日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

福音の再発見

2005年10月30日 | 主日礼拝
2005年10月30日
森山奈美 長老

ローマの信徒への手紙 5章1~11節

◆信仰義認
 聖書には、グレートテキストと呼ばれる箇所がいくつかある。それは、1節だけのときもあれば、いくつかの節に渡るときもあるが、その箇所が聖書の教えの一番大事なことを集約的に表している箇所を、そう呼ぶ。たとえば、小聖書とも呼ばれるヨハネによる福音書3章の16節などは、大変に有名な箇所である。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」このたった一節で、聖書の中心的な教えを私たちに与えてくれている。今朝、私たちに与えられたテキスト、ローマの信徒への手紙5章1~11節も、グレートテキストのひとつ。
 聖書朗読 ローマ5:1~3A
「信仰によって義とされる」これは、グレートテキストにふさわしい、聖書の中心的な教えのひとつである。では、「信仰によって義とされる」とは、どういうことか。義とされるとは、正しい関係、本来の関係になるということである。私たちと神様の正しい関係は、創世記にも記されている通り「神様と共に生きる関係」である。神様は、私たちを創られた。ところが、神様が愛していると言っているにも関わらず、だれも私のことを愛してはくれないと言ってみたり、神を神とせずに、自分勝手な思いの中で生きている。神様が共に生きようと言って下さっているのに、まるで神様がいないかのように「自分の人生は、自分のものだから」と言って、神様との関係がないかのように振舞う。これを「罪」と言う。神様との関係が壊れた状態である。
 しかし、今日の聖書の箇所で言われているのは、この壊れた関係を「信仰によって義とされる」つまり、「信仰によって、本来の関係を取り戻す」ことができるということだ。私たちが、何か修行を積んだからでも、たくさん捧げ物をしたからでもなく、ただ「主イエスキリストによって」神様との間に平和を得るというのである。私たちは、それを信じて、神様の愛を仰いで信じる「信仰」によって、神様と共に生きるという、最も大きな喜びに生かされている。
 2節には、「神の栄光にあずかる希望を誇りにしています」さらに、3節には「苦難をも誇りとします」とある。口語訳聖書では、ここは「患難をも喜ぶ」となっていたが、「喜ぶ」ということは、「誇る」という意味です。どんなに苦しいことがあっても、どんなに悲しいことがあっても、神様が「わたしは、あなたを見捨てない。私はあなたと共にいる」と言ってくださるということが、本当の喜びであるということは、体験したことのない人でないと分からない。そうそう。これ、先週も聞いた話。先週だけではない。私たちは、毎週、このメッセージを聞いている。それでも、また今日も同じように聖書は私たちに語りかける。
 「信仰によって義とされる」つまり、信じることによって、神様と共に生きる喜びに入れられる。何を信じるのか。それは、神様の愛、そして、壊れてしまった神様との関係を修復し、私たちの罪を贖ってくださった、主イエスキリストの十字架と復活を信じるのである。

◆宗教改革
 以前に、私たちは釜土先生から、こういう言葉を覚えるようにと言われたことがある。「信仰義認」という言葉である。そう、今日の聖書の箇所のスタートは、まさに「信仰義認」について語っている。この教理を再発見したのは、宗教改革者ルターである。明日は宗教改革記念日。今日は、そのことを記念する礼拝でもある。だから、宗教改革という出来事にも少し耳を傾けておきたい。
 説教の準備をするために、「宗教改革」について、いろいろと調べていた。調べるといっても、今はあまり図書館へ行ったりはしない。インターネットで調べるのですが、インターネット上には、正しい情報も間違った情報も氾濫しています。膨大な情報の中で、宗教改革について、とても分かりやすく説明しているページがありました。それは、高校の社会の先生が、ご自分の授業の内容を公開しているページなのですが、実に臨場感あふれる内容です。こんな先生に世界史を習ったら、きっと楽しいだろうなと思いました。興味のある方はぜひ開いてみてください。そこでは、宗教改革について、こう記されていました。少し、要約してご紹介します。

宗教改革の解説ページ
 当時ローマ教皇はレオ10世。~中略~
 ルターはこういうことに疑問を感じて、1517年、「95カ条の論題」というローマ教会に対する質問状をヴィッテンベルグ城教会の扉に貼りつけた。95の問題点を指摘しているのですが、主な主張は次の3つ。
1,ローマ教会による免罪符販売を批判。お金を払えば救われるという免罪符の考え方を批判した。
2,では、人は何によって救われるのか。ルターは言う。「人は信仰によってのみ義とされる」。これを「信仰義認説」と言います。ローマ教会によってではなく、信仰によって救われるのです。信者が救われるようにローマ教皇が神さまに「とりなし」をする必要はないことになる。
3,では、どのように信仰すればよいのか。それまでは、ローマ教会の教えるままにしていることが信仰でした。ローマ教皇がお金をだして免罪符を買えば救われる、と教えるならばその通りにすればよかった。
 しかし、ルターはそうではないと言う。聖書に書いてあるとおりにすることが信仰だ、と主張した。これを「聖書第一主義」という。(これも高校で習う)この段階でルターはローマ教会を否定していません。ローマ教会の教えでもおかしいと思う点があるなら、聖書と照らし合わせて考えよう、聖書に反しているならローマ教皇の教えでも間違っているんだ、ということです。
 以上3点がルターの主張の要点。これが発表されると、すぐにヨーロッパを二分する大論争に発展しました。当時発明されたばかりの印刷術を使ってルターの「95カ条の論題」はたくさんのパンフレットに印刷されてヨーロッパ中に出回ったのです。

