日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

8月末

2024年08月31日 | 2024能登半島地震

8月末。

珠州の自衛隊の災害派遣が終わる。のとじま水族館には東京からペンギンが戻る。輪島ワイプラザ(ショッピングセンター)の衣料売り場が再開。それなりに色々あるのだけれど…

全体の雰囲気がどうも変わらない。

新年度なったら、半年たったら、夏が終わる頃には……と思ってはそうならないと言うのを繰り返している。それに慣れてしまったかもしれない。

次は、『雪が降る前に」が目安になる。

 

能登に台風が来ませんようにと願ったものの、こんなに長く迷走するとは…いろいろな被害に心が痛む。被害がこれ以上ありませんよう。各地の教会の礼拝が守られますように。

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2024年の夏

2024年08月30日 | 2024能登半島地震

七尾学童には長期休みのみの利用児童が多い。

今日が夏休みの最後とばかりに楽しんだ。もう一度ポケモントレインを見に行った。

午後のひととき、6年男子2人話をした。朝刊に、彼らも答えたセーブザチルドレンのアンケート結果が載っていた。

あの時どこにいたか……今まで聴いていた話より大変な状況だったことがわかる。低学年の子なら、家族から守ってもらった記憶だが、高学年の子はもっと複雑だ。

そして自分の家の周りの解体話になる。よく知っている建物が一軒また一軒無くなる寂しさを彼らなりの表現で話した。

 

この夏の学童は楽しい体験をたくさん詰め込んだ。

林間学校。ポケモントレインを見ること。児童館で遊ぶこと、移動プラネタリウム。かき氷キャラバン。そしてこのブログを読んだ方から頂いたプール。

学校プールがなくなったみんなは大喜び、特に6年生は大はしゃぎだった。プール水を入れる時には、「水汲みは得意」と語ってた。(そうだ、断水中、近くの井戸水を家まで運んでいたんだ)

そして学校プールの支度を持ってきてバチャバチャ水をかけ合った。

教会学校行事としてのお楽しみ会、飯盒炊飯の会では、例年よりいっぱい花火をした。

そんな一つ一つを思い出して、良かったなと思う。

怖い体験が消えるわけはないし、街が変わる不安が無くなるわけじゃない。

でもこの学童で、小さい頃からの友達といっしょなら、馬鹿騒ぎして楽しめて、子どもらしい笑顔になれた。

この子たちが大人になった時、2024年の夏は楽しかったねと笑顔で語れるようでありたいと思う。

 

 

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台風の影響

2024年08月29日 | 2024能登半島地震

迷走すると台風。何度も進路変更で、北陸の方は大きな影響はないようだ。

九州や東海は大変な影響を受けている、そんなニュースに心が痛む。

能登でもいくつかのイベントが中止になっている。幼稚園と学童の子供が行くはずだった稚魚放流というイベント中止。子供たちはちょっとガッカリ。

 

けれど実は今日はもう一つイベントを予定していた。

カキ氷キャラバン。金沢の氷屋さんが被災地の子どもたちにかき氷をプレゼントしてくれると言うものだ。

 

この種のイベントを受ける時、いつもちょっと遠慮がある。もし被害がひどい奥能登の方の園が希望していたら、そちらを優先して欲しいような気がする。

申し込みをためらっていたら、保護者会の会長さんが申し込んでくれた。突然のかき氷屋さんに、ワーキャーものの子どもたち。好きなシロップを選べるとあって、歓声が上がる。子どもたちの笑顔に、申し込んでもらってよかったと思う。

 

 

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高等部の先輩

2024年08月28日 | 2024能登半島地震

午後、巣鴨教会の渡辺先生来訪。

私は「初めまして」かなと思ってご挨拶。、もしやと思い聞いてみると、青山学院高等部27期。私が29期なので、一年間は同じ校舎の中にいたことになる。

地震被害の説明をしながら、ちょっとだけ高等部話ができたのが嬉しかったです。3年時の担任の名前を聞かれてスッと出てこなかった自分。滅多に聞かれないことはわからなくなっている。先生をお見送りしてしばらく考えて、あ、テルちゃんだと思い出す。

渡辺先生は、輪島の新藤先生を教えたことがあったようで、明日輪島を訪問する予定。

 

配達の方と会話。その方の奥さんの実家が珠州だと言う。珠州ではライフラインが復旧していないので、土地に戻れない、戻らない人が多いという。きっと都会の人は、ライフラインが戻ってないのは山奥のポツンと一軒家みたいな所だと思っているんだろうけど、そうではない。

 

夕方、お向かいの家の解体の様子を見ていると、「せんせー」と車の中からの声。地震以来初めて出会う人。実は七尾教会で結婚式をした人だ。「今、仮設住宅にいます。でも家族みんな元気です」と叫んでいってしまった。

一日があっという間に終わっていく。もうすぐ8月が終わる。残念ながら、教団関係者の七尾訪問はほとんどなかった。輪島だけに行っているのかもしれない。被害の大きさを考えるとそれも仕方ない。

