日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

本当に、骨を折っている大隅先生

2008年04月28日 | 地震のあとで
昨日は輪島教会で能登圏委員会がありました。できることなら私も一度輪島を訪れたいと思ったものの、山積みの仕事の中でそうもいかず、能登圏委員の池口さんにデジカメをもっていってもらって、少し写真をとってきてもらいました。
現在の輪島の状況がわかるような写真・・と思ったのですが、なかなか建物とかをみてもよくわからないですよね。
で、とりあえず誰がみてもよくわかる写真。輪島教会で今ご奉仕くださっている大隅先生。輪島の為に、骨を折っている・・・。
本当に今骨折しておられるのだそうです。
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捜し物はなんだっけ?

2008年04月27日 | 地震のあとで
先週後半から風邪気味となって変な声になってしまっています。その声を聞いて、
幼稚園の保護者の方はだいたい「週末はゆっくり休んでくださいね」「とおっしゃるし、教会の方は日曜の礼拝が終わった後、「明日はゆっくりしてください」とおっしゃる。
けれど実際はというと、どっちも休めないし、仕事はたまる一方。七尾教会と七尾幼稚園は場所はゆったりしているとはいえ、行事があるとあっちこっちと荷物を移動。気がつくと行方がわからなくなるものも・・・。
気になって探し始めるとまた次から次へと気になってしまい、どうにも混乱状態になってしまいます。確かあそこにおいといたはず・・・のものがなぜかそっくり移動されて・・・。
探し始めると探しているものはみつからず、前に誰かが探していたものが見つかる。悪循環。このままでは間違いなく連休中もものを探し続けて終わりそうな予感。地震後、そして行事のたびに何度も何度も荷物を移動した為に、まったく落ち着かないことになってしまいました。
以前、松百さんがよく私に「何かほしいものはありませんか?」と聞いてくださった。そのたびに「時間」と答えていた私。そんなグチをよくニコニコと受け止めてくれた教会のお母さんでした。
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七尾幼稚園の今

2008年04月24日 | 地震のあとで
秋に治療をおこたった「歯」が3月にどうにもならないほど痛みだし、一番忙しい時にその治療をしなくてはならなくなってと、いろんな事があって、仕事の山が増えていくばかりの今日この頃。
七尾幼稚園は、今年新人教師1人と羽咋白百合幼稚園からの転入教師を一人迎えました。羽咋白百合幼稚園で3年つとめた後、七尾幼稚園の教師になったのは、実は七尾幼稚園の卒業生。奇しくも17年前七尾幼稚園が園舎を建築した時の年長組だった子です。ちなみに彼女のお母さんが当時の母の会の会長さん。幼稚園卒業後、ほんのちょっとだけど、教会学校にきていたこともありました。
教会と幼稚園の将来像を描く時に、牧師・園長は建物の事をよく口にするのですが、私はある時期から一貫して「人」に関することを夢として周りに語っています。「・・・くんが長老になる時に」「・・・ちゃんがオルガニストとして立派になったら、もうオルガンの仕事はしない」「・・くんに傾いた礼拝堂を残すわけにはいかない」・・・などです。
幼稚園に関して言うと、「私が隠退するときには、幼稚園の教師はみんな卒業生」。
今回その実現の一歩として迎えたつもりの「卒業生教師」。短大卒業してすぐにくるのは、なれ合いになれそうだったので、羽咋に少しいっててもらって、それから七尾幼稚園に。
一緒に仕事して、何より楽しいのは、こちらの意図が感性として理解できること。何を七尾幼稚園が大事にしているかが、をなんとなくわかってもらえる。もちろんきちんと論理づけていくのはこれからなんだけど・・・。
2,3年後にあるはずの次の「建築」の時に力強い同僚です。
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ようやくタイヤをかえまして・・・

2008年04月22日 | 地震のあとで
昨日、ようやく車のタイヤを替えました。ようやく普通タイヤです。
幼稚園のお庭では桜が散ったあと、チューリップが花を咲かせています。去年の秋、とにかくとにかく植えておこうと思ったチューリップ。
やはりというか、ばらばらだったり、背が小さかったりします。このプランターはちゃんと肥料をいれとかなかったなぁと思います。
でも忙しくてもとにかく球根をうえておいてよかったと思うのです。それをしておかなかったら、チューリップの花はお庭になく、チューリップをみてにこにこする子供達の顔も、「さいた、さいたチューリップの花が」と歌う子供達の声もないのですから・・・。
去年は何もかもが忙しかった日々。次の時代のために何かをするということがなかなかできずに過ごしました。今年はちょっと余裕をもちながら、次の時代を考えて、伝道の種をまいたり、宣教の球根をうえたりしたいと思うのです。
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神様のキャスティングはすごい

