日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

派遣された12人(マルコ6:6b~13)

2006年05月28日 | 主日礼拝
2006年5月28日 釜土 達雄牧師

◆にもかかわらずの信仰
今日、私たちは弟子たちを派遣する箇所を聞く。先週は、主イエスキリストがナザレで受け入れられなかった話を聞いた。生まれ、育ち、共に生きてきたイエス様を人々は知っていた。計算の繰り上がりや繰り下がり、日本語で言えば漢字、書き取り、読み書きを出来なかったときを知っていて、間違いをしていたときを知っていた。そういうことを知っていた人々は、神の御言葉を伝えていたイエス様を見たときに、「よく、言うわ。」と思った。こう書いてある。「この人は大工ではないか。マリアの息子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。姉妹たちは、ここで我々と一緒に住んでいるではないか。」本人を知っているだけではなく、兄弟や親戚のことも知っている。性格や個性も知っている。人々は、こうやってイエス様に躓いた。イエス様のこと、またその家族のことが良く分かっているからこそ躓いた。私たちは、イエス様のことをもっと知りたいと思うかもしれない。イエス様のことをもっと知ることで、どれほど私たちが信仰的に満ちてくるかと思う。しかし、わたしたちよりもはるかにイエス様を知っていた人々が信仰に躓いている。
ローマの信徒への手紙はギリシャ語で書かれている。授業で北森先生からこう言われて安心した。「ギリシャ語をよく勉強しなさい。パウロが言っていることを原文でよく理解できるようになりなさい。しかし、そのときにギリシャが完璧にできたローマの人々が、すべて悔い改めた訳ではない。ギリシャ語がきちんとできることと信仰の問題は違う。」と教えられた。
「だからの信仰」ではなく、「にもかかわらずの信仰」が、私たちの信仰である。イエス様のことがよく分かっている。「だから」この人を神の子と認めるのではなく、知識としてイエス様のことを知っているかどうかと関わりなく、神様が遣わしてくださったこの方が神の子だと知っている。イエス様が地上に来られて、十字架につけられ、弱くこの地上を生きられた「にもかかわらず」神の子として、お立てになった方なのだと知っておきたい。

◆悔い改めの福音
そのイエス様が、付近の村々を歩いて宣べ伝えられた。付近というのは、ナザレの付近である。一本杉のあたりからみると、ちょっと離れて、小島や鍛冶町、石崎くらいまでの付近である。歩いて行くには少し距離があるが、聞いたことがならあるというレベルのところで教え始めた。ナザレとあまり状況は変わらなかったはずである。そのあとに、イエス様が十二弟子をお遣わしになる。それが今日のテキストである。
マルコ6:6b
イエス様は十二弟子を遣わしたが、しばしイエス様はナザレ周辺にとどまられた。何をしていたかは知らない。そのときに、弟子たちにこう言われた。「下着は二枚着てはならない」
与えられたのは、汚れた霊に対する権能であった。旅は素で行けということであった。杖一本だけで、パン持つな、袋も金も持つな。上着がなくなると命に関わる。下着は二枚持って行くな。着の身着のままで行け。あとはすべて主にゆだねよ、これがイエス様の言われたことである。
もうひとつは、「ひとつの町では同じ家にとどまりなさい。」
マルコ12節~13節
この十二人が、出掛けていったのは、「悔い改めさせるため」の宣教であった。「悔い改めさせるため」である。それは、バプテスマのヨハネがやっていた宣教の方法である。
マタイ3:1~12
バプテスマのヨハネが宣べ伝えていたのは、悔い改めに導く御言葉であった。人々が罪を告白し、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。
悔い改めにふさわしい実を結べ。悔い改めのバプテスマ。これがヨハネの宣べ伝えていたことであった。そして、イエス様がいま弟子たちを使わしたのは、バプテスマのヨハネと同じメッセージを宣べ伝えることを命じられたのである。
だから、マルコ6:14~のように、イエス様の名が知れ渡り、洗礼者ヨハネが死者の中から生き返ったと言われたのである。ヘロデは、イエス様が悔い改めのメッセージを宣教しだして、ヨハネが生き返ったと思った。いま、イエス様が述べ伝えているのは、悔い改めさせるための宣教であった。これを知っておいてもらいたい。