◆宗教改革は続いている
 このあとも、ずっと授業は続く。高校の先生も教えてくれるように、ルターの主張は「聖書のみ」「恵みのみ」「万人祭司」ということである。
 95箇条の論題の第1条は、次のとおり。
第1条「私たちの主であり師であるイエス・キリストが悔い改めよと言われたとき、主は信ずる者の全生涯が悔い改めであることを欲したもうたのである。」
 人はただ神の恵みにより、信仰のみによって救われる。このことを主張したルターは、この「恵みに生きる」とは「日ごとの悔い改め」、すなわち私たちの生涯が罪との不断の戦いであるということを、誰よりもよく知っていたのです。日ごとに悔い改めるということは、日ごとにこの「信仰義認」の恵みを受け取りなおすということである。一度、悔い改めて終わりではない。洗礼を受けたときに1回だけ悔い改めるのではない。週に1回、悔い改めて終わりではない。全生涯が悔い改めではないのか。ルターはそう言うのである。
 このあたりは、みなさんも実感しているところではないだろうか。私は、そうである。洗礼を受けたのは高校2年生のときだが、そのあと劇的に人生が変化して、もう、ずっと神様と共に生きることを喜び続けていたか・・・。うーん。振り返れば、悔い改めることしきり。信仰弱い私は、なかなか、そうはいかなかった。今でもそう。
 ルターの主張、ルターの改革のポイントが、まず、わたしたちキリスト者の信仰生活における「悔い改め」にスポットをあてているならば、教会の信仰についても、「不断に改革の教会」と言われるように、「宗教改革はまだ終らない」と言わなければなりません。ですから、宗教改革はただ過去にあっただけではないのです。宗教改革は現在もあり、将来もある。宗教改革は、今も続いている、と言ってもよい。
 たとえば、ルターは、95箇条の課題をヴィッテンベルク城教会の扉に打ちつけたとき、はたして、その改革が2つの教会を生み出すということを想定していただろうか。ルターを始めとして宗教改革者の誰もが、少なくとも当初、宗教改革によってローマ・カトリック教会とプロテスタント教会という二つの教会が出現し、互いに分裂して終るとは考えもしなかっただろうし、ましてや願っていたわけでもない。「宗教改革はいまだ未完成だ」と言わざるをえないだろう。いまも、宗教改革中だと言ってもよい。

◆改革とは「基盤」を見出すこと
 もうひとつ、宗教改革のからみで見ておきたいことがある。先週は七尾市会議員選挙があった。いま、七尾市の政治の大きな課題は、行財政“改革”である。「七尾市の家計」という冊子を見た方もいるかもしれない。どうも30億の赤字になって、このままでは財政債権団体に転落・・・。いま、七尾市政のやり方そのものを大きく変えなければいけない時期にきている。(選挙自体は、そのことを争点に戦われたという感じはなかったが、この行財政改革が課題であるということは事実である)
 その前は、衆議院の総選挙があった。自民党のキャッチフレーズを覚えているdろうか?小泉首相が、ポスターに出てきて「改革を止めるな」と、やるわけだ。小泉改革。三位一体の改革。これで、「三位一体」という言葉がずいぶん有名になった。
 このように「改革」とは、よく政治に使われる言葉でもある。ヨーロッパで15世紀から17世紀にかけて起こった宗教改革も、政治をともなった改革であったということは、ちょっと調べれば分かる。私も、七尾市の行財政改革推進委員会というところの委員をやっているが、どうも「改革」という言葉が、取り違えられていると感じることがよくあった。「改革」というのは、1回やって、終わりではない。また、何でも変えればいいというものでもないのである。
 辞書で「改革」を調べると、こう書いてあった。
(1)基盤は維持しつつ、社会制度や機構・組織などをあらため変えること。
「役所の機構を―する」
(2)よりよくあらためること。
 ということは、「基盤」は維持しなければいけないのです。では、宗教改革における、われわれの「基盤」とは何か?改革とは、ただ変えるのではなく、自分たちの「基盤」を見直すということでもあるのである。「ここは変えない」ということを見出すことなである。ルターの改革のポイントは、まさにキリスト者の基盤を確認するものであるならば、「聖書のみ」「恵みのみ」「万人祭司」という、この基盤となる福音を再発見するということが、まさにこの宗教改革だったのではないだろうか。
 その改革の中で、私たちは、何を変えて、何を変えないべきか、という「基盤」を見出すということが重要になってくる。

◆あるもの探し・・・信仰の再発見
 本日の説教題は、「福音の再発見」と書いた。この「再発見」ということばは、私が携わっている「まちづくり」の世界で、よく使います。まちの良さを再発見しようと、まちあるきをしたりする。ここで言う再発見とは、「価値を見出す」ということを意味している。
 まちづくりでは、「当たり前になっていて、気づかないまちの良さをもう一度見直し、そこに価値を置く」ということをやる。たとえば、でか小屋の話。あれは、今まで倉庫として使っていた建物に「価値」を見出して、元の芝居小屋として再生しようという動きである。また、登録文化財の動きもそうである。何気なく見ていた建物に、価値を見出して、これはすばらしい建物だと再発見するのである。建物だけではない。御祓川も、食文化も、お祭りも、七尾湾も。いろんなまちのなかにある「あるもの」に価値をあてて、驚きを持ってみていく、それが「再発見」ということである。そして、自分たちのまちの価値を再発見することで、自分のまちを「誇り」に思う。七尾って捨てたもんじゃないな、と思う。これが、再発見の一番大きな効果である。再発見することで、どんどん自分のまちを好きになる。
 私たちも「福音」を再発見することによって、神の愛を誇りに思うということが、宗教改革の中で、福音の再発見を通して起こった出来事ではないだろうか。

◆再発見のポイント
 もう一度、まちづくりの話に戻る。再発見をするときに、いくつかのポイントがある。
1、よそ者とまち歩きをする。  2、専門家に解説してもらう  3、素直に驚く
 よそ者とまち歩きをするということは、当たり前だと思っていることに驚きのまなざしを向けるということである。私たちは、信仰を与えられたという、驚くべき事態を「神の恵み」を実感しているだろうか。それを今一度、「すごい恵みだなぁ」と思ってみる。
 天地創造の奇跡、キリストがこの世に来たりたもうた奇跡、病のいやし、5000人の給食に勝る奇跡が、私たち自身の信仰ではなかろうか。信仰によって義とされて、「永遠の命」を与えられるという希望。しかも、それが一方的に与えられている。これは、驚くべきことである。
 2つめの専門家に解説してもらうとは、これはイエスさまのことである。イエスさまに、間をとりもってもらって、神様が私たちのことをどう思っているのか、どういう風に神様が私たちを愛してくださっているのか。それを上から教えてくれるのではなく、この世に来て下さって、私たちに分かるように教えてくださった。私たちはキリストの地上の働きを通して、神の愛に導きいれていただいていると、実感することができる。

