日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

焦る輪島って?

2010年09月29日 | 地震のあとで
地元紙をあけると、「焦る輪島」という見出しが目につきました。

輪島塗の原料の漆、実は9割が中国製なのだそうです。例年通り仕入れられるかどうか・・・、心配しているのだとか。思わぬ波紋がいろんなところにあるのですね。(R)
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日々変化

2010年09月28日 | 地震のあとで
工事現場は日々変化します。シロウト目にもここが柱かな、ここが教会玄関かなとわかるようになってきました。
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西野照子先生のこと

2010年09月27日 | 地震のあとで
元・白銀幼稚園園長、西野照子先生の訃報が届きました。

石川県のキリスト教幼稚園にとって忘れられない、いえ忘れてはならない方でした。キリスト教保育連盟やノーマルクラスにとどまらず、石川県私立幼稚園協会でも大きな存在感がありました。
20年ほど前、まだかけだし園長だった釜土達雄には、何かあるとすぐ電話がかかってきました。それもたいてい朝早く7時半頃です。今では年をとってけっこう早起きな釜土達雄ですが、当時は朝が苦手。9時前はなるべく電話をつながないというのが、私も幼稚園教師達も共通認識でした。そこに「園長いる?」と電話が入ります。声ですぐ西野先生だとわかるのですが、時々誰かが「どなたですか?」と聞いてしまいます。すると、とても迫力のある声で「に・し・の・です」。「早く起こして電話に出して!」でした。そして、西野先生からだとわかると、釜土達雄も電話口にすぐやってきたのでした。

何よりキリスト教幼稚園を愛し、その為に労を惜しまない方でした。私は数度しかお目にかかったことはありません。とてもオシャレで、釜土達雄いわく「緞帳のようなドレス」をいつも着ておられました。幼稚園では先生達には厳しいけれど子供達には優しい園長先生だったようで、卒業生の方から、園長室での楽しいひとときの話を聞いた事があります。

訃報を聞いて、とてもさびしい思いです。(R)
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墨だしが終わりました・・・って?

2010年09月26日 | 地震のあとで
すっかり秋らしくなりエアコン不要の日曜日。
久しぶりに2才になった、ゆうちゃんがお母さんと一緒に礼拝に出席しました。礼拝中はずっと寝ていたので、いるのかいないのかわからない静かさでしたが・・・。それでも幼児の存在は、教会に希望を与えてくれます。高齢の者達が今まで出来た事ができなくなる中、ゆうちゃんは一ヶ月前より確実に大きくなり、おしゃべりも上手になります。うらやましくも思うけれど、その存在があるからこそ、教会が続いていくのです。

礼拝後、牧師は必ず先週の工事の様子と今週の工事予定を説明します。けれどほとんどの教会員にとって、「墨だし」「擁壁」「地中梁」なんて言葉は???です。

日曜日は現場がお休みなので、いつもより接近して撮影できます。これが今日の様子です。礼拝堂後方右側から撮しています。低くなっているところに階段がつくわけです。じっと見ていると、だいたいの建物の位置がわかります。(R)
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The Silber Jubilee

2010年09月25日 | 地震のあとで
 3日間、お休みをいただきました。何をしていたかというと、青山学院大学でのSilver Jubileeの会に行ってきました。大学が卒業25年たった者を招いてくれる会です。卒業50年の方もいらっしゃり、そちらは、GoldenJubileeです。
 青学にいって、教会関係の方に出会うのも楽しいのですが、今回は一卒業生として、むしろ教会とは関係の無い友人達との時を過ごしにいきました。というわけで、教会関係にはご連絡しないでごめんなさい。
 
 会は礼拝形式で行われたので、聖書の朗読があり、讃美歌がありました。私の周りの教会とは関係の無い友人達の中で、主に中等部からの者はすっと讃美歌が歌え、高等部の者はなんとなく口ずさみ、大学だけの者は?が多かったです。
 祝辞ということで、院長の山北先生がお話をされました。Jubileeとは、ヨベルの年ですと話された後、ラッパを取り出して高らかに吹き鳴らされたのでした。私は深く感銘をうけました。ミッションスクール青山学院といっても、そこにいる卒業生の中でキリスト者はそう多くなく、ヨベルの年なんて初耳かも・・・。(キリスト教概論じゃヨベルの年はやらないだろう)。
山北先生のヨベルのラッパはかなり強烈な印象を一般の卒業生達に与えました。新しい院長はあの人か・・・、と。それで十分かと思います。