◆マルコ28章の派遣
牧師は神学校を出るときに、「遣わされる」と言う。それぞれの伝道地に散っていく。先週も教区総会があったが、そこで伝道師の准任式があった。石川県では、小松教会に来た松下保真先生などが受けた。今日の聖書箇所では、悔い改めの福音のために、遣わされたのである。多くの牧師が遣わされていくときに、こちらで覚えてしまう。悔い改めの福音なので、「あなたたちは間違っている」などと言いかねない。そういう若い牧師を見ると、ナザレから遣わされた十二弟子だなと思う。これは、イエスキリストの十字架と復活前なのである。このメッセージは、十字架より前の宣教なのである。
マタイ28:16~
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
これが、復活の主が命じられた派遣である。私たちはこちらで派遣されなければいけない。そういう牧者が派遣される。この言葉も大事だが、その前に、もっと大事なことがある。それは、ひれ伏したということである。イエスにひれ伏した。しかし、疑う者もいた。マルコ6章では、だれもひれ伏していない。悔い改めの福音を宣べ伝えているだけである。この復活の主の前でひれ伏しているのである。あのマルコ6章は、人間イエスから派遣された弟子たち。マタイ28章は、神の子、しかも十字架につけられ復活された神の子、神ご自身からの派遣として描かれている。ひれ伏すとは、神に対してのみなされる。その派遣の命令のときに、「すべての民を私の弟子にしなさい」と言われる。

◆神の前での冷静な心
イエスキリストのことをよく知っている11人の弟子の中に疑うものもいたというのは、すばらしいではないか。復活の主が現れて、ひれ伏しながらも心の中は、「ほんとかな~」と思っている。これが、この教会に似ている。この方が神の子である、アーメンと言いながら、ふっと「大丈夫かなぁ」と思っている。そう、それは最初からそうであった。私たちがマインドコントロールにかかっているのではなく、冷静に疑う心を神はお許しになっている。私たちはそれほど、神の前で、誠実で冷静でよい、自分の心をしっかり持っていてよい。このことは、ぜひとも、知っていたい。彼らに父と子と聖霊の名によってバプテスマを授け、わたしたちが努めなければならないのは、弟子にすることである。バプテスマによって。「自分を愛するように、隣人を愛しなさい」という命令、「心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして父なる神を愛しなさい」という命令をしっかり守るように、教えろということである。

◆七尾教会が見た奇跡
もうひとつ、マルコ6章では、イエス様は、ナザレの村で留まった。しかし、復活の主は、私は世の終わりまで、あなたがたと共に居るとおっしゃる。マルコ6章で牧者が派遣されていると派遣されているのではなく、マタイ28章で派遣されていると知っておかなければならない。
私は、そのようにして、この七尾教会に着任した。1983年3月末日。不思議だった。その当時、七尾教会がお化け屋敷と言われていたのを知っている。礼拝堂の中もぼろぼろだった。幼稚園のことを聞いて、県の人から言われたのは、「そろそろ建て直しを考えてください」ということだった。なぜそんなことを言われたのかというと、石川県で唯一汲み取り式のトイレだったから。
みんなが一生懸命言っていた。今村先生がいなくなったら、幼稚園は終わりだと思っていた。釜土先生を迎えたということより、今村先生とのお別れで気持ちがひとつだった。外壁はぼろぼろ、草はぼうぼう。
エアコンもなかった。夏は暑く、冬は寒く。作田のおばあちゃんは、献金のおつりを要求した。田村一夫さんに、城山に連れて行かれて、これが七尾ですと。はじめて展望台から七尾を見て、綺麗な町だと思った。そのときに、七尾の町に祝福のお祈りをして、展望台を降りた。この町を、この教会を祝福してください。降りてきて、そのときに幼稚園のことも何も分からなかった。計画も何もなかった。3ヶ月くらいは、何も分からなかった。しかし、一つだけ、そのときに言っていたことがあった。隣の土地は手に入れようと言っていた。「また言っている」で、めげてはいけない。手を置いてお祈りをしてから帰ってください。田村一夫さんは、お祈りをして帰っていた。それが、現実になると信じてはいたが、生きている間にそうなるとは思わなかった。園舎の建築もそう。それから、3年くらい経ったときに、都市計画の図面を手に入れた。この道路計画のときにしかチャンスがないと思っていた。だから、事業が動き出したときに、これは七尾教会が手に入れるべき土地だとすぐに市役所に言えた。市役所の人は聞いていないと言った。そりゃ、そうである。それは、私と神様の話であり、市役所の人が知るはずがない。
ここは七尾教会に売ることになっていた。昨日まで工事していた。信号がつくことになった。だれもそんなことは思っていなかった。この駐車場も、はっきり申し上げるが、私たちの時代に大変いい仕事をさせてもらった。100年、200年先もこの道路はなくならない。だから、これから代々の人は、隣の土地を売ろうと考えなければ、ずっとこの道沿いに教会はある。