 宗教改革とは、本来の姿に立ち返ることである。それは、信仰を再発見するということでもある。信仰とは、何を仰いで信じるのか。それは、「神の愛、十字架の救い、永遠の命」である。このような、基本というか「これは変えてはいけない」という基盤を再確認したい。
 「そのままのあなたで愛されている」というメッセージを聞き、十字架と復活によって、神と共に生きることが赦されている私たち。神様、私を愛してくれてありがとう。そのことに、もう一度、新鮮な驚きと感動を持って、福音を再発見し、神の愛を誇りとして、胸を張って今週も歩んでいこう。
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次の日曜日10月30日は

2005年10月27日 | 教会の行事
10月30日、釜土牧師は和歌山件の粉河教会の伝道礼拝奉仕の為、不在となります。七尾教会の主日礼拝は、森山奈美長老が説教を担当します。
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石川地区青年会修養会では

2005年10月24日 | 教会の行事
石川地区内の各教会の現状について話し合いました。
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石川地区青年会修養会

2005年10月24日 | 教会の行事
石川地区青年会の修養会が、七尾教会を会場にしておこなわれました。
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どちらが易しいか

2005年10月16日 | 主日礼拝
2005年10月23日
釜土 達雄 牧師
マルコによる福音書2:1~12

◆とりなしの祈り
 数日後、と記されている。人々は、イエス様の御言葉を聞いていた。病を癒してほしいとして集まっていたのではなく、御言葉を聞こうとして集まってきた人たちである。聖書についての知識の無い人たちではなかった。律法学者が数人いたと記されている。一般の人々だけでなく、律法学者たちも、イエスが語る御言葉に耳を傾けるために集っていた。そこは、御言葉を聞く群れができており、まさに麗しい、イエス様の願われる姿があった。
 ところが、今日聞くのは、そのようなところに起こったひとつの事件であった。律法の専門家たちもいる場で、四人の男が中風の男を運んできた。神の一人子であるイエス様の本来の姿がある中で、イエスがいる場所の屋根を引っ剥がして、中風の男をつり降ろしてきたのである。このあたりは、先週ずいぶんと詳細に取り次いだ。
 イエス様は、御言葉を中断して、屋根から吊り下げられたその中風の人をご覧になった。御言葉に耳を傾けていた人たちも、その様子を呆然と見ていたに違いない。人がぽかんとして口を開けている様子を昨日、久々に見た。昨日、七尾幼稚園のオープンハウスで三味線と尺八を聴いた。そのときの子どもたちの顔は、ぽかんとしていた。まだ、子どもたちは知らないことが多くあるので、驚いてぽかんとすることが多いかもしれない。しかし、これは大人たちが、ぽかんとするような出来事だった。
 イエス様は、その人たちの信仰を見て「子よ、あなたの罪はゆるされる」とおっしゃった。先週のポイントはこうである。「これは、信仰と呼べるにふさわしいものなのだろうか。」彼らの願いは、この病気の人の病気を治してもらいたいということである。簡単に言えば、御利益を求めていた。イエス様がその人たちの心をどう見ていたかは分からない。私たちは、考える。イエス様のところに行けば何とかなる。自分たちが愛しているこの人をイエス様のところに行けば何とかしてくださるという思いがあったことは確かである。そういう彼らの思いをイエス様は信仰として受け入れてくださっている。しかも、イエス様に中風の人に「子よ、あなたの罪はゆるされる」とおっしゃった。病を得て寝ていた人に信仰があったわけではない。周囲の人々の信仰を見て、中風の人の罪を赦す。これをとりなしの祈り、そう言って良いのではないか。これは、先週の話である。

◆人々の願いとのギャップ
 もう一歩、読み進めてみたい。それは「あなたの罪はゆるされる」と言ったとき、人々に喜びがなかった、ということである。その病気が治ることを期待して、病人を降ろした。屋根の上にいてみていた人は、「あなたの罪はゆるされる」と言われたところで、何かが変わったわけではない。寝たままである。大きな声では言えないが、こういうことを「どっちらけ」と言う。病気が治ると思っていたら、何も変わらない。律法学者の数人が、あれこれと考え始める。罪をゆるすとは、神のなさること。神を冒涜している。罪を赦すかどうかということが大事なのではない。病人を降ろしてきたのは、イエスが病気を治されることを知っていたからではないのか。なぜ、この人が罪を赦すということを言うのか。
イエス様は、人々がしーんとしているときに、律法学者の考えを見抜き、「なぜそんな考えを心に抱くのか。」とおっしゃった。「中風の人に『あなたの罪は赦される』というのと『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易しいか。」どちらが、易しいのか。全能の父なる神からすれば「起きて、床を担いで歩け」と言うほうが易しいのである。しかし、あなたの罪は赦されるというメッセージを聞いても喜びには満ちないのである。
洗礼を受けるときには、あなたの罪は赦されるということに喜んでいたが、洗礼を受けた後に生活に何の変化もないことを知り、がっかりする。前と何も変わらない。病気がなくなるわけでも、借金がなくなるわけでもない。昨日と同じ今日、今日と同じ明日が続くのである。多くの人が、「子よ、あなたの罪はゆるされる」とイエス様がおっしゃったときの、しらーっとした雰囲気を忘れているのではないか。状況が変わったのは、中風の人に「わたしはあなたに言う。起き上がり、床を担いで家に帰りなさい。」ここなのである。みんなが神を賛美したのは、病が治ったときなのである。私たちは、ここから何を聞き取らなければいけないのか。

