日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

富来伝道所の十字架

2008年03月28日 | 地震のあとで
白百合幼稚園の修理の報告ということで、久しぶりに今井さんが登場。ついでに釜
土先生にも見てもらおうと持ってきたのは、富来伝道所の十字架のデザイン。
建物を新たに設計してみるとやはり前の十字架をそのまま使うというのはうまくいかないらしい。建物にあわせてどのくらいの大きさがいいか・・。
富来伝道所の設計・建築は、七尾教会牧師館のコンビ、角尾&今井によって進行中。まだ着工の日とかが決まったわけではありませんが、羽咋教会の牧師や長老と話し合いは続いているようです。
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おふくろの味

2008年03月27日 | 地震のあとで
昨日は歯痛でどうにもならない一日を過ごしました。すると、教会でもう一人歯痛の人が・・・。私が痛かったのは左奥歯下。もう一人の春成さんは左奥上。
どちらもやはりイースター、お葬式の疲れから、ほおっておいた歯がうずいてきた感じです。
今日もあまりかたいものは食べたくない心境で、スーパーのお総菜売り場を見ると、目にとまったのは、「べっこう」。卵を寒天でかためた郷土料理。このへんではお祝い事など人が集まるときにだされるようで、卵かんてんとか、えべすとかいろんな言い方があるようです。
七尾教会では、「松百さんの富士山」と呼ばれておりました。婦人会の総会やいろんな愛餐会。富士山の形のべっこうがいつも食卓にありました。これがなんともおいしくて、七尾教会の「おふくろの味」。でも皆が作り方を聞いても、それほどのものじゃありませんというようなほほえみを返すだけの松百さんでした。
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神、共にいまして

2008年03月25日 | 地震のあとで
地震一周年のちょうどその日に葬式。なんというめぐりあわせ。いや、神様のご計画。礼拝堂はたくさんの人であふれた。初めて礼拝堂に足を踏み入れた方も多かったのだが、義理できている方達ではなく、本当に松百姉妹の友人達だったので、教会での葬式も当たり前に受け入れていただけたように、思う。
出棺のおり、「神ともにいまして」の讃美歌をひいてくれるように奏楽者にお願いした。葬式の時にこの讃美歌を使われるのは、珍しいようで珍しくない。
私は何人かのお葬式でこの讃美歌を歌った時、不思議に、見送っているその方々が、残されていく自分たちに「神のまもり汝身をはなれざれ」と言ってくださっているような気持ちになる。この七尾教会では道井さんという姉妹を送った時、そうだった。今回松百さんもそう。
七尾教会を表面しか知らない人は、ここは釜土達雄牧師の教会だと思っているだろう。それはあくまで表面。釜土達雄が何を語ろうとも、それに教会の人がついてきてくれなかった何になろうか。この教会を守り、幼稚園を守ることを主の御心と信じた素朴な信仰者達の教会、それが七尾教会。
地震一周年の日に葬式。「この礼拝堂での最後の葬式」。そう心に刻む。
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おかえりなさい、松百さん

2008年03月24日 | 地震のあとで
前夜式にさきだって、松百さんのご遺体が教会礼拝堂に運ばれてきました。心の中で「おかえりなさい」と声をかけました。今思い返すと悔いが残るのは、松百さんとの最後の電話。「ちょっと手術しなくちゃいけないので、しばらく教会をやすみます」「どのくらいですか」「一ヶ月ほど・・・。元気になったらまた教会にきます」。
私はその言葉になんの疑いも持たなかったのです。手術して、一ヶ月で退院してまた教会の礼拝にいらっしゃるんだろう。一ヶ月もお休みするなんて、珍しいなぁ。
でも本当は大手術で、手術の後回復することなく・・・。一度だけ車いすに乗って礼拝にいらした事があっただけでした。
私は教会の建物以外の場所で、松百さんに出会ったことがほとんどありません。共に礼拝を守るものとしてだけのつながり。それがどれほどの交わりであるか、教会の外にいる人にはあまり理解していただけないかと思います。
失ってわかる、一人の信仰者の重み。地震の後で、「ああ、松百さんがいてくださったら・・」と何度思ったことでしょう。
万感の思いを込めて、明日、葬式。
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イースターの朝に

2008年03月23日 | 地震のあとで
土曜日に卒業式を終え、今日はイースター。朝から卵探しに歓声をあげる子供達の声がひびいた。
そしてイースター礼拝。礼拝が終わった直後の事だった。電話がなった。一人の姉妹の死を知らせるものだった。
松百恵美子さん。3月に入って、容態が悪化した事を教会の皆が知っていた。この知らせがくるのがいつになるのか、皆覚悟していた。
今日の10時36分。イースター礼拝の招詞が司式者によって読まれている頃。
松百さんらしい。やっぱりイースターの日にいかれたんだ、と。彼女の信仰を証するような日。
そして、教会と幼稚園の全てがわかっている方だったから、卒業式の後、イースター礼拝の後にと思われたのだろう。
実直なクリスチャンだった。七尾教会の「母」。包容力のある方で、みなを包んでくれた。どんな会にしても、松百さんが「それにしましょう」と一言おっしゃればそれでまとまった。
何より良き礼拝者だった。礼拝を休むことはまずなかった方だった。
ご家族の中では唯一のクリスチャンだが、ご家族の理解を得られて、教会での葬儀となる。3月25日、能登半島地震から1年となる日。敬愛する姉妹の葬式となる。
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自分が今、一番誠実でありたいと思う人は

