日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

病をいやされる主イエス

2005年09月25日 | 主日礼拝
2005年9月25日
釜土 達雄 牧師
マルコによる福音書1:29~34

◆“出来事”を通して伝えたいメッセージ
 ページを戻して前のページをみると、マルコによる福音書の最初になる。まだ、それほど時は過ぎていない。マルコによる福音書には、クリスマスの物語、イースターの物語がない。ストーリは飛び去るように最後の一週間へと向かう。マルコによる福音書は、全体の1/3以上が最後の1週間に集中している。
 マルコの興味は、イエス様が公の生涯を歩み始めてから以降のことである。しかも、イエス様が何を語られたかということは興味の中心ではなかった。イエス様の言葉の数々は出てくるが、たとえばマタイの山上の説教のような形はない。マルコはそれらのことを知っていたが、興味があったのは最後の1週間に向かう出来事であった。マルコが伝えたかったのは、イエス様の言葉のひとつひとつというよりも、イエス様の成してくださった“出来事”のひとつひとつであった。
 今日は、病をいやされた一人のしゅうとめが登場する。しかし覚えておきたい。たしかに、このときは病を治していただき、人々をもてなしたが、その後に病にかからなかったのではない。このときは病を治してもらったが、きっとまた熱を出したに違いないのである。
 この話を聞いて、まちの人々が集まってきた。たしかにイエス様はいろいろな病気にかかった大勢の人々を治されたが、その人々は二度と病にかからなかったのではない。同じように病を得て、死を迎えていった。ラザロはイエス様によって生き返ったが、今に至るまで生きているわけではない。
先週、私たちは風間先生から嵐を静められたイエス様の説教を聞いた。しかし、その後2000年間、嵐が起こらなかったのではない。その出来事を通して、何を感じ、何を信じ、何を自らの事柄として味わったのか。そこに注目をしなければ、イエス様は病気を治すお医者さんと同じになってしまう。奇跡が問題なのではない。イエス様は、このことを通して何を伝えたいのかということに目を留めなければいけない。このメッセージに目を留めたい。

◆奇跡に対する基本的な立場
 もうひとつ確認しておきたい。それは、奇跡に対する基本的な立場である。クリスマスの夜にお生まれになった方が「神の子」であれば、奇跡ぐらい起こしてもらわないと困る。あの方が、全能の神のひとり子、地上に送られた神の子が、嵐に向かって静まれと言っても静まらず、病も治らず、海の上を歩こうと思ったら沈んだということになると、話にならないのである。しかし、その方がもし、私たちと同じ一人の人間であれば、そう簡単に奇跡を起こしてもらっては困る。病を治れと言う前に治療をしたほうがよいし、嵐を静まれと言う前に天気図ぐらいは見てほしい。クリスマスの夜にお生まれになった方を一人の人間だと考えるのか、全能の父なる神のひとり子と信じるのか。ここに決定的な差がある。この聖書を「神の子イエスキリストの福音」として読むなら、マルコが1章1節に記したように、神の子イエスキリストの福音のはじめ、中身として読むならば、奇跡ぐらい起こしてもらわなければ困るのである。

◆事実から見えてくるメッセージ
 すぐに、一行は会堂を出て・・・と記されている。ということは、会堂にいた。21節に記されている。安息日にイエスは会堂に入って教えられていた。16節には、ガリラヤ湖のほとりを歩いていたとき、シモンとアンデレを弟子にしている。シモンというのは、ペトロのことである。このあたりは、極めてリアリティのあるところで、すべて場所が分かっている。山上の説教の場所がだいたい能登病院だとすると、舟で漁をしていた港は恵寿病院あたりである。距離感はそのくらいで、新しい浜野病院くらいが会堂の場所である。カファルナウムは、阿良町と一本杉と木町くらいの空間である。ペトロの家と会堂の位置関係は、七尾教会と道をはさんだ拘置所の関係で、まったくの目の前である。すぐ目の前の家に行ったのである。そうしたら、シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていた。ということは、この人は礼拝に行っていない。
 人々は会堂で悪霊を追い出されたのを見ていたので、彼女のことをイエスに話した。その言葉の裏には、「できれば治していただければ」というものがある。そうするとイエスは彼女の手を取って起こされて、彼女は一同をもてなした。極めて簡単な話である。
 その後どうなったか、そこでイエスが何を語ったかは記されていない。1章1節から、ここにいたるまで、イエス様の身長も体格も髪型も、ひげの有無も一切書いていない。イエス様がどんな人であったかは書いていない。マルコはそんなことには興味が無い。マタイもルカも興味が無い。肝心なことは、会堂を出てシモンとアンデレの家に行った、シモンのしゅうとめの話をした。イエスはしゅうとめを癒し、彼女は一同をもてなした。その“出来事”が言いたいのである。聖書はこのように、事実の羅列なのである。そのことにどういう意味があるのか、解説が要るのである。“出来事”が何かを意味している。

