日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

いつもの場所にいつものものがない・・・

2007年08月31日 | 地震のあとで
今朝は大雨警報が発令され、そんなに長い時間ではありませんでしたが相当量の雨がふりました。床下浸水があり、土砂崩れがあった能登。特に地震の後なので土砂崩れは例年より多いようです。
地元紙によれば、3日前の大雨の後、輪島の千枚田の一部が崩れてしまったそうです。千枚田は、輪島観光の人気ポイント。特に秋はイネが実った時の風景が美しくポスターやガイドブックにもよくのっています。その千枚田が・・となると大変な事。ヤセの断崖や関野鼻という観光名所の姿が変わってしまった後です。これ以上、有名な場所に被害があるのは観光にとっては大打撃となります。
さて、今日で8月も終わり。来週からの取り壊しに備えて、幼稚園の仕事の合間に牧師館の中でゴミの仕分けをしておりました。「埋め立てごみ」「金物」「びん」「木」「布」・・・。完璧にとはいかないのですが、少しでもやっておきたいと思っています。時間ごとに幼稚園の様子を見にいこうと思うので、「何時かな?」とついずっと時計がかかっていた壁をみあげてしまいます。もちろんもうそこには時計はありません。
いつもの場所にいつものものがない。それはとても寂しい気持ちです。
コメント

不思議な教会

2007年08月30日 | 地震のあとで
幼稚園の修復工事が始まった事が、そろそろ町の中に知れ渡ってきました。
七尾教会と七尾幼稚園は、町の人から見れば一体です。
七尾教会=七尾幼稚園。牧師=園長。前任者からこの等式は変わらずに続いています。
幼稚園の工事が始まった、ということは、教会のどこかにその資金があったのだと町の人は思っています。いつもは小さくて決して豊かとはいえなそうな「教会」なのになんで?それはとても不思議な事です。
「全国の教会から支えてもらっているのです」。そんなふうに教会の皆が説明しています。が、「教会」の事をよく知らない、町の人たちにとって、遠くの教会をそんなふうに支えてくれているというのは不思議でしょうがないようです。
けれど、今、確かに多くの教会の祈りに支えられて、自分たちは復興への歩みを初めています。資金が与えられ、工事ができます。
不思議な教会の力。この世の人たちからみれば、それはお金なのかもしれません。けれど、今深く感じるのは、遠く離れた教会の復興の為にささげ続けて下さる、祈りの力だと思うのです。

コメント

天袋の中から・・・

2007年08月29日 | 地震のあとで
引っ越しを始める前に、ある人から言われました。「荷物の整理をはじめると、この家のどこにこんな荷物があったのかと思えるほど、たくさんの物がでてくるよ」。そんな馬鹿なと思いながらも、毎日毎日が荷物との戦いでした。最後にギョッ!としたのは押入の天袋の中。いついれたのかも忘れてしまった物が出てくる、出てくる。陶器などいろいろな物がでてきました。「いっそガレージセールでもすれば」という声もあったのですが、そんな時間もありません。
七尾教会・七尾幼稚園では22年前から数年間、今では伝説ともなったバザーをしたことがあります。最盛期には一日で純利益が100万円という、20数名の教会員としては、とんでもないバザーでした。それが、17年前に園舎を建てた時の元の元の資金となったのでした。
けれど今は七尾教会ではバザーはしていません。
そこで、不用品は皆羽咋白百合幼稚園の方に持っていって、そこのバザーでさばいてもらうことにしました。より詳しい診断をまたなくてはいけませんが、羽咋白百合幼稚園も大規模改修を必要としています。少しでも足しになればいいなと思っています。
コメント

外壁の洗浄

2007年08月28日 | 地震のあとで
今日の園舎の工事は、外壁の高圧洗浄。要するに水圧の強い水をかけることによって、外壁のお掃除をするというものです。雨の中の工事となりました。
園舎の中は窓を閉め切った中での保育。子供達は窓の外で行われている作業をおもしろそうにみていました。
水と共に落ちてくる汚れ。なかなかすごいものだなあと思いました。さすが、高圧です。
実は「高圧」とはいえませんが、以前は夏によく園舎に水をかけてお掃除したことがありました。まだ幼稚園の夏期保育の日数が少なかった頃のことです。お掃除の主役だったのは、夏期伝の神学生。頭からぬれてもいい姿で、指導牧師のもとホースを延ばして水をかけて・・・。釜土牧師も今よりは若くて動きも良かったのでした。
思い出すと、いろんな奉仕の跡を残してくれた夏期伝神学生。そのうちの一人、白井真先生がレンガをつんでつくってくれた、牧師館前の花壇とはもうすぐお別れです。
コメント

