日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

休日

2007年04月30日 | 地震のあとで
振り替え休日。ゴールデンウィーク前半の終わりの日。
私にとっては地震後2回目の朝から来る人がいない日となりました。
そんな日ぐらいゆっくり起きればいいと自分でもよくわかっているのですが、結局5時半には目がさめてしまうようになってしまいました。ゆっくり寝るというのができない状態になってしまっています。(地震後、自宅損壊の人にはよくある事と今言われています。)
元々GWだとか年末年始だとかいっても、どこかにでかけることもなく、敷地内にいるのが普通。毎年GWは、年度替わりの仕事の残りをすることにしてますし、年末年始はクリスマスの後かたづけ。小さな教会と幼稚園は働き手が少ないのでそんなもんだと思っています。
ただ今回はこれに牧師館のかたづけも加わって、正直何から手をつければいいのかわからない状態です。いろんな人から「お手伝いすることがあれば・・・」と言われますが、自分しかできない事だらけで、どうにもなりません。「少し休めば」と言われても、結局自分に残るだけの仕事。とにかく少しでも解決していくしかなさそうです。
コメント

礼拝堂のいつもの場所で

2007年04月29日 | 地震のあとで
礼拝の時に座る場所というのは、なぜかみなさん毎週同じ席。講壇に向かって左側の3列目は・・・さん、右の2列目は・・・さんと、座席指定というわけではないのですが、だいたい同じ位置になります。小さい教会なら、それで、「あ、今日は・・さんが来てない」とわかるのですが・・・。
礼拝の時、私が座るのは一番後ろの入り口に近い列の真ん中と決めています。玄関に誰かが来てもわかり、CSの後の子供達が何かいいにきても対応でき、耳をすませれば電話がなっているのも聞こえます。教会の執事としての職務でしていることです。
今日もいつもの同じ場所。ところが、いつもと違う事に気づきました。それはいつもと違うところからのすきま風。上の方からの空気の流れを感じたのです。地震の前から少しヒビが入っていた教会正面の飾り窓。地震によって、そのヒビが大きくなり、そして今はすき間が広がってきているようです。
事は、礼拝堂だけに、この窓だけでも先に修理できないかなぁと思うのです。
コメント

ゴールデンウィークにむけて

2007年04月28日 | 地震のあとで
明日からゴールデンウィーク。観光地・能登にとっては、キャンセル続きの状況から脱出する第一歩になる大事な時となります。この日にあわせて、能登島にかかる2つの橋を整備し、能登有料道路を復旧。そして、和倉温泉では一番有名な旅館・加賀屋が再開しました。20年以上おもてなしナンバーワンというこの旅館。和倉温泉の名を全国的に有名したのは間違いありません。
私自身は泊まったことはないのですが、宴会などで何度か訪れた事があります。もう10年以上前までですが、夏期伝の神学生を迎えた時には何度か一緒に夏の花火大会をそこで楽しんだ事があります。
15年ほど前、伊藤悟神学生(現・青山学院大学宗教主任)とは、せっかくだからといろんな場所を探険してみました。メインのエレベーターに乗ってみたら、なぜか最上階の貴賓室のフロアについてしまい、その豪華さにびっくりしたのは懐かしい思い出です。(本当はそのフロアには特別な何かがないと止まらないはず)
その加賀屋さん、いつものゴールデンウィークなら満室が当たりまえなのに、今回はまだだとか。他の旅館はもっともっと厳しい事でしょう。
復興の為にはとにかく観光客が戻ってこなければ・・・と誰もが思っている能登半島。ぜひ多くの人に訪れてほしいと思います。そして、地震を隠すのではなく、地震を体験した事を多くの人に語れればよいのではないかと思うのです。震度6の体験談、どの人もなかなか強烈な話ができますよ。
コメント

生活設計の変更

2007年04月27日 | 地震のあとで
幼稚園の卒業生のお母さんに、地震後はじめて出会いました。「地震、どうでしたか?」と伺うと、なんだか浮かないお顔に・・・。
結局、家を取り壊すことにしたとおっしゃるのです。私も外からそのお家は見ていて、そんなに損傷があるようには見えなかったのですが、そうとういろいろあるようです。そして、「今は大丈夫かもしれないけれど、5年後に住めるのかどうかわからないから」「こないと思っていた地震が来たのに、必ず来る台風や豪雪の時にどうなるのかわからないのでは・・・」同じ場所で建て替えるのか、違う場所に移るのか、何も決まっていないのに、建物を壊すことだけを決断しているという状況。地震は人々が描いていた平凡な人生設計を壊してしまう。
そんな人が能登の地に今どれくらいいるのだろう・・。そして、過去の地震やつい先日の三重の地震は・・・。
コメント

