日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

年度がわり

2011年03月31日 | 地震のあとで

3月31日。2010年度の終わり。

けれども、工事が完全には終わっていないので、すっきりしない年度がわりである。幼稚園の仕事に追いかけられながら、過ごしている。

私立幼稚園協会からは、被災地の幼稚園の簡単な被害状況がファックスで送られてきた。被害がない園の方が少ない県も多い。能登半島地震の時には、私立幼稚園協会からもお見舞い金をいただいた。今度はこちらがと思っても、被災園があまりに多く驚愕。

多くの園が、普通の年度がわりの仕事など夢のようだろう。普通の仕事ができることを感謝しながら過ごす。(R)

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雪国からの声

2011年03月30日 | 地震のあとで

一昨日のブログにのせた写真を送ってくれたのは、大曲教会の飯田啓子先生。

信徒の友の4月号の「ひろば」の欄に、飯田先生がこの冬の雪について書いている。切実な声。雪国以外の方に是非読んでいただきたい。そして大変さと同時に雪国に暮らす人々の忍耐強さも感じてほしい、と思う。

私も飯田先生も雪国育ちではないから、雪国の人たちとはちょっと違う気持ちを持つ。よく思うのは「助けて欲しいときは助けてと言うべきだ」という思い。我慢しすぎてはいけない、と思う。

我慢強すぎる東北の人々が、ちゃんと声をあげられるような日本であってほしいと思う。(R)

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能登伝道復興のポスター

2011年03月28日 | 地震のあとで

大曲教会の飯田啓子先生が、宮古教会の写真を送ってくれた。

津波で礼拝堂に浸水した、教会の内部。100㎝まで海水がきたという。壁の色が変わっているのでどこまで来たかわかる。

私にとって、衝撃だったのは、左側の扉に貼ってるポスター。能登半島地震復興の為のものだ。

「能登伝道の灯りに祈りを寄せて」。

見た瞬間、涙がこぼれた。こうして能登の為に祈っていた方々が、今被災している。その教会の周辺で、大変な事が起きている。

今度は私達が祈る。「東北の為に」。「東北伝道の為に」。(R)

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それぞれができること

2011年03月27日 | 地震のあとで

今日の午後、献堂式の案内の発送作業をする予定になっていた。

ところが、昨日近藤執事からメール。2年前まで住んでいた水戸の知人の応援に行くことにした、という。報道はあまりされないけれど、茨城も地震の被害がある。ちなみに地震の翌日、新聞に、水戸で地震で石が落ちたのか、車がつぶれている写真があったのだが、その一つが知人の車だった。少しでも手伝いたいという気持ちはわかる。また何度かいったことのある教会も行ってみたいということだった。「できるだけのことをしてあげてください」、そうメール送信した。

今日、森山長老と会話。森山姉は、まちづくりの会社をしているから、いろいろな情報を持っている。

七尾市は、南相馬の人々を積極的に受け入れているという。七尾と南相馬には交流があった。七尾にある能登演劇道で仲代達也さん主演の「マクベス」が上演された。その時、本物の馬を出演させる為に、相馬の方々が協力してくださったのだそうだ。それ以来、自治体同士でのつきあいがある。そこで、今回、しばらく七尾にという方に住宅を提供したり、小学生のホームステイを受け入れたりするのだという。あまりにも範囲の広い今回の震災。だからこそ、一つ一つの自治体が自分のできることをかんがえているのだろう。

他にもまちづくり会社同士の情報交換の事、ネットショップの事、金沢で一時避難の方を受け入れているホテルのこと、などなどいろいろな話を聞いた。いろいろな活動に携わっているから、以前にも増していそがしそうだ。森山姉も礼拝が終わるとすぐ、でかけていった。

というわけで、午後一人で、献堂式の案内を作っていた。二人がいれば、パソコンで宛名を印刷するところだが、私一人だと手書き。

3月10日までは、日本全国のたくさんの人にこの案内を出そうと思っていたが、いろいろな方と相談して、石川・富山の教会と特別な関係者だけにとどめることになった。機会が与えられれば、報告のはがきをまた出せればと思っている。(R)

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いろいろな影響

2011年03月26日 | 地震のあとで

朝から、雪。3月も終わりだというのに。今日は少し荷物の移動をしようと思っていたが、なかなか難しい。被災地はもっともっと大変だろう。

それでも荷物を運ぶのに、雪は雨よりはいい。長靴や帽子があれば、雨よりびしょぬれにはならないから。

被災地ではどうだろうか。物資がいつまでも届かないニュースを聞いていると本当にもどかしい。朝テレビでは、新築の家を流された人の事を報道していた。引っ越しの最中に津波。新居を楽しみにしていた家族も失ったという。悲惨すぎて、言葉もない。

遠く離れた能登では日常生活が続いている。でもいろいろな影響が出てきている。物流は確実に悪くなっていて、東日本でしか作っていないものは止まっている。部品が入らなくて工場が止まっているのでということで、パートを解雇された人がいたりする。部品が入らなくなるからという理由で、七尾線は4月から一日17本から、10本になるらしい。幼稚園で飲んでいる100mlの牛乳の紙パックがなくなって、100mlの牛乳が生産できずに、しばらくジュースで代替えしてほしいという。他にも小さな影響はいろいろある。日本という国の中でいろいろな事がつながっている。(R)

