日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

教会というバトン

2011年04月30日 | 地震のあとで

29日の献堂式には、たくさんの方がかけつけてくださった。

一番乗りをされたのは、隠退教師の水野先生だった。水野先生は到着するなり、なぜ自分が七尾教会の献堂式に出席したいかという理由を教えてくれた。それは伝道者としてのスタートに、伊東平次という一人の牧師出会ったことだった。伊東牧師は、若い日に七尾教会に赴任し、そこで宣教師達と協力しながら、週に一度の金曜学校から幼稚園を設立した伝道者である。園長は宣教師のプライス先生だったが、伊東夫人が幼稚園の教師であった事も記録に残っている。

ゼロから幼稚園を作ってくださった、先輩に大きな敬意を表したい。

「伊東先生に、七尾の話をよく聞かされたんです。そして幼稚園の大切さを教わったのです。」

水野先生も教会につかえ、幼稚園に仕えた一人の伝道者だ。

それぞれの時代に、能登に遣わされた伝道者がいて、それぞれが与えられた仕事をしていった。それぞれの時代にそれぞれの場所に遣わされる、キリスト者がおり、それぞれに命ぜられた仕事を果たす。

大正・昭和・平成と何度も危機があった、七尾教会と七尾幼稚園。けれども不思議なことに神様は人を遣わし続けさせてくださった。

神様の業に参加させていただく、なんと感謝なことかと思う。(R)

 

 

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伝わったメッセージ

2011年04月30日 | 地震のあとで

朝7時すぎ、教会の電話がなった。元七尾教会の会員で今は輪島にいるまさこさんから。今新聞配達の仕事をしている。「昨日行かれなかったけど、新聞見て本当にうれしかった。よかった。」まさこさんは、3月13日、新しい礼拝堂での初めての主日礼拝には出席している。

電話を切って、あわててポストから新聞をとってきた。北陸中日新聞の能登欄に大きな記事になっていた。全国の教会の支援でこの建築が行われた事。そして宮古教会のポスターの事などちゃんと記事になっていた。七尾教会の再建の喜びだけでなく、、東日本大震災の被災教会の復興を祈ることも書かれていた。

クリスチャンではない新聞記者さんに、ちゃんとメッセージが伝わっていたことがとても嬉しかった。

ありがとう、フルヤ。君が被災地にすぐ走ってとってきてくれたあの一枚の写真が献堂式で人々に何を伝えたいかをはっきりさせてくれたよ。ありがとう。(R)

 

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2011/4/29 献堂式

2011年04月29日 | 地震のあとで

会堂に入りきれない人々と共に献堂式。125名の出席者。ただ、感謝。

神様にささげられた会堂。けれど私たち七尾教会の者たちに与えられた礼拝の場。その事をしっかりとうけとめて次の一歩を踏み出そうと思う。(R)

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献堂式前日

2011年04月28日 | 地震のあとで

朝、駐車場にトラック。運ばれてきたのは山ツツジの苗。教会の横につくられた花壇にうえるものだ。牧師がどうしてもこの種類でと言った為に手にはいるのに時間がかかってしまった。

午後、小谷さんが、礼拝堂側面に「建築銘板」をつけていく。いつ完成した建物なのか、誰が設計して誰が建築したのか、それがわかるように貼ってもらった。

電報も届く。大曲の飯田先生からのはかなりの長文。

夕方、明日の出席人数が多そうなので少しでも座れるようにと、森山長老が自分の会社からおりたたみ椅子を運び込む。

夜11時、近藤執事がやってきた。そこで校正した後、明日配る文書の印刷を続ける。

七尾教会らしい、献堂式前夜。テレビからはイギリスの王子の結婚式のリハーサルの様子が報じられている。(R)

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オリーブの木

2011年04月27日 | 地震のあとで

設計事務所さんから、お祝いが届きました。「オリーブの木」。届いてみたら、けっこう大きくてビックリ。

なんでも金沢で探してみたら、なかなかなくて、七尾のお花やさんにあったというオリーブの木。

ノアの箱船の物語。大洪水で何もなくなった大地の復興をつげる、鳩がくわえたオリーブの葉。復興の時にふさわしい、オリーブの木。いろんな事をかんがえさせてくれる、一本の木。(R)