◆大いなる業を成す主
わたしたちは、こんなにも小さな群れ、こんなにも力のない群れ、こんなにも財力のない教会である。わたしたちにあったのは、「きっと神様は何とかしてくださる。」ということだけであった。しかし、聖書をよくよく読んでみてほしい。からし種ひとつ粒の信仰から、小さなものが大きくなるという話をしている。大きいものを小さくなって、何かをお与えになる話はない。なぜなら、あなたたちではなく私がするからだ、というのである。
悔い改めと病を治す話で終わったのではない。ナザレの町に留まって、君たち行ってらっしゃいと言ったのではない。「世の終わりまで、いつもあなたたちと共に居る」といわれたのである。小さなものが大きくなることを現実に見るであろう。私たちは見ている、そしてそれを見ている。この教会に交わった多くの人が去っていった。昔、一本杉にあって、この一等地からこの馬出に来たときに多くの反対があった。そのとき教会は割れた。そして礼拝出席者は減った。そんなことがあったとしても、神様はその教会を、ふたたび一等地に出してくださった。私たちは、どんなことをも用いて、善きに変えてくださる父なる神と共に生きている。
そして、その父なる神が何をして下さるかを知っている。私は世の終わりまで、あなたがたと共にいる。ただ御言葉を聞いているだけではなく、成してくださる大いなる業を共に喜び、感謝する道をわたしたちに与えてくださっている。
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天上の喜び、地上の喜び(ルカ15:11~24)

2006年05月14日 | 主日礼拝
2006年5月14日 堀岡 啓信 牧師

◆たとえが語られた状況
 今日与えられた聖書の箇所は、「放蕩息子のたとえ」と記されている。イエス様ご自身が語られたたとえ話である。まず、今日の物語が語られた状況を確認したい。
この日、話を聞こうとして、イエス様のところにやってきた人たちがいた。徴税人や罪人たちだという。罪人とは、犯罪者と言うよりも、神様の御心に従って生きていない人たちという意味である。周囲の人々も、自分自身も、神の御心に従って生きていないと考えている人々である。罪意識と辱めの元で、打ちのめされている人たちである。こういう人たちがイエスのもとにやってきた。その主イエスのもとにそういう人たちが集まってくる様子を見ていた人たちがいた。パリサイ派や律法学者たちである。この人たちは、その様子をみて心に不平を覚えたようである。「この人は、罪人たちを迎えて、食事まで一緒にしている」と言った。この者はいったい、何を考えているのか、神の御旨に逆らって生きている人と食事までして交わっているという不平である。イエス様も、その不平が分かったのであろう。「そこで」イエスは次のたとえを語られたというのである。

◆失ったものがみつかるたとえ
3つのたとえ話が語られる。ひとつは、飼っていた羊がいなくなり、みつかる話。みつかった羊の喜びを分かちあう話である。次は、1枚のドラクメ銀貨をなくしてしまった女性の話である。銀貨をなくしてしまったことに不安を感じ、ともしびをつけて、家中を掃除しながら、一生懸命捜す。見つかるまで一生懸命に捜す。大事にしていたものがなくなって、一生懸命捜すことが私たちもあるだろう。そして、ついに見つかって、友達や近所の人をあつめて、ともに喜んでくださいという話である。
そして、3つのたとえ話の中で、もっとも人間的なたとえ話を語られる。それが、放蕩息子のたとえである。3つのたとえ話に共通点があることがお分かりだろう。羊は、羊飼いのものであった。銀貨は女性のものであった。息子は、父と子の関係だった。それらが失われて、それが見つかるという共通点がある。興味深い相違点にも気がつく。最初の羊は、羊飼いが探しに行った。銀貨の話は、女性が探す。しかし、放蕩息子の話は、父親が探したのではなく、放蕩息子の方で我に帰って、という話になっている。