牧師館取り壊しまであと一週間

2007年08月27日 | 地震のあとで
来週には取り壊し作業が始まる牧師館。それなのに、まだ中に残っている物があり四苦八苦している私をなんとか助けようといろんな方が動いてくださったこの2日間。(静岡への出張もあって、釜土牧師は全く動かない)
昨日は現場責任者の今井さんがなぜか奥さんも連れて登場。スチール棚を解体してしばって、2階からおろして・・・。私ではとてもできない作業をしてくれました。
そして、昨日でようやく終わった古本の整理。本の処分はとても疲れる作業で、最後はもうエイヤ!という感じで残す本、捨てる本を決めました。江口忠八先生・ハナ先生の蔵書。今村延次先生の蔵書。あまりにも多くて・・・。でも昨日の夕方になんとか整理をつけました。そして今朝7時登場したのは教会の池口さん。牧師館の入り口から駐車場の入り口まで処分本を移動。そして10時には軽トラックと共に西野さんがやってきて、処分本と古い毛布を持っていってくれました。
そして、今井さんの方は、職人さんの手があいた時に協力をお願いして、本棚の移動をしてくれました。古い物もすぐ捨てちゃダメ!と繰り返し言われます。
あと一週間。ゆっくり別れを惜しむ間はなさそうです。
あ、「海徳山問答」は、ハイデルベルグ信仰問答です。明治の頃、先人達は懸命に翻訳をし、それを広めようとしていたのだなと改めて感心した一冊でした。
コメント (1)

奥能登で唯一の教会

2007年08月26日 | 地震のあとで
本日、七尾教会は釜土達雄牧師が遠州教会の特別伝道集会の為出張して、堀岡満喜子先生が説教にいらしてくださいました。また、輪島教会の五十嵐先生も不在で、七尾教会の森山長老が教会学校の説教と礼拝の奨励にいきました。
夜、森山さんと少しおしゃべりする時がありました。輪島教会の教会学校の出席者は5名。とても元気の良い子供達でよく説教を聞いてくれたと言います。うち三名が珠洲市からお父さんに連れられてくる子供達です。
珠洲から一時間以上かけて自家用車でくるというご家族。もちろん、大人の礼拝の間も子供達は教会にいるわけです。
確かに都会でも1時間かけて自分の教会に通う方はいるでしょう。けれどもそれはいくつかの教会を通り過ぎながら自分の教会にいくのです。
珠洲から輪島へ。それは全く教会のない所を通り、自家用車以外の交通手段はほとんどないところをくるのです。もし輪島に教会がなければ・・・。
奥能登唯一の教団の教会。それが輪島教会です。
コメント

地震5ヶ月目の一日

2007年08月25日 | 地震のあとで
今日で地震から五ヶ月。長い長い5ヶ月でした。いろんな事がありすぎました。
今日、牧師館の工事の契約書ができました。9月から着工。完成予定は1月中旬~下旬。9月に着工できなければ、秋から冬の気候の悪い時期になってしまうため、今年度内に完成させるためには、この選択となりました。
現在地とほぼ変わらない場所での建築となります。たった5ヶ月の間でしたが、いろんな議論がありました。この際、別の場所に建てたらどうかという意見は、教会外部からよく聞かれました。敷地外の方が落ち着くのではないかとかです。
最初、七尾教会の教会員からはあまり意見がなく、どうしたものかと迷った時もありました。けれど結局、この同じ場所を一番頑強に主張したのは、私でした。園舎と礼拝堂がくっついているのが当たり前の七尾幼稚園と七尾教会。そして、その横に牧師館があってこそ、幼稚園のお庭は守られています。自分自身も、今更この場所から離れることはどうしても考えられず、同じ場所での再建を望みました。
ただし、私自身は礼拝堂を先にしてほしいという気持ちもありました。それを一蹴したのは、七尾教会の教会員達でした。「まず牧師の生活を安定させ、それから礼拝堂を建てるべき」。「礼拝堂の建築は着手するまでに大変時間がかかるのだから、あまり時間のかからない牧師館から先にしてしまう方がよいのでは・・・」
そして、牧師館の間取りについても、教会員から意見が出るようになり、あるご高齢の方からは、「次に子供さんがいる牧師さんがきてもいいようにしておいてください」との強い主張をいただきました。あまりその可能性はないんじゃないかなぁと思うのですが・・・。
5ヶ月目の工事決定は、全国のたくさんの教会のお支えがあったからこそ。心から感謝申し上げます。
コメント