◆会堂を出て行われる御業
 イエスは会堂で何をしていたか。イエスは会堂で教えておられた。権威あるものとして、福音を教え、御言葉を語っておられた。会堂は何をするためにあるものか。御言葉が解き明かされるためにあるのである。しかし、会堂を出て、シモンとアンデレの家に行った。会堂でしゅうとめを癒されたのではない。御言葉は会堂で語られ、福音の業は、会堂から出て行ってなさっている。こういうところは、注目しておいたほうがよい。
 教会に、いろいろなものを求めにやってくる。食べ物やお金をくださいと言ってくる。交番に連れて行くことになっている。そう通達が出ている。生活費の無い人には、行政の支援を受けるようにということになっている。そうでないと、その人の一生のお金を教会が面倒を見なければいけなくなる。教会の仕事は、御言葉を取次ぎ、祝福を与えること、祈ることである。教会には教会の役割がある。
 そのイエス様が奇跡をなさったときは、会堂を出ている。遣わされた場所で、癒しの業を行っている。

◆とりなしの祈りによって行われる御業
 ところが、イエス様はどこかに病の人はいないかと求めて行ったのではない。全能の神のひとり子である。全能というのは、何でもできるということである。ということは、イエスは、シモンの家にしゅうとめがいて、熱を出していることをきっと知っていた。しかし、この奇跡は、人々が彼女のことをイエスに話すまでは起こらなかった。彼女のことをイエスに話す人々がいたのである。これを、とりなしの祈りと言わずに何と言うのであろうか。
 私たちがイエス様に語りかけるということは、今は祈りとして行われる。苦しんでいる人がいる、悲しんでいる人がいる。「イエス様、助けてください」と祈る人がいないで、どうしてイエス様が奇跡をなしてくれようか。知っているものは、イエス様にそれを取り次ぐ勤めが与えられている。奇跡はそうやって起こった。

◆いやされた人がキリストに仕える
 この奇跡は何のために起こったのか。奇跡の目的が明確になっている。自分の苦しみを取り除いてもらうために奇跡を起こしてもらったのではない。彼女は奇跡のあとに、果たさなければならない役割があった。その役割のために彼女に奇跡がなされた。こう書いてある。「彼女は一同をもてなした」主に仕えるため、主に仕えるものたちに仕えるために、彼女の病はいやされた。
 イエス様が、彼女の病を癒されたのは、人々の願いがあってのこと、求めがあってのことであった。人々のとりなしがあってのことであった。そして、主イエスキリストをもてなし、仕え、キリストに仕える者たちに仕えるために彼女の奇跡は起こった。
 病気が治った人はもっと多くいた。全員がイエスをもてなしたわけではない。しかし、マルコは、多くの奇跡の中からこのしゅうとめの奇跡に話を絞っているのである。私たちが知っておかなければいけない奇跡は、ただ自分の苦しみ悲しみを取り除くための奇跡ではない。
 会堂から出て行って主が奇跡を起こされたこと、人々がとりなしてはじめてイエス様が奇跡を起こされたこと、そして奇跡を起こされた者たちは、それによってキリストに仕えていったこと。

◆私たちに起こった奇跡
 あなたが経験した奇跡も同じではないか。あなたの人生の中でのキリストとの出会いも、人々のとりなしがあったのではなかったか。人々のとりなしによって、キリストが手を取って起こしてくださって、はじめて自分の悲しみ苦しみの本質が見え、自分の果たすべき役割が見えてきたのではなかったか。キリスト者はそうやって、いまこの礼拝堂に集っているのではなかったか。
そして会堂から出て行ったときに、同じようにキリストと共に歩み、「この人は悲しんでいる、困っている。私にできないことを主よ、あなたがなしてください」と、とりなしの祈りに招かれていることを、私たちに語っている。マルコはそのことをこの短い奇跡の出来事で語りかけている。そうでないと、ただ病気が治っただけの話になってしまう。福音が福音にならずに、ただ儲かった話になる。私たちが聖書から、何を学んでおかなければいけないのか、何を聞いておかなければならないか、この出来事を通して深く味わっておきたい。
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「教会形成と通過儀礼」 ~七尾教会の試み~

2005年09月19日 | 教会の行事
2005年9月18日に北陸連合長老会の巡回長老会が小松教会にて行われました。講師は、七尾教会の釜土先生でした。以下、簡単な記録です。