◆神なしで生きようとする人の姿
息子は、前もって受けるべき財産を父親が亡くなる前に、もらった。自分なりに生きてみようと生活を始める。娼婦と呼ばれる女性とも交わって、持っていたお金を使い果たしていく。身を持ち崩しているそのときに、飢饉が起こる。そして、豚の食べるイナゴマメを食べてでも腹を満たしたかったとある。どうも、その放蕩息子は、イナゴマメを食べてでも生き延びたい、そういう状況に陥ったようである。
放蕩息子の姿というのは、現代人の心にある欲求や願いをよく表しているのではないか。父親から離れて、自分の思うとおりに生きてみたい。自分のもらう財産をもらって、それを使って生きていきたい。父親の元で生きる不自由さから自由になって、自分だけで、生きていきたいという願いである。
少し読み進むと、帰ってきた弟のことを見て兄は「このとおり何年もお父さんに仕えています」と言う。この「仕えています」という言葉は、奴隷として仕えるという意味の言葉である。弟の方は、兄が奴隷のように父に仕えている姿を見破っていたのではないか。俺は、そんな生き方はいやだ、まっぴらごめんだ、この兄からも父親からも離れて、自分自身で生きていこうと思ったのだろう。
神なしで、自分の力で生きていこうとする人間の姿がここにある。

◆神と共にいる喜びを忘れる兄
一方、兄のほうはどうか。信仰を持って歩んでいる者の姿をたとえているといわれている。教会に連なっている人ほど、この兄の姿に学ぶことが多いといわれている。
昨日、神戸にある松蔭女子大学というところに行っていた。キリスト教学校教育同盟という会合に出席してきた。キリスト教学校同盟の関西地区の会議であった。閉会礼拝のときに、その学校のチャプレンの先生が、お話しされた。
学校で教えていて、こういう生徒がいたのかということに驚くことがあるという。それは、卒業のときにはじめてクリスチャンだということが分かるというのである。学校にいたときには、宗教活動にいっさい関わらずに学校生活を送っている。学校生活が終わるときに、「きみ、クリスチャンだったのか」ということがあるという。その先生は、御自分もクリスチャンの家庭に育ち、そういう生徒たちのことが良く分かるという話をされた。日本社会にあって、自分はキリスト者だということを表明すると、他とは違うということを示すことになるのではないか、とお話されていた。隠れキリシタンというのは、現代でも存在するということである。そして、私もその話を分かる、と頷きながら聞いていた。
2年前まで小松教会の牧師をしていたが、そのときよりも今のほうが、信徒の方々が、大変な思いをして日曜日に礼拝に来ていることが、今は良く分かる。キリスト者になっても、ここで眠っていられたら、この時間があったら、と思うのではないか。父親のところに仕えていた兄の気持ちは、私たちと遠くない。神様と生きる方をとったばっかりに、こういうことになってきたという思いにずっと縛られている。
あからさまに神様にはむかうこともできず、父親の元の兄のように隷従して、いつしか喜びを失っていくということがある。そして、その兄からすると、弟を歓待している様子をみて、おかしいじゃないかと思う。自分には子牛ひとつほふってくれない。しかし、あのろくでなしが帰ってきたが、その子のために子牛をほふる。放蕩息子のたとえ話の中で、ひとつ大事な問いがある。それは「なぜ、兄は父親と一緒に喜べなかったのか」ということである。

◆父なる神の深い愛
たとえ話に出てくる父親の姿を何の偏見もなく見て、私たちの感想は「この父親は甘すぎる」という感想ではないか。私は教育現場にいるが、こんなことをやっていたら、学校はだめになる。私たちの普通の常識から見て、この父親は、甘いどころかおかしい。こんなことをやっていたら、人間はダメになるという話ではないか。財産を先に渡して、娼婦と交わってきた息子に、それだけのことをしてやるのはおかしいのではないか。弟もそう思っているようである。「もう、息子と呼ばれる資格はありません」と言っているではないか。雇い人のひとりにでもしてくれれば、助かる。増して、息子と呼ばれる資格などない。しかし、この父親はどうだろう。
おそらく、この父親は、「雇い人の一人にしてください」という言葉を言う前に、この父親は話をしたのだろう。一番良い服とは、普段着でも作業服でもない。上等のものである。指輪は父親から全権を委ねて与えられるものである。息子である証印である。サンダルも、非常に高級なものである。
兄は、その様子を見て思う。弟が十分に反省するまで、迎え入れることはするべきではないのではないか。増して、上等の衣を着せてやるとはどういうことか。
この物語は、父親の途方もない大きな愛に、兄も弟もついていけない話である。人間の考えている筋道には合わない神の愛を主イエスは語られるのである。いったいのこの愛はどれほど広いのか。