◆神と共に生きる喜び
イエス様が、彼らの信仰を見て口にされたのは、「起き上がり、床を担いで帰りなさい」ではないく「あなたの罪はゆるされる」だったということである。「罪がゆるされる」と言うことのほうが、「病が癒される」ということよりも、はるかに困難だと知っていたからである。この中風の人にメッセージとして語られた。そして、事実、彼の罪をゆるしてくださった。
私たちは、信仰を持ち、罪赦されてこの地上を生きている。だからと言って、何か劇的な変化があるわけではない。けれど、本当に私たちに神様が伝えたかったことは、私たちの罪がゆるされるということであり、私たちは、それを本来、一番、望まなければならない。
福音は劇的な変化がないように見える。得したことがないように見える。しかし、福音に生きるということは、神様の願いに従って生きるということは、神様と共に生きるという最も大きな喜びに生かされるということなのである。神様が本当にいてくださるということが、本当の喜びであるということは、体験したことのない人でないと分からない。同じ、死に向かう人生に目を留めなければいけないときが来る。この人生の様々な困難を分かっていても、たとえどんなときでも、神様の御許に召されていくことが、どれほどの幸いかを知っていなければいけない。
だれも、そのことを知らない中で、私たちの主イエスは、「子よ、あなたの罪はゆるされる」と語ってくださった。人々が望んでいるわけではないのに、この最も大きなプレゼントを与えてくださった。私たちにも同じプレゼントが与えられている。
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その人達の信仰を見て

2005年10月16日 | 主日礼拝
2005年10月16日
釜土 達雄 牧師
マルコによる福音書2:1~12

◆目的は病気の癒しではなく福音の宣教
 場所はカファルナウムである。前のページ1章21節に、カファルナウムに着いたと記されている。その前には、ガリラヤ湖のほとりを歩いている。この位置関係は極めて近い。29節には、会堂を出てシモンとアンデレの家に行っている。山上の説教の場所が、だいたい能登病院の場所だとすると、カファルナウムの場所が浜野病院くらいの位置で、近所の話である。数日たって、イエスが再びカファルナウムに来られるというのは、金沢や富山に行ったのではなく、近くに行ったということである。まちに一つの教会ではなく、それぞれの場所に会堂があった。七尾で言うと、お寺のような感じで、たくさんの会堂がある。
 現在は、発掘が進んで、どの場所にどの会堂が建っていたかが分かる。そこは観光名所になっている。聖書の世界はリアルである。発掘をすれば、場所が確定できる。そこで、イエス様は何をしておられたのか。我々が見るのは、病の癒しである。1章21節汚れた霊にとりつかれた人を癒す、29節多くの病人を癒す、40節らい病を患っている人を癒す、2章1節中風の人を癒す。病気だった人を治すことは、イエス様の大きな働きのように見える。記されている物語は、たしかにそうだが、しかし、イエス様がここでやろうとしていたことは、いったい何だったのか。それは、1章14節に記されている。「神の福音を宣べ伝えて」と記されている。イエス様がこの御言葉を語り続けていたことを忘れてはならない。病気の癒しは付随的なことであって、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい。」と御言葉を宣べ伝えられていた。
シモンとアンデレに「私についてきなさい。人間をとる漁師にしよう」と言っており、医者にしようとは言っていない。福音を宣べ伝えるようにしようと言っている。たくさんの人がついてきて、病を癒してもらうが、イエス様は病気を治すために来られたのではなく、福音を宣教するためにこの世に送られたのである。

◆神が共にいてくださる苦しみ
 しかし、人々はイエス様の意図とはまったく別で、自分の困難や自分の苦しみを携えて、それを何とか解決したいと思って集まってきた。神様の御心を携えて、神様がいかに私たちを愛しておられるかを福音として取り次ぐために地上に来られたイエス様。しかし、人々は神の子が来てくれたのだから、あの問題もこの問題も解決してもらおうとして集まってきた。私の苦しみ、私の困難を解決してほしいと願っていた。
 イエス様は、これから逃れはしなかった。繰り返し魔法のように一発で解決する。
私たちはもうひとつ覚えていなければいけない。病を得て苦しんでいた人々が、イエス様から病を治してもらったからといって、二度と病にかからなかった人ではない。ラザロという人が、イエス様から生き返らせていただいたと聖書に記されている。しかし、ラザロが今でも生きているわけではない。イエス様のところに行って、問題を解決してもらっても、それは一時的なものであって、時がすぎるならまた困難がやってくる。しかし、イエス様は変わらないメッセージを語り続けてくださっている。「全能の神があなたと共にいてくださっている」病を超えて、苦しみや悲しみを超えて、神が私と共にいてくださる。死なない方がいいと思っている人にとっては、牧師が「安心して死んでいきなさい」ということを聞いて、何と言うことを言うのかと思うだろう。 これは本当に言う。「安心して死んでいきなさい。神があなたと共にいる。」これは、昔から教会がやってきたことである。元気なうちに言わなければいけなくなる。牧師の仕事とは、そういう仕事である。「縁起でもない」と言われる。生きているときも死ぬときも、あなたは神様に愛されているから、安心していなさい。病のときに、安心して病と闘ってくださいと言う。
 そうはいえども、そんな信仰に気づくのはずっと後である。

