日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

子供の声は、希望の声

2007年09月30日 | 地震のあとで
今日は、大曲教会の飯田牧師夫妻がお子さん連れで、七尾教会にいらっしゃいました。(敬語を使うのがちょっと照れくさいのは、夏期伝神学生・・・その前のタンテイ時代・・・・といろいろ出没しているフルヤだから)
そんな飯田一家が呼び水となって、今日は朝から子供の数が多かった七尾教会。教会学校は12名の出席。これは近年では新記録。やっと「12弟子」になった!おかげで教会学校の説教はいつもより大声で力が入ってしまいました。
その後も親が礼拝に出ている間、子供達は幼稚園の園舎の方で遊んでいたし、一緒に食事をしたりして、とにかく子供の声がにぎやかだった一日。
少子高齢化が著しい、教会の現状。そんな中で子供達の笑ったり、泣いたり、すねたり、喜んだり・・・の大騒ぎは教会の希望。
この子達に、ちゃんとした礼拝堂を残してやるぞ!でも残したいのは建物や土地だけじゃない。君たちに信仰を伝えたい。神様の愛を知らせたい。
「神様は、一人一人を本当に愛してくださるんだ」
地震の真っ最中、語っていたその言葉を、しつこく語り続けていたいと心から思うのです。
いくら、秋田県からのお客様がいたからって、神様の愛に「あきた」なんて事があってはいけないのでした。
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大が中に、中が小になる

2007年09月29日 | 地震のあとで
ここしばらくの間でよんだ文の中で、福音主義教会連合の機関誌にあった、長山信夫先生の「日本基督教団に希望はあるのか」というのがとても心に残っています。
その冒頭の一文、「あなた方は小教会からやがて大教会にと考えているかもしれないが、今は、大が中に、中が小になる時代だ」。信徒の方が若手教職に戒めの言葉だという。その語に続く文も一つ一つとても考えさせられます。
今、地震の後で浮き彫りになってしまっている、能登の高齢化。教会もその波の中にあります。何もしなければ、能登の教会は「小」が「無」になる流れになってしまうのです。
今日は、元・夏期伝神学生の矢野先生からお手紙が届きました。「富来伝道所の存続を・・・」との一言がとても強く感じられます。富来の福音の灯をなんとか守りたい。きっと能登圏に夏期伝に来てくれ、一ヶ月間、富来伝道所の礼拝を守った先生達はみな祈りを一つにしてくださっていると思うのです。富来伝道所にはいろんな形で関わりを持ってきた人たちがいます。修養会の会場として、あるいは夏の会合の場所として・・・。その人達も富来を好きかもしれない。でも御言葉を語り続けに赴いたのとはまったく違うものだと思うのです。
富来を「無」にしないように、そしてもちろん、輪島も羽咋も七尾も、「無」にならないように、祈りをあわせていただきたいのです。
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わたしたちと同じイエス様の幼稚園

2007年09月28日 | 地震のあとで
今日の郵便で愛知県の幼稚園から励ましのお手紙とお見舞いのお金をいただきました。子供達の字で「みんなでそだてたきゅうりやなすをおかあさんたちにかってもらいたくさんおかねがあつまりました。このおかねでこわれたところをなおしてください。げんきでね。」とかかれていました。
園長先生からのお手紙も添えられていて、そこには子供達に「私達と同じイエス様の幼稚園がね・・・」と様子を伝えたとかかれていました。本当に心から感謝。正直、目頭が熱くなる思い。
私達と同じイエス様の幼稚園。
なんてすばらしい言葉でしょうか。
イエス様の幼稚園として、この能登の地に立っている。
イエス様の幼稚園として、ふさわしく、よい保育をしていきたいと心から思うのです。
同じイエス様の幼稚園の為にと思ってくれた、小さな子供達。神様の祝福がありますように。
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予定よりも早く・・・