◆ありのまま信仰と十字架
今日、比較的広く広まっている信仰に、「ありのまま信仰」というものがある。今ある、ありのままのあなたを神様は愛してくださっている、というのがありのまま信仰のメッセージである。こういうメッセージがあるのも分かる。もっとがんばって、より高いものにならなければならないという思いにとらわれることがある。自分は勝ち組に入っているのだろうか、負け組みに入ってはいないだろうかと、なんとか魂をすり減らしながらもがんばる。
あるいは、自分はつまらないダメな人間なのだという思いにとらわれることもある。自分を高めてよりよい人間になろうとも思わない。たいしたことない人間なのだと思うときもある。そこで、ありのまま信仰のメッセージが語りかける。「あなたはそのままでよいのです。頑張る必要も、自分を低くみる必要もない。神様は、いまある、そのままのあなたを愛しておられるのです。」そして、このメッセージは、これは、父親にありのままで受け入れられた、放蕩息子の姿に一致しているようにも見える。
情けない姿で帰ってきた放蕩息子は、そのままに自分の息子として迎え入れられた。雇い人から始めていって、十分に反省したあとに、息子と認められたのではない。そのままで息子として受け入れられた。兄は、帰ってきたなり迎え入れるとは何事かと怒った。だから、ありのままで受け入れてくださるというメッセージは、今朝の聖書に一致しているように見える。
しかし、私たちが絶対に見逃してはならないところがある。それは、ここでの父親の途方もない愛が、失われた息子に注がれるためには、どうしても「イエスキリストの十字架」が必要であったということである。父の愛が私たちの前に現実となるために、十字架という痛ましい手続きを踏まねばならないことを覚悟しておられた。私達が、いまあるままで父なる神様の元にたちかえることができるように、御自分の命を捧げられ、救いの十字架についてくださった。主イエスは、その痛ましい手続きを引き受けるご覚悟で、この物語を語られたのである。
イエスキリストの福音は、「ありのままでよい」という単なる心のなぐさめを語るものではない。失われた羊、銀貨を探し求める愛と一つになられたイエス様は、ついに神様の元に私たちを取り戻すために、十字架にかかられた。私たちは、イエス様の犠牲を忘れて、今のままで良いという安易なメッセージを口にしてはならないのである。

◆神様の元に立ち返っていく喜び
おしまいに私自身のこともお話したい。私は、七尾市に生まれて高校3年生まで七尾市に育った。高校3年生のクリスマスに、この礼拝堂でそこにひざまずき、洗礼を受けて、クリスチャンになった。その私が東京で生活している中で、牧師になる志が与えられて、牧師になった。
3人しかいない教会学校に通っていた思い出がある。私たち3人以外は、たまに来ていた。ほとんどは3人で教会学校に来ていた。妙に、思い出される。雨の日であった。弟の手を引いて、教会に向かっていた。すると、一番親しい友人に出会った。これからどこへ行くんだ?と聞かれた。それは聞かれたくない問いであった。なぜなら、隠れキリシタンだったからである。
東京に行って、教会というところはいいところだと思い、牧師になろうと神学大学に行った。東京神学大学に入って、イエス様のことを人々に伝えようと思って、東神大に入ったのではなかった。牧師になるというのは、伝道者になるということだが、私は、積極的に伝道者になろうという気持ちが強くて、その学校に入ったのではなかった。もっと言うと、牧師になってからも、伝道しようという思いに燃えていたわけではない。牧師の生活をするうちに、伝道とは何だろうか。一人の人が洗礼を受けて、クリスチャンになっていく。それは嬉しいことだが、それは一体何なのだろうか。ある時点に、そのことが、だんだん分かってきた。
具体的には、週に1回、信仰を求めていらっしゃる方と個人的にお会いして、洗礼を受けた後もお会いして、その方が教会の信仰のこと神様の恵みについてよく分かってくるという体験があった。小松教会の牧師をしていて、一人の人が洗礼を受けて、クリスチャンになっていくことは、教会の人数が増えて嬉しいということではないということを思うようになった。そうではなくて、この人も、神様に命創られた存在、もともと神様が創られた人。その人が、だんだん神様の元に帰っていく。生きた人格的な交わりの中に入っていく。それが、本当に起こるのだということである。
神様から遠く離れて生きていた人が、神様との生きた関係の中に入っていくことがあるのだということである。それが、神の喜びであり、教会の喜びだということではないか。間違いなく、この七尾教会においても、そういう人が現れてきたのだし、神様の喜びがあり、いまもある。
しかし、私は反省も込めて言う。一人の人が、神様との関係に立ち返ってくという喜びが、どんなに喜ばしいかということを、全世界の教会が忘れたとしても、主イエスは、この喜びを失うことはないのだ、ということである。教会が、この喜びがどんなものであるかということについて、鈍くなってしまったとしても、主イエスは、その喜びを失うことはない。