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まさかの影響

2011年04月25日 | 地震のあとで

夕刊を開くと、和倉温泉の老舗旅館が休業という記事があった。もともと少しきびしかったところに、震災でキャンセルが続いての休業。観光産業は日本全国できびしい。

信徒の友から電話。「献堂しました」のコーナーにいかがですかというお話。震災後だからこそ、地震から復興したという教会をという事。地震の規模が大きすぎて比較にならないという思いもあるものの、少しでも希望になれば・・・と思う。(R)

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涙の谷 雨はれて・・・

2011年04月24日 | 地震のあとで

イースター。朝から子供達が教会に集まってくる。いつもの年と違うのは、新しい建物に初めてはいって、「2階にいってもいい」「こっちいってもいい」と探検を始める子がいることぐらい。礼拝堂の中に入ってしまえば、去年と何もかわらない。いつもと違ったのは、広くなった玄関で立ち話に花が咲いたお母さん達がいたことぐらいだろうか。あらためて、卒業生の子供達にとってお母さん達にとって、礼拝堂が愛着のあるものであることを思う。

イースター礼拝。説教後の讃美歌は151番。「よろずの民、よろこべや」である。もちろん、主の復活をうたった讃美歌であるが、特に3番4番の歌詞が他の讃美歌に比べると慰めの言葉に満ちていると思う。今生きる中である困難やつらさ、哀しみ、その全てを超える、主の復活。それを高らかに歌う。涙の谷は何度もある。けれど御国の道はのどか、なのだ。

礼拝後、愛餐会。手作りのたけのこごはん。

愛餐会後、今週29日に迫った献堂式の準備。どうも100人を超える人数になりそう。礼拝堂はどう工夫しても立ってもらう方がでる。感謝会も少し廊下に出てしまうかなぁ・・・。その日は晴れて、外で集合写真を是非撮影したいという小さな願いをもっているが、どうか?(R)

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本物

2011年04月23日 | 地震のあとで

最近、テレビでは被災地を訪問する芸能人の様子がよく報じられている。避難所でギター一本で歌う歌手。マイク一本でネタをする芸人。普段のステージとは違うシンプルはスタイル。そして、普通の状況ではない被災者にむかってする芸や歌。

シンプルだから、その人の実力がわかる。テレビを通して見るだけだけれど、本物の芸を持っている人はすごいな、と思う。どんな状況でも本物の歌は感動を与えるのだな、と思う。

明日はイースター。主の復活の福音は、私達の教会がずっと語り続けてきた、本物のメッセージ。力強いメッセージが全国の教会で語られる事と思う。(R)

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献堂式の出席者数

2011年04月22日 | 地震のあとで

はがきが戻ってきて、献堂式の出席者がわかってくる。大震災の中だからひっそりと思っていたのだが、それでもけっこうたくさんの人が出席のお返事をくださる。

気がついてみたら、70人を超えている。七尾教会にとっては大きな数字。祝日ということもあって、金沢・富山から足を伸ばして下さる、教会員の方が多いのだと思う。

正直、たいしたおもてなしはできないのだけれど、とにかく一緒に新しい礼拝堂を献げる時を共にしたい。(R)

 

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避難区域

2011年04月21日 | 地震のあとで

福島第一原発から半径20キロ圏内が警戒区域になると発表された。

実は、この原発周辺の避難区域ということが話題になった時、もし能登半島にある志賀原発で何かあったらと思った。そこで、志賀原発から七尾までの距離を改めて聞いてみる。すると、能登島も含めてすっぽりと30キロ圏内。もし・・と思ったらニュースを見る目もかわってくる。どんなに広い範囲なのだろう。つらくなる。すぐに避難してくださいと言われて、いつ帰れるかもわからなくて、どうしたらいいのだろう。貴重品だけとりにかえっていいと言われても何を持ち出せばいいと言うのだろう。あまりにも酷に思える。

夕方買い物にいくと、「いわき」ナンバーの車が止まっていた。避難してきた方なのだろうか・・・。いろいろな事を思う。

「元の生活を取り戻す」事が、少しでも早くできますようにと祈る。(R)

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