日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

ここが七尾教会・・・

2011年05月17日 | 地震のあとで

お昼頃、教会玄関のドアホンがなりました。二人のご婦人が立っておられました。尾鷲教会の・・・とおっしゃられ、突然で申し訳ないのですが、礼拝堂を見せていただけますかとの事でした。

私はそこで幼稚園の方にいかなくてはいけなかったので、牧師がその後応対しました。というわけで後から聞いた話です。

二人のご婦人は、東日本大震災の被災地にボランティアに行かれた帰りだったそうです。まっすぐに帰るのではなくて、少し寄り道をして和倉温泉に一泊して帰ることになりました。そして、通りがかりに、「七尾教会」を発見したのです。

中部教区内の事ですから、「七尾教会」の事、能登半島地震被災教会の事を祈り続けてくださったのでしょう。ふと見たら、そこに教会があった!それをとても喜んで、喜んだまま、教会のドアホンをつい押してしまった・・・。自分の教会に戻ったら、この事を話したいとおっしゃりながら帰られたということでした。

なんだかまたつながりました。祈りの輪とでもいいましょうか・・・。祈りがかなえられる。神様が聞いていてくださる。

きっとお二人は今度は東日本大震災の被災地の為に祈りを続けられることでしょう。そして周りの人に証してくださることでしょう。「七尾教会」がその話に用いられることを感謝したいと思います。(R)

 

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?年ぶりの富山

2011年05月15日 | 地震のあとで

午後、富山二番町教会の就任式へ。

富山に来たのは、実は二番町教会の献堂式以来。そもそも、七尾から出たのが去年9月以来。ずーっと七尾にいて、そのほとんどの時間を馬出町75番地内で過ごしてきた。工事中はだれかが責任者として立ち会うのが原則だと考えているので、離れることはできなかった。ようやく、離れても大丈夫という気持ちになった。

何よりこの間の献堂式に富山からもたくさんの方が来て下さった。そのお礼を申し上げなくてはいけないと思った。献堂式の写真もお渡ししたかった。

そんなわけで、ひさしぶりの富山。就任式。お祝いの会の間に、写真を渡す。

会が終わって七尾に戻ると、8時。(R)

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思い出すこと

2011年05月14日 | 地震のあとで

なんとなく日本の中で、日常が普通になってきている。震災前と同じようなテレビの内容になっている。普通にCMが流れている。そんな中で、震災関係のニュースが減っているような気がする。節電の説明の方が長いような気がする。

なんとなく能登半島地震の後のことを思い出す。ニュースで取り上げられなくなった時、とてもガッカリしたこと。忘れられてしまうのかな?もう終わったことなのかな?そんな感じがした。

自分は今直接何もできないけれど・・・。

思い続けよう、今も避難所で過ごしている人がいることを。今これから、自分の家を離れなくてはいけない人がいることを。今も自分の生活を取り戻せない人がたくさんいることを。まだ大切な人の行方を探している人がいることを。

祈り続けよう。忘れることなく。(R)

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溶連菌

2011年05月10日 | 地震のあとで

カマドタツオの熱、原因は溶連菌。夜になるとかなりの高熱を繰り返し、やっと月曜日からは平熱が保てるようになってきたのですが、大事をとって今日も外出は控えて・・・。体の為には自分の住居の中にいるのが一番いい。当たり前のこと。(厳密に言うと牧師館というのは自分の家ではありませんが・・・)

大震災から2ヶ月。「自分の家」に住めない人がたくさんいる現実。きびしすぎるし、かなしすぎる。(R)

 

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疲れが出ると、熱が出る。

2011年05月08日 | 地震のあとで

昨日の昼間、やっと自分の車のタイヤ交換をした釜土達雄。その後なんだか顔色が赤くなり、夜になったら発熱!39.0まであがってしまいました。

主日礼拝前にはなんとかシャキッとして、自分のつとめを果たしましたが、その後はまた・・・。

「おつかれが出たのかねぇ」と優しい言葉をかけてくれる教会員たちでした。(R)

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2011年05月06日 | 地震のあとで

雨がふる心配もなく、風も強くない朝。新しい建物の窓をあけて、風を通してみました。一瞬ここのまどはどうやってあけるんだっけ?と考えたり。建物を維持していくには空気の入れ換えは大事なこと。

窓をあけながらふと思う。今、日本には安心して窓をあけられない所があるということ。家がたっていても地震であかなくなった窓があるだろう事。窓をあけて空気をいれる、そんな当たり前の事を一日でも早く取り戻すことができますように。(R)

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竣工写真

2011年05月05日 | 地震のあとで

午後2時すぎ、竣工写真の撮影。やっととれました。休日の方が駐車場に人がいなくていいと思われたよう。

「明日は夜の教会の写真をとりにきます」、そういってお帰りになりました。

夕方、高岡教会の風間先生がファミリーでこられました。献堂式は人が多いだろうと言うことで家族は後からの見学となりました。夫妻は間違いさがし(新旧比べ)を楽しみ、子供達はぐるぐる周りながら場所を確かめておりました。(R)

 

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献堂式の写真 前から

2011年05月04日 | 地震のあとで

オルガンの後ろから撮った写真。

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献堂式の写真

2011年05月04日 | 地震のあとで

たくさんの方がきてくださいました。

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集合写真に写ってない人

2011年05月03日 | 地震のあとで

写真屋の奥さんが、献堂式の集合写真の見本を持ってきてくださった。

あれだけの人数にもかかわらずなんとかみんな顔が写っていた。青い空、塔の上には白い雲。この一週間ではめずらしいよいお天気だった。(風はつよかったけど)

「ここに松百さんもいるはずだったのにね」、写真屋の奥さんはそうつぶやいた。実はこの方、3年前に亡くなった松百さんの友人。松百さんの葬式で初めて教会の礼拝堂の中に入られた方だ。「ちょっと早すぎましたね」。

「でもきっとそのへんにいたんですよ」と私は笑いながら言った。ちょっと児童文学的な表現になるが、教会の塔の上に雲がかかっていると、水谷さんが呼びつけた雲タクシーで「あんたも一緒に」と周りの人を誘って、あのころのメンバーが教会を見に来ているような気がするのだ。なんとなく。(R)

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