◆兄を慰める父
神様の元に立ち返ってくることを誰よりも喜んでくださるのが、主イエスキリストである。パリサイ派や律法学者の前に、このたとえ話をされたイエス様である。それは、28節に出てくる。兄は怒って、家に入ろうとはせず、父親が出てきてなだめた。兄はなぜ怒ったのか。父親の愛が大きすぎて、おかしいじゃないか、と思う。自分は一生懸命働いてきた。この弟が受け入れられるとは、納得がいかない。自分は晴れ着一つもらったことがないのに。怒っている兄に対して、父親はなだめたというのである。「なだめた」とは、「慰めた」という言葉である。
この家の全財産は、兄よ、あなたのものではないか。兄よ、私はいつでもあなたと共にいたではないか。ここで働くことが厳しいと思ったことがあっても、私はあなたの父であり、私の財産はすべてあなたのものであって、私の弟に対する振る舞いがどんなものであるかが、分かるはずである。と、兄をなだめたのである。
主イエスキリストが、教会に対して、ほんとうの慰めを今朝も語ってくださっている。放蕩息子のように、神なき道を行く人を探し出して、天上に喜びがあることを今日も語ってくださっている。その天上の喜びが、地上とこだまして、神の大きな喜びが鳴り響く。
なんと驚くべきことに、「私と共に、私の創ったあの人が私の元に帰ってくるように、とりなしの祈りを祈ってくれるか」と、主イエスは、語りかけてくださる。私と共に、あの人が帰ってくるように、とりなしの祈りに生きる喜びに、生きてよいのだ、そうおっしゃってくださるのである。
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ただ信じなさい(マルコ5:35~43)

2006年05月07日 | 主日礼拝
2006年5月7日  釜土 達雄 牧師

◆復活を知らないヤイロ
今日の物語は前半と後半に分かれている。21節から24節までが前半の物語で、今日の35節から43節が、後半の物語である。その間に、長血を患った女の話が挿入されている。ヤイロの物語としては、前半と後半でひとつの物語である。これは、マルコによる福音書がよく使う手法である。今日は、ヤイロについて見ていくわけであるが、奇跡物語に対する態度を明確にしておく必要がある。しつこいようだが、クリスマスの夜にお生まれになった方が、もし神の子であったら、奇跡ぐらい当たり前である。誕生と復活ということも、誕生というのは、何もなかったところから命を創ることである。復活とは、もともとあった命が一度取り去られて、もう一度創ることである。もちろん、全能の神であるのでどちらもたやすいことであるが、もともと何もなかったところから創ることよりも、一度創ったことのあるものを再度創ることのほうが簡単であろう。これが、私たちの基本的な立場である。その立場で、今日の物語を読んでいると、不思議なことが分かる。
ヤイロや会堂長である。その地域の有力者であり、礼拝に遣える者であった。当時は、宗教国家であったため、七尾でいうなら、会堂長とは市長のような存在である。その地域の政治的、経済的な有名人である。投票で選ぶわけではなく、その地域の名士中の名士、政治的な中心人物がヤイロの立場である。そのヤイロが、復活の事実を信じていないということである。彼女の命を永らえることを願っている。死んだ後に、復活させてくださいと願っているのではない。35節以下には、イエスには何も願っていない。死んだということを聞いた後に、イエス様に娘を生き返らせてほしいとは願っていない。あなたが神の子ならば、それくらいお出来になるはずだとは言っていない。当時のヤイロは、復活についての知識はなかった。

◆当時の「永遠の命」の解釈
聖書の物語をみていくときに、私たちは、今の時代から過去を見る。したがって、娘が生きるか死ぬかという問題を扱っているのであって、永遠の命の問題を扱っていないから、ヤイロの信仰が薄かったと考えるかもしれない。それは、ヤイロに気の毒である。旧約聖書の時代に、「永遠の命」が語られるということは、この地上に、自分の遺伝子が残っていくことであった。娘や息子、その娘や息子が神様に祝福される世界に生きること。自分の子孫が、この地上に生き残っていくことが、彼らにとっての永遠の命であった。
そうであるがゆえに、マルコによる福音書のエリザベトの物語は、たいへん悲しい物語であり、祭司に子どもがなかったと記されている。しかし、その彼がイスラエルの永遠の命について祈らなければいけない。自分は、子どもがいないから神の国には入られない。イスラエルの救いは、自分とはかかわりのない子どもを持っている家族に与えられる。そこに、クリスマス物語があるのである。
知っておかなければならない。最初から復活について語られていたのではない。当時のイスラエルでは、この世において神が何を成してくれるかということを大事にしていた。死後について語ることはほとんどなかった。地上の王国について語られていたのである。そのことを割り引いてヤイロのことを見てみたい。

◆ヤイロへの批判と死への絶望
その地域では、たいへん有名な人物であったヤイロであったので、周りの人々が見ている前で、イエスの前にひれ伏して願った。評判のイエスを仰々しく招くならまだしも、イエスにひれ伏したというのである。大事なのは、娘が、死にそうだったということである。病気か怪我かは分からない。瀕死の状態であったことは事実である。家中のものが大騒ぎをして、祈っていたに違いない。医者を呼びに行き、親族を呼び集め、大騒ぎをしているときに、ヤイロは医者のところにはいかなかった。会堂長でありながら、礼拝堂に行って祈ることもしなかった。彼がしたのは、イエスという人物のところに行って、助けてやってほしいと願うことであった。
奥さんは何といっただろうか、親族はどう思っただろうか。「何を言っているのか、医者のところにいくべきではないか。娘の手をとって祈ることではないか」しかし、ヤイロはイエスに頼みに行った。
だから35節には、人々の想いが込められている。「もう、先生を煩わすには及ばないでしょう。」あなたは、大事な娘の死に目には遭えなかった。あなたは、イエス様に頼みに行ったかもしれないが、お嬢さんはなくなりました。もう、死んだのです。これは、イエス様のところにひれ伏してまでも助けを求めたヤイロに対する痛烈な皮肉、批判、軽蔑である。
「お嬢さんは亡くなりました」ヤイロのところに、それを知らせに行ったのではない。イエスのところに助けを求めに行ったヤイロを批判しているのである。もう、終わった、死んだのだ。イエス様に来てもらっても意味がない。あとは、葬式をするだけである。あなたが愛してきた、娘の死に目に遭えなかった。イエス様のところに行くよりも、お嬢さんのところにいるべきではなかったのか。「もう、神仏に頼るべきときは終わった」当時は、死んでしまえば、終わりだと考えられていたからである。この地上において、永遠の命があり、この地上において神の国の到来があと考えられていた。信仰には、このように過去があり、現在があり、未来がある。
ヤイロは、彼らの話を聞いて何も言っていない。もう、終わったという壮絶な絶望感の中にいる。そこにあったのは、涙と嘆きであった。38節には、大声で泣き喚いて騒いでいるのを見た、とある。一人の人の死は、泣き叫ばなければいけない。泣いて、泣いて、泣いて、弔いをして、悲しみを癒して、生きていく。別れるべきものとは別れ、泣きながら、その現実を受け入れていく。それしか、方法がない。神に祈ったとしても、これからどうなっていくか、誰も知らない。とにかく、お葬式をして、その人がいなくなった現実を受け入れて、この地上を生きていくしかない。私たちの周りにいる人々の、死に対する思いと、このヤイロの現実は、ほとんど同じである。

◆ヤイロの娘の復活
ところが、そのような現実の中に、イエス様はその話をそばで聞いていた。ヤイロの娘が亡くなったことについては、私たちが現実に体験していることと同じである。私たちの周りにいる人々もなんとなく、死について語り、永遠の命について語るが、ほとんど信じていない。
極楽の話も、あまり葬式では聞かない。イエス様は、「ただ信じなさい」と言う。死んでしまった。それを聞いてショックを受けている。「恐れるな」と言われても、恐れているわけではない。ショックを受けているのではない。イエス様は、この言葉に対して話している。「どうか、おいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」それに対して「恐れることはない。ただ信じなさい。」とおっしゃる。
ペトロ、ヤコブ、またやこぶの兄弟ヨハネのほかは、だれもついてくることをお許しにならなかった。人々が大声で泣き叫んでいた。イエス様は「なぜ、泣き騒ぐのか。」娘は死んだのである。当時は、人の生死がよく分からなかったなどと思わないでほしい。だから、人々は、イエスをあざ笑った。イエス様が、弟子の3人とヤイロと共に帰ってくる。お父さんが帰ってきた。イエス様をつれてきた。いまさら連れてこられても、遅かったと思っただろう。
ところが、イエス様は「子どもは死んだのではない。眠っているのだ。」と言った。
大きな出来事が起こった。イエス様が、人々を外に出して、子どもの両親と3人の弟子だけを連れて、子どものいる所へ行って、子どもの手をとって「タリタ、クム」と言われた。少女よ、私はあなたに言う。起きなさい。少女は起き上がって歩き出した。奇跡物語である。全能の神の一人子が、この娘を生き返らせることくらいできると思う。命をお創りになった方が、もともと、さっきまであった命をもう一度お創りになることはおできになる。そこには興味がない。

◆願いを越えて行動するイエス様
ヤイロは、娘が生き返らせてもらえるなどとは思っていない。だから、娘が死んだ話を聞いたときに、ショックを受けて絶望した。ところが、もうイエス様からしてもらえることがないと思ったときから、今まで、イエス様に助けを求めていったはずなのに、35節からは、頼まれもしないのに、イエス様のほうが一方的に行動を初められているのである。「もう、先生を煩わすには及ばない」と言われたときから、イエス様がついていったのである。
3人の弟子と両親だけを連れて、娘の部屋へ、イエス様の方から、ずかずかと入って行くのである。死んだ娘を生き返らせてくださいとは、一度も願っていない。しかし、イエス様は言う「タリタ、クム」これは、ヤイロが願ったことではなかった。これは、ヤイロの母親が願ったことではなかった。ヤイロが願ったのは、生きたまま、娘の病が治ることである。
私たちは、いつもそんなことばかり願っている。いま、目の前にあることを何とかしてほしいと願う。イエス様がしたのは、もっと別のことであった。ヤイロの願った事柄は叶っていない。娘は死んだのだから。しかし、イエス様が成してくださったことは、ヤイロが願ったことよりも遥かに大きな出来事であった。しかもこれは、イエス様ご自身が行動されたのである。「恐れることはない。ただ信じなさい。」「少女よ、起き上がりなさい」私たちの考えも及ばないこと、信じもしないことをイエス様はしてくださる。
ヤイロのしていたことは、ただ信じることであった。自分たちの知恵の限りで、医者にいくこと、礼拝堂で祈ること、それも大事だったかもしれない。イエス様のところに行けば何とかなるのではないか、とだけ思っていた。それが、ヤイロの信仰であった。ヤイロの願いがは叶わなかった。しかし、ヤイロの願いをはるかに超えて、復活がヤイロに与えられた。

◆食べ物を与える喜び
人々は、驚いた。こう書いてある。42節~43節。私は、高校時代にここを読んだときに、不思議でしょうがなかった。5000人の人々に食べ物を与えるイエス様が、この少女の両親に、食べ物を少女に与えるように言っているのである。こんな大きな奇跡を起こしたのなら、食べ物ぐらい、イエス様が出してくれてもよいのではないか、と思った。
わが子に、食べ物を与える、これは親にとって一番の喜びである。親としての喜びである。少女の命を、ふたたび両親に戻したときに、その少女に食べ物を与えるという喜びをも両親に与えているのである。それは、あなたが彼女の親だということ、その子の命が戻ったという喜び、その喜びを与えるために、神の子として地上に降りてきた。あなたが愛するものを愛し続ける限り、私はあなたと共にいる。この物語の大切な、大切なメッセージなのである。
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