 この会の後、なつかしきキャンパスを歩こうと思っていたのですが、あいにくの土砂降りで、どうにもなりませんでした。また今度何か機会があったら歩きたいです。(R)
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捨てコン

2010年09月21日 | 地震のあとで
朝から現場は忙しく動いておりました。その様子がなんだか順調に事が運んでいる感じがしました。
午後、今までと違う「働く車」が入ってきました。一つはコンクリートミキサー車。さてもう一つは何て名前だろうか?私はまたお庭にいたT・Tくんに聞きました。すると「コンクリートポンプ車」と教えてくれました。何をする車かもなんとなく教えてくれました。

これが捨てコンだな、と思いながら作業を眺めておりました。柱になるところがわかるので建物の形がそれなりに想像できます。ここが礼拝堂の後ろ。ここが牧師室・・。
夕方には働く車達はみんないなくなっておりました。天気が良ければ明日は墨だしということになるのですが、雨の予報なのでどうなることでしょうか・・・。

さて、私は明日から3日間、遅い夏休みとして3日間七尾を留守にします。というわけで、3日間ブログもお休みします。(R)
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祝日も工事は続く

2010年09月20日 | 地震のあとで
祝日なので、幼稚園はお休み。でも工事は休みなく、続いています。
明日から捨てコンという予定だったのですが、一日延びそうです。
捨てコンって何と私に聞かれてもうまく説明できません。

夕方、一ヶ月ぶりに現場を見たあきよしくんは、「すごく掘っているんだ」と感心したように現場を眺めていました。毎日見ていると見慣れてしまうのですが、久しぶりに見ると「掘っている」という感じの現場なのでした。(R)
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週報ボックス

2010年09月19日 | 地震のあとで
旧礼拝堂の週報ボックスは壁に埋め込まれたものだった。週報を折り曲げてそれをさらにちょっと小さくしていれる週報ボックス。週報より大きなものを入れる時にはちょっと工夫して入れなくてはいけないものだった。

礼拝堂が壊れる時、もちろん週報ボックスもなくなってしまう。そこでA4のレターケースを8つ買ってきて、(一個698円×8)、使わなくなっていた移動できる棚にくくりつけて週報ボックスを作った。ちょっと不安定だけど普段は物置につっこんでおいて日曜日だけ出してくることができる。

今日、その週報ボックスに「中部教区通信」の最新号を入れた。折らないでそのまま入れる。最初の3ページが能登半島地震復興関係。能登半島地震からの復興に中部教区が教区をあげて取り組んで下さったことは感謝、感謝である。教区総会の写真も出ていた。私も隅っこにうつっていた。(R)
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必要な道

2010年09月18日 | 地震のあとで
朝、設備のシラヤマさんが、軽トラックいっぱいの砂を持ってきてくれました。下水管などの工事で園庭を掘り返した後、どうしてもでこぼこになってしまうのです。そこで、いつでもうめられるように砂いっぱい。少しならして使い、多めの分は子供達の砂山に足しておきました。小谷さんはスコップを持ってやってきましたが、砂の移動は案外うまい幼稚園教師達です。私も戻ってきたマイスコップで、思い通りに砂を動かしました。
今日来ていた少ない子供達は砂山が大きくなって、とっても喜んでいました。

さて、午後からはまた牧師館前の通路が・・・。日曜日にはタクシーが通る道。平日はどうなっていても、土曜の午後には車が通ることができるようになります。高齢の方が礼拝出席する為に必要な道です。

夜、夕刊を見ると、岩手宮城内陸地震で不通にになっていた国道398号線が開通したと報じられていました。2008年の地震から2年以上たっての復旧。もちろん、その地方の多くの人にとって必要な道。これで岩手宮城内陸地震で被害をうけた道は全部復旧したとか。紅葉シーズンに間に合うようにということらしい。観光の復興も願わずにはいられない。(R)
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突然の雨の繰り返し

2010年09月17日 | 地震のあとで
朝8時ころはそれなりの青空でした。朝方の雨はおさまったんだなと思っていました。久しぶりに教会礼拝堂の椅子をおいてある物置の窓を開けにいきました。たまには空気をいれかえないと・・・。
ところが9時半ころに郵便局にいたら、突然の雨。しかもかなり強い雨。あわてて戻って、物置にしている所の窓を閉めに走ったのでした。
その後も雨が降ったりやんだり。幼稚園の子供達も外に出たかと思うと急に雨に降られ、右往左往の一日でした。

工事現場はドロドロの状態。数カ所でポンプくんがゴボゴボ音を立てているのですが、別のところで水たまりができる、そんな一日でありました。(R)
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