◆困ったときの神頼みは信仰か
イエス様は御言葉を語っておられた。福音にみんなが耳を傾け始めた。戸口のあたりまで、いっぱいになった。2,30人でいっぱいになるような家である。そういう状況で、耳を傾けていた。そこにひとつの事件が起こる。4人の男が中風の人を運んできた。みんな神様の御言葉に聞くことで精一杯であった。神様の御言葉を聞いて、喜んでいた。けれどもそのときに、病気で苦しんでいた人、その人を助けようとしていた人がいた。神様の御言葉を聞いている人が邪魔をして、苦しみを持っている人、彼を助けようとしていた4人の思いを阻んでいた。誰も相手にしなかった。屋根に上って、イエス様がおられる場所のあたりの屋根をはがし始めた。上は、パピルスのような茅葺に近いものである。そして、穴をあけて四隅に紐をつけて、上から下ろした。人々は、びっくりしたことだろう。驚くべきは5節である。「イエスはその人たちの信仰を見て、『子よ、あなたの罪は赦される』と言った。」
神様の御言葉に耳を傾けていた人々がいた。彼らは、別に御言葉に耳を傾けたいと思っていたわけではない。ただ、病気を治してほしいと思ったのである。耳を傾けて、神を賛美したいとは微塵も思っていない。こんなの信仰ではない。しかし、イエスはこの人たちの「信仰を見て」と記されている。これのどこが、信仰か。病気が治りたい一心である。しかし、イエス様が見たのは、この人たちの信仰なのである。イエス様がどのように病を治していたか、どのようなときに病を治し、どのようなときに治していないかを出すことを聖書からみることができる。
イエス様が、その人たちの心を見ておられることは事実である。イエス様が見ていたのは、中風の病を得ている人の信仰ではない。周囲の4人の信仰ではある。自分の苦しみ悲しみの解決ではなく、苦しんでいる人を見ておけなかった周りの人の心である。自分たちでは何もできないが、イエス様のところに行けば何とかなるのではないか、と考えていた人たちなのである。
この物語を繰り返し、繰り返し読みながら、あの耳タコのフレーズを語るようになったのである。「困ったときの神頼みはいけない。しかし、困ったときに神頼みもしないのは、もっといけない」本当に困っているときに、神頼みをせずに自分で何とかしようとするのはよくない。彼らは、自分のために、このような行動に出たのではなかった。愛するもののために、何とかイエス様のところに連れて行こうとした。神様のところに行けば、何とかなるのではないか。これは、信仰の基本中の基本である。
こんなものは、信仰ではないといわれる。しかし、愛している者を助けるために、イエスさまに頼ることは、信仰そのものである。そして、そんな風に「助けて」と言ってくる私たちを宝としてくださるのである。そんなに複雑なことを考える必要はない。神様のところへ行けば、きっとなんとかなる。祈りをしっかり祈り続ける。きちんと賛美をし、御言葉にしっかり耳を傾けて地上を歩んでいきたい。そんな私たちの素朴な信仰をイエス様はしっかりと見ていてくださる。
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誰にも、何も話さないように

2005年10月09日 | 主日礼拝
2005年10月9日
釜土 達雄 牧師
マルコによる福音書1:40~45

◆らい病
 らい病を患っている人が出てくる。重い皮膚病と表現される時もある。私自身もこの病を得てきた人々とかかわりがあった。療養所に行ってライフキャンプをしていた。偏見に満ちた病である。特効薬があり、病気自体は完治するが、後遺症が残る。病気自体の苦しみと同時に、後遺症の苦しみがある。後遺症に苦しんでいた友人がある時、右足に包帯をしていたのに出会った。どうしたのかと聞くと、釘の出ていた板を踏で家まで帰ってきてしまったという。足が血だらけだったという。末梢神経がその機能を果たさない。釘が刺さっていても気づかない。熱いお鍋も熱さがわからないから、持ってしまう。気をつけないと傷だらけ、やけどだらけになるのだという。
 治療薬のないときには、病気の進行と後遺症で大きな苦しみをもたらす。手の形や顔の形、骨の形も変わってしまうタイプもある。たいへん辛い病である。この病気を患っている人が、イエスの元に来て願うということは、大変なことであった。当時は、人々から忌み嫌われて隔離されていた。
 伝染病なので忌み嫌われていたが、伝染病といってもそんなに感染力の強くない菌だという。空気感染ではなく接触感染。粘液や傷口からの感染という形らしい。しかし、当時は恐れられ、隔離されていた。
 この人がイエス様のところまでやってきて願う。「御心ならば、私を清くすることができます。」すると、イエス様が「よろしい。清くなれ」と言う。

◆病気は祭司の管轄であった
 さて、今日も奇跡の物語である。レビ記の13章には、英々とらい病についての記述がある。病気や癒し、奇跡について読むときに、知識を持っていただきたい。それは「昔、病気は祭司の管轄であった。」ということである。日本でもそうであった。病は医者ではなく、宗教に関わる人が扱っていた。
 もう一つ。聖書のこの物語は今から2000年前の話である。2、30年前の話ではない。
 当時は、病気になると宗教が絡んでくる。病気は神の業だと思われていた。天変地異も神の業だとされていた。これは、今でもそうである。故意や過失によるものは律法で裁かれる。それらは人の手になるものだ。けれど、そうでないものは、神様の手によって成されていると考えていた。病気や事故や天変地異は、神様に関わることであった。
 そうであると考えられていた時代に、神の業を持っている者のところに救いを求めていく。そういうときの救いとは、単純に病気を治してもらうということではなかった。私たちの周りにも厄年のときに、清めてもらうためにお祓いをしてもらう人がいるように、このらい病の人も、清めてもらいに行った。病気を治してもらうことと清くしてもらうことは、同じ意味合いがあった。

◆福音によって清くする
 このらい病を患っている人は、病気を治してもらいたいと思って「清くしてほしい」と願った。しかし、イエス様は、病気を治すということを超えて「清くなれ」と言っている。イエス様の目的は、病気を治すことではない。福音を宣べ伝えることである。福音を宣べ伝える結果として、病気が治ることであった。イエス様の周りに集まってくる人々は、福音はまぁ聞くけれども、病気を治してほしかったのである。そこに、大きな違いがある。
 目に見えているのは病気の癒しである。しかし、イエス様がなしているのは「清め」なのである。福音によって、清くする。その業であった。その結果として、この病は治っていく。この人はとっても喜ぶ。福音に触れて清くなったことではなく、病気が治ったことを喜んでいるのである。いま自分が持っている悩みがなくなること、不安から開放されること。それが、彼の喜びであって、福音に触れること、イエス様と出会うことではない。
 私たちの周りにも、教会に行ってみたいという人がいる。そういう人の言葉を聞いて、何となく、違うな、と思うことがある。この人が期待していることがらと、私たちが礼拝で聞いていることがらが違うからである。教会へ行っていいことがある。何がいいことなのか。私たちが知っているのは福音である。神を賛美することが許されていることのすばらしさを知っている者にとっては、礼拝に集い、神様を賛美することは、大いなる喜びである。たとえ、どんなに苦しい思いをしていても、治らない病を背負っていても、家族に不幸があっても、神の前に立ち、神様が私のことを知っておられ、私の人生すべて、死んだ後のことにさえも責任を負っていてくださると聞くことは、どれほどの喜びか。
 この病やこの家族の不幸を目の前にしている人にとっては、死んだ後のことはどうでも良い。今の苦しみ、悲しみを開放してほしい。今度の決算までに、銀行がいくらのお金を貸してくれれば・・・。そういう風に思うのが私たちである。
 しかし、そういう問題に、イエス様は福音で出会ってくださる。