2007年09月27日 | 地震のあとで
七尾教会・七尾幼稚園に隣接している小丸山公園。前田利家が築城しようとした小丸山城の跡の公園です。(築城しようとしたが、短期間で金沢に移ったのです)
公園の一部が崩れていて、その修復工事をしていました。当初の予定では10月末までのはずでした。ところが、まだ9月だというのに、いつの間にか工事は終わっていました。いつの間にかというのは、近隣にまったく連絡なしなので・・・。
けれども、早めに終わったのは喜ばしいことです。
地元紙によれば、輪島市門前町深見地区の工事も予定よりも早く終わりそうだということです。地区の裏山が崩れる可能性があるということで、地区全体が仮設住宅に移っている深見地区。能登半島地震直後にはよくニュースで紹介されていました。年内に自宅に戻るのは無理ということだったのですが、「お正月を自宅で」迎えることができそうだと報道されておりました。
工事が早めにすすんでいる。復興にとってはとてもありがたいことです。自分に直接関係ない場所であっても、早めに終わっているというのは、やはりホッとします。早く進んでいるのには、天気もよかったからかなと思います。暑かったけど晴天が続いた夏。そして、大きな台風がこなかったのも幸いでした。
秋から冬に向かう季節になれば、雨や雷、そして雪で工事はしづらくなります。冬がくる前に、一つでも多い「工事終了」の場所がある事は復興には大事な事です。
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なかなかできないこと

2007年09月26日 | 地震のあとで
朝が苦手な釜土達雄も毎日となると、目覚ましを使わずに朝6時半に起きるようになりました。いつまで続けるんだろうと思うのですが・・・。なかなか運転手さんが見つからないのではどうにもなりません。心配をしても私が代わりに運転を出来るわけもなく、ただ見守るばかりです。
私の方は、幼稚園の工事が終わって、牧師館の工事が順調にすすんでいるという状況の中では、ほぼいつもの通りの「運動会前の幼稚園」の仕事ができるようになっています。今まで積み残してきた仕事の方はなかなか解消されないのですが・・・。
お見舞いのお手紙をいただいた方などへ、現況報告を送るのもだいたい完了。手作業なのでもれている方がいるかもしれませんが・・。報告をお送りした方からのお返事で「ホームページにこの報告をのせてください」というご意見もいただいたのですが、これがなかなかできないことで・・・。七尾教会のホームページの管理者は牧師でありまして、今はもうそれどころではありません。地震後の報告をもっとこまめに変えないとと気持ちはあるのですが、実情がおいつきません。
私の方は幼稚園のホームページを管理しておりますが、これもなかなか更新できずに半年を過ごしてしまいました。ブログを書くのは簡単なのですが、ホームページとなると、一つのページを作るのにやはり1時間くらいかかってしまうので、まとまった時間がないとできません。もうちょっと自分に技術があればいいのですが・・。そんなわけでしばらくはブログの方でご勘弁ください。
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地震からちょうど半年目

2007年09月25日 | 地震のあとで
3月25日からちょうど半年がたちました。節目にはさすがに全国ニュースになるだろうと思っていたら、ちょうど内閣発足の日になってしまいました。
またまた話題にならない「能登半島地震」です。
今日から倉庫の解体が始まる予定だった、教会員の春成さんのところを夕方通ってみると、まだ工事の気配がありません。あれ?と思って聞いてみると、またまた2,3日後に延びてしまったそうです。これが半年たった被災地の状況というところでしょうか・・・。
さすがに県内ニュースではいろいろな特集がされています。仮設住宅、住宅再建、観光の不振、震災ゴミの処理、商店街の存続、高齢化、過疎・・・。課題はいろいろです。
ニュースの中で、自宅を取り壊すときに涙を流している高齢の方の映像をいくつか見ました。50年、60年住んだ家を壊さなくてはならない、その気持ち。こちらも見ていてつらい思いでした。
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輪島の工事事情

