日本基督教団 七尾教会

能登半島にたてられた七尾教会の日々です

揺れた一年の最後に

2007年12月31日 | 地震のあとで
今年最後の一日です。今年も個人の年賀状は作成できぬままの年越しとなります。やり残した仕事の山と共に年を超します。
去年の今頃何を考えていたかを思い出しますと、2007年は平穏な年にしようと思っていました。教会設立100周年の年だけれど、あえて何もしないで普通にすごそう、と。教会も幼稚園もじっくり地固めをしたい年でした。
3月25日の能登半島地震で全ては変わりました。これほど激動の年はありませんでした。今年一年を漢字で表すと「偽」だということですが、私にとっては「地」でした。まさか能登で地震があるとは・・・。まさか地があんなに揺れるとは・・・。
そしてその後の日々は、自分がどこに立っているのかを問われるものでした。どの
「地」に自分はいるんだろう。なぜ能登にいるのだろう・・・。
地震という大きな天災の前で、人間の思いや計画などなんと空しいものなのでしょうか。けれどその中で神様のご計画はすすみ、それを神様のご計画だと信じる人たちが、その計画のために多くはたらいて下さいました。不思議な神様の業をたくさん見せていただけました。
あと一ヶ月も要せずに完成する牧師館を見ながら、神様がこの全てを御手のうちにおいてくださっていることを感謝。これからの復興計画も神様の御心にかなうものでありますようにと祈りつつ、新年を迎えたいと思います。
コメント

帰省そして雪

2007年12月30日 | 地震のあとで
雪の予報が出ていたものの、午前中は曇り。礼拝にくるのにはそんなに支障のないお天気で、今年最後の主日礼拝が守られた事は感謝でした。
午後買い物に出ると、帰省してきた人なのか、人や車が多くなっています。ふと、あのお家はどうしているかなぁと思いました。それは、母屋と離れがあるお家なのですが、いつもその方が暮らしている離れは地震で被害がなかったのですが、大きい母屋の方は地震でダメになってしまったというお家です。「お正月に娘や孫が帰ってきてもとまるところがなくなりました。」、家を壊すときそんなふうに話しておられました。きっと能登でまた中越でそんなふうに帰省の季節を迎えている人がたくさんいることでしょう。
夕方からは雷がなって、いよいよ雪が降り始めました。こんな時はさすがに、寒いけど青空が多い東京の年末年始が懐かしくもあります。なかなか帰れませんね。
コメント

仕事はなかなかおさまらない

2007年12月29日 | 地震のあとで
昨日で幼稚園は終了。今日は園児も教師も登園してきません。
この静かな一日で一気にたまった書類の処理をしよう!と意気込んではじめたものの、なかなか・・・。それでもゴミ袋2つ分のシュレッダー処理をしました。
釜土牧師は、地震被害そして修理に関する県への報告書など。なんとかこのお休みの間に処理できることは処理しておきたいと思っています。
牧師館工事の方も、本当は今日からお休みのはずだったのですが、結局今日も何人もの職人さん達がやってきて、仕事をしていって下さいました。ただ、電気工事の担当の方がケガをしてしまったので、そこがどうしても遅れそうです。
輪島教会では、古くからの信徒の方がなくなったという報告が入りました。輪島も今では葬儀会館ができて、そこでするのが普通になってきているようで、教会での葬儀ではありません。「代務者はいかなくていいの?」と聞いてみると、「僕がいくより、輪島教会前任者や元牧師がいく方がいいから・・・」。
車で駆けつけられる所に、3人の元牧師がいるわけで、その先生達が行く方が教会の人たちは安心するのかもしれません。
天気予報では雪マークですが、まだ雨の能登半島です。
コメント

おむかいさんの壁

2007年12月28日 | 地震のあとで
七尾教会の道を挟んで向かい側は、拘置所です。
牧師はよく、「罪が決まらない人は拘置所。罪人は教会」と言います。拘置所ですので、ぐるりと高い壁が囲んでいます。
その壁も地震で被害がありました。国の施設ですから、修理までには何度も視察らしい人が来ていて、冬になってようやく工事が始まりました。
そして、ちょうど仕事納めという時に完成。
お向かいの壁は前はちょっと古く汚れた感じだったのですが、白いぴかぴかの壁に変身していました。
コメント

