日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

小さな命

2010年06月30日 | 地震のあとで
昨夜、ハムスターのともこちゃんが死んだ。最後の一ヶ月は足が悪くなって自分でうまく水が飲めなかったりしたので、一日に何度か水を飲ませてやったり、好きなえさを選んでやったり、だった。悪い足でも歩きたいようだったので、安全に注意しながら家の中を散歩?させたりした。そんな小さな命が消えた。今日お庭の隅に埋めてやらなくてはと思った。

午後、工事の方が、外物置の周りを測りにきた。仮厨房の為だ。こちらから、建物の位置を尋ねてみると、木がかかるのではないかと言う。枝を切らなくてはいけないのかとは思っていたけれど木を切るのは・・・。そこに釜土牧師もやってきて、木の枝も切らないはずだと言う。今日の段階でわかってよかったと思う。もう一度位置をきちんと打ち合わせしてもらわなくては。

庭の隅の木、その根元には、金魚や小鳥、そしてハムスターなどのお墓がある。お墓といっても穴を掘って埋めてやって、石を置いたという程度のものだけど・・・。子供達と飼っていたものは、子供達と一緒にお祈りもする。それはそれで大事な場所。

夕方、あじさいの根元近くに、ともこちゃんを埋めてあげた。(R)
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ヒミツの道具があったら・・・

2010年06月29日 | 地震のあとで
6月も明日で終わり。工事までもう一ヶ月。
でも荷物の移動がなかなかめどが立たない。

お昼に池口いつこさんとおしゃべりする。「どうやって運んだらいいかねぇ」
すると、「ドラえもんからスモールライトを借りてきたい」といつこさん。
確かに重たい荷物や場所をとる大きい荷物をスモールライトで小さくして運んでしまっておけたら便利だろうなぁ・・・。改築中は小さくしておいて、会堂ができたら元の大きさに戻す。

でもスモールライトは持ってない。だからコツコツ運ぶだけ。(R)
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捨てられないもの

2010年06月28日 | 地震のあとで
「何か移動しておきましょうか」、と幼稚園教師が言ってくる。雨が降っていないのなら、少しでも物を移動しようというのだ。階段下物置の中を見る。そこには古い、古いものが入っている。
相談して、今日は昔々の積み木を移動することにした。
それは「積み木」だと言われなかったら、ただの木片に見える。実は1990年の建築時に処分しようかと思ったのだった。けれど、「捨ててください」と言おうと思ったらその時の建築会社の社長の外谷さんが「これでよくあそんだなぁ」と懐かしそうに手に取った。これは捨てられない、その時そう思ってとっておいたものだ。
七尾幼稚園の歴史の一部だ。
今回も移動こそすれ、とっておくことになる。そんな思いを教師達はわかってくれ、面倒くさいけどまとめたり運んだりしてくれた。

夕方、電気工事の方が来て、今週の土曜日に工事をしたいと言う。今週の土曜日か・・。その日は幼稚園のたなばたさまの会という行事がある。午後に工事をしてもらうことにする。工事の為の休園はしない。スケジュールはどんどんつまってくる感じだ。(R)
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6月27日

2010年06月27日 | 地震のあとで
今日は石川地区の交換講壇。ずっと1月に行われてきたものが、(ずっと1月は何があるかわからないので変更してほしいと願い続けてきたのだが)昨年度ようやく9月になり今年度は6月になったものだ。
釜土牧師は、内灘へ。そこで一人で礼拝堂の玄関をあけ、窓をあけて空気の入れ換えをして、電気をつけてまわる。

交換講壇の時は教会学校は幼小科と中学科合同で礼拝堂での礼拝となる。ヤボクの渡し、神との格闘を小学2年生と中学3年生に一緒に語るのは正直、難しかった。ヤコブの格闘、自分自身も若い頃はこの聖書の箇所はあまり心に響かなかった。今は違う・・・。深い。深いが故によく語れなかった。けれどここで彼ら2人に語ることができたのは感謝だった。