 七尾という「田舎」の地域で、教会形成をしていくときに、ちょっと一ひねりが必要であった。

 石川県の宗教連盟の副理事長をしている。仏教の各宗派、新進宗教の集まりで、たいへん良い学びをさせていただいている。思いも寄らないことを言ってくれることがある。新宗教の人たちから「どうやってホテルの結婚式にキリスト教が食い込むことができたのか」そう聞かれたときがある。「企業秘密です」と答えてた。人は変わり宗派は変わっても、必ず同じように聞かれる。「どうやってホテルの結婚式にキリスト教が食い込むことができたのか」。その時必ず同じように答えてきた。「企業秘密です」。本当のところは、ホテルのほうが勝手にキリスト教式でやっている。我々には相談もない。「企業秘密」になりようもない。しかし、キリスト教がなぜホテルに食い込めたのか、不思議に思う人々はこれからも出てくるだろう。
 仏教のある宗派の方からこんな質問を受けたことがある。「どうしてキリスト教は葬式の司式をすることができるようになったのか」。よくよく聞いてみると、葬儀屋が葬式をしている」ということのようだった。確かに司式は、葬儀屋さんがしているようだ。そのことを問題にする人が、確かにいるようである。それに対して私たちキリスト教の世界では、葬儀に関してとまどいはない。花輪が来たり、生花に名前が記入されてきたりして、困ることはあるが、葬儀自体の問題ではない。献花の順番にこだわって、名前を挙げて呼び出してほしいという人も、今ではもう少ないのではないか。セレモニーセンターなどではここ10年でずいぶん変わったように思えるがどうだろう。私たちは、これらの変化を困ったりはしないが、この変化を困る人がいるのも事実なのではないか。
 


 明治6年にキリシタン禁制の高札の撤去された。これにはリスクがあった。キリスト教が、公認(実際は黙認だが)されることにより、キリスト者が増える可能性であった。キリシタンが増えることにより、日本社会の根幹が揺らぐと考えられた時代があり、そうだからこそ、キリシタンを禁制にしたのであったし、鎖国を打ち出したのであった。しかも、当時の明治政府には、キリスト教の宣教師のアドバイスなくしては、諸外国に対する対応もできなかった。明治6年キリシタン禁制の撤去は、ささやかな決断のようだが、キリスト教への恐れに満ちていた。
 ならば、キリスト教の何を恐れていたのか。詳しくお話しする時間はないが、当時の政府が恐れたのは、キリスト教の宗教性であり、通過儀礼に対する誠実さであると言って良いだろう。(※通過儀礼:人が一生のうちに経験する、誕生・成年・結婚・死亡など、年齢的に重要な節目にあたって行われる儀礼)

 様々な噂が流された。「キリスト教はお墓、先祖を大事にしない」。「日本人は単一民族である」。「古来からの宗教は仏教と神道である」。これらはある種意図的に流された噂であるということができるが、その中心にあるのは、キリスト教の宗教性を認め、キリスト教の通過儀礼に対する誠実さをを恐れたと言っていい。そうであるからこそ、より強く日本人になじみの深い諸宗教に、通過儀礼を徹底するようにさせようとしたのである。
 
 わたしは、当時の政府や社会が、キリスト教の宗教性や通過儀礼に対する誠実さを恐れていたことは知っている。しかしわたしは、日本のキリスト教が、通過儀礼に誠実に対応してきたか、疑問に思っている。
 伝道開始直後の教会は、若いキリスト者で満ちていた。それは、新し価値観、世界観に対するあこがれた青年達であった。精神的な西欧の精神的な土台を学ぶことから、日本を変えていきたいとする熱意にあふれた青年達が教会を形成していった。
 しかし欠点があった。日本人のキリスト者も若く、日本に派遣されてきた宣教師達も若かった。年齢が若ければ若いほど、お墓のことまでは考えなかった。
 七尾教会は七尾の超繁華街一本杉にに400人収容の礼拝堂を建てたと、記録に残っている。大正5年に幼稚園を建てている。しかし、教会の敷地に、墓地を形成しようとした姿は見られない。離れたところに、墓地を求めようとした記録もない。「伝道」を考えてきた教会は、通過儀礼についてまで思考が追いつかなかったかもしれない。それは時代の流れとして、悪いことだと言うことはできない。

 日本の教会が、通過儀礼よりも教会形成を重視してきたことは致し方がない。しかし、教会が円熟をして、その役割をきちんと整えなければならなくなったときには、通過儀礼に対する神学的な視点を持っておく必要があるのではないか。通過儀礼を再度整えていくことが大事ではないか。

