日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

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長老として

2020年07月01日 | 教会の出来事

七尾教会の堀岡洋子長老が、6月27日、死去されました。

6月30日に前夜式、7月1日に葬式を七尾教会礼拝堂で行いました。

役員、長老として釜土達雄着任前からずっと七尾教会の中心メンバーでありました。

七尾教会のような小さな教会では、たくさんの役割を一人の人が担うことになります。大きな教会でも小さな教会でも、司式があり、配餐があります、献金当番があり、受付当番があります。礼拝の前日には掃除当番がある。1週目が配餐で、2周目が司式で、4周目が献金で・・・なんてこともよくあるのが小さな教会の長老たちです。堀岡洋子さんもその役割をたくさんになってくださいますした。

もし大きな教会のメンバーだったらそんなにしなくても良かったかもしれません。

また、もし大きな街のクリスチャンであれば、その人がクリスチャンであることを知られなくても生きて行かれる。でも七尾のような街では、ほとんど隠すことはできず、「堀岡洋子さんはクリスチャンだ」と街の人が知っています。逃げも隠れも出来ません。

1年ほど前にガンが見つかり、手術をうけ、治療をし・・・。ガンが少なくなったり、また多くなったり。そのたびに堀岡さんは「死ぬのはこわくない」と繰り返し話しておられました。

そして、入院中でない限りは、七尾教会の礼拝に出席し続けました。少し弱くなった体でしたが、自分より高齢の方を気遣いながらの礼拝出席でした。闘病中もできる奉仕はしようとされて司式や掃除当番もされました。

6月第一週の長老会。久しぶりにいっしょに昼食を食べ、会議の終わりまでおられました。そして、その長老会の閉会祈祷が堀岡洋子さん。感謝に満ちた祈祷をされました。今から振り返ると、その日が最後の礼拝出席となりました。

最後まで長老として生きた方でした。ちょっぴり早とちりでちょっぴり勢いが良すぎて、ちょっぴりおせっかいで、そんな愛すべき人でした。そして、イエス様が大好きで、聖書が大好きでした。会話の途中でいきなり聖書の一句が飛び出す方でした。

堀岡洋子さんの葬式を無事終えました。「神の家族」を送り出すのは悲しいけれど誇らしいことです。これまでの葬式の時と同じように、「また会う日まで」を堀岡洋子さんもいっしょに歌い、これまで送り出した兄弟姉妹も歌っているような気がしました。

残されたご家族、そして長くいっしょに信仰生活を送ってきた姉妹は、大きな悲しみの中にあります。お祈り下さい。

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福音は同じ

2019年09月09日 | 教会の出来事

昨日の主日礼拝前、春成長老に、東京神学大学の大住雄一先生がなくなられたことを、お話しした。

第一声は「もったいない」だった。

釜土達雄とは東京神学大学の同級生で、「友人」と言える存在だった。そして、大住先生もいつも「友人」として出会ってくださった。成績優秀の大住先生とちょっと変わった存在の釜土達雄は、案外馬が合った。

まだお互いそんなに忙しくなかった30代の頃、七尾教会に説教に来て下さったことがある。ゆっくりした日程で泊まっていかれた。

説教の後、愛餐会。その時にある教会員が「釜土先生がするお話と同じでした」と言った。「大住先生の話と釜土先生の話が同じで、安心しました」、そんなふうに言った人もいた。

教会のみなさんがかえった後、「安心したって、いつもどんな説教してるんだ」って大住先生が釜土達雄に笑いながら言っていた。その後ゆっくりいっぱいいろんな話をしていた。そんな時はお互い忙しくなったら持てなくなった。でも同じ福音を語ってきた。

 

大住先生、もっと福音を語りたかっただろうな。もったいないよ。釜土達雄は神の国で出会ったらたくさん話がしたいらしいです。またつきあってやってください。(かまどらんこ)         

 

