七尾教会の教会員、西野ふきこさんが亡くなられました。91才。
西野ふきこさんは、とても印象深い信徒でしたので、七尾教会に夏期伝にきた神学生、北陸の諸教会で牧会された牧師、いっしょにイスラエルを旅行した人々などに、そのことをお知らせしたい思いがあります。どうしたらよいものかと思ったところ、このブログがまだ使用可能だったので、ここに記すことにします。西野さんのことを思い出して、お祈りに加えていただけたらと思います。
西野さんは、金沢・若草教会で受洗されました。「神様はどこにいらっしゃる?」といきなり教会の中に入っていったのだそうです。その時の牧師は、加藤常昭先生。その後加藤先生ご夫妻の導きで、洗礼を受けることになりました。まだ、加藤先生が補教師だったので、北陸学院の番匠鉄雄先生が授洗牧師となりました。その後、七尾教会に転入されました。
血液型をどうこういうのはどうかと思いますが、ふきこさんはいわゆるB型人間でした。自由な発想と発言。
信仰者としては素朴な方でした。素朴すぎるといってもいいかもしれません。きれいな花を見つけて神様に感謝し、人の為に祈ろうと思えば、突然に大きな声でお祈りが始まる。
一緒にイスラエル旅行に行った時には、十字軍の史跡を見て「聖書のどこにもイエス様が軍隊をもったとは書いてない」と言い出したり、「エルサレムに住んでいるのに、まだイエス様の十字架と復活を信じてない人がいるのか」とプンプンしたり、かと思うと「私たちの本山はどこですか?」と尋ねたり・・・。
そして、七尾教会の歩みの中では、いつも「主の山に備えあり」でした。「神様がなんとかしてくださる」と周りに言い続けて下さいました。1990年の園舎改築と会堂改修。その後の駐車場取得。そして能登半島地震。どんな時にもきっと神様がなんとかして下さると信じて疑わない方でした。そして捧げ物もしてくださる方でした。
年齢を重ね、足が不自由になると、文字通り這ってでも礼拝にでようとされました。以前の会堂はバリアフリーではなかったので、段差のたびに手をついて這っていたのでした。階段もそうでした。みんなが前後を支えながら移動したのです。能登半島地震後の会堂改築で、なんとか西野さんが礼拝生活を続けられるようにと、バリアフリーにしたり、エレベーターをつけたりしました。新会堂になってからは、タクシーからおりて、車いすにのって、礼拝堂に入って、着席するのが毎週のパターンでした。
そんな西野さんが天に召されました。ご自身の意志でもあり、仏式の葬儀になりました。旧家に嫁いだ者として、そうしなければならないだろうと思っておられました。そして、仏式の葬儀だろうとも、神様のみもとにいくことを疑いもしない方なのでした。
仏式の葬儀の前に、牧師といっしょにご遺体の横で祈りをささげ、牧師館に戻ると、「ベツレヘムの星」と呼ばれる小さな花が咲き始めていました。(釜土蘭子)