◆語ってはならない
 そのあとにイエス様が、こうおっしゃっていることに、「?マーク」が頭の中に飛ぶはずである。なぜ、イエス様は誰にも話さないようにということをお命じになったのか。なぜか。
 私たちと同じキリスト教の世界にも、私はこうして人生が変わりました、という話をする人がいる。そして言う。「私はそこで、神の全能に触れた。」
 だとすれば、この全能に触れた病気の治った人に、すべての人に宣べ伝えて、「私は神の力によって、清くなった」と言い広めよ、とおっしゃるはずである。しかし、イエス様は、「誰にも何も話さないように気をつけなさい」と言った。ただ行って、祭司に体を見せ・・・と命令している。誰にも何も話さないように気をつけなさい。ところが、この人は、全能の神のひとり子の命令を無視して、多くの人にこの話をした。大いにイエス様の評判を高めるために、しゃべった。しゃべるな、と言われているのに、しゃべった。
 なぜ、こういうことになっているのか、よくよく知っておかなければいけない。この病を治してもらった人は、病気の治ることが目的だった。イエス様のところに行ったのは、自分の苦しみや悲しみを取り除いてもらうためである。けれども、イエス様が宣べ伝えていたことは、福音であった。「神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信ぜよ」というメッセージである。彼の中に、神の国が近づいた喜びはなかった。悔い改めるつもりもない。ましてや悔い改めて、イエスキリストを救い主として信じるつもりは、さらさらない。彼にあるのは、自分の困った事柄を解決してくれるイエス様に出会うことであった。一番、典型的なのは、神の子イエスキリストの御言葉に忠実に従うことではなく、自分がどう思ったかの方が大事なのである。彼は、病気が治ったと思った。嬉しく思った。・・・しゃべったのである。
しかし、イエス様の言葉を信じ、悔い改めて福音を信じるならば、「誰にも何も話さないように気をつけなさい」と言われたら、気をつけるであろう。神の子の言葉なのだから。ここが決定的な違いであった。

◆閉ざされてしまった福音
 すなわち、福音を宣べ伝えるというのは、私にどんな出来事が起こり、どれほど私は神様に出会うことによって幸せになったかを語ることではない。
 私たちの主イエスキリストが、あの十字架と復活によって、何を成してくださったのか。そのことによって、神の福音がどれほど私たちに近づいたか。私たちは神に愛され、神と共に生きることが赦されたか。そのことを語ることに他ならない。この七尾教会は、ほとんど証をしない。自分の体験を語らない。
 自分の体験を語ってはいけないというのではない。自分の体験を語って、自分の苦しみが開放されたということを語りことは悪いことではない。けれども、それは、主の福音ではない。わたしが経験・体験したわたしの喜びである。主の福音ではない。
 繰り返すが、自分の喜び、体験経験を語ってはいけないというのではない。この病を得た人の喜びは、喜びとして共に喜びたい。イエス様はその人を叱られたわけではない。イエス様は、本当に苦しんでいる人が解放されて喜んでいることを、喜んでいてくださる。しょうがないな、本当は違うんだけどな、と思いながら、ちゃんと病を治してくださっている。
 ガリラヤ中の教会に宣教し、病を治していた。イエス様は病を治しているが、そうすることによって、病がいやされた人は、それを喜んだが、主の福音が閉ざされてしまう。
 45節~「しかし、彼はそこを立ち去ると、大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた。それで、イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいないところにおられた。」なぜ、イエス様は人のいるところに居られなくなったのか。彼が大いに語ったからである。イエス様は、福音を宣べ伝えることができなくなった。神の国の到来、悔い改めの福音を宣べ伝えることができなくなった。しかも、それでも人々はイエス様のところに集まってきた。福音ではなく、病の癒し、苦しみ、悲しみからの解放を願って集まってきたのである。

◆「福音」を宣べ伝える
 私たちは、何を求めてここに集うのか。また、何を宣べ伝えるために、ここから出て行くのか。イエス様ご自身が、私たちに求めているのは、福音の宣教であって、私のような罪深い者を、十字架と復活によって、神と共に生きる者に変えてくださった。私たち一人ひとりの命を宝物としてくださった。私たちは、しっかりと苦しみを受け止めながら、神様が与えたもう苦しみや悲しみ、病をも喜んでいる。
 神の御許に行くときに、私自身のすべてを見ていてくださる方に信頼をして、永遠の命の中をもう一度歩むことが許されている。だから、この地上で損をしたとか、こんな苦しみを与えられて、たった一度の人生なのに・・・などと思うことはない。愛するあの人と、また合間見えることを信じて生きている。この地上を生きているときも、死ぬときも、死んだあとも、主が共にいてくださることを喜びとする。わたしが死んでも、主がわたしを捉えていてくださることを福音として、信じている。それが私たちである。病は、一度いやされたとしてもまたわたしたちは別の病に捉えられるであろう。そして時がくれば死を迎える。わたしたちが信じる福音は、死ぬまでの間の一時の幸いを得る癒しの福音ではない。死を超えて、主なる神に捉えていただける福音である。
 主は、私たちのような小さな者を用いて福音を宣べ伝えることを決心された。「誰にも、何も話さないように。」それは、福音を小さなものにしてしまうわたしたちへの戒めだ。本物の福音に生きることを求められた、主の言葉である。
 