教団新報の記事

2007年04月26日 | 地震のあとで
教団新報に能登半島地震の第一報が出ていました。取材にいらした時とまたちょっと状況は変わっているなぁとは思いつつも、記事になったことに感謝。早速輪島の五十嵐先生には、「新報を見たのですが・・・」と連絡があったとか。
この前に能登が出ていたのは、豪雪の時だったでしょうか。自然災害の記事ではなくて、伝道や宣教の話題で登場したいものです。
ちなみに、釜土達雄牧師は、常議員となった時に顔写真入りで紹介されていました。そこに「趣味・料理」とのっていたのをご覧になった方もいらっしゃるかもしれません。以前から気が乗ると料理を作るのですが、地震の後は、ちょっとした気分転換に料理を作ろうとします。
コメント

うろたえてはならない。おののいてはならない。

2007年04月25日 | 地震のあとで
地震からちょうど一ヶ月。朝からヘリコプターの音がしました。テレビの撮影用でしょうか、比較的低いところをとんでいます。
今日は中部教区副議長の高橋先生と書記の加藤先生がいらっしゃいました。たくさんのみなさんが祈りに覚えていてくださること、具体的に支援の手をさしのべて下さる為に働いていて下さること、感謝です。
石川地区会長として、前輪島教会牧師の勇先生(現在は若草教会牧師)が同行されていて、久しぶりにお会いしました。お互い、一ヶ月で少しふけたような気がします。
地震当日がずっとずっと前の事のように思えるほど、いろんなことがありすぎた一ヶ月でした。
そして、今夜の祈祷会。聖書の箇所はヨシュア記1章。祈祷会の聖書箇所は連続講解になっています。地震から一ヶ月目に与えられる聖書の箇所がヨシュア記。「強く雄々しくあれ」。いつも以上に響く言葉です。そして、いつもより頭に残った御言葉は、「うろたえてはならない。おののいてはならない。あなたがどこに行ってもあなたの神、主は共にいる」でした。
うろたえ、おののいてばかりだったこの一ヶ月。そんな自分の現実の中で、恵みの御言葉でした。
コメント

一ヶ月後のり災害証明書の申請

2007年04月24日 | 地震のあとで
以前記したように、牧師個人、教会の建物、幼稚園の建物の罹災証明を申請した。うちも遅くなっての申請だったが、地震から一ヶ月たとうとしている今になって、七尾の中では、罹災証明書を得ようとしはじめている人が多くいる。
一番の原因は、本震の時には大丈夫と思っていたのに後から来た余震で崩れてきた事だ。何度もゆれているうちに、被害は広がっていった。
そして次には、専門家に調べてもらうと、意外に建物などの損傷が大きい事である。最初の頃は皆、なおさなくてもいいかと思っていたはず。ところが、だんだん、ちょっとはなおさなくては・・・と思い、今はこれはなんとかしておかなくては、梅雨や雪の季節には困ったことになるという気持ちになってくる。
企業も最初は申請なんてと思っていたのに、補修費用の金額が大きくなってくると、低利の融資を受けるためには罹災証明が必要となる。あわてて写真をとって、申請する。市役所の人の判定を受ける。全壊か半壊か一部損傷か、それによっても受けられるサポートが変わる。
明日で一ヶ月。生まれて初めての地震は、今まで考えたこともないいろんな手続きを教えてくれる。
コメント (1)