2008年04月20日 | 地震のあとで
無牧の輪島教会。さて誰が毎週の説教を担当するのかとご心配な方もいらっしゃるのではないかと思います。実は3月に、この事を能登圏はもちろん、近隣の牧師達がとても心配したのです。輪島にいくには七尾からでも1時間半。、金沢からなら2時間弱。たとえ礼拝時間をずらしたとしてもうまくいくものではありません。そして、輪島教会には夕礼拝もあります。
ところが思わぬところから、輪島教会に説教者が与えられたのでした。
それはなんと、長く金沢南部教会の牧師であられた、大隅啓三先生。隠退後は、静岡県で生活をされておられたのですが、輪島教会の状況を聞いて、「ワシがいこうか」と申し出てくださったのでした。
この話を最初に聞いた時、私は「神様のキャスティングはすごい!」と思いました。輪島教会の復興第二幕の登場人物として、これ以上ない方が登場されたわけです。神様は輪島教会の復興をちゃんとご計画の中においてくださっているんだなと。
輪島教会に次の牧師が与えられるまでの間、大隅先生の健康が守られるよう祈りたいと思います。
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春の花々

2008年04月16日 | 地震のあとで
桜の花がどんどん散っていくお庭。庭の隅にはいろいろな花が咲き、春らしい色とりどりの景色となっています。
ふと、あの花がないんだなぁと思います。牧師館周辺を工事の為に整備したので、花壇がなくなったり、また花壇というほどではない場所にもあった植物がなくなってしまいました。たいしたものではなくても、なんとなくさびしいなぁと思います。
その一方で変なところで、きれいな花が咲いているのも今年の春の特徴です。それは工事で掘り起こし時に球根が出てきてしまって、それがいつのまにか変なところに埋まっていて、たくましく花を咲かせているのです。
地震の後、いろんな所から「実は能登の出身で・・」と耳にします。私たちが知らないだけで、遠い所でわからない所で、信仰者が生まれ育っている。思わぬ所に咲いている花を眺めながら、見知らぬどこかの教会で、能登の教会で福音の種をまかれた人たちが信仰の花をさかせていることを願います。
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托鉢僧が歩く街

2008年04月14日 | 地震のあとで
街をあるいていると、どこからかチャリンチャリンという鐘?の音がしました。なんだろうと思って見回すと、托鉢の僧侶。背中には「能登半島自身復興・・寺」というのぼり旗。門前あたりのお寺でしょうか。地震被害にあった寺の修復のために托鉢をしているようです。
3月から4月に、新聞の地域欄では「・・・神社の鳥居が復興しました」という記事がよく出ていました。神社の鳥居は、地震でよく倒壊したのですが、神社は地域のものという意識の強い能登では、氏子(つまり周辺住民)の寄付が集められて再建をしています。
まだまだそれぞれに再建の歩みを模索しています。
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2008定時教会総会

2008年04月13日 | 地震のあとで
今日は定時教会総会。昨年度の諸報告がなされる中で、何度も何度も「能登半島地震」という文字が出てくるのだった。
会計報告の中では、実に七尾教会としたら考えられないようなお金が、主にある兄弟姉妹からの献金として受け入れられ、奇跡のように幼稚園の修理が行われ、そして牧師館が建築されたことが明示されていた。感謝である。
今年度の七尾教会は、まず今年度工事が行われるであろう、富来伝道所と輪島教会の為に祈ろうという事である。
また来るべき礼拝堂の改築に備えて少しずつ少しずつ計画を作っていく事。そして祈りと共に礼拝堂の為の献金をささげる事。
激動の2007年度に比べるとゆっくりになるであろう2008年度の七尾教会です。
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満開の桜のもとで

2008年04月12日 | 地震のあとで
春、能登の桜は今が満開。
七尾幼稚園のお庭の桜も、教会の敷地に隣接する小丸山公園の桜も満開。
今も花見をしている人の声が上から聞こえてくる。
ブログをとめて、とにかく卒業式・入園式とのりきってきた。正直2人とも体調がすぐれず、倒れたりスケジュールに穴をあけたりすることがないようにだけ配慮しながら一ヶ月のりきったような感じ。だから牧師館は全く片付かないまま。家を建てると誰かが病気になるとはよく言われたが・・・。車のタイヤもまだスタッドレス。
この一ヶ月にあった事。七尾教会では松百姉の葬儀が一番大きな出来事だった。また、西村まりこ姉がパートナーの転勤によって七尾を離れることになった。結局一年だけの七尾教会復帰になったが、この一年、彼女と彼女のこどもたちは、七尾教会にとっては大きな存在だった。これも神様のご計画。4月から池口姉は、北陸学院大学に通っている。朝は5時おき。がんばれ!
羽咋教会では、富来伝道所の設計がすすんでいるようだ。そして羽咋白百合学院は、公立の保育園の指定管理者となってその運営を担うようになった。
そして、輪島教会は、五十嵐成見兄が輪島を去った。今年度も無牧となる。代務者は釜土達雄から、内城恵先生にかわった。
他にもいろんな出来事が一ヶ月の間にはあったけれど・・・・。
満開の桜が美しい春。幼稚園のお庭のシンボルともいえる、桜の木。私が来てからも何度も危機があった桜の木。それがきれいに咲いている。それは七尾幼稚園が存続し、七尾教会がこの地に立ち続ける象徴。咲き続けてほしい。子どもたちの笑顔に囲まれながら。
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