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病をいやされる主イエス(2)

2005年10月02日 | 主日礼拝
2005年10月2日
釜土 達雄 牧師
マルコによる福音書1:35~39

◆御言葉を宣べ伝えるのは「会堂」
いよいよイエス様が弟子をとって公の生涯を歩み始められる。イエス様がいったいどこに行かれたのか。それらについて極めて単純に記されていく。「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも私は宣教する。そして、ガリラヤ中の会堂に行き宣教し、悪霊を追い出された。」21節から34節のような出来事は、特殊な出来事ではなく、それぞれの会堂で起こっていたことであるということが、マルコが記したいポイントであった。ペテロの家の前の会堂で起こった出来事が、同じように他の会堂で起こっていた。会堂で御言葉が宣べ伝えられていた。山上の説教は、とても有名である。イエス様が御言葉を宣べ伝える中心は、山上ではなく、道端でもなく、会堂であったということである。山上での言葉がとても有名になったことは事実であるが、イエス様が第一に御言葉を宣べ伝えていたのは、会堂であった。主日の礼拝で、人々が耳を傾けてようとしているときに、イエス様は会堂で御言葉を宣べ伝えられていた。
なぜ、このことをしつこく言うかというと、今でも、イエス様は会堂で御言葉を宣べ伝えているということである。私たちは、様々な場所で、御言葉に触れることができる。説教集やCDやカセットテープで御言葉を聞くことができるし、ブログでも読める。会堂に来なくても良くなってしまう。しかし、間違えてはならない。キリストは自由なので、御言葉はどこでも宣べ伝えられる。私たちの主イエスキリストは「会堂」で、説教をされたのである。そこがすべての土台であるということである。
ペテロの家で、しゅうとを癒し、イエス様は、たっぷりと御言葉を宣べ伝えられたかもしれない。しかしこのペテロの家に、いつ行ってもイエス様が御言葉を語ってくれるわけではない。山上の説教が語られた山がある。今でも行ける。しかし、そこでイエス様がいつでも御言葉を語ってくださるわけではないのである。今でも、御言葉を語ると約束してくださっているのは、この礼拝の中だけである。毎週、御言葉が宣べ伝えられるのは、この「会堂」なのだということを忘れてはならない。だから、私たちはこの礼拝を宝にしなければいけない。私たちが御言葉に触れることができるのは、礼拝の時間である。それを宝として、聖別していくことが大切なのである。
どこででもキリストに出会うことはできる。しかし、イエス様の御言葉が確実に聞けるのは、会堂である。事実、イエス様ご自身が、ガリラヤで宣教していたとき、ガリラヤ中の「会堂」で御言葉を語っていたということを忘れてはならない。

◆イエス様の目的
強調点は、そこまでだが、そのほかのポイントもさらりと見ておきたい。ひとつはイエス様が早起きだったということ。それだけではない。イエス様は寝られる方であった。嵐の中でも熟睡される。イエス様がどういう方であったか、なんとなく想像できる記述である。イエス様は、朝早くから祈っておられる方であった。早起きしろというわけではないが、キリストに倣うということを言うならば、こういう一言、一言は注目しておくべきである。たまに祈っていたのではない。イエス様は、毎朝早く起きて、人里はなれたところで祈っている方であった。
36節「シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、「みんなが捜しています」と言った。」みんなが探しているという。みんながイエス様を求めているというのである。朝早くから、イエス様、働いてくださいと弟子たちが願う。そういう情景しかし、イエス様は言う。「近くの町や村へ行こう。そこでも私は宣教する。そのために私は出て来たのである。」
みんながイエス様にいろんなものを求めて集まってきていた。これもしてください、あれもしてくださいと願い事を持ってきた。そのときイエス様は「分かったみんなの願い事を聞こう」と、おっしゃったのではない。イエス様は、何のために出てこられたのか。そのために私は出てきたのである。福音を宣べ伝えるために。何と言って福音を宣べ伝えていたか。「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて、福音を信じなさい」これが、イエス様の福音である。これを宣べ伝えるために私は出てきたのだから、ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された。
御言葉が第一、癒しは第二なのである。イエス様が出てきたのは、御言葉を宣べ伝えるためであった。神の国の福音を宣べ伝えるためである。しかも、それは「会堂」で宣べ伝えられていたのである。このことをよくよく知っておきたい。

◆奇跡についての基本姿勢と発題
次は、癒しの方にポイントを置きたい。今日の説教題は「病をいやされる主イエス」である。なぜ、福音を宣べ伝えることと、病の癒しが付いてくるのか。ガリラヤの会堂へ行き宣教した、という事柄だけではなく、なぜ悪霊を追い出されたという記述が付くのか。なぜ、悪霊を追い出したり、病を癒されたりするのか。このことを少し考えておきたい。
そのときに、奇跡についての当然の見解として、確認しておきたい。クリスマスの夜にお生まれになったイエス様が神の子であれば奇跡ぐらい起こしても当然だとが、私たちと同じ人間であれば、そう簡単に奇跡を起こしてもらっては困るという話である。先週から、もう一つのことを言った。それは、病気は再び起こっているということである。復活したラザロは、そのあとずっと生きているのではない。嵐が静まっても、今でも台風はやってくる。イエス様は、何ゆえに病を取り除くことをされないのか。何ゆえに永遠の命をすべての人々に、そのままお与えにならなかったのか。嵐をこの世から取り去らなかったのか。私たちは、このことを深く問いたい。この「なぜ」ということを心の片隅においておきたい。