(文責:森山)
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まだ信じないのか

2005年09月18日 | 主日礼拝
2005年9月18日
風間 宣夫 牧師
マルコによる福音書4:35~41

◆自然界を支配する主イエス
本日は、北陸連合長老会の交換講壇で、七尾教会では何度かお話する機会が与えられている。今日は、高岡教会には、七尾教会が母教会の堀岡先生がご奉仕いただいている。同じ御言葉から、それぞれの教会で説教が語られている。本日の聖書の箇所は、マルコ4章35節以下、大変有名な箇所である。ガリラヤ湖特有の突風が吹く。そのとき、イエス様は眠っておられた。弟子たちがイエス様を起こす。イエスが風や波をお叱りになると、ぴたりとやむ。有名な奇跡物語である。
何よりもイエス様が、自然界をも支配される神の子であるということを告げている。それは、はっきりと言える。ほかにも、いろいろとある。

◆最後まで神様の御旨を問う
 説教準備の中で、気づいたことがある。この出来事が夕方だったということである。当時のユダヤの世界では、日没によって1日が終わる。夜から新たな1日が始まる。イエス様が話した、労働者に賃金を支払うたとえ話がある。働き始めた時間が夕方からであっても、主人は皆に同じ賃金を支払ったという話である。夕方というのは、本当にその日の終わりであり、次の日が見え始めているという時間帯なのである。
 今回の出来事が起こったのは、夕方であった。ここに注意をしたい。弟子たちは、どういう思いを持っていただろうか。今日も一日が終わったという安心感、または気の緩み、油断を感じていたのではないだろうか。たくさんの人々に教えを語っていたイエスが、向こう岸へ行こうと弟子たちに言うのである。弟子たちにしたら、イエス様とゆっくりとできるという安心感があったかもしれない。もう、この日はこれで終わりという、油断があるのではないだろうか。
私たちの信仰においても、よく考えることである。これから何かに取り組んでいくとき。仕事でも家庭のことでも、何かに取り組みはじめるときは、これからのことは、神様の御旨にかなっていくように、と思うものである。しかし、この取り組みが終わろうとするときに、なおもそう考えているだろうか。これは、もう分かりきったことである。神様によって、どうなるかということを、ついつい考えなくということが、私たちにもある。
 どうも弟子たちも、夕方となり1日を歩んできたときに、どこか自分の力で歩んできたことにしておきたいという気持ちがあったのかもしれない。それとも、神様の御旨でこれからどうなるかと思っていただろうか。
 私たちクリスチャンは、どちらかというと後者を大切にしたい。すなわち、分かりきっていること、結論が分かっているときこそ、いや、まだ分からない。神様の御旨は分からないのではないかという点が、私たちの心の動きである。

◆人生の突風
 ほかにも、明らかなことがある。突風が人生の突風として感じられている。そのように受け止めるしかない、青天の霹靂(へきれき)と思うようなとき。ガリラヤ湖は、私たちのライフサイクルを表しているとも考えられる。私たちの人生も突風に揺り動かされている。人生とは、私たちの置かれている湖の上ではないだろうか。分かりやすい例えならば、病や事故であろう。
 前回の交換講壇での同行長老であった吉崎長老は、昨日、実のお母さんがなくなられた。聖書の信仰を持ってはいない方であった。本当に突風が襲い掛かるようなことであっただろう。休みをとって、家で一緒に過ごしたいと言っていたが、おそらく周りが思っていたよりも早く、昨日の午後に息をひきとられた。吉崎長老は、これから、こういうことをしようと思っていただろう。突風が吹き去っていったと感じているだろう。
 突然の嵐としか、受け止めようのないことが私たちの人生にはある。そうとしか感じられないことであるが、「突然の」ということだけではないだろう。その出来事には、実はもっと分かっていたこと、込められている意味や広がりがあるかもしれない。私たちは、湖の上で、1点で受け止めるしかない。突風には因果関係があるということではなく、どういうつながりがあるか、そのすべてをご存知で、支配されている方がいる。
 主イエスは、ヨハネによる福音書の中で「あなたがたは風がどこから来て、どこへ行くのか知らない」と言っている。私たちは、その風をその場で受けるしかない。主は、この突風の正体が何であり、どうすべきかをすべてをご存知の方として現れている。

◆イエス様の大いなる余裕
 イエス様は、このとき艫の方で、枕をして眠っていたという。イエスのこの余裕のある姿が重要だと思う。父なる神に向かって必死に祈るのでもなく、特別な奇跡を起こすのでもなく、ただ風と湖を叱りつける。私からは、すべてがつかみきれない余裕、余力を私たちのための力として見出すことができるのではないだろうか。私たちは、突風の中にあっても、主なる神の大いなる余裕の中にあるということを思い起こす訓練をしたい。私たちの舞台は、いつもこの夕暮れのガリラヤ湖かもしれない。私たちは、自分にとって大きな出来事だけを突風と考えがちである。しかし、私たちの舟はつねに突風にさらされている。その中で、主イエスが十字架につけられ、復活してくださる。私たちのために成してくださる行動、そして結果がある。
 日々の生活も本当はそのすべてが風にゆさぶられているものである。神様がキリストにおいて、私たちを支えて下さる。私たちの心に現実に襲い掛かってくる波が、些細なものだと言っているのではない。私たちにとっては、本当に問題である大きな悩みも、すべてを静められるイエス様の愛の中にあるのである。
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黙れ、この人から出て行け