2007年09月24日 | 地震のあとで
能登圏の役員研修会が七尾教会で行われ、輪島・羽咋・七尾、3教会の役員・長老が集まりました。講演や能登圏委員会の間に、ざっくばらんに少し皆で話をする時間がありました。そこでいろいろ聞いてみると、思っていたよりも輪島の工事事情は厳しいようです。
七尾も普段に比べたら工事の数が多く、頼んでもなかなかきてくれないという状態が続いています。(七尾教会の春成さんの家の倉庫<赤紙>はようやく明日から工事だそうです。)けれども輪島はそれがもっともっとひどい状態のようです。七尾の場合、七尾の業者がメインとはいえ、富山や金沢の業者がかなり入っています。けれど輪島の方はほとんど他からの業者が入ってこない上に、工事の数が七尾よりも多い。
輪島教会の礼拝堂の修理がなかなか前に進まないのはどうしたことかと思っていたのですが、いろいろ話を聞いてそれは難しいなぁと思いました。本当なら冬が来る前に輪島教会の礼拝堂の補修工事をと願っていたのですが・・・。
今日、輪島教会の方から、冬の前には応急処置だけをして、本格的な改修は来年度以降にする方がいいのではないかというお話がありました。
それもやむを得ない状況なのかもしれません。今年の冬が大雪でないことを祈りつつ・・・。
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目的地がないと、目的地にはつかない

2007年09月23日 | 地震のあとで
「目的地がないと目的地には着かない」
最近、釜土達雄牧師がよく口にする言葉です。今日は説教の中にもこの言葉がありました。
「目的地」を決めてそれに向けて歩くのでなければ、「目的地」には到らない。
当たり前の言葉なのです。
けれど、つい「目的地」がないままに歩き出してしまうのが人間の業。
今地震からの復興という明確な「目的」があって、多くの人々が祈りをあわせ一緒に歩いてくださっている。けれどどこを「目的地」とするかを定めて歩いているだろうか?
まずは被災教会が「ここを目的地に」と強く願い祈らなくてはいけないと思う。願っている事を一緒に歩いて下さる人に伝えなくてはいけないのだと思う。
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大雨がふっても

2007年09月22日 | 地震のあとで
すこし前、ザーッと雨が降ってきました。能登に大雨警報。
思わず、あ、あそこをずらさなきゃ!雑巾をあてなきゃ、と思ったという七尾幼稚園の教師達。
でも防水工事が終わっていて、もう雨漏りの心配はないのでした。
雨が降ると条件反射のように、動いてしまった事を苦笑い。
この数ヶ月、雨漏りの心配が続いていた七尾幼稚園。
改修工事が終わっていることに感謝。
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ご支援のお手紙をいただいて思うこと

2007年09月22日 | 地震のあとで
被災報告を送った教会の方から励ましのお手紙をいただいたり、中部教区通信にいろいろな教会の具体的な取り組みがのっていたり、多くの教会から祈られ支えられていることを感じる毎日です。
「私達も小さい群れですができる限りの事を・・・」とのお言葉は力強く、本当にありがたく思っています。
中部教区では、各教会に「負担金相当額の献金を」と呼びかけてくださっています。そして多くの教会がそれに応じて下さっています。
それを感謝しつつ、ふと思うのです。もし自分たちの教会にそういう要請が来たとして、それを達成するのは容易ではないだろうと。いつも満たされているとは言い難い小さい教会の会計。負担金を納めるにしても期限までにちゃんとおさめられるかハラハラする年がある。予算を組んでもその通りにいかない年もある。多くをささげてくださっていた教会員が急に病気になったり・・・。一人そんな事があっただけで、教会会計は大打撃をうける。「今年もちゃんと負担金をすべてお納めできました」、長老会でその報告があると、みんな拍手する。
再建には、確かにお金がかかる。それは事実。けれども、私はどうしても簡単に「0を一つ増やしてほしい」というような言い方ができないでいます。一つ一つの教会にはいろんな事情があるのですから・・・。本当に「献金」としてささげていただければ、と思うのです。
けれどもそう思うからこそ、きちんと状況の説明をしていきたいと考えているのです。そして具体的に祈っていただければ嬉しいのです。毎日祈って下さる、誰かの祈りに、神様が答えてくださって、こちらでは思いもかけない再建の道が与えられるかもしれないと思うのです。
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