、卒業生は卒業生として、職員は職員として、その思いを持っていたのでした。

今夕涼み会は、園児が楽しむ為のものですが、このはっぴに袖を通す時に思い出す、みんなの思い。
特に今はもう天に召された信仰の先輩達に、地震もあったりいろいろあるけど、「ほら、七尾幼稚園は続いてますよ」。
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