2005年09月11日 | 主日礼拝
2005年9月11日
釜土達雄 牧師
マルコによる福音書1:21~28

◆聖書の物語はリアルである
カファルナウム、カペナウムというまちで、イエスキリストが御言葉を述べ伝え、活動を開始する。聖書の後ろに新約時代のパレスチナという地図がある。ガリラヤ湖の周辺が、もっぱら、イエスが活動した場所である。ガリラヤ湖の南西にあるナザレが、イエス様の育った街である。そんなに大きな湖ではない。分かりやすくする。七尾湾の能登島をとって、少し小さくしたくらいである。対岸を見ることはできないが、それほど大きくはない。琵琶湖よりも少し大きく、七尾湾より少し小さい。
地図の感覚というのは、七尾には、自己紹介のときに町内の名前を言うということにびっくりした。小さな町内で生きている。山上の説教をしてくださった山が、能登病院くらいの高さのところである。距離的に、その山から湖までは恵寿病院くらい。新しくできた浜野病院くらいのところにカペナウムがある。そのカペナウムに着いた、というわけであるから、そのくらいの距離である。恵寿病院くらいで、ペテロらが弟子となり、浜野病院くらいの場所に着いたという感覚である。きわめてローカルな、きわめて小さな世界での出来事である。そこの会堂で教えられた。
29節からのところ、会堂を出てシモンとアンデレの家に行ったと書いてある。これは、七尾教会から拘置所の遠さである。すなわち、向かいである。発掘したら分かった。私がイスラエルに行ったときは、ペテロの家の発掘の真っ最中であった。そういう距離感である。
聖書の世界は、きわめてリアルである。空想で描いたのではなく、発掘してみればその場所はきちんと確かめることができる。生身の人間が生きた世界である。精神の世界だと思い込んではいけない。きわめて現実の世界で起こった出来事である。

◆権威者による権威ある教え
カペナウムに着いた。会堂で礼拝が守られていた。イエスに御言葉の取次ぎが求められる。イエスは礼拝の説教をした。人々はその教えに非常に驚いたというのである。なぜ、驚いたのか。律法学者のようにではなく、権威あるもののとしてお教えになったからである。そうマルコは記す。そのあと、27節から読み続ける。
人々はみな驚いて論じ合った。・・・権威ある新しい教えだ。イエスの評判はガリラヤ地方の隅々まで広がった。
人々は「権威」に驚いた。イエスの語られた言葉には、威厳があった。人々はその言葉に打たれた。「律法学者のように、ではなく」と書かれている。律法学者とは、「聖書のどこどこにはこう書いてある、これはこういう意味である。だから私たちはこう生きなければいけない。」と教えていた人である。つまり、聖書を引用し、解説し、我々の生き方を整えるという語り方である。イエス様は、権威ある者として語られた。我々も気をつけなければいけない。聖書に基づいて、聖書に忠実に、ということをやっていくと、いつの間にか解説することが主になって、肝心なメッセージが見失われてしまう。
しかし、限界がある。権威ある者が語られるときと、単なる取次ぎ手である私とでは、レベルが違う。イエス様が述べ伝えるメッセージに注目したい。大切なのは、解説ではない。中身、メッセージが大事である。イエス様の教えに人々は驚いた。いままで聞いたことのない、権威ある新しい教えだと人々は理解した。