2008年03月07日 | 地震のあとで
ようやく、卒業式にむけての準備にとりかかれるようになりました。本当にようやく。あと2週間後に送り出す19人の子供たち。この1年、いろんな意味で私を支えてきてくれた子供たち。
振り返れば、十分なことをしてあげられなかったという思いばかりが浮かんできます。あれもしてあげたかった、これも今年はできなかった・・・。
地震、引っ越し、幼稚園の改修工事、引っ越し・・・・。
だから今、最後の2週間にむけて思う事。
あと2週間だけはこの子たちの事を一番に考えてあげよう。この子達にできることをしてあげよう。そうでなければ、地震を言い訳にして、逃げることになる。神様がこの七尾幼稚園に送ってくださった子供達に、不誠実となる。

地震一年後までは毎日更新しようと思っていたこのブログをしばらく不定期にしようと思います。集中しよう、と思います。
地震後だからこそ、精一杯の思いを込めて、19人の子供達と向き合いたいと思います。おゆるしください。
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旧友達の今

2008年03月06日 | 地震のあとで
教会青年会時代の友人より手紙が届きました。中にその頃の友人達の消息がいろいろ書かれていて、懐かしく思いました。地震後、こんなふうに旧友たちに励まされることが多くなりました。
1985年に東京を離れました。もうすぐ23年の時がすぎていこうとしています。旧友達の消息を読みながら、もう何年あっていないのだろうかと思います。私が一番先に皆の輪の中から離れたので、皆がその後どんな人生を過ごしてきたのか、私はほとんど知りません。
私の結婚には多くの友が祝ってくれたのに、私は友人の結婚式に行くことはしませんでした。七尾に来てからは、七尾の事を優先。その姿勢をずっと貫いてきたゆえに、自分の親兄弟や旧友達にはご無沙汰のしっぱなし。無礼なことも多かったし、冷たいやつだと思われた事もあると思うのです。
でも、その時自分が与えられている仕事、今所属している教会を第一にという気持ちがあったからこそ、今の私がある。特に若い後輩達には、そうあってほしいと願うのですが・・・。なかなか伝わりません。そんな時、自分も年をとったなぁと思うのです。
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星のきれいな夜に

2008年03月05日 | 地震のあとで
また冬に逆戻りしたような寒い一日。つもるほどはふらないけれど、窓の外では雪が風に舞っていました。
祈祷会が終わって外に出ると、寒い寒い冬の夜。けれどふと顔をあげると、そこには星がたくさん輝いていた。
星座の知識はあまりないし、小さい頃からの近眼なのでたぶん人より見える星は少ない。でも今日はとてもたくさんの星を見ることができました。数え切れない星。
一人星を見上げて思いだす、聖書の言葉は、神様がアブラハムに「あなたの子孫は・・・」と言われたあの言葉。たとえどんな状況の時にも「主を信じた」、アブラハムの子でありたいと願いました。
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七尾市が大賞

2008年03月04日 | 地震のあとで
七尾市の成人式が、成人式大賞2008で、大賞に選ばれた、という新聞記事を見つけました。「成人式大賞」なんてものがあるなんてはじめて知りました。全国の成人式のコンテストがあるのだそうです。文部科学省後援。書類とビデオで審査員が審査をするんだそうで、今年が第8回。
七尾市は2004年に、旧七尾市と能登島町、田鶴浜町、中島町が合併して、新七尾市となりました。今年の成人式は、合併後はじめて一カ所での開催。今までより一体感を出したのだそうです。
何にしても、七尾市が全国で一位になるということはあまりない事なので、それだけでも喜ばしい事であります。毎年成人式になると、「今年はどの子が成人式だったけ」と思いだすのが、幼稚園をずっとしている者の楽しみであります。今年成人式を迎えたのは、ちょうど幼稚園の園舎を改築してすぐ入園した子供たち。新築の園舎ということで、人数が多かったクラスでした。
その中でおとなしかった女の子が、今年の成人式で踊りを披露したというのは聞いていました。地元で働いている姿はよく目にしていましたが、人前でそんなことをするようになったんだととてもうれしく思いました。というわけで、この「大賞」を受賞したというニュースを見て、彼女の顔を思い浮かべました。
地震後、さらに少子高齢化、人口減少がすすむ、七尾市。地元でがんばる若者は、宝物だと思うのです。
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今日もどたばた

2008年03月03日 | 地震のあとで
幼稚園では大きな行事の「おひなさまの会」が終わって一息、といいたいところですが、今日は交通安全教室。いつもと違う場所を使ったり、遊具を移動させたり、でドタバタ動いておりました。
そんな中、教会の玄関のドアホンが鳴って、急いでドアをあけにいくと、そこには内灘教会の3人が。ありゃりゃ、残念ながら私はお相手ができない!、あわてて牧師を呼びにいき、そちらは牧師にまかせ・・・。最後にせめてお見送りをという時になんとか間に合い、礼拝堂の前で祈りをあわせることができました。感謝。
そこに今井さん登場。こちらは、「昨日で白百合幼稚園の中の工事は終了しました」というご報告。子供たちのところをいったりきたりしながら、今井さんとお話。中の工事はなんとか予定通り終了した白百合幼稚園。中側は地震の傷跡をなくすことができたようです。(まだ最大の問題の耐震診断が待っています。)
いつまでたっても、落ち着いた生活にはほど遠い感じですが、一つ一つ対応するしかありませんね。

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