少しずつガマン。

2007年08月24日 | 地震のあとで
数日前に、幼稚園の工事の様子を見ながら、一人の保護者の方とお話をしました。「地震の後、歯医者さんはヒマなんですって」
本当かな?と思うのですが、確かに皆、修理・修繕にお金がかかるので、他の支出を抑えているようなところがあります。「歯」の不都合は少しガマンしよう、そんな気持ちがどこかにあるのかもしれません。あるいは、いろんな事に時間がかかり、歯医者にいく時間がとれないのかもしれません。
私の自転車、今までは牧師館横においてあったのですが、最近は教会下の置き場におきっぱなしです。そのせいか、昨日みたら、タイヤの空気がぬけてしまっていました。今朝、空気入れを持ってきて、空気の入れ直し。
かなりサビがでている自転車ですが、しばらくは乗り続けようと思っています。
コメント

工事することの意味

2007年08月23日 | 地震のあとで
道路側にも足場ができ、近所の人からも工事する事がはっきりわかるようになりました。幸い、足場は幼稚園の敷地内におさまり、道路にはみだすことはありません。「幼稚園さん、工事するんやね」、今日はご近所さんから声をかけられました。
地震の後で、どこが工事しているか、というのは皆がかなり関心をもっています。あそこの店は大規模な工事をしている。あそこは解体して建て直すらしい。あそこはこわして商売をやめてしまうらしい・・・。いろんな情報が口コミで伝わってきます。修理の工事をするかしないか、それはこれからも事業を継続していく気があるのかどうかを評価されることになります。
実は24年前、初めて私が訪れた七尾教会の礼拝堂は、いい状態ではありませんでした。窓ガラスはいくつかヒビがはいっていました。床のピータイルの破損箇所もたくさんありました。修理してこなかったことがすぐにわかる状態でした。けれどこれについて前任者を責める気はありません。修理するというのは大変なエネルギーを要します。それに壊れた窓ガラスにしても床にしても、いきなりなったわけではなく、少しずつ少しずつ悪くなっていくものです。そのうち、ずっといる者たちはそれに慣れてしまうのです。「修理しなくては」となかなか思えなくなってしまうのです。
けれど、外部の人たちからみれば、24年前の七尾教会は「今村先生がいなくなったらなくなる教会」と思われていました。ボロボロのままということはその代かぎり、と考えるもの。
今、工事をすることは、ここに教会がそして幼稚園が立ち続けるのだという大きな意思表示なのです。
コメント (1)

大雨の中での足場工事

2007年08月22日 | 地震のあとで
朝から久しぶりの大雨警報。かなりの雨量でさすがに今日は工事はすすまないかなぁと思っていたのですが、合羽を着て雨の中でもどんどん作業する業者さん達。さすがプロといった感じです。工事はいったん始まると、次から次へと場面が変わっていきます。そしてこちらは見ているだけ。
はじめる前の打ち合わせの方が、こちら側(施主)は大変です。
釜土牧師の方は、今度は羽咋白百合幼稚園の方の修理についての打ち合わせをしていました。今は羽咋白百合幼稚園には園長として、輪島教会には代務者として責任を負っています。横から見ていると、順番がゴチャゴチャしているように見えるときもありますが、本人はとにかく一生懸命対応しているのです。
今週初め、全国の教会に「能登半島地震被災教会会堂等再建支援のお願い」という文書が着いていることと思います。教団の方の委員会が作ってくださった文書。とってもシンプルなものでした。そのシンプルさが、能登の教会にはふさわしいように思えました。感謝です。
コメント