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めいちゃんの結婚式

2018年06月09日 | 教会の出来事

七尾教会にとって何年ぶりになるのだろうか、教会員の結婚式。

しかも、めいちゃん、である。お兄ちゃんが幼稚園に入園した時から見ている、めいちゃん。入園前から幼稚園ではすでに知られた存在だった。もちろん入園してからもエピソードには事欠かない。

小学校に入学してからもずっと教会学校に来ていた。中学高校時代は少し離れたこともあったけど、やっぱり礼拝に来るようになって、信仰告白をして・・・。

そしてなぜか今は七尾幼稚園の厨房で調理師として働いている。

そんなめいちゃんの結婚式。なんだか、めいをお願いしますと相手のお家の人に頭を下げてた一日でした。

ちなみに、牧師は「めいさん」と言おうとして、「めいたん」と言ってしまった瞬間がありました・・・。

 

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ベツレヘムの星

2017年05月16日 | 教会の出来事

七尾教会の教会員、西野ふきこさんが亡くなられました。91才。

西野ふきこさんは、とても印象深い信徒でしたので、七尾教会に夏期伝にきた神学生、北陸の諸教会で牧会された牧師、いっしょにイスラエルを旅行した人々などに、そのことをお知らせしたい思いがあります。どうしたらよいものかと思ったところ、このブログがまだ使用可能だったので、ここに記すことにします。西野さんのことを思い出して、お祈りに加えていただけたらと思います。

西野さんは、金沢・若草教会で受洗されました。「神様はどこにいらっしゃる?」といきなり教会の中に入っていったのだそうです。その時の牧師は、加藤常昭先生。その後加藤先生ご夫妻の導きで、洗礼を受けることになりました。まだ、加藤先生が補教師だったので、北陸学院の番匠鉄雄先生が授洗牧師となりました。その後、七尾教会に転入されました。

血液型をどうこういうのはどうかと思いますが、ふきこさんはいわゆるB型人間でした。自由な発想と発言。

信仰者としては素朴な方でした。素朴すぎるといってもいいかもしれません。きれいな花を見つけて神様に感謝し、人の為に祈ろうと思えば、突然に大きな声でお祈りが始まる。

一緒にイスラエル旅行に行った時には、十字軍の史跡を見て「聖書のどこにもイエス様が軍隊をもったとは書いてない」と言い出したり、「エルサレムに住んでいるのに、まだイエス様の十字架と復活を信じてない人がいるのか」とプンプンしたり、かと思うと「私たちの本山はどこですか?」と尋ねたり・・・。

そして、七尾教会の歩みの中では、いつも「主の山に備えあり」でした。「神様がなんとかしてくださる」と周りに言い続けて下さいました。1990年の園舎改築と会堂改修。その後の駐車場取得。そして能登半島地震。どんな時にもきっと神様がなんとかして下さると信じて疑わない方でした。そして捧げ物もしてくださる方でした。

年齢を重ね、足が不自由になると、文字通り這ってでも礼拝にでようとされました。以前の会堂はバリアフリーではなかったので、段差のたびに手をついて這っていたのでした。階段もそうでした。みんなが前後を支えながら移動したのです。能登半島地震後の会堂改築で、なんとか西野さんが礼拝生活を続けられるようにと、バリアフリーにしたり、エレベーターをつけたりしました。新会堂になってからは、タクシーからおりて、車いすにのって、礼拝堂に入って、着席するのが毎週のパターンでした。

そんな西野さんが天に召されました。ご自身の意志でもあり、仏式の葬儀になりました。旧家に嫁いだ者として、そうしなければならないだろうと思っておられました。そして、仏式の葬儀だろうとも、神様のみもとにいくことを疑いもしない方なのでした。

仏式の葬儀の前に、牧師といっしょにご遺体の横で祈りをささげ、牧師館に戻ると、「ベツレヘムの星」と呼ばれる小さな花が咲き始めていました。(釜土蘭子)