◆人生で確実なことは2つだけ
 11月に、少しびっくりする講演依頼があった。感銘して、快くお引き受けした。今月は田鶴浜で家庭教育の講演もあった。有磯小学校で聞いた話の同じ話をしてくださいと言われる。しかし、次の講演は、田鶴浜高校の看護科から「宗教について」語ってくれと言われたのである。びっくりした。看護をするときに、自分がもう助からないという人の前に、どう立てばよいか。大怪我をして助からない人に、どう言葉をかけていけばいいのか。心のケアの仕方など、そういうことを考えながら看護をしなければいけないという。
実習をする高校生たちに、看護科の先生たちが準備した、観察のポイントが14項目ある。そのうちの一つに、患者さんが、どのような宗教的背景を持っているかという視点がある。ところが公立高校なので、どうしてよいか分からない。先日、先生が14のリスト表を持ってきて、どういうことを私が願い、先生方がどんな考え方でやっているかを事前の準備をした。
 普段の講演で、どんな話をするかということも少し話した。一番大事なのは、「人生で確実なことは2つだけ」の話である。生きているということが大事だが、自分が死ぬ存在だと知っていることも大事である。死ぬということが分かっていて生きている人と、死なないと思って、ぼんやり生きている人の間には決定的な違いがある。
18~20歳の青年が特攻隊で死んでいくことを思いながら自分の人生を見つめた「聞け、わだつみの声」では、家族や国や愛する者への想いがあふれている。バイトすれば自分のお金が入ってくるという若者には、そういう切実感や突き詰めた感性がないのではないか。これは、大事な話である。

◆HowとWhy
講演の準備をする中で、本当に皆さんにとっては当たり前の話であるが、「How」と「Why」の関係を話さなければいけないと思った。大怪我をしたり、大きな病を得た人、生きるか死ぬかという患者さんは「なぜ」と思うだろう。しかし、お医者さんは「How」で答える。それでは、何の解決にもならない。なぜ、私が癌になるか。癌になるまでのメカニズムを説明されても心が癒されるわけではない。交通事故で大怪我をする。自分の体が元に戻らなくなると告げられる。「なぜ」と思う。怪我の状況を説明されても癒されない。私たちは、人生の危機に出会ったときには、どのようにそうなったかを聞かされても意味がない。むしろ「なぜ」と問うてしまう。
同じことを私たちは問うてきた。なぜ、私は生まれたのか。なぜ、この人がお父さんとお母さんなのか。なぜ、生きているのか。問うた青春時代がある。そのことについて、考えることをやめなさいと言われてきた。そんなことを考える前に、今度の中間テストをがんばりなさいと言われる。だから、それを問わなくなってきた。問わないままに福祉の道、看護の道に進む。ところが、そこで課題が出てくる。人と出会うときに、その患者さんの宗教的な背景を知ることが求められる。学校の先生がどう教えていいか分からない。生徒たちが、どう学んで良いか分からない。少なくとも、この日本は、それらの問題を問うこと自体を愚かしいこととしてきた。信仰を持つこと、哲学、神学することを、どうでもよいことのように思ってきた。みなさんも、自分の周りに居る人と語ってみて、感性の違いに驚かれた経験があるだろう。ところが、そういうことを否定してきたはずの公立高校が、それを私のところに求めてくる。
 先生方は、宗教的な事柄を何とかしなければいけないが、よく分からない得体の知らないものと考えて、どうしようと悩んでいた感じである。本当に、そういう人々がいろんなことを求めていると感じる。

◆神の栄光が現れるための病
 イエス様はおっしゃった。たくさんの求めがある。しかし、近くの町や村へ行こう。そこでも私は宣教する。そのために私は出てきた。そのイエス様が、実際に病を癒されるときに、語られたスタンスとしての有名な言葉がある。確かに病は治った。しかし病が癒される前にイエス様が語られた言葉がある。なぜ、病を残されたままにされたのか。事故が起こることを容認しているのか。なぜ、人は死ぬものとして放置されたのか。一度は生き返らせていただくラザロが、病気のときにこのようなことを言っている。
聖書188ページ。ヨハネによる福音書11章1節~「この病気は死で終わるものではない。神の栄光のためである。神の子がそれによって、栄光を受けるのである」不思議な言葉である。人々の心配は病であった。わざわざイエス様にその話を耳に入れた。ほとんどの人々の病は死によって終わる。病によって死ぬ。しかし、明らかにこのときに、ラザロはこのあと病気で死ぬが、その病気は死で終わるのではないと言った。この病は、神の栄光のために与えられているというのである。神の子がそれによって、栄光を受けるのだ。深く考えていただきたい。
同じような箇所もある。ヨハネ9章1節~生まれつき目が見えない人の障害について、弟子たちがイエス様に尋ねたときの問いと答えである。この人が目の見えないのは、「神の業がこの人に現れるためである。」

◆信仰的大転換
私たちはいつも、「なぜ」と問う。そして、答えが見つからないままに、病を取り除いてほしい、治してほしいと思う。ところが、イエス様がおっしゃっておられるのは、そうではない。神がその人にその体、病、出来事をお与えになったのである。神の知らないところで起こったのではない。神の業が現れるために、そのことが起こっている。多くの病が起こっている。それを何とかしようと、たくさんの宗教をめぐっている。苦しいのだから当然である。言われたことに、そうかなと思って、その通りにする。しかし、間違えてはいけない。イエス様は、神の業がこの人に現れるために、この病を得ている。神はその病を知っている。意味があるというのである。神の業が現れるためだと言う。主の栄光が現れるためである。その栄光の備えをあなたは十分に用いなければない。病が治ることが目的ではない。主の栄光が現れるかどうか。それが、最大の目的なのである。
これは、驚くべき宗教的出来事である。愛するものが病になっているとき、これを受け入れることがどれほどの困難か。また、これを受け入れることがどれほどの幸いか。これは、田鶴浜高校では言えない。解説不能である。われわれが人生で苦しみや悲しみに出会うときに、それが主の栄光のために、神が私たちに与えたことであるということは、信仰的大転換である。自分のために神を利用するのか、神の栄光のために私が用いられるのか。この決定的な信仰的大逆転が起こらない限り、受け入れられない。田鶴浜高校では、せめて信仰的な香りに触れていただき、見えざるものへの畏れを持っていただければ、と思う。彼らがそういう経験から、私たちがこの礼拝堂で聞いている主の御言葉に触れることがあれば、どれほど幸いなことか。そのためにイエス様は、この会堂で宣教しているのである。それに勝るものはないのである。
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