熊本の震災などで避難民が出るのは「自然災害のせい」です。この避難民はつまりは「(一時的な)ホームレス」と言うことも可能でしょう。ところが、「一時的」ではなくていつまで経っても避難生活を強いられているのは「自然災害」ではなくて「人災」だと言えそうです。「ホームレスは支援しない」と社会が言っているわけですから。それとも、まさか、一部の日本人に大人気の「自己責任」ですか?
最近報道に無視されていますが、シリアの難民もまた「人災による大量のホームレス」ですよね。それともこれもまた「自己責任」ですか?
【ただいま読書中】『クリと日本文明』元木靖 著、 海青社、2015年、3500円(税別)
先月読書した『タネをまく縄文人 ──最新科学が覆す農耕の起源』(小畑弘己)に、縄文人は栗を植樹したのではないか、と書いてあったと私は記憶しているのですが、では本当に栗は日本人にどのような意味を持った植物なのか、と興味を持って本書を手に取りました。
クリは「実」に注目してしまいますが「クリ材」もまた有用なのだそうです。つまり、食糧としてと林業としてクリは重要なのです。ただしこの「クリ」は「シバグリ」です。今私たちがふつうに「クリ」と思っている「丹波クリ」は江戸時代頃から日本に普及しました。こちらは「実」の方が注目されて「木材」の方はそれほど大切にされていない様子です。さらに昭和30年頃にクリタマバチが全国でクリに甚大な被害をもたらしましたが、その被害は丹波栗よりはシバグリの方がおおきく、ますます「クリ=丹波栗」となりました。
全国一の栗栽培は茨城県ですが、そのほかの具体的な事例として、熊本県が登場します。大正年間に先進的な農家が「水田+クリ」という複合経営にチャレンジします。これが成功して追随者が現れ、昭和初期の農村恐慌期にはますます栗栽培が増えていきました。ただ、まだ県外への移出はそれほどでもありません。1960年ころ、クリ栽培は飛躍的に増加しました。「オレンジベルト(柑橘系の生産地)」を避けた中山間地域で、複数の農家が共同で原野を開墾したり畑をクリ園に転換して栽培面積を増やしていったのです。さらに熊本で特徴的なのは「共同販売」です。出荷先も、県内や北九州から大都市圏へと拡大しました。誰か優れたリーダーが絡んだ「物語」があるのではないか、と思いますが、そのことについては本書では深く追究をしてくれませんでした。
クリは粗放果樹だそうです。そう言えば、田舎に住んでいたときに家の目の前が栗林だったのですが、そこを熱心に手入れしている姿って見たことがありませんでしたっけ。だけど、手間をかけずに高く売れたらこんな美味しい話はないわけです。もっとも、価値の高い「大玉のクリ」を得るためには、木の管理(低樹高栽培、徹底したせん定)が必要になるのだそうです。楽してもうけることはできないようです。
クリはそのまま食べても美味しいものですが、お菓子にすることも可能です。本書には、クリ菓子メーカーがいくつか取り上げられてその特色が分析されています。私はクリ菓子はけっこう食べてきたつもりでしたが、知らないクリ菓子がまだまだたくさんあるので、ちょっと悔しい思いをしました。
クリは世界中に分布していますが、食用は、ニホン・チュウゴク・ヨーロッパ・アメリカの4種だけです。ただしアメリカクリは20世紀初めの病気でほぼ全滅しているそうです。全世界での生産は、20世紀後半はほぼ50万トンで安定していましたが、世紀末頃から急に増えています。(2011年は200万トン)。これは中国での増産によります。山地での農業振興、日本人によるニホングリの導入指導、日韓とのクリ流通増加(「天津甘栗」でしょうか)、などによって中国ではクリ栽培が盛んになった、ということのようです。クリも「グローバル」の一部だったんですね。