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夏のおとまり会

2012年07月29日 | 教会の行事

今年の小学生のおとまり会は8月12-13日です。

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ここが七尾教会・・・

2011年05月17日 | 地震のあとで

お昼頃、教会玄関のドアホンがなりました。二人のご婦人が立っておられました。尾鷲教会の・・・とおっしゃられ、突然で申し訳ないのですが、礼拝堂を見せていただけますかとの事でした。

私はそこで幼稚園の方にいかなくてはいけなかったので、牧師がその後応対しました。というわけで後から聞いた話です。

二人のご婦人は、東日本大震災の被災地にボランティアに行かれた帰りだったそうです。まっすぐに帰るのではなくて、少し寄り道をして和倉温泉に一泊して帰ることになりました。そして、通りがかりに、「七尾教会」を発見したのです。

中部教区内の事ですから、「七尾教会」の事、能登半島地震被災教会の事を祈り続けてくださったのでしょう。ふと見たら、そこに教会があった!それをとても喜んで、喜んだまま、教会のドアホンをつい押してしまった・・・。自分の教会に戻ったら、この事を話したいとおっしゃりながら帰られたということでした。

なんだかまたつながりました。祈りの輪とでもいいましょうか・・・。祈りがかなえられる。神様が聞いていてくださる。

きっとお二人は今度は東日本大震災の被災地の為に祈りを続けられることでしょう。そして周りの人に証してくださることでしょう。「七尾教会」がその話に用いられることを感謝したいと思います。(R)

 

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?年ぶりの富山

2011年05月15日 | 地震のあとで

午後、富山二番町教会の就任式へ。

富山に来たのは、実は二番町教会の献堂式以来。そもそも、七尾から出たのが去年9月以来。ずーっと七尾にいて、そのほとんどの時間を馬出町75番地内で過ごしてきた。工事中はだれかが責任者として立ち会うのが原則だと考えているので、離れることはできなかった。ようやく、離れても大丈夫という気持ちになった。

何よりこの間の献堂式に富山からもたくさんの方が来て下さった。そのお礼を申し上げなくてはいけないと思った。献堂式の写真もお渡ししたかった。

そんなわけで、ひさしぶりの富山。就任式。お祝いの会の間に、写真を渡す。

会が終わって七尾に戻ると、8時。(R)

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思い出すこと

2011年05月14日 | 地震のあとで

なんとなく日本の中で、日常が普通になってきている。震災前と同じようなテレビの内容になっている。普通にCMが流れている。そんな中で、震災関係のニュースが減っているような気がする。節電の説明の方が長いような気がする。

なんとなく能登半島地震の後のことを思い出す。ニュースで取り上げられなくなった時、とてもガッカリしたこと。忘れられてしまうのかな?もう終わったことなのかな?そんな感じがした。

自分は今直接何もできないけれど・・・。

思い続けよう、今も避難所で過ごしている人がいることを。今これから、自分の家を離れなくてはいけない人がいることを。今も自分の生活を取り戻せない人がたくさんいることを。まだ大切な人の行方を探している人がいることを。

祈り続けよう。忘れることなく。(R)

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溶連菌

2011年05月10日 | 地震のあとで

カマドタツオの熱、原因は溶連菌。夜になるとかなりの高熱を繰り返し、やっと月曜日からは平熱が保てるようになってきたのですが、大事をとって今日も外出は控えて・・・。体の為には自分の住居の中にいるのが一番いい。当たり前のこと。(厳密に言うと牧師館というのは自分の家ではありませんが・・・)

大震災から2ヶ月。「自分の家」に住めない人がたくさんいる現実。きびしすぎるし、かなしすぎる。(R)

 

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疲れが出ると、熱が出る。

2011年05月08日 | 地震のあとで

昨日の昼間、やっと自分の車のタイヤ交換をした釜土達雄。その後なんだか顔色が赤くなり、夜になったら発熱!39.0まであがってしまいました。

主日礼拝前にはなんとかシャキッとして、自分のつとめを果たしましたが、その後はまた・・・。

「おつかれが出たのかねぇ」と優しい言葉をかけてくれる教会員たちでした。(R)

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