みんな同じバイト代。

2007年12月27日 | 地震のあとで
北陸の12月としては、本当に貴重な、ありがたい晴れの日が続きました。
今日は子供達と一緒にお庭の整備。例年ですと、晩秋の晴れの日の恒例なのですが、今年は工事の関係でなかなかできなかったのです。それは「そりすべり用の山をつくる」事。今年は実は工事の方が、お砂を山にして庭の隅においてくれたのですが、若干場所が悪く、それを子供達と一緒にいつもの場所にずらすことにしました。
「山づくり」をすると、「ようちえんのお金」がバイト代としてもらえます。バイト代は1回500円。
まじめにコツコツやる子。時々どこかにいってしまう子。自分なりのやり方にこだわりつづける子。長いスコップを誰がもつかでケンカを始める子。先生が言っているのと別な方に砂を運び続ける子。声だけは元気がいい子。そしてみんなが仕事をしているとは思わず横でただ砂遊びをする小さな子。
自由遊びの時間にするので、参加は自由です。
自由遊びの時間が終わって、お片づけが終わって、バイト代を取りにきます。あくまでも自己申告制。「がんばったよ!」とニコニコ顔で自分で言いにくる子供達。
たくさん働いた子も、本当は横にいただけの子も、みんな500円。子供達は、紙の500円玉をもらって大満足。みんなのために何かができたという気持ちももちろんあるのです。「あの子はさぼってた」なんてわざわざ言わない。
毎年、これをすると、我々キリスト者の地上での仕事はこんなものだろうと思うのです。神様の目から見れば、子供達がしているのと変わらない。
役割を終えた後、ニコニコ顔で神様の前に出ることができるようでありたい、と思う。
コメント

輪島教会、隣接地取得

2007年12月26日 | 地震のあとで
午後、釜土牧師は輪島へいきました。
能登半島地震で全壊状態(倒壊はしなかったものの、建物としてはダメになってしまった)となり、建物が取り壊され、そのご更地となった、輪島教会の隣接地。
その土地を教会が取得することになったからです。
地震の後は、多くの家が取り壊され更地になりました。同じ場所に再建を願う方もいれば、この機会に土地を手放す方もいます。輪島教会の隣の方は、手放すことを決意し、前々から是非隣接地をと願ってきた教会にお声をかけてくださったというわけです。そして、そういう事情ですから、年内に話をまとめなくてはいけなかったのでした。被災して困っておられる隣の方に、いつまでも待っていただくわけにもいかず・・・というわけです。
来年度に新しい牧者と共に、地震からの本格的な再建を目指す輪島教会。この隣接地も視野にいれての再建計画となることでしょう。
コメント

クリスマスのあとかたづけ

2007年12月25日 | 地震のあとで
12月25日。朝、新聞には金沢教会のキャロルの写真が載っていました。毎年必ずと言っていいほどの写真入り記事。知っている顔をたくさん見つけることができました。
朝、早めに幼稚園にいき、まずは幼稚園の方のおかたづけ。幼稚園・教会・教会学校のクリスマスそしてキャンドルサービスと行事の後は、いろいろな道具や机などがいつもと違う場所にいったりきたり・・・。幼稚園のホールを教会学校が使ったり、教会の物を幼稚園が使ったり・・・。
25日には教会の行事は全くないのですが、幼稚園の方は預かり保育をしています。一人ごそごそしていると、幼稚園の早番の教師が少し早めに出勤してきてくれました。子供達がくる前に準備okです。預かり保育をしながら大掃除の幼稚園。昨日の教会学校クリスマス会の後には大掃除がしやすいように、教会の関係者が机や椅子の移動をしてくれました。幼稚園と教会助け合っての存在です。
10時、朝霧なかまの西森夫妻から、七福神コーヒーの贈り物。牧師に七福神とは?しゃれっ気のある贈り物。
午後、幼稚園の会計の仕事をしていると、「おめでとう、めぐまれた方」という子供の声が耳に入りました。年長の子供達がページェントごっこをしています。マリア役になれなかった女の子が「わたしは主のはしためです。おことばどおりこのみになりますように」とはっきりと大きな声で言っていました。
夕方、今井さんから羽咋白百合幼稚園の様子をききました。白百合幼稚園は、冬休みの間に、地震被害の工事を少しできることになりました。こちらも預かり保育をしながらの工事。主に室内の工事から始めるそうです。
コメント