 

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朝刊から

2024年08月28日 | 2024能登半島地震

「里山海道、能越道来月10日から全区間 対面通行可に」 ただし、迂回路を使ったり、道路の勾配が急だったりする区間あり。

 

「特急バス金沢直行 珠州宇出津便休止 輪島便に接続便整備」 金沢輪島便は増えるが、穴水経由になるから所要時間はのびる。珠州の人は金沢に行くのには、穴水乗り換え。バスを利用する人はおそらく高齢者なので、どちらにしても負担だろう。

「地盤沈下…台風怖い」 護岸が壊れてるところも怖い。

「全避難所 年内に解消」  発生から1年かかると言うこと……

「河合小に仮設校舎完成」 輪島中心部の6つの小学校の児童360人が通っている。1学期は輪島中の中で授業。仮設校舎ができて、避難先から戻る児童も。

「富来「小中一貫」を決定」 富来小富来中を集約し、施設一体型の一貫校に。富来小の1年生は5人。

 

昨日の朝刊では

「家屋解体想定 約1万棟増」

「能登半島地震 死者362人に」 災害関連死の数が133人に。

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台風の記憶

2024年08月27日 | 2024能登半島地震

台風の進路が定まらず、日本国中心配な状況です。

 

七尾で台風と言うと、1991年の台風19号です。

七尾の風力の記録はなく、(t強い風力を測る風力計がなかった)、輪島が50m越え記録した後、風力計が壊れた。

七尾幼稚園では、庭の隅にあった金属製のニワトリ小屋が空をとび、庭の反対側にいった。銀杏の木が倒れて、隣家にかかってしまった。桜の木は、葉っぱが全部なくなった。

幼稚園の先生たちに聞いてみると…

ガラスが割れて隣の農業倉庫から籾殻が飛んできて、部屋中もみがらになった

家の前の木が倒れて、1週間停電になった。

隣の家の2階が無くなった     強烈な記憶。

 

だから、もし台風が来たらと考えるととても辛い。まだ全然片付いていない、家々。強い台風が来たら、屋根のブルーシートはとんじゃう。

少し我がままだが、今は台風来ないで……

写真は1991年。

 

 

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未来志向の能登とは?

2024年08月26日 | 2024能登半島地震

地方紙北國新聞の一面には、毎日日本海側からのsos と言う欄がある。今までもいろいろな問題を深掘りしてくれた。

 

現在記事になっているのは病院。能登の医療はどうあるべきかという問題である。人口流出の中で、どう医療を続けていくか…

ある識者は、今の状況を「撤退戦」と言う。「これまで通り頑張ろう」と言うのは現実的ではない、と。

別の識者は、「これから2〜3年の病院をどうするか、だけではいけないと説く。「高齢者だけでゆっくりしぼんでいく能登」を住民が望んでいるのかと問いかける。

また次の医師は、オンライン診療の活用を訴える。

 

この問題は、能登だけの問題ではないし、医療だけの問題でもない

都会の人も無関係ではない。どんな復興を望むのか。それぞれ考えて欲しい。

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北陸応援割

2024年08月25日 | 2024能登半島地震

9月からの国の観光支援策いしかわ応援割がスタート。

予約受付好スタート。

能登のの宿泊施設はまだ対象外、と言うか再開できていない。

それでも、「もう加賀屋は再開してる」と思われていると加賀屋関係者。

七尾市和倉温泉は、まだ壊れた護岸をどうするかの具体案がまとまりつつあるという現状です。

 

けれど、少しずつあけている旅館や民宿もあるので、能登の今を見に是非来てください。応援割はないけど、能登に来ることが、応援になります。

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8月25日主日礼拝。

2024年08月25日 | 2024能登半島地震

12名の出席。

大雨警報が出ている中でのノア。雨の音と雷。

礼拝後、大雨が通り過ぎるのを少し皆で待つ。

 

ブルーシート屋根の人は、今週の台風がきになる。なにしろ今年中に瓦屋さんにきてもらえるかわからない。

私は、礼拝に出席された後藤田先生を教会幼稚園の建物のご案内。先生が七尾のお醤油やさんとお知り合いだったり、珠洲に親族が住んでいたり、能登とつながりがあることに驚き。

雨が少しおさまって、皆が帰宅。テレビをつけると七尾線が止まっていたり、門前の方に避難指示がでていたり…土砂崩れも心配される。

 

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夕涼み会

2024年08月24日 | 2024能登半島地震

夏の行事の最後は夕涼み会。天気が心配だったが、なんとかセーフ。ホールで歌ったり、お庭で踊ったりできた。

園児もお家の人たちも、教師たちも弾けて楽しんでいた。

いつもの年なら、準備に使う部屋が使えなかったりしているのだが、教師たちの工夫で、ほぼ今まで通り。学童の高学年の子が手伝ってくれる姿もあった。

今年は、一つ一つ行事を前年同じにできるだけでありがたい。

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