日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

2009年度の終わり

2010年03月31日 | 地震のあとで
3月31日、年度末。2009年度が終わろうとしています。
去年の3月。自分としては大きな決断をして、肝炎のインターフェロン治療を中止しました。自分の責任でした決断。今振り返って、後悔はない。ウィルス量は予想通り少し増えてしまったけれど、とりあえず、体調は悪くない状態で仕事を続ける事ができました。

何より七尾幼稚園の2009年度は良い一年でした。何を持ってよい一年だと言うかはいろいろあると思うので、それを表現するのは難しい・・。私としては現・礼拝堂と共にある最後の一年としてできるだけの事はできたと思えるのです。誰の評価を得たいわけでもなく、神様の前に、そうご報告できるような気がしています。
教会の一年は「嵐の前の静けさ」とでもいうものでしょうか。礼拝堂が無くなることにまだみんなの実感は無いような気がします。一人、「あれをこうして、これをこうして」と空回りしているような気さえします。

明日から2010年度。間違いなく、波瀾万丈の一年になることでしょう。何があろうとも、神様の導きを信じて歩む、七尾教会でありますよう。(かまどらんこ
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寒い雨の中で

2010年03月28日 | 地震のあとで
今日から受難週。けれど今日の主日礼拝の出席者は12名。年度末ということで私用で欠席の方が多かったのでした。
そして今日は3月末にしては寒い日、加えて雨がふっていました。

そんな礼拝の後、故・水谷姉の記念式が行われました。もう一年以上といえばいいのか、まだ一年ちょっとと言えばいいのか・・・。今礼拝堂改築が近づくにつれ、水谷さんと一緒に礼拝を守った日々はずいぶん昔のようにも感じられます。建物が変わってしまえば、完全に過去のものになるのでしょう。
記念式で牧師が「水谷のおばあちゃん」と言うたびに、教会の数人が首をふるのを見ると、水谷さんはまだ生き生きとみんなの心の中にいることを感じる。「おばあちゃんって言われるの好きじゃなかったよね」とめいちゃんが言う。そうそう、笑いながら「お姉様とよびなさい」ていってたよね。と返事をする。
そうやって覚えていようね、共に礼拝をした信仰の先輩達のことを。

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まだ過去にならない3月25日。

2010年03月25日 | 地震のあとで
能登半島地震から3年。全国ニュースにはならないが、地元では新聞もテレビも大きく報じている。地震直後にいろいろ話題になったところを見ることができ、あそこはこうなったのかとか、あの人は今こうしているのかとか思う。

だんだん「過去」のことになろとしていると思う。

今日から礼拝堂建築の為に建築業者が現場を見に来ている。幼稚園部分の工事を含むので数社から見積もりをとらなくてはいけないのである。もちろん値段的にも安くなってくれることを願っている。
礼拝堂が完成して落ち着いた時、能登半島地震は過去の出来事になってくれると思う。(かまどらんこ)
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これて良かったね

2010年03月21日 | 地震のあとで
昨夜からの強い風。その風の音を聞きながら、「ああ、やっぱりダメか」と思っていました。安井さんが奥さんを2年半ぶりに連れてくると言っていたけれど、この天気じゃ無理だろう・・・。

ところが、朝。黒い大型タクシーが教会駐車場へ。トランクから車いすが出され、安井さんがご夫妻そろっての礼拝にいらしたのだった。そこからはその場にいたみんなが協力して、とにかく2人を礼拝堂へ。椅子をずらしたり、少しでも軽い聖書と讃美歌を持ってきたり・・・。バタバタ動き回る私と村尾長老と、近藤くん。その横から、春成さんが目に涙を浮かべて近寄っていらした。「よかったね、よかったね、これて」。その言葉にみんながうなづく。
2年半、病床・訪問聖餐は続けてこられたものの、いざ礼拝に出席しようとするとハプニングが起こり、実現しなかった礼拝出席。

同じ礼拝堂の中で礼拝を守る。教会員にとって当たり前の事がどれほどの恵みであるか・・・。共に礼拝堂に入ることをゆるされる喜びをあらためてかみしめる。

現在の礼拝堂はいろんなところに段差がある。その段差を智恵と力で乗り越える。みんなで力をあわせれば、なんとかなるものだなと思う。(かまどらんこ)
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婦人会の年間計画

