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【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

核への誤解

2016-11-08 06:52:51 | Weblog

 ヒロシマ・ナガサキの“実験”前には、残留放射能の概念はありませんでした。それどころか、核爆発で発生した放射線は何でも突き抜けていくから爆発後には何も悪いものは残らない、と信じられていました。この誤解のため「黒い雨」も何の問題もないとされていました(日本政府もその見解を踏襲したため、「黒い雨」の調査をきちんとしようとはしませんでした。“実験”後に残留放射能が測定されていたんですけどねえ……8月末になったら急性の影響が見えなかったから無視されたのでしょうか)。
 ただ、私たちは昔の人間を簡単に笑うことはできません。21世紀の今でも、たとえば放射線と放射能の区別ができずにいる人はけっこう多い、それどころか、残留放射能について過小評価や過大評価をする人はけっこう多いのですから。

【ただいま読書中】『原爆から水爆へ(下) ──東西冷戦の知られざる内幕』リチャード・ローズ 著、 小沢千重子・神沼二真 訳、 紀伊國屋書店、2001年、4800円(税別)

 ベルリン危機は進行します。ソ連はせっせとプルトニウムを生産しますが、同時に水爆開発にも着手。そのために抜擢されたのが27歳のサハロフでした。かれは「アメリカのデッドコピー」ではなくて「自分の水爆」を作ろうとします。
 ソ連に勝利するためにアメリカが「先例」としたのは、日本に対する爆撃でした。63の都市を焼夷弾爆撃し250万人の命を奪うことで日本の戦意を喪失させた「成功例の教訓」から、ソ連の各地に多数の爆撃機で原爆攻撃をしたら勝利できる、と「戦略空軍」が整備されます。
 ソ連ではついに原爆一個が完成します。しかしスターリンは「もう一つ」ができるまで爆発実験を許可しませんでした。実験をしたら手持ちがなくなります。そこでもしアメリカが攻撃してきたら反撃ができない、という理由です。どうやって反撃しようと考えていたのかは、謎ですが(当時ソ連にはミサイルはおろか長距離爆撃機もありませんでした)。ともかくスターリンはアメリカに対する不安と不信と恐怖と猜疑心にさいなまれていました。アメリカもソ連に対して同様の感情を抱いていました。原爆どころか水爆を先に開発されたらどうなるだろう、自分たちは先制攻撃はしないが、ソ連はするに違いない、だったら自分たちは一方的な犠牲者になってしまう、と。1949年ソ連は最初の核爆発実験に成功します。45年にアメリカがニューメキシコで最初に実験に成功したものの精密なコピーでした。科学者たちは褒賞を与えられました(もし爆発に失敗していたら、銃殺されていたはずです)。スターリンはすぐには実験成功を公表しませんでしたが、英米は大気の調査からソ連で核爆発があったことを探知します(まだ地震波による探知は始まっていませんでした)。アメリカ政府はその情報をはじめは信じませんでしたが、間違いないことがわかると「対抗処置」を考え始めます。原爆の量産と水爆開発です。それはソ連の核兵器開発を加速させます。また、英米でのソ連スパイの摘発が始まっていました。これもまたソ連の危機感を煽ります。もう「コピー」ができなくなるのですから。さらに朝鮮半島がきな臭くなります。朝鮮半島に大量の焼夷弾がまき散らされますが、その時グアムに「原爆を搭載したB29」が10機派遣されました(1機は離陸時の事故で墜落炎上したので、グアムに到着したのは9機(9発)でした)。アメリカの上層部の一部は,原爆を使う気満々だったようです。ただしトルーマンは朝鮮は原爆の目標としては“小さい”し、そこに使ったらソ連に使える原爆が減ってしまうから使う気はなく、ソリが合わないマッカーサーを解任するための手段として「朝鮮で原爆を使用する可能性」を政治的に利用しました。
 アメリカでの水爆開発は一時停滞していましたが、ついに理論的なブレイクスルーがもたらされます。誰が「水爆の父」かには、自薦他薦がありますが、著者は「グループの功績」と言いたいようです。
 そして、アメリカ、次いでソ連が水爆実験に成功。それからは地球の各地で各国がどっかんどっかん核爆弾実験を行うことになります(20世紀後半で2000回以上)。それは「科学実験」であると同時に「敵に対する威嚇」でもありました。「俺たちはすごい武器を持っているぞ」という誇示です。
 冷戦下での核兵器は、結局どんな軍事的意味があったのでしょう。私は「無知によって生み出された過剰な兵器」と表現したくなります。いや、科学技術的にはものすごい知識と理論と努力で生み出されたものであることはわかっています。それでも「大量に使われた後、地球に何がもたらされるのか」に対する無知によって兵器開発が推進された、と私には思えるのです。今でもアメリカ大統領が世界を移動すると「核のボタン」も一緒に動いているそうですが、“その後”地球がどうなっているのかきちんと予測されているのか、私はちょっと心配です。


核ミサイルからの防御

2016-11-07 07:06:21 | Weblog

 核ミサイルを衛星軌道から落下させる攻撃に対して、高高度で迎撃してもし暴発されてしまったら、それは電磁パルス(EMP)攻撃をさせることになってしまいます。高高度での核爆発は大気が薄いから衝撃波は生じませんが、コンプトン効果で強力な電磁パルスが大量に発生し、サージ電流で電子機器はほとんどオシャカになってしまいます。だからといって低高度で爆発されたら、それはもろに放射線と熱線と衝撃波による破壊をもたらすことになります。だとしたら、核爆発を凍結しつつミサイルを破壊する、という器用な防御が必要になります。そんなこと、できるのでしょうか?

【ただいま読書中】『原爆から水爆へ(上) ──東西冷戦の知られざる内幕』リチャード・ローズ 著、 小沢千重子・神沼二真 訳、 紀伊國屋書店、2001年、4800円(税別)

 1945年9月、アメリカはB−29の三機編隊で日本=ワシントンの無着陸飛行を企画します。命じられたルメイは爆弾倉に燃料タンクを増設し、北海道からシカゴまで飛んで見せました。公式には「まもなく民間の定期航空路が開設できる」としましたが、要するに、ソ連全土が「原爆が到達できる範囲内」であることを実証していました。冷戦はすでに始まっていたのです。ソ連も黙ってはいませんでした。スパイ活動で原爆についての情報がすでにベリヤの手元に届いていたのです。ソ連も原爆研究を加速します。しかし、スターリンの粛正が研究を減速させます。このへんで私は昨年読書した『真昼の暗黒』(アーサー・ケストラー)を思い出します。そうそう、1940年頃からソ連では原爆研究が行われていたけれど、(ドイツに対する)諜報活動が非常に重要で、実は英米もドイツの研究を重視していた、というのには小さく笑ってしまいました。スターリンがもう少しまともだったら世界の歴史が大きく変わっていたかもしれません。彼が愚かであったことは、ソ連国民には大きな不幸でしたが、世界には小さな幸福になったのかもしれません。
 「反ユダヤ主義」は、ロシアではポグロム(ユダヤ人虐殺)、ナチスドイツではジェノサイド(ユダヤ人虐殺)を起こしていましたが、アメリカにも反ユダヤ主義は根強く、こちらでは差別されることに怒りを燃やしたあるユダヤ人が「世界を良くする」ためにソ連のスパイになってしまった(そして原爆開発の機密情報を大量にソ連に流した)ことが紹介されています。どうも差別くんは世界を良くするよりも悪くすることが得意なようです。
 ソ連のスパイは情報を“大量生産”しました。アメリカからソ連への飛行機に情報を詰めたトランクを畿内にぎっしり乗せて運んだこともあります。もちろん公開情報もありましたが、重要な機密情報もその中には含まれていました。そのためソ連では原爆開発での試行錯誤をせずにすみました。
 ベルリン陥落直後、英米混成チームとソ連のチームが「ウラン獲得競争」を行います。その結果、ドイツに備蓄されていたベルギー領コンゴ産のウラン鉱石250トン(当時世界に備蓄されていた総量の半分)がほぼ半分ずつ両方のチームの手に落ちました。アメリカに渡ったウランはリトルボーイ(広島に投下された原爆)の材料になりました。ソ連はオーストリアのラジウム研究所からも大量の金属ウランと重水を押収しています。研究者もドイツから大量に流出しました。有名どころはほとんどがアメリカを指向しましたが、ソ連に徴用されたり自ら志願した人たちもいました。
 1945年7月16日トリニティー実験場で世界初の原爆(爆縮式プルトニウム爆弾)が爆発します。スターリンはそれを知り激怒します。「怪しげなプロジェクト」と予算や人員面で計画を冷遇していたのはスターリン本人なのに「なぜアメリカに原爆があってソ連にはないのだ」と周囲に当たり散らし、原爆開発が国家の最優先事項になります。ベリヤが責任者に任命されますが、彼は物理学の素養は皆無で、とにかくアメリカのデッドコピーで良いからきちんと爆発する爆弾を作ることを至上命令にします。
 戦後、アメリカの科学者は二つの流れに別れます。一つの代表は、トルーマン大統領に面と向かって「私の手は血に塗れている」と“泣き言”を言ったオッペンハイマー。もう一つはさらに強力な熱核爆弾(=水素爆弾)の開発に向かう人たち。ソ連ではそういった“分裂”はありませんでした、というか、スターリンに逆らった(あるいは逆らいそうだとみなされた)人は粛正されるので分裂したくても最初からできなかったのですが。世界大戦はやっと終わったのに、冷戦が本格的に始まります。スターリンは強硬な演説をし、チャーチルもお返しのように「鉄のカーテン」演説をします。アメリカの諜報機関は、独日からターゲットをソ連に転換します。「ソ連は原爆を作れるだろうか?」「作れるとしたらその時期はいつ?」の回答を求めるために。
 1946年12月ソ連は最初の原子炉(黒鉛型)を完成、起動に成功しました。アメリカは「ソ連がヨーロッパに武力侵攻した場合に、ソ連の150の年に原爆を投下する」計画を練ります。そして48年、ベルリン危機が始まります。


おため

2016-11-06 09:15:56 | Weblog

 天皇の公務を軽くすればまだ天皇は仕事ができるだろう、というのが有識者会議の結論になりそうだそうです。つまりは「死ぬまで扱き使ってやる」ということ? 天皇にそんな命令ができるとは、ずいぶんエラい人が日本には多いんだなあ、と私には感じられます。国民や天皇のため、じゃなくて、安倍政権のため、に仕事をしている「有識者」が多い、ということなのかな?
 「おためごかし」という言葉がありますが、「おためごまかし」という言葉を普及させたくなりました。

【ただいま読書中】『エンダーのゲーム』オースン・スコット・カード 著、 野口幸夫 訳、 早川書房、1987年(90年4刷)、680円(税別)

 この本については5年前に読書日記を書いていますが、「エンダーのゲーム」短篇版を読んだのでついでに長篇版も再読することにしました。
 短篇では、エンダーが宇宙空間でのバトルスクールですでにチームリーダーとしての“地位”を確立しているところから話が始まりましたが、長篇は6歳でバトルスクールに入る前、家族とともに過ごしているところから話が始まります。ちょっとした変更ですが、エンダーの人生に大きな厚みが加わりました。
 バトルスクールでの書き込みも分厚くなっています。エンダーが戦争の“切り札”であると確信している大人たちは、自分が二流であることを自覚しつつそれに耐え、エンダーが「子供としての生活」が許されないこと(自分たちが許していないこと)にも苦しみながらそれにも耐えなければなりません。エンダーに解決困難な課題を与え、やっとこさエンダーがそれを解決したらすぐに次の状況に彼の身柄を移し次の難題を与えます。フェアじゃありません。だけどフェアな戦争なんてものはないのです。
 エンダーの兄と姉の描写が平行して描かれることによって、エンダーが「隔離」されていることがさらに強調されます。ここの発想は『無伴奏ソナタ』と通底するものがあります。そして、本書が半分を少し過ぎたときにやっと(短篇のオープニングに登場した印象的な)「敵のゲートは『下』だ」が登場します。
 エンダーは「敵の行動からその意図を理解すること」によって敵の裏をかき続けます。しかし「理解する」ことは「愛する過程」の一部にも含まれています。エンダーは「敵を理解し、その上で(愛するかわりに)敵を破滅させなければならない」のです。それは自分の部下に対しても同じです。彼らの性格や能力を理解し、その上で「最大効率で利用」しなければなりません。それが戦争なのです。


ジャンルSF

2016-11-05 07:13:15 | Weblog

 昭和の昔、SFは「マイナーなジャンル」でした。「SFの壁」の内側に立てこもったファンと作家が、「自分たちはSF者である」ことを拠り所に世間の迫害と偏見に耐えながら生きていた、といった感じ。そこに「文学の香り」を吹き込もうとした人たちもいましたが(たとえば「ニューウェーブ運動」)、彼らの“立ち位置”はあくまで「SFの壁の内側」でした。
 しかしやがて「優れた作家が“SFも”書く」時代がやって来ました。その一例が本日のオースン・スコット・カードです。
 日本だったら(時代に早すぎたけれど)安部公房とか,最近だったら宮部みゆきとか円城塔が良い例と言えるでしょう。「優れた作家は、SFを書いても優れた作品を生み出す(こともある)」と一般化しても良さそうです。

【ただいま読書中】『無伴奏ソナタ(新訳版)』オースン・スコット・カード 著、 金子浩・金子司・山田和子 訳、 早川書房、2014年(1985年初版の新訳)、1000円(税別)

目次:「エンダーのゲーム」「王の食肉」「深呼吸」「タイムリッド」「ブルーな遺伝子(ジーン)を身につけて」「四階共用トイレの悪夢」「死すべき神々」「解放の時」「アグネスとヘクトルたちの物語」「磁器のサラマンダー」「無伴奏ソナタ」

 トップの「エンダーのゲーム(短篇)」を初めて読んだのは1980年代のいつか。すごい衝撃でした。その2〜3年後、こんどは長篇版の「エンダーのゲーム」を読んで、さらなる衝撃を受けてしまう、とはその時には予想していませんでしたっけ。
 「エンダーのゲーム」は「子供兵」についての物語でもありますし「ゲームとしての戦争」に関しての先駆的な物語でもあります。「無垢」と「残酷さ」が紙一重であることや、人が心理的に追い詰められたらどのようになるか、もよくわかります。初めて読んだときには私は「エンダー」に感情移入をしていましたが、今回は「エンダーに“ゲーム”を強いることを強いられた大人たち」の方も視野に入ってきました。30年を私は無為に過ごしていたわけではなさそうです。
 「王の食肉」の残酷さは、生半可ではありません。しかし、「残酷なことをした人」を簡単に断罪できない事情がある場合、人はどのようにすれば良いのか、読了後ももやもやした感覚が後を引きます。
 「死すべき神々」では「死」が崇拝の対象となっています。この作品を読んで読者は(特に死が近づいてきたことを意識している人は)自分の人生を振り返りたくなるでしょう。「生の意味」と「死の意味」を考えながら。
 もっと心のやわらかいところに触れてくるのが「無伴奏ソナタ」です。人がすべて幸せに過ごせる“システム”の中で、音楽の天才なのに音楽を奪われて生きることを強いられるクリスチャンが、指を奪われた手でどのように演奏し、声を奪われた喉でどのように歌うのか。音楽の美しさの中に凜と存在する悲しさをこれほど見事に文字で表現できた作品を私は他にすぐには思いつきません。
 著者に、心からの喝采を送ります。


2016-11-02 20:05:48 | Weblog

 もし地球が二つの月を持っていたら「一箇月」はどんな長さになっていたんでしょう?

【ただいま読書中】『もしも月がなかったら ──ありえたかもしれない地球への10の旅』ニール・F・カミンズ 著、 増田まもる 訳、 東京書籍、1999年、2200円(税別)

 「地球」について深く考察するために、「もしも○○たら」という10の仮定を置いてそれぞれのテーマを追究した本です。
 トップは本のタイトル通り「もしも月がなかったら」。今の太陽系とそっくりで、単に地球に月がないことが違うだけの“太陽系”のお話です。これは「地球」ではありませんから著者は「ソロン」という名前を与えています。微惑星の衝突によって月が形成されましたが、その衝突がない場合、ソロンは最初のコース通り冷え続け、雨によって海が形成されます。しかし潮汐力は太陽のものだけのため、満潮と干潮は地球より穏やかになります。若い地球は海底を擦る海水の摩擦力によって自転が遅くなり、「1日」が6時間から24時間になりました。ソロンも自転が遅くなりますが、「1日」は8時間にしかなりません。そのため風はひどく強くなります。ほとんどは赤道と平行に東から西に吹く暴風で、風速は時速300km以上。『狂風世界』(バラード)です。原始大気は、二酸化炭素と窒素が中心です(金星とほぼ同じはず)。ではそんな星で生命は発生するでしょうか。
 「発生する」と著者は言います。海水中の成分は原始地球と変わらず、強風による嵐で稲妻が大量に発生していてエネルギーを供給することで、原始地球と同じように生命は発生するだろう、と。ただしその後が違います。穏やかな潮汐では、陸の土砂は海には流れ込みにくくなりますし、海流も発生しにくいため、生命の拡散にずっと時間がかかるのです。それでも生命が海に満ち、ついに上陸しました。そこで植物が出くわすのが強風です。茎を伸ばすと吹き倒されるから、地に這う形になります。その結果葉の総面積は小さく、大気中の二酸化炭素を酸素に変えるのに地球より非常に多くの時間がかかります。ただ、進化によって、頑丈な根を得てすっくと立つ木が登場するかもしれません。するとそれを風除けにした別のタイプの植物が登場するでしょう。
 動物はどんなものが登場するでしょう。風に強い形態でないと生き残れないでしょう。「8時間の一日」に適応している必要もあります。強風が聴覚の発達に影響を与えます。人類(に相当するもの)が登場したとして、暦はどうなるでしょう。「一日」と「一年」の間にある非常に使いやすい「一月」がソロンにはありません。宇宙飛行でも「地球周回」の次は「火星」になってしまいます。これはちょっと厳しいミッションになってしまいそうです。
 ソロンはあまり魅力的な星ではなさそうです。月があって良かった。
 本書には「月がもっと地球に近かったら」「地球がもっと小さかったら」「地軸がもっと傾いていたら」などとっても魅力的な「もし」と、その結果起きる「地球の姿」が生き生きと描かれています。「もし」の仮定を置くことで「今の地球」を見直すことができて、ずいぶんお得な気分になる本でした。ただし最終章は「もしもオゾン層が破壊されたら?」。これは単なる「仮定」ではなくて「現実」と紙一重の話です。これは実際の観測と計算に基づいているので、背筋がひやりとする思いをさせられる章です。


踊らない空白

2016-11-01 19:09:51 | Weblog

 『踊る人形』でシャーロック・ホームズは「英語で一番使われる文字はE」と言いました。たぶんそれは正しいのだろうと思いますが、元になる文章がタイプライターで打たれていた場合には「E」ではなくて「スペースバー」が「一番使われるキー」になりません? 「E」が使われない単語はありますが、単語と単語の切れ目には必ずスペースが置かれますから。もしも「踊る人形生成タイプライター」で暗号文が打たれていた場合、ホームズはどんな推理を展開していたのでしょう?

【ただいま読書中】『アムトラック 米軍水陸両用強襲車輛』スティーヴン・ザロガ 著、 テリー・ハドラー/マイク・バドロック カラーイラスト、武田秀夫 訳、 大日本絵画、2002年、1300円(税別)

 軍事作戦でもっとも困難で危険なものの一つに「敵前上陸」があります。第一次世界大戦でのガリポリ上陸で連合軍はトルコ軍によって大損害を与えられました。1920年代からアメリカでは陸軍と海兵隊が上陸用装軌車輛(海上も陸上も活動できる装甲車)の採用を検討し始めます。やっと完成した「アリゲーター」は、使用時間が200時間まででしたが(それ以上使うと、エンジン、サスペンション、履帯が保たない)、ガダルカナル島では艦から砂浜までの物資補給には有用でした。(アメリカ軍の上陸用舟艇の基本アイデアが日本軍の「大発」からだった、というのは『アメリカ海兵隊の太平洋上陸作戦(上)』にありましたっけ)
 アフリカのトーチ作戦、アッツ島やソロモン諸島での上陸作戦でもアリゲーターは補給任務に活躍していました。そして、タラワ。珊瑚礁に囲まれた島ですが、珊瑚礁の水深が不明。海兵隊は「ここでこそ兵員輸送にアムトラック(部隊名がアムトラックだったため、アリゲーターやその後継のウォーター・バッファローは一般にはアムトラックと呼ばれるようになっていました)を使うべき」と判断します。その判断は正しく、上陸第1・2波のアムトラック隊は大損害は受けたものの多くの海兵隊員を浜辺まで送り届けましたが、3〜5波の普通の上陸用舟艇は珊瑚礁に引っかかり、そこで集中砲火を受け、そこから徒歩で浅い海を渡った海兵隊員は海を血で染める大損害を被ることになってしまいました。戦車用の上陸用舟艇でシャーマン戦車も送られましたが、これも珊瑚礁に引っかかってしまってほとんど活躍できませんでした。そのため、水陸両用戦車の構想が持ち上がります。
 タラワの大損害から、アムトラックの装甲の強化と重武装化が進められました。アムタンクの登場です。アメリカ軍は不思議な軍隊で、海兵隊・陸軍・海軍が意見がバラバラのまま戦争をやっていますが、同時に、太平洋戦域と大西洋戦域とでもバラバラなのです。上陸作戦でも、ノルマンディーではDDシャーマン戦車(履帯とスクリューの二駆動方式)が使われましたが太平洋では全然使われず、逆にアムタンクはノルマンディーではまったく使われませんでした。
 場所によって日本軍は迎え撃つ戦術を変え、アメリカ軍も装備と戦術を進化させ続けます。その細かい変更が本書で紹介されていますが、その発想の柔軟さには驚きます。ペリリュー島では、アムトラック部隊がアムタンク部隊を先導し、とりあえず浜辺まで到達したらすぐに戦車部隊を投入、海岸地区をさっさと確保、それから火炎放射器を装備したアムトラックが投入、という上陸作戦としてはほぼ完成形を示しています。
 フィリピンではそれまでで最大の数のアムトラックが投入されましたが、日本軍は水際作戦を放棄したため、アムトラックは「浜辺までの装備輸送と人員輸送」しかできませんでした。見せ場無し、です。硫黄島では上陸直後に日本軍の猛攻撃がありましたが、戦車が多数投入されたためアムトラックはやはり見せ場無し、の立場に置かれました。
 沖縄でも水際作戦は放棄されたためアムトラックは上陸後も兵員輸送の役目をしただけでしたが、沖縄周辺の小島の上陸作戦では重要な役目を果たしていました。
 戦後も各国で各種の「アムトラック」が開発/運用されていますがそれぞれの国で発想が違います。どのアムトラックも、遠目にはそっくりですが、詳細なイラストで比較すると、違いがよくわかります。
 ただ、これからの戦争で「敵前強襲上陸」が必要になる場面って、どのくらいあるのでしょう? わざわざ敵が守備を固めているところに正面切って上陸するのはあまりに損害が大きくなりそうです。兵員輸送だったらヘリコプターの方が楽に望むところに運べそうです。どうしても上陸したいのならホバークラフトの方が上陸後も速度が稼げそうです。となると、アムトラックはもう時代遅れなのでしょうか。生粋の海兵隊員は別の意見を持っていそうですが。