 

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4年

2011年03月25日 | 地震のあとで

能登半島地震から丸4年がたった。一ヶ月前はこう思っていた。

丸4年の3月25日、礼拝堂が完成し、七尾教会としての復興は終わる。「地震のあとで」とつづってきたこのブログも終わりにしよう。長い4年だったけど、これで終わり、日常に戻ろう。

でも引っ越しのまさにその中で起こった大震災。終わることはできなくなった。何か少しでも発信できることがあるかもしれない、と思うのだ。(R)

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15年ぶりの再会

2011年03月24日 | 地震のあとで

お昼前、見慣れないご夫婦が幼稚園の玄関に立っていた。でもどこかでお会いしたような・・・。むこうから、「らんこせんせい!」と大きな声が。そしてしていたマスクをはずされ、福島の・・・と名前を言われた。私はお子さんの名前が浮かんだ。そう、15年前、幼稚園に在園していた子のお父さんとお母さん。幼稚園の途中で、お引っ越しされた。地震後、確かあのあたりに引っ越されたはずだがと思っていたものの、わざわざご連絡するのもおかしいかと考えていた。

それが今日、この玄関に。びっくりした。避難されてきたのだと言う。お父さんの職場関係のつてで羽咋市にしばらく住むことになったという。そして、15年ぶりに七尾を訪れ、幼稚園によってくださったのだ。大変な体験をされて、能登までこられた。持病があるので薬が手に入らないのが、福島にいられない理由ということだ。とはいえ、能登に知人がいるわけでもないから、ここにくるのも勇気がいったことだろう。能登までの道中を聞いて、本当に大変だと思った。

地震、津波の話の後、しばらくお子さんが小さかった頃の話をした。その時には昔のままの笑顔。幼稚園に仲良く来ていた姉妹は、もう大学生と社会人。2人とも大学はミッションスクールだという。なんだか嬉しい。二人は無事で宮城県にいる、という。

つらい思いをされながら、能登へ。被災地から各地に人々が避難しているというのは、ニュースで聞いていたけれど、まさかこんな身近でおこるとは・・・。不思議な思いである。(R)

 

 

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余震

2011年03月23日 | 地震のあとで

今日も東北では大きな余震。

振り返って能登半島地震後のことを思い出すと、余震が続くのが一番イヤな事でした。いつまで揺れているんだろう。なんだかずっと揺れているような不思議な感覚でした。でも能登半島地震の余震は震度3とかがほとんどだったので、余震で震度5は本当に辛いと思います。

せっかく残った建物が、この余震で傷ついていることも考えられます。

何より気持ちが本当に落ち込んでしまうのです。がんばろう!と思った矢先のまた地震。

どうか希望を失わずに歩んでいかれますように。希望の火をともし続けてください。(R)

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まだとれない、完成写真

2011年03月22日 | 地震のあとで

まだちょこちょこと工事が行われている。ちょっとここが・・というところ。終わらない・・・。

それから、幼稚園の方の仕事が終わらない・・・。教会の方も献堂式の案内の発送がなかなかできない・・・。

それでも新しい建物を使い始めている。それが滞りなく、みなが使いやすいようにしていかなくてはいけない。考えることはいっぱいある。

だからまだ新しい建物の写真がとれない。使うことが先になる。でもまあいいかと思う。この建物がなくなることはない。

テレビではかろうじて残ったマイホームを解体する家族の背中が映し出される。つらいシーンだ。残っていても使えないものには違いないけれど・・・。

新しい建物が建つとわかっていても、礼拝堂を解体するときはとてもつらかった。

でも津波で一瞬で無くなった方はもっと大変だろう。

近所のスーパ^-では、買った金額の1%を義援金にするという運動が始まっている。応援メッセージを書いて、レシートをボックスにいれたら、義援金になる。「God bless you」と書いた。(R)

 

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北陸連合長老会のひとびと

2011年03月20日 | 主日礼拝

新礼拝堂での2回目の日曜日。まだ、照明のスイッチがわからなかったりする。

昨日幼稚園の卒業式の後で、100均にいって、ゴミ箱を何個か買ってきた。そういうものを建物においておかなくてはいけない。使いやすい建物にしないといけない。

礼拝堂のマイクなども少しずつやりかたがわかってきたように思う。少しずつ少しずつ・・。

午後、北陸連合長老会会議があった。新しい建物に他の教会の人を迎えるのは初めてのこと。「前とかわらない」ことを感心され、新しい機能的な部分に興味を持っていただけた。コンセプトがしっかりあったことをわかってもらえたと思う。

夕方、「旅の途中のものなのですが・・」と若い女性が教会の玄関に立っていた。今朝、礼拝を守ることができなかったので、しばらく礼拝堂でお祈りさせてほしいという。礼拝堂に入ってもらって、しばらく一人にしてさしあげた。お祈りして出てこられた。こんな時は礼拝堂が礼拝堂らしく建っていることが本当に大事な事だと思う。どこでお祈りしても同じだけれど、やはり礼拝堂で祈りたいという気持ちは大事にしたい。

テレビではまだまだ厳しい状況が報道されている。今朝、臨時の長老会をして、今日の礼拝席上献金を東日本大震災からの復興のための献金として、日本基督教団社会委員会に送金することにした。(R)

 

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