2010年03月14日 | 地震のあとで
よく晴れた日曜日。主日礼拝の後で、婦人会の総会。今年度の報告の中では、石川地区婦人会連合の献金が七尾教会の為に捧げられることなどが感謝と共に報告される。
報告の後は、新しい年度計画を協議。でも改築を控えているとあって、いつも通りの活動ができるのかどうか不安。
幼稚園の建物の中で、どこで礼拝をしようか、どこで愛餐会をしようか・・・。台所は水は出るけどガスは使えなくなりそう。エアコンはどこにあるか・・・。季節や気温によっても変えなくてはいけないかもしれない。

なるべく例年通りの会をしたい。でもどうなるかはわからない。どんな場所だって礼拝はできるし、集まる事はできる。なるべく快適な場所になるように努力はしていきたいと思います。(かまどらんこ)
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さようなら、「能登」「北陸」

2010年03月12日 | 地震のあとで
テレビをつけると、寝台車「能登」「北陸」のラストランが中継されていました。
そうか、今日が最後だったんだと思い起こしました。能登に来た最初の頃はよく乗りました、「北陸」。東京に帰省して七尾に戻る時、上野駅に送ってくれた親や兄弟が別れを惜しんで見送ってくれた事を思い出します。そして、そのころは「北陸」は津幡で降りて七尾線に乗らなくてはいけなかったので、朝の何もない津幡駅の寒かったのを思い出します。

今日の北陸はあたたかい一日でした。子供達と一緒につくしやふきのとうをとることができました。釜土達雄もだいぶ元気になって、子供達との散歩を楽しんだのでした。(かまどらんこ)
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気温の変動の中で

2010年03月10日 | 地震のあとで
先週から今週にかけて天気の変動が激しいですね。昨日は思わぬところで雪が降っている様子をテレビで見てびっくりでした。
そんな気温の変化についていけなかったのか、釜土牧師、体調を崩してしまいました。昨日の夜、東京への出張から帰ってくるとすぐダウン。体温を測ると39.0℃。
今日はお医者さんにいかないといけないでしょう。
年度末の忙しい時に・・・、です。
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青空と自転車

2010年03月08日 | 地震のあとで
久しぶりの青空。久しぶりに自転車に乗りました。青い空と白い雲。東京の冬みたいだなと思いました。

その東京の国立博物館では、「長谷川等伯」展が行われています。実は、長谷川等伯、七尾出身です。今年は没後400年ということで注目されています。七尾では「とうはくん」というマスコットキャラもあってストラップなどのグッズも売っていますよ。
「長谷川等伯」を見たら、能登、七尾のことを思ってください。
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自然災害の被害

2010年03月07日 | 地震のあとで
教会学校と主日礼拝の間の時間、森山さんと話していると、この間の津波で被害が出た知人がいるという。牡蠣の養殖をしている人なのだそうだ。森山さんは、「水」「川」関係の知人が全国にいる。川をきれいにし、長い歳月をかけてやっと始められた牡蠣の養殖が一日の津波でダメになる。自然災害とは本当におそろしく、悲しい。

夜、NHKでは首都圏を襲うかもしれない巨大地震についてのスペシャル番組をしている。見ていると本当におそろしい。
東京は私にとってはふるさとだから、そこが破壊されるような事は起こらないでほしいと思う。けれど最近の東京はあまりにも巨大化してしまった。災害に対する備えは忘れないでほしい。
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テレビからの映像

2010年03月04日 | 地震のあとで
テレビではチリ大地震の映像が次から次へと流れています。地球の反対側で起こっている悲惨な光景をテレビで眺めている。ついこの間、ハイチの映像を見ていたのに。
世界中、いろんな所にカメラが設置されているのを実感するのは地震が起こったときの映像がいろいろでてくる事。それを見て、現地の状況を知った気になってしまう。

能登半島地震の時、テレビをつけて自分たちの周りの風景が出てくることがなんだか不思議だった。けれど報道されなければ被害がなかったかのように思われてしまうのもおそろしかった。

人間は全てを知る事はできない。だから全てを知る神様に祈りたい。(かまどらんこ)


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