石川地区の交換講壇。七尾教会には小松教会の松島先生がいらっしゃった。そこに、北陸学院高校の堀岡校長が。堀岡先生は松島先生にとっては、小松教会の前任者。ちょっとやりにくいかなと人間的な思いが浮かぶ。堀岡先生は息子2人と七尾の実家に来ただけなのだが。
聖書箇所は、創世記18章。
礼拝に高校生が一人来ていた。卒業生。礼拝後は少し彼と話し込む。

午後、愛餐会。この形の食事もあと何回だろう。なごやかな食事の時となる。

愛餐会後、こんちゃん、ゆみこちゃん、めいちゃん、いつこさんと一緒に荷物運び。といっても私は他の事をしていなくてはいけなかったので、指示を出しただけなのだが。なんだかんだいっても一番確実に仕事をしてくれるメンバーだ。文句も言わず言われた通りに動いてくれる。改築中の礼拝を守るにあたっても、椅子を並べたり片付けたりするのはこのメンバーだろう。頼りになる。

夜、幼稚園の仕事をしていると、東京の姉からメールが届く。「お誕生日おめでとう」の文字。そういうわけで今日は私の48才の誕生日。他の人たちから見ればかなり変わった人生。そんな日にアブラハム、ヤコブという聖書箇所。自分の心には聖書そのものが響く。神が与えたもうた道に感謝。(R)

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身近なニュース

2010年06月26日 | 地震のあとで
ワールドカップで盛り上がっている日本。石川県では本田が金沢の星稜高校OBということがやはり強調されています。
大相撲の話題。阿武松部屋というところがクローズアップされておりますが、その元となった江戸時代の横綱、阿武松は実は能登出身。阿武松の名前が泣いていると報じられております。

身近なところから話題はつながり、広がっていきます。

今日は雨。荷物運びには向かない一日でした。そこで中の整頓。特に今日は七尾幼稚園「園だより」を整理しておりました。情けない話ですが、ちゃんとファイリングしていなかったのです。データで保存されているからいいか、という気持ちがありまして最近のはファイルしていなかった。でもちょっと待て。やっぱりファイルしておかなきゃいけないか。こんな時だからちゃんと整頓しておかなきゃ。数年後いや数十年後、必要かもしれない。遠くの人には必要ないけど、七尾幼稚園の歴史には必要な資料。(R)
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フォーメーション

2010年06月25日 | 地震のあとで
寝ているつもりだったのだが、隣で起きたのがわかって、早起きになってしまった。せっかくの早起きなので、朝から荷物運び。晴れの日は貴重です。
午前中は園庭のプランターの位置を考えていた。子供達がまいた種から出た花の苗。どこに植えるか。いつもとはかなり変えた。2階ベランダにプランター移動。
仮厨房の事を考えておかないと。

午後は、幼稚園遊具庫の整頓。出せる物は全部出してみた。幼稚園の教師達には迷惑をかける。普通の仕事でも忙しいのに、それにプラスしても移動作業。悪いなと思う。
まだスペースが足りない。まだ運び出せる物を考えないといけない。

サッカーでは誰をどこにおくかのフォーメーションが大事だけど、今の私にはどこに何をおくかのフォーメーションが重要。これを決められるのは私一人。(釜土達雄は引っ越し作業には不向き。)相談はできても決断は他の人にできない。教会にとって何が大事か、幼稚園にとって必要なものは何か。「どうしようか」と考える日々が続く。(R)
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品位、必要性、清廉

2010年06月24日 | 地震のあとで
肝炎の為3ヶ月に一度は検査・診察を受けています。今日は受診日。朝予約時間より早めに病院に行って、まず採血。採血後検査結果を待って診察となります。その為採決後1時間近くは待ち時間です。
その時間に病院一階にあるコンビニを探検。新発売の商品を眺めたりしておりました。そして、雑誌などが並んでいる棚へ。そこで見つけたのは「キリスト教を知りたい。」という本でありました。本と言ってもMookですから写真がいっぱいの雑誌のようなもの。
こういう本はつい買ってしまいます。時にそれはないだろうというヘンな表現があったりするので、間違い探しみたいな気分になる時があります。また、かなり簡潔に表現してあるのでなるほどと思う時があります。

