【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

ライト兄弟

2019-01-12 07:31:30 | Weblog

 私が「ライト兄弟」について知っているのは「初の動力飛行」「自転車屋」くらいです。そういえばどうして自転車屋が飛行機を作ったんでしょうねえ?

【ただいま読書中】『ライト兄弟 ──大空への夢を実現した兄弟の物語』富塚清 著、 山崎明夫 編、三樹書房、2003年、1800円(税別)

 「空を飛びたい」と夢見た人類は「羽ばたき」に夢を託しました。しかしその試みはすべて失敗。しかし1809年イギリスのジョージ・ケイレイ卿は「固定翼(羽ばたかない翼)を空中で走らせたら揚力が発生する」という理論を発表、またその理論に基づいて設計したグライダー模型は見事に飛びました。ケイレイから、「模型にエンジンを搭載する」人たちと「人が乗れる大型グライダーを製作する」人たちの二派が生まれます。19世紀後半にはどちらの派も良いものが作れるようになりました。するとそれを組み合わせたら「飛行機」ができそうです。フランスのアデール、イギリスのマキシムはどちらも蒸気機関による「飛行機」を製作した、と主張していますし、実際にどちらも短時間なら宙に浮いていたようです。しかしなぜか二人とも途中で製作をやめてしまいました。
 20世紀になり、自動車産業の勃興と共にガソリン内燃機関が台頭します。しかし「飛行機用内燃機関」は存在していないため、飛行機開発者は自分でエンジンも製作する必要がありました。つまり飛行機を製作するためには、空力的に正しい機体・飛行機操縦のテクニック・エンジン製作の技術、を自分自身で揃える必要があったのです。
 ここで名乗りを上げたのが、アメリカのラングレー(スミソニアン研究所の教授)です。彼は動力模型製作から開始し、最後には1馬力の動力で時速50km・航続距離1300mという模型を作りあげました。そしてその模型をスケールアップする形で「飛行機」を作ろうとしたのです。アメリカ政府も期待し、7万ドルもの資金援助をしていましたが、難点は「彼は実際に飛ばしたことがない」ことでした。
 対してライト兄弟は、二人とも高校中退、自転車づくりでは町で名が知れていたが、全米では無名。ただし、グライダー操縦に熱心に取り組んで「鳥の技」を身につけ、最後にグライダーに発動機を取り付けようとしました。
 両機とも1903年に完成。ラングレーは(模型と同じ手法で)ポトマック側の屋形船からカタパルトで発射しようとして、2回失敗。その2度目の失敗から9日目の12月17日、ライト兄弟はノースカロライナ州の海岸の砂丘地帯で「人類初飛行」に成功します。これは単に「空中に浮いた」だけではなくて「左右上下の操縦に成功した」点で「飛行」の名にふさわしいものでした。
 なぜ田舎の無名の自転車屋が?という疑問が出てきますが、それに対して著者は「田舎の無名の自転車屋」だったからこそ成功できたのだ、と述べます。
 兄ウィルバーと弟オーヴィルには、二人の兄がいましたが、どうも不仲だったようです。対して、オーヴィルの下の妹アザリンは、ウィルバーとオーヴィルと常に生活を共にし、母の死後は母親がわりに二人の面倒を見ました。その献身ぶりに著者は「ライト兄弟には、カザリンも加えるのが妥当」と述べています(なお母の名前もカザリンなので、両者を混同している本も時々あるそうです)。
 ライト兄弟は、手先が器用なだけではなくて、合理的な思考もするように躾けられていて、おもちゃを自作する場合にもまず「ビジョン」「プラン」「設計」から話を始めました。もちろん「工具の管理」も重要です。優秀なおもちゃは近所で評判となり、それを販売もしました。誰のよりも高く上がる凧、は地域で大評判だったそうです。子供時代に父親に買ってもらったゴム動力のヘリコプターのおもちゃも自作ができましたが、それを大きくして自分で空を飛ぼうとする試みは失敗でした。おもちゃ自作はやがて、機械自作へと発展します。木工旋盤、新聞の自動折り畳み機、印刷機、など、見よう見まねで、あるいはまったくゼロからのスタートで兄弟は自作してしまいます。
 二人は印刷業を始め、盛業となりますが、自転車屋に転業します。当時流行し始めていた自転車は壊れやすく、その修理の需要は大きかったのと、兄弟の「新しい物好き」「ものを作りたい」が印刷では満足できなかったからでしょう。自転車の修理だけではなくて、新しい自転車の製作、さらに自転車レースへの参加、と兄弟は熱心に自転車に取り組みます。そこにリリエンタールが事故死した、というニュースが。二人はショックを受けると同時に、かつての空への憧れが蘇ってきます。
 そこで二人が始めたのは「本での勉強」。スミソニアンに依頼して最新図書を送ってもらいます。また、世界各地の航空関連の記事を収集します。その座学に二人は3年を使います。
 いやあ、若いのにものすごく落ちついた態度ですね。しかし、次の段階に進もうとして、二人は「無名」「金がない」という壁に突き当たります。それをひらりと乗り換えたのは、安価なグライダー。そこで二人は、先人の「問題」は、安定性と操作性が未熟であることに気づきます。不安定な自転車を日常的に扱っていることが、二人に有利に働いたのかもしれません。そこでひらめいたのが「翼の端を少し捻ることで機体全体を傾ける」アイデア。まず箱形の凧でそのアイデアを確認します。次にグライダーに乗ってそれを凧のように上げて空中に浮く経験を積みます。そこで、先人が計算で出した揚力が間違っているのではないか、と気づき、自転車に翼の模型を積んで走らせて空力を測定することにしました。しかしそれはどうもきちんとした結果が出ないので、自転車店の片隅に風洞を作ってそこで試験をすることにします。そのへんに転がっている部品などを利用して作った15ドルの風洞ですが、世界最初の風洞です。その結果、グライダーには(これまた世界初の)垂直尾翼が付けられます。これは直進安定性を増すためでしたが、それを動かすことで左右に曲がれることを兄弟は発見。グライダーはどんどん飛行機に近づいていきます。
 私が驚くのは、ライト兄弟の「斬新なアイデア」を「実証」によって現実化していくプロセスです。ライト兄弟が身を置いているのは「(科学というよりは)技術の世界」ですが、そこで彼らは近代科学の方法論をごく自然に使っています。これでエンジンができれば、もうグライダーは簡単に「飛行機」になってしまうのです。というか、3年かけてここまでグライダーを仕上げてから、兄弟はエンジン製作を始めます。素人の自作ですからわずか12馬力の貧弱なエンジンですが(マキシムのエンジンは350馬力でした。だけど飛行には失敗しています)、兄弟は「これで十分」と見極めていました。
 おっと、プロペラの開発もしなくちゃいけません。12馬力のエンジンで350kgの機体を飛ばすのですから、プロペラをよほど効率的に設計しないといけないのです(エンジンの馬力を上げる手もありますが、それだとエンジンの重量が増すので結局堂々巡りに突入してしまいます。プロペラの効率アップは重量を増しません)。
 そして、4夏めのキティホークへ二人は向かいます。というか、いろいろあって、あっという間に冬になってしまいましたが。物語としてはこのあたりで打ち切った方が良さそうです。「初飛行に成功」のあとの物語は、決して愉快なものではありませんから。「成功」に群がる浅ましい人間の浅ましい行動には、私は辟易します。「初飛行の向かって一歩一歩進んでいる場面」で読むのをやめた方が良かったかな。




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