クリスマスの諸集会、無事終了

2007年12月24日 | 地震のあとで
現在12月24日の午後11時50分。
今日は、昼間に教会学校のクリスマス会。集まった子供達は44人。例年よりちょっと少なめ。
夜はキャンドルサービス。出席者44名。こちらはちょっと多め。
その後キャロルに回って戻ってきた人たちとしばらく歓談し、今皆帰途につきました。25日にはクリスマス行事はないので、これで無事終了ということになります。
バタバタと過ごした2007年。けれどクリスマスはいつもと同じクリスマスでした。感謝。
コメント

もしも地震がなかったら・・・

2007年12月23日 | 地震のあとで
過去の出来事に「もしも・・・がなかったら」と考えるのはあまり良いことではないと思うのですが、今年は何度も「地震さえなければ・・・」と考えてきた毎日でした。けれどそれは悪いことばかりではありません。
今日のクリスマス礼拝の中で、一人の姉妹が信仰告白をしました。両親の信仰によって3つの時に幼児洗礼をうけていた、めいちゃん。七尾教会では貴重な貴重なクリスチャンホームの池口家。パパとママとけんちゃんとめいちゃん。日曜日は毎週必ず教会へ。教会の皆が彼らの成長を見守ってきたのでした。
比較的素直に教会にきつづけた、兄とは違って、教会に来ない時期もあっためいちゃん。両親は高校卒業までに信仰告白をと願ってきたものの、なかなか礼拝にはきてくれなかったのでした。
そこにあの3月25日、日曜日の地震。大事な物をもって、愛犬をつれて、礼拝にきたのでした。不思議と自然にその後は、クリスマスでの信仰告白式へと導かれていったのでした。小さい頃と同じように教会にくるのが当たり前に・・・。
今日の信仰告白式。不思議な緊張感が礼拝堂を包みました。皆がちょっぴりドキドキしながら、信仰告白を聞いたのでした。いろいろあったこの一年。最後に神様は教会の皆の祈りをきいて、かなえてくださったのかもしれません。
礼拝後の愛餐会。偶然にもおかずは、あの日と同じハンバーグでした。
コメント (2)

ろうそくの火とこどもたち

2007年12月22日 | 地震のあとで
今日は幼稚園のクリスマス会。
会の前半はキャンドルサービスで、教会の礼拝堂に幼稚園の子供達が入ります。そして、年長さん達は一人一人ろうそくをもち、園長先生から火をもらい、火のともったろうそくを手に礼拝を守ります。
幼稚園の子供達にとっては、「ろうそくを手にする」「火をもつ」というのは特別なことです。多少危険が伴いますので、前々からろうそくを持つときの注意をしておきます。おふざけしたらだめだよ。横にしたらだめだよ。前の椅子に近づけたらだめだよ。落としたらだめだよ・・・。
だから子供達は大変緊張して火をもらい、火をもち続けます。火を持つことは年長さんとしての誇りであり喜びでもあります。
なぜ一人一人に火をともすのか、その理由を子供達は深く理解できないでしょう。
幼稚園を卒業して思い出すのは、火を持った緊張感。
でももし、どこかで、その火の深い意味を知るときがくれば、それは本当に嬉しいことだと思います。
明日はクリスマス礼拝。子供達のように緊張して喜んで、そしてちょぴり誇らしげに、まことの光をうけるクリスマスを迎えたいと思います。
コメント