今年最後の一日です。今年も個人の年賀状は作成できぬままの年越しとなります。やり残した仕事の山と共に年を超します。
去年の今頃何を考えていたかを思い出しますと、2007年は平穏な年にしようと思っていました。教会設立100周年の年だけれど、あえて何もしないで普通にすごそう、と。教会も幼稚園もじっくり地固めをしたい年でした。
3月25日の能登半島地震で全ては変わりました。これほど激動の年はありませんでした。今年一年を漢字で表すと「偽」だということですが、私にとっては「地」でした。まさか能登で地震があるとは・・・。まさか地があんなに揺れるとは・・・。
そしてその後の日々は、自分がどこに立っているのかを問われるものでした。どの
「地」に自分はいるんだろう。なぜ能登にいるのだろう・・・。
地震という大きな天災の前で、人間の思いや計画などなんと空しいものなのでしょうか。けれどその中で神様のご計画はすすみ、それを神様のご計画だと信じる人たちが、その計画のために多くはたらいて下さいました。不思議な神様の業をたくさん見せていただけました。
あと一ヶ月も要せずに完成する牧師館を見ながら、神様がこの全てを御手のうちにおいてくださっていることを感謝。これからの復興計画も神様の御心にかなうものでありますようにと祈りつつ、新年を迎えたいと思います。
去年の今頃何を考えていたかを思い出しますと、2007年は平穏な年にしようと思っていました。教会設立100周年の年だけれど、あえて何もしないで普通にすごそう、と。教会も幼稚園もじっくり地固めをしたい年でした。
3月25日の能登半島地震で全ては変わりました。これほど激動の年はありませんでした。今年一年を漢字で表すと「偽」だということですが、私にとっては「地」でした。まさか能登で地震があるとは・・・。まさか地があんなに揺れるとは・・・。
そしてその後の日々は、自分がどこに立っているのかを問われるものでした。どの
「地」に自分はいるんだろう。なぜ能登にいるのだろう・・・。
地震という大きな天災の前で、人間の思いや計画などなんと空しいものなのでしょうか。けれどその中で神様のご計画はすすみ、それを神様のご計画だと信じる人たちが、その計画のために多くはたらいて下さいました。不思議な神様の業をたくさん見せていただけました。
あと一ヶ月も要せずに完成する牧師館を見ながら、神様がこの全てを御手のうちにおいてくださっていることを感謝。これからの復興計画も神様の御心にかなうものでありますようにと祈りつつ、新年を迎えたいと思います。