「どうしても電気を使いたい」という東電の主張?
【ただいま読書中】『傾斜面』川上宗薫 著、 海田書房、1986年、1200円
目次:「牧師の息子」「傾斜面」「植物的」「残存者」「夏の末」
著者は官能小説で名高い人ですが、本書は官能小説ではなくて、彼の自伝的な短編集です。官能小説家らしいな、と思えるのは、自慰を覚えたときのことや近親相姦的な思いを持ったことについても、まったく禁忌感なく表現しているところでしょう。
長崎で牧師で教師の子として生まれた「私」はミッションスクール鎮西学園に進学。軍事教練にはなじめず野球(と女の子)に夢中の、当時の日本ではちょっと浮いた少年でした(たぶん「軟派」扱いされていたんじゃないかな)。しかもクリスチャンの一家ですから、ますます浮いてしまうでしょう。
ここで描かれる学校生活や家庭生活の雰囲気は、北杜夫の『どくとるマンボウ青春期』をもうちょっと色っぽくした感じです。旧制高校と中学とか、育った環境の違いはありますが、「時代」は重なっているし、なにより「文学の目」(周囲に無批判に同調しない態度)で社会を見ている態度が共通であるように私には感じられます。
「顔の表情」は著者にとっては「感情の自然な発露」というよりは「努力の結果」である場合が多いようです。だから「お約束」の表情でのやり取りを、著者は嫌悪しているようです。
中学4年で肋膜をやり、著者はしばらく休学します。本土は空襲を受けるようになり、召集。その頃には日本軍は「あまり殴らないように」となっていたのだそうですが、入隊したばかりの初年兵が体験したのはびんたの嵐でした。そして肋膜の再発。
内務班の廊下の壁に新聞が貼られています。長崎に特殊爆弾、被害は軽微。これまでの空襲でも常に「被害は軽微」でB29は百機単位で撃墜されていたのですが、「特殊爆弾」は初出でした。そして、故郷の長崎に戻った(元)兵隊が見たのは…… 視覚表現だけではなくて、おびただしい死体の腐臭や襟垢のつるつるした感じなど、五感がすべて動員されて、被曝直後の長崎が表現されます。そして爆心近くで破壊された自宅に残されたメッセージは「御両親、御弟妹の御遺骨お受取り願います」。
次の短篇では、父と妹は助かっています。軍国主義が消えた“真空状態”に「アメリカ」が侵入してきて、「日本人の生活」は混乱します。その中で、著者は、そして多くの日本人は、過去を失い、未来の展望は見えないまま、今を生きています。ふうむ、これは立派な“純文学”でした。著者の名前をあまり“信用”しない方が良い場合もあるようです。