はぐれ雲のつれつ゛れ日記

還暦が過ぎ、そろそろ人生を振り返る歳、日々の出来事や思ったことを、思いつくままに・・・。

一ノ瀬城跡(東の城・西の城)

2023-02-11 20:08:07 | お城巡り

我が町内にも城跡がある。他にもあっただろうが整備されているのは長原城と一ノ瀬城しか知らない。

<案内板より>

一ノ瀬城を本拠地とする豪族愛洲氏は、南北朝時代、南朝を支える勢力として活動していました。

延元二(1337)年、伊勢に下向してきた後醍醐天皇の息子”宗良(むねなが又はむねよし)親王を愛洲太郎左衛門らが一ノ瀬城に迎えています。

「延元二年夏頃、伊勢国一瀬といふ山の奥にすみはべりしに、郭公(ほととぎす)を聞きて深山をは ひとりな いてそ 時鳥(ほととぎす)われも都の 人はまつらむ」  ― 宗良親王の歌集「李花集」―

東の城跡には「一ノ瀬神社」が建っている。神社の裏手に東の城がある。

切り崩しの主郭壁、近世の城なら石垣を積むところだ。

空堀

主郭下

主郭

神宮遥拝所

見晴台にある「宗良親王御遺蹟」

見晴らし台

続いて「西の城」へ

長く連なる尾根には所々石止めがある。

空堀と土塁

西の城跡の主郭

この先、尾根に六条もの空堀が掘られている。

右奥に「向井将監屋敷跡」とあるが、誰だったのか?調べてみた。

  • 向(向井)氏の始祖は 源頼義・仁木太郎実国の後胤・仁木右京太夫義長の4男・四郎尾張守長宗とする清和源氏で 応永4年(1397)に「仁木」を改め「向」とし、さらに8代政綱のとき徳川氏麾下となり「向井」と改めた
  • 向氏は 仁木の時代から常に足利氏に従属し 応仁の乱(1467)においても 「向第4代長春」は伊勢国司北畠側にあった。 恐らく 伊勢国田丸城(現三重県度会郡玉城町岡村)の北畠水軍を統率する愛州氏に従属し 小浜氏らと共に伊勢大湊を本拠とする北畠水軍に関って 水軍としての力をつけたと思われる
  • そして 第7代正重のときに 伊勢国から駿河国に移って 今川氏の水軍となり 今川氏滅亡の後は 武田氏の水軍に加った
  • 正重は 駿河国(現静岡市駿河区用宗城山町)の持舟城で 徳川軍に敗れ亡くなるが その実子第8代政綱は 武田氏滅亡後に徳川水軍に誘われ 豊臣秀吉による北条攻めの先陣となった徳川軍にあって目覚ましい活躍をし 天正18年(1590)の家康関東入りでは 徳川水軍の筆頭となっていた
  • 政綱の子・忠勝は左近将監(初代将監)と名乗り、幕末まで代々「向井将監」と名乗った

伊勢国にいた向井家7代前か?9代忠勝以降の向井将監を名乗った人物か?

まあべつに詳しく知らなくてもいいが、立て看板に書いてあると誰か知りたくなる私です。

 

 

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御頭神事・久具都比売神社

2023-02-11 20:07:24 | 生活

旧正月過ぎの土曜日、江戸時代から始まる御頭神事がありました。今やコロナ禍にかかわらず、時代の流れで簡素化されているが地区唯一の無形文化財であり、なんとか継続してほしい。日本酒をお供えするのが一般的だが、缶ビールをお供えしました。みんなビールのほうが飲むかな?餅も一緒に供えるのが今までだが餅は今年は無しです。これも時代の変化です。来年は区の役員をするから世話役です。

地元にある伊勢神宮の摂社である「久具都比売(くぐつひめ)神社」に小学校以来か?思い立って行ってみた。

ここでも遷宮があるのか、隣りに空き地がある。

この近くに矢じりや土器が出てくる「森添遺跡」があり、遺跡と認定される前に探しに行ったことがある。

発掘調査のときは親父が参加し、石の斧を見つけたと自慢していた。

近くにある渡し船跡にも寄ってみた。今は「久具都比売橋」がかかり、とうに無くなったが、三重県でも最後の渡し船として記念の「テレホンカード」をもらったことがある。今でも探せばあると思う。左の石垣跡が船頭の待機小屋だった。ワイヤーを張ってそれを手繰りながら対岸へ漕ぐ、水深があったから。小学生ながら怖そうなおじさんの印象だった。

 

 

 

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