【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

松本サリン事件

2016-03-07 07:07:54 | Weblog

 先々日読書した『たったひとつの「真実」なんてない ──メディアは何を伝えているのか?』(森達也)に「松本サリン事件」も取り上げられていましたが、あのときのメディアの狂騒(と無反省)はひどいものでした。当時はネットではなくてコンピューター通信に私はつながっていましたが、たしかメディアの尻馬に乗っての発言はせずにいたはずです。記憶が編集されているのかもしれませんが「農薬からサリンが合成できるのか? 合成して漏らしてしまったのだとして、回りでばたばた人が死んで本人が生き残ることがあるのか?」と思ったことは覚えています。
 ともかく別の角度からあの事件を“読んで”みることにしました。

【ただいま読書中】『サリン事件 ──科学者の目でテロの真相に迫る』ANTHONY T. TU(杜祖健) 著、 東京化学同人、2014年、1800円(税別)

 著者は「化学兵器」の歴史をまず簡単に振り返ります。第一次世界大戦で毒ガスが大々的に使われましたが、第二次世界大戦では日本軍が中国軍相手に使ったくらいで欧米の各国は備蓄はしていたものの使用は控えました。中国軍は防毒装備が貧弱だから毒ガスは有効でしたが、欧米諸国はお互いが防御できることがわかっていたから使わなかったわけです。
 松本サリン事件(1994年6月27日)では、患者の症状から、長野県衛生公害研究所はまず有機リン系の農薬を疑いました。検出されたのはサリンとメチルホスホン酸ジイソプロピル(サリン製造時の副産物)。衛生公害研究所は目を疑います。そんなものが日本で検出されるはずがない、と。確認のため国立衛生試験所にも検査を依頼。そこでもサリンが検出されます。さらに確認のため、別の化学試験と生物試験を行って、これはもうサリンに間違いない、ということで大騒ぎになりました(それでも「そんなものが日本に存在するわけがない」と調べもせずに否定する人たちがいたのですが。「調べたら別の化合物だった」と主張するのならわかるんですけどね)。ついでですが、警察の科学捜査研究所は、衛生公害研究所の分析結果をもとにして検査をして「サリンだ」と“特定”し、それを受けて長野県警は「サリンだ」と発表しています。このとき「第一発見者(通報者)」の河野さんが警察やマスコミによって「犯人」扱いされたことを私はよく覚えています。化学(科学)知識も論理も持たないが思い込みが強くて声だけはでかい人間がいかに社会に害をなすか、あのとき私は学びました。
 実は松本サリン事件の前に、小規模なサリン噴霧が行われていました。93年11月に創価学会の幹部殺害を目的に八王子市の創価学会施設をオウム真理教の新見智光が噴霧器片手に襲います。しかし警備員が「原因不明の縮瞳」を起しただけでした。93年12月18日には改良した噴霧器で新見がまた襲撃を試みますが、サリンが逆噴霧してしまい、新見の方が瀕死の状態になってしまいました。
 そして松本サリン事件。直後に東京化学同人から著者に雑誌「現代化学」にサリンについて書いてくれ、という依頼があります。2日で原稿を書きファックスで送信。8月15日に現代化学9月号が出版されましたが、この本は多くの人(日本の科学警察研究所やオウム真理教の土屋正実を含む)に読まれることになりました。この時警察が著者に問い合わせた「土中でのサリン分解生成物」の知識が、上九一色村の土の検査で「オウム真理教がサリンを合成した」と特定できる決め手になります(著者は米陸軍にも問い合わせをして、有用な知識を日本警察に提供してくれました)。ところがオウム真理教ではこの本を参考に次の段階(VXガスの合成)に進もうとしていました。サリンの中間生成物を出発点として「最強の神経毒」であるVXが合成可能なのです。「化学(科学)の知識」は、使う人間次第で善用も悪用もできることがよくわかります。
 結局、警察やマスコミがトンチキ勘違い路線を全速で走っている頃、こんどは東京で地下鉄サリン事件が起きました(95年2月28日)。松本では自分が不利になりそうな裁判を妨害するため、でしたが、こんどは本部への強制捜査を大事件を起こして妨害することが目的だった、と言われています。松本では純度が高いサリンが使われたため、屋外の開放系だったのに大きな被害(死者7人)が生じました。しかし地下鉄サリンでは、準備を急いだため未精製(純度35%)のサリンが使われ、さらに噴霧ではなくて自然揮発によったため空気中の濃度が低くなり、そのため閉鎖系だったのに被害は少なめだった(それでも死者13人)のだそうです。これが純度が高いものを噴霧されていたら、もっととんでもない被害が出ていたことでしょう。
 著者は聖路加病院を訪ねました。“あの日”5000人が病院に運ばれましたが、そのうち1000人以上の被害者を治療した病院です。礼拝堂まで開けて被害者を収容しましたが、ここは換気が悪く治療に当たる職員が次々二次中毒を起こしたそうです。ここにも「この次にはどうすれば良いか」のヒントが転がっています。
 警察の強制捜査は2日後でした。警察には防毒マスクや防護服がなく、自衛隊から貸与を受けて使い方の訓練をするのに時間がかかったのだそうです。さらに毒ガス検出器もなかったため「カナリア」を代用に用いました。もっとも、カナリアの方が人間よりサリンに敏感かどうかのデータはなかったのですが。
 著者は、死刑囚の中川智正と4回面会し手紙のやり取りもして、サリン合成の現場について詳しく聞きました。オウム真理教の方でも著者の名前や論文はよく知っていたため、会話はスムーズだったそうです。それにしても、第7サティアンがサリンを70トン製造するためのプラントだった、と聞くとぞっとします。しかし、いきなりの大量生産にはやはり無理があり、生産途中の化合物が外に漏れて94年の「異臭事件」となりました。95年1月読売新聞が上九一色村の土から有機リンが検出されたことをスクープ、驚いた教団は証拠隠滅を図りましたが、この時大量に残った中間生成物が、のちに地下鉄サリン事件でのサリンの原料として利用されることになりました。
 アメリカ政府にとって地下鉄サリン事件は「対岸の火事」ではありませんでした。自分たちがいつ同様のテロ攻撃を受けるかわからない、と真剣に対策に取り組みます。そういえば96年のアトランタオリンピックで、警備員の腰にサリン対策の薬物キットも取り付けられていましたっけ(たまたま行った講演会でそのスライドを見せてもらいました)。
 オウム真理教は、サリンやVX以外にも、タブン、ソマン、シクロサリン、マスタードガス、青酸ガス、ホスゲンなどさまざまな毒ガスを製造していました。ただし未使用なので、犯罪として大きく取り上げられてはいません(ちなみに「サリン」も当時その製造を禁じる法律がなかったので、製造しただけでは罪に問えませんでした。人を殺したから犯罪とできたのです。今は毒ガスは作るだけで違法です)。教団は生物兵器もいろいろなものにトライしていますが、世界にとって幸いなことにすべて失敗しています。非合法薬物も製造していました。自白剤や儀式用として用いています。こういったものの原料を、大量に入手できないようになにか手が必要です。しかし、テロを確実に予防することは困難です。だったら起きたときに適確に対応できるような準備をしておく必要があります。さて、今の日本、“準備”はきちんとできていますか? まさか「喉元過ぎれば熱さを忘れる」になってないでしょうね?



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