◆神の御前に立つことが許される
ところが、ここに一つのエピソードが語られている。当時の人々が理解していた科学的な知識である。病気は穢れた霊に取り憑かれていたと考えられていた。当時はそれが主流であった。こういうところに目くじらを立てないでほしい。人々の理解にあわせた物語である。
23節以下。
 穢れた霊に憑かれた男がいた。権威ある者として語られたイエス様。これを補強するように、このエピソードが挿入されている。面白いところがある。穢れた霊にとり憑かれた男が礼拝堂にいたということである。穢れた霊は、こういう礼拝堂に行きたくなかった。にも、関わらずその霊を持ちながらこの男は礼拝堂に来た。心の中に葛藤があったということである。そういう見方もできる。
 もう一方で、「穢れた霊」という表現を使って、この男の心を救っている。神の前に出たくないという気持ちは、穢れた霊であり、あなたではないということである。穢れた霊とこの人の心を分けることによって、心にためらいがあると語っている。いずれにせよ、神様の前に出ることを逆らう心をいつでも私たちは持っている。心の中に葛藤を抱えて、悩みを抱え、神様を疑う心を持ちながら、神様の前に立っている。
 ところが、その穢れた霊は、イエスという人物を見抜いている霊でもあった。神様の御前で、自分の心が明らかにされることを恐れる霊が叫ぶ。神の御前に立つことを恐れる心を持ちながら、神の御前に立とうとした人がいた。その彼が、そのままで神様の前に立つことが許された。これが、この男に起こった出来事である。権威ある教えの前に、この男の心は砕かれ、神様の前に立ち続けることを喜ぶことができた。
 そして、イエス様の評判は、たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広がったというのである。

◆苦難のイエスを通して描かれる権威
マルコによる福音書で、イエス様の言葉は3つめである。1番目は「時は満ち、神の国は近づいた。・・・」2番目は「わたしについて来なさい」そして、3番目は「黙れ。この人から出て行け」であった。イエス様は、権威あるものとして語られていた。マルコは、最初のところでしっかりとそのことを読者に知らせようとしている。
マルコは、この福音書の1/3以上をイエスキリストの苦難にあてている。苦難の僕、イエスキリスト。権威ある神の子が、十字架への道を歩まれる。そのことを福音書に記している。なれば、このマルコはイエスという人物に会ったことがあるのだろうか。ペテロから聞かされたことを書いているのだろうか。
マルコは、最初の福音書であり、数々の伝説がある。実は、この福音書には、古くからマルコだといわれている人物が登場する。14章51節「一人の若者が、素肌に亜麻布をまとってイエスについて来ていた。」この箇所の前には、「裏切られ、逮捕される」「ゲツセマネで祈る」「ペトロの離反を予告する」この箇所の後には「最高法院で裁判を受ける」「ペトロ、イエスを知らないと言う」と続く。この一人の若者がマルコだといわれている。
マルコの父親の家が、最後の晩餐を行った家だといわれている。マルコはまさにその場にいた。ゲツセマネの園にも着いていった。自分が師とあおぐペテロが、兵隊に切りかかるのを見ていた。弟子たちがちりぢりになって逃げるのを見ていた。しかも、自分も素っ裸になって逃げた。マルコがイエスという人物を知らなかったのではなかった。彼が象徴的に見なければいけなかったのは、十字架の主イエスであった。イエスを裏切る弟子たち。神の子としての姿ではなく、ただひたすら裁判にかけられ、鞭打たれ、殺されていく現場を見ていた。その彼が、描いているのである。「権威ある新しい教えを語っていたイエス」を。
神様の前に立つことにためらいを感じ、勇気を持って、心の中で葛藤を持ちながら、その葛藤をといてくださり、あなたは神の前に出てよいと語ってくださったイエス様。苦難のイエスを通して、神の子の権威を見ていた。
「神の子が強く、他が弱い」という権威ではなかった。愛するもののために、従順に、忠実に必要ならば十字架への道をも歩まれるという神の子キリストの権威であった。裏切った弟子たちを責めることなく、自ら十字架への道を歩まれる権威であった。力を持って悪霊を追い出すというよりは、神の御前に立つことを喜ぶ者となりなさい、という権威ある新しい教えであった。
きっと律法学者は、「神は全能である。神は強い。裁きの神の前に悔い改めなければ、そうでないと滅ぼされる」と語っていただろう。しかし、マルコが十字架を通して見たイエスは、裁き主の神ではあるが、キリストご自身の十字架と復活によって、私たちの罪を許す愛なる神の新しい権威だった。それを穢れた霊としてマルコは、ここに描いている。これを見誤ってはいけないのである。
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わたしについて来なさい

2005年09月04日 | 主日礼拝
2005年9月4日
釜土 達雄 牧師
マルコによる福音書1:16~20

◆マルコによる福音書の特徴
いくつも同じ話を繰り返してきた。4つの福音書の中で最初に書かれた福音書である。マタイ、マルコ、ルカによる福音書は、マルコが土台になっている。イエス様の生涯が書かれている福音書だが、マルコによる福音書には特徴があった。イエスキリストの生涯の中で、もっとも有名なのはクリスマスだが、マルコによる福音書にはクリスマスの物語がない。
いま私たちは1週間を7日間として生活をしている。なぜ日曜日を休むようになったか。金曜日にイエスキリストが十字架につけられて、3日目の日曜日によみがえられた。イエスキリストの復活があったから、日曜日が休みになった。誰もが知っている歴史的な事実である。しかし、その復活の物語はマルコによる福音書には、復活の物語がない。マルコが書きたかったのは、イエスキリスト最後の1週間である。マルコによる福音書には、目的があった。最後の1週間を描きたいということである。その他の出来事については、飛び去るがごとくに記される。

