先日ある大学の階段教室に行って、時間にして2コマ分、あの懐かしいベニア板の背もたれと座板の椅子に座っていたら、なんとお尻と腰に軽い痛みが。学生時代には朝から夕方まで坐っていても平気だったのに、年は取りたくないですねえ。そろそろ退職して勉強生活をしたい、なんて思っていましたが、肉体的に無理みたいです。おっと、ローンがまだ残っているから、経済的にも無理なのですが。
【ただいま読書中】『西洋中世奇譚集成 聖パトリックの煉獄』修道士マルクス/修道士ヘンリクス 著、 千葉敏之 訳、 講談社学術文庫、2010年、840円(税別)
目次:
トゥヌクダルスの幻視(マルクス、ラテン語ヴァージョン)
聖パトリキウスの煉獄譚(ヘンリクス、ラテン語ヴァージョン)
馬三頭分の債務を取り立てていた最中のトゥヌクダルスは、急死し、3日3晩後に蘇ります。覚醒したトゥヌクダルスは、驚くべき物語を人々に語り始めます。なんと彼は地獄めぐりをしてきたのです。
なぜか天使が同行してくれての道行きは、高熱・火焔・極寒・打擲・硫黄の悪臭など、さまざまな「地獄」です。地獄の番人たちは、灼熱した三つ叉の鉾や槍で罪人の魂を追い立てたりぶん殴ったり、はては鉄板でじゅーじゅー炒めたりやりたい放題です。
なんだか仏教の地獄と似ていますね。血の池はこちらにはありませんが、肉食民族には血まみれになることは拷問とは思えなかったのかもしれません。
不思議なのは、本来「地獄」というのは、神に反逆した天使たちが落とされた場所のはずです。そこに神が罪人の魂を送り込んだら悪魔たちは喜んで「神の僕」として罪人たちに拷問をしている……逆でしょう。罪人はつまりは悪魔の味方なのですから、拷問ではなくて歓待をしなくては。
そんなことを思っているうちにトゥヌクダルスの魂はどん底まで落ちてしまいますが、そこで一転、こんどは「上昇」を始めます。神を讃えながら、罰を喜んで受入れながら一つずつ階梯を上がっていって、そしてこの世へ帰還します。神の恩寵を人々に伝えるために。
「異界の物語」は面白いものですが、その「異界」の特徴は「現実ではない」ということですからその根拠は「現実世界」にあります。つまり、中世の異界物語を読むことは、それを通じて中世の「リアル社会」について知ることになるのです。ただ、私自身は中世のヨーロッパに住みたいとは思いませんでした。悪しからず。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます