11月14日の北國新聞、「時鐘」の欄に、お魚博士末広恭雄先生の事が書いてありました。戦中戦後の短い間、七尾和倉で過ごされた頃のエピソードです。
実はこの末広先生、我が七尾教会と深い関わりがあります。昭和17~21年、末広先生は七尾教会の教会員でした。
戦争中、そして終戦直後の混乱した時代、しかも無牧も経験した七尾教会の中で中心的な役割をして下さったのが、末広先生でした。七尾教会の歴史の中で見れば、まさに「困難な時代の七尾教会の為に、神様が末広先生を送ってくださったのだ」と言えなくもないと思うのです。
実はこの末広先生、我が七尾教会と深い関わりがあります。昭和17~21年、末広先生は七尾教会の教会員でした。
戦争中、そして終戦直後の混乱した時代、しかも無牧も経験した七尾教会の中で中心的な役割をして下さったのが、末広先生でした。七尾教会の歴史の中で見れば、まさに「困難な時代の七尾教会の為に、神様が末広先生を送ってくださったのだ」と言えなくもないと思うのです。