◆ペテロに関する解説
今日のところは、4人の漁師が弟子になる場面である。シモンとシモンの兄弟アンデレ、ゼベタイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ。2組の兄弟がキリストの12弟子になっていく。誰もが知っていることを記していった。マルコが誰もが知っていると思っていても、私たちが知っているとは限らない。シモンとは誰であるか。これはペテロのことである。キリストの筆頭弟子と言われた人物である。
少し余談になるが、バチカン市国というカトリックの国がある。そこには、聖ピーター寺院がある。ピーターとはペテロのことである。バチカンの教会の下にはお墓がある。そのお墓とはペテロのお墓である。この岩の上に教会を建てようとイエス様がおっしゃった。そのペテロのお墓の上に本当に教会を建てた。ペテロの後継者が、ローマ法王である。その人が弟子になったときの話である。並行記事をみてみる。マタイ4:18~

◆役割を与えられて派遣される
そのペテロが弟子になるときの記事が、ここに出てくる。最初の弟子たちが、どのように弟子になったのか。マルコは極めて単純に書く。
12弟子のうち4人が、イエス様が「わたしについてきなさい」と言うと、すぐに網を捨てて従った。ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネも、すぐに従った。
キーワードは「すぐに」という言葉である。私についてきなさいと言ったときに、「すぐに」従ったと言うのである。マルコが言いたいのは、おそらくそこである。聖書の中は実に面白い。肝心要なところは、イエス様はいつも命令なのである。イエス様とイエス様の弟子たちの関係である。ところが、こういう物語を読んでも、そんなにすぐにというわけには行かないと思う。人間とは、そういうものである。しかし、二人はすぐに従った。
みなさんもキリストの弟子ならば、すぐに従うのが正しい、と言えば、説教は終わってしまう。しかも、これが神のミッションであり、キリストの弟子の姿だ。招かれて派遣される。これをミッションと言う。だから北陸学院はミッションという。これは大事なことである。大きな国家プロジェクトもミッションと言う。役割を与えられて、招かれて遣わされて行くときには、こちらのほうには選択権がない。私は何のために生きていくのか、考える人がいる。創られた人間が、何を考えても分からない。自分が何のために創られたのか、創られた者が考えても分からない。
一人の職人が、ご飯茶碗、お酒のお猪口、とっくり、カレー皿を作ったとして、とっくりが、もしかして私はご飯を盛られるのが正しいのかもしれないと思ったところで、愚かしい。お猪口が、カレーを入れるのが正しいのではないかと思ったところでおかしい。
創られた人は、創った方に、私は何のために創られたのかを聞いてみることが正しい。自分で考えるより先に、神様に聞いてみるのが正しい。そんなことをイスラエルの人は知っていたから、神の子から「私についてきなさい」と言われたときに、すぐに従ったとマルコは語っている。

◆人間の知恵や知識に勝る神の言葉
普通の説教は、ここで終わりになる。しかし、並行記事を見てみたい。ルカによる福音書5章1節からを見てみる。ルカでは、この話を懇切丁寧に書いている。何のためらいもなく、彼らが弟子になったわけではない。
 ルカ5:1~9
ゲネサレト湖とはガリラヤ湖のことである。そこでイエス様は神の国についての話をされた。そこへ群集が集まってきて、イエス様の話を聞こうとした。ひとつの話の区切りが終わって、漁師のところへ来た。この漁師たちは、イエス様の話を聞きに集まっていたのではなく、話を聞こうともしていなかった。イエス様が、岸から少し漕ぎ出すようにお頼みになった。水を間において、もっと広く群集に話せるようにした。そして、話が終わった。
漁師が舟を貸した。群集は解散になった。普通、常識的には舟を岸に寄せて、帰るところである。船は船長が一番偉いのに、いきなり乗ってきて舟を借りて、話をしていた人が、漁に行こうと言うのである。しかも、「漁をしなさい」と言っている。命令である。すると、シモンペテロはむっとするのである。一日中、舟を出して網を打っていた。経験に基づいて、知識をもって漁に行ったのに、何も捕れなかった。こんな時間に漁をしろとは、だから素人は困る。魚のことも舟のことも知らない素人が、偉そうに。ただ、シモンペテロが偉いのは、「しかし、お言葉ですから、網をおろしてみましょう」この言い方は、イエス様を尊敬して言った言葉ではない。自分たちは、漁のプロ。しかし、イエス様はそんなことも知らない船大工。喜んでではない。いやいやである。6節「漁師たちがその通りにすると、おびただしい魚がかかり、網が破れそうになった。」これが出来事であった。7節「そこで、・・・舟は沈みそうになった」大変なことが起こった。自分たちは、この地上を生きていく一人の人間。かたや、イエスキリストは神の国のことを取り次ぐ預言者、聖書のことを語る、一宗教家にすぎない。彼らは「漁をしなさい」と言われて、むっとした。私たちの方がプロである。しかし、その通りやってみると、舟が魚でいっぱいになった。
8節には、こう書いてある。これを見たシモン・ペトロはイエスの足もとにひれ伏し、「主よ、私から離れてください。わたしは罪深いものなのです」と言った。
自分たちの知恵や知識に頼って漁をしていたペテロたち。神の子の言葉を信じることなく、知恵や力の方がはるかに優れていると思っていた人々が、神の子の言葉の重みを魚がとれたということで感じたという話なのであろう。これは、ペテロが繰り返し語っていた、弟子になったときの話である。
地上を生きていくときに、私たちは多くの知恵や知識を持っている。しかし、神様の言葉は、私たちの飾りに過ぎない。大事なことは、なんだかんだと言ってもお金の話、地位や名誉の話になる。そんなところで、あなたは神様から愛されていると聞いて、何になるのか。あなたの命は神様から創られたと聞いて何になるのか。それにどんな価値があるのか。あなたの命は、神様が創ってくださり、その家族に生まれてきたのは神様のご計画であると何度聞いても、お金にもならない。しかし、間違えてはならない。ペテロもそう考えていた。たまにありがたい神様の話を聞くのもいいだろう。自分たちは毎日の生活がある。漁がある。家族も養わなければいけない。イエス様の話を聞く気もなかった。
そこへたまたまイエス様が来て、舟を出してくれと言った。その人が「漁をしなさい」と言う。こっちはプロ。おまえはアマチュア。神の言葉を語る程度の者が、何を言う。しかし、そこで全能の神が何をお出来になるかを見てしまう。彼は、こざかしい自分の知恵が、役に立たないという現実に気づいた。私は何のために神様から創られたのかを、神ご自身から聞いてみることは、もっと大事なのではないか。自分の思いや願いが打ち砕かれた瞬間であった。「主よ、私から離れてください。わたしは罪深い者なのです」

◆神の御心に耳を傾け、従う
私は、この教会の牧師であると同時に、隣接する幼稚園の園長なので、何度もこの話をしてきた。この話と言うのは、こういう話である。幼稚園に教育実習に来る学生たちに言う。あなたのために幼稚園が、子どもたちを集めているのではない。子どもたちのためにあなたがいるのであるということを忘れないこと。あなたのために子どもたちがいるのではない。これを間違えてはいけない。料理を作るのも一緒。食べていただくために料理を作るのであって、自分が金儲けをしたいというだけのお店は、行ってみただけで分かるはず。その人の心根がどこにあるのか。自分のために相手を利用しようとしている限り、私たちは、その人のそこが見えてしまう。
「主よ、私から離れてください」ペテロは、自分のために漁をしていた。その魚の命を何に用いるか、そんなことは考えてもいない。しかし、彼はいま、神の御心がどこにあるかを知ることになる。なぜなら、神の御言葉を語っているイエス様の横にずっといたからである。彼は、その話をばかにしながら聞いていた。しかし、神の言葉に耳を傾けたときに「主よ、私から離れてください」と言わざるを得なくなった。主イエスは「恐れることはない。今から後、あなたは人間を取る漁師になる。」
マルコによる福音書は実に単純に記している。彼らは漁師だった。イエスは「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう。」二人はすぐに、網を捨てて従った。
すぐではなかった。しかし、彼が気づいてからはすぐだった。自分が何のために創られ、何のために生まれ、どんな役割を果たさねばならないか。神の御心に耳を傾けたとき、彼は自分のミッションに気づいていく。それからはすぐだった。それまでは悶々としていた。しかし、何のためにここに生きているかを知ったときに、彼の生き方が変わる。
ペテロは、この話を語り続けていたに違いない。マルコは、このペテロのそばにぴったりくっついていた若者であった。そのマルコが、何度も聞かされたあの話を福音書の中に書き込めるときに、「すぐに」網を捨てて従ったと記すのである。
私たちは、長い間悩んでいてもかまわない。けれど、神様から何の役割を与えられているかを知ったら、生き方をそこですぐに変えて、神の御心に従って歩むことが大切である。そのことをよく知っておく必要がある。そのためにこそ、神の御心がどこにあるかを、何度も何度も確かめなければいけないのであろう。
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