珍しくこの本の最初の項目はキリスト教建築に関するものでした。当然カトリックの記述が多くプロテスタント教会はちょこっと。けれどちゃんとカルヴァンの言葉が引用されています。
「ゆったりとして広々とした家、・・・・そして、そこに品位と必要性と清らかな清廉とに要するあらゆるものが供給され、配置されること」

礼拝堂建築は、いわばキリスト教を知らない人たちの力を借りないとできない。少しずつキリスト教を知ってもらいながら、完成へむかっていきたい」(R)
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あんな時代もあったねと

2010年06月23日 | 地震のあとで
朝、幼稚園の印刷物を作ろうとすると、プリンターのインク切れ。
あわてて車を運転して近くのホームセンターへ。ラジオをつけると中島みゆきの「時代」が流れていた。

おかげで、今日は整理整頓して、古いものを見つけるたびに、この曲が頭に浮かんでしまった。
分別するときには「時代」、物を運ぶ時には「ファイト」のサビの部分をを頭の中で歌っていた。(R)
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ヨナとオルガン

2010年06月22日 | 地震のあとで
昨日は月曜日。いつものように子供達の前で聖書のお話をした。先週、釜土達雄牧師と近藤君と3人で話していた時に、ふとヨナ書の話題になり、そういえばヨナの話を幼稚園でしたことはなかったということに気づいた。そこでヨナさんのお話をすることに。といっても小さい幼稚園児には時間の制約もあるので、ヨナ書前半。子供達はおもしろそうにきいてくれた。嵐になったり、海に投げ込まれたり、大きな魚がでてきたり・・・。かなりドラマチック。4月に入園してきた子で今までは、私の話に耳を傾けてくれなかった男の子が目を輝かせて魚にのみこまれて、また出てきてというところを聞いてくれたのが嬉しかった。
内容の深みはいつか大人になったときに学んでほしい。今はなんとなくストーリーを覚えていてくれればいい。
昨日の午後には金沢で教区の委員会があり、釜土達雄が状況報告をし、承認された。これでどんどん進んでいける。

今日も朝から整頓整頓。不要な書類はシュレッダー。ゴミ袋2つになった。

夕方、園児のおじいちゃん(といっても牧師とそう年がかわらないわけですが、)でピアノの調律をされている方が、孫のお迎えにいらしたので、「一つ聞いてもいいですか?」と尋ねてみた。「礼拝堂を建て直すので、オルガンを移動しなくてはいけないのですが、どうしたらいいでしょう?」七尾ではオルガンの専門家はいないので、ピアノの調律の方に、時々オルガンの事もご相談してきた。
オルガンをどこに運んで保管するかは、難しい課題。ずっと頭を悩ましてきた。
そっと運ぶ。台車にのせられたらいいのだけれど・・・。との事。
少し考えてみますといってくださったので、何かいいアイデアが浮かんだら教えていただきたいとお願いしました。

大きい魚がぱくんと食べて半年そのまま持っていて、完成したらポンと出してくれるなんてわけにはいかないので・・・。周りを巻き込みながら、移動大作戦、考え中。
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数は少なくていい

2010年06月20日 | 地震のあとで
教会学校は、中学生が1人、小学生が1人。少ない。
主日礼拝は13人。「・・さんは?」と礼拝の前に聞いている声がする。少ないと不安になる人もいるのは事実だ。
一人一人がなぜ礼拝に来ないのか。一応理由はある。
でも、結局「神様から招かれなかった」のである。そこを間違えると礼拝は来たいから来るところになってしまう。そして礼拝堂の建築のような業に加わるのも、自分がしたいからすることになる。「神様から命ぜられたからする」でないといけないのだ。
礼拝後、もし個人所有の物があったら、持ち帰ってくださるよう、呼びかける。そろそろわからないものは処分しなくてはいけない。

雨が降らなかったので、小丸山公園のイベントは盛況のよう。教会の駐車場には知っている人知らない人いろんな人が車をとめていく。

午後、一人でコツコツ整理を続けるが、あまりすすまない。整理のヒントを求めて100円ショップへ。
牧師館に戻ると、設計図を見ながら「言ったことが伝わってない」と牧師がブツブツ言っていた。今しっかり見ておかないと・・・。

明日は雨のようだ。荷物運びはできないかな。(R)
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