留守番

2007年04月23日 | 地震のあとで
昨日の午後は輪島教会で能登圏委員会があり、牧師が七尾に戻ってきたのは午後6時半すぎ。夕食の後であれもしなきゃこれもしなきゃと言っていたのですが・・・。幼稚園の職員室で仕事をしていた私が10時に牧師館に戻ってきた時にはすでに寝ておりました。かなり疲れがたまってきているようです。夜遅くに電話がかかってきておりましたが、さすがに起こす気にはなれませんでした。
今日は石川地区の教師会。地震の後で、被害状況を報告しなくてはいけないので、なるべく早く出ようとしていたのですが、朝から工事の担当者がきたり、羽咋白百合幼稚園の方から園長先生の指示をあおぐ電話があったり…で、結局七尾を出られたのは12時をすぎてしまいました。片道1時間半はかかりますから、金沢に着いたら会議は終わり頃になってしまうのでしょう。
明日は富山で会議。こちらは片道2時間。
これから本格的に工事の事が始まるとして、留守番役をしっかり務められるかどうか、正直自信はありません。自分の仮住まいも決まらぬまま、そちらの不安も増していきます。
とはいえ、会議も大事。また車での移動ですから、変にあせって行動されるのも心配です。なにはともあれ、神様から与えられている体を大切に使っていきたいと思います。
コメント

小さな教会のオルガニスト

2007年04月22日 | 地震のあとで
今日の主日礼拝、オルガニストは2人。一人はいつものオルガニスト、森山姉。そしてもう一人は池口姉。ちょっと変則的なのですが、池口姉の訓練の為、礼拝奏楽の一部を担当してもらう形をとっています。
小さな教会にとって、オルガニストの確保は深刻な課題です。私が七尾にやってきた22年前、礼拝の奏楽は幼稚園教師がお当番のようにしてくれていました。教会員のオルガニストはいませんでした。幼稚園教師はキリスト者ではありません。
これがいい状態だとは思えませんでした。といって早急な解決策があるわけもありません。多くの牧師のパートナーが、オルガニストとして奉仕できる技量をもっておられますが、私の場合は本当に簡単なものしかできません。
教会員のオルガニストがほしい、それは長く教会の祈りでありました。
その頃森山姉は中学生。ピアノが上手だったので、教会学校の礼拝、そして主日礼拝のオルガニストをお願いしてみました。高校生で受洗。「教会員のオルガニスト」の誕生です。けれど大学に進学して不在・・・。横浜指路教会で4年間を過ごし、そこでよい訓練をうけ、七尾に戻ってきて現在に至っています。
今、訓練中の池口姉。1才の時から知っている私としてはMちゃんと呼ぶ方が普通です。オルガニストとしてはまだまだ新人ですが、少しずつ育ってくれるでしょう。
教会の一つの祈りが聞かれ、かなえられるには長い時間がかかります。地方伝道ではよけいに時間がかかります。でもかなったときには大きな喜びがあるのです。地震でちょっと気持ちが沈む今、Mちゃんの奏楽で、大きな声で讃美歌を歌える恵みを味わえたのでした。
コメント

風の強い日に思うこと

2007年04月21日 | 地震のあとで
昨日・おとといの優しい春の日とはうってかわって、今日は朝から雨と風。かなり強い風で、牧師館の中にいると、家が風に吹かれてゆらゆらしているのがわかります。慣れとはおそろしいもので、10日前にはそのたびにこわかったのが、だんだん平気になってきます。20年以上住んでいるわけでもありますし・・・。
ちなみに羽咋教会は以前は古い借家を牧師館にしていたのですが、現在の牧師内城(旧姓・芳賀)恵先生が赴任する時に、若い女性が一人で住むのはどうかという話しになり、アパート住まいとなっています。
輪島教会の牧師館はどうかなぁ・・・。五十嵐先生の場合は住んでわずか1ヶ月にもならないので、余震や強風のたびにけっこうコワイのではないかと案じています。それに車を持たない先生の場合、バイクで移動なので、それも風雨の強い日は心配です。梅雨や雪の時期にもバイクとなったら、本当に大変だろうと思います。都会なら、公共交通機関が発達しているので、車は贅沢品ですが、(ちなみに私の実家は地下鉄の駅から徒歩1分で、地下鉄は2,3分に一本くるところです。それじゃ車はいりません。)能登では必需品。どこにいくのにも車があることが前提です。県庁所在地はともかく、地方はみんなそうですよね。
幼稚園のお母さん方でも、能登にきてから免許を取得するという人や長くペーパードライバーだったのに運転を始めましたという方が多い土地です。若いのに、免許がない人は、ちょっと変わった人だなぁと思われてしまうのです。
こんな事情、もう少し都会在住の人にわかってもらえるといいのですが・・・。

コメント