【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

変人

2013-10-06 06:46:18 | Weblog

 偉大な人間は凡百とは一線を画する存在ですから、自動的に「変人」に分類されます。しかし、変人が自動的に偉大な人間であるわけではありません。

【ただいま読書中】『地雷と聖火』クリス・ムーン 著、 小川みどり 訳、 青山出版社、1998年、1600円(税別)

 長野オリンピックで、聖火ランナーとして走っている著者の胸は言葉にならない思いに溢れていました。対人地雷撤去活動中に著者は、右手と右足を失いました。義足がなければ歩くことができません。しかしそれは逆に言えば、義足があれば歩けるあるいは走ることができるということだったのです。スタジアムに入った著者は子供たちに取り巻かれます。笑顔で歌い続ける子供たちに。著者はカンボジアを思います。戦争が終わったことになっていて、それでも地雷の被害に逢い続けている子供たちのことを。
 ここで話は少し過去に遡ります。
 モザンビークで地雷撤去作業中、「安全地帯(地雷が除去されていると保証された地域)」で地雷を踏んだ著者は、痛みとショックの中で冷静に自分を観察し続けます。本書の記述を読むと、ショックのためいくらか判断力に乱れは感じますが、それでもここまで観察ができるのか、と驚きます。また、地雷爆発直後に「痛みに耐えながら対策を考える」「気を失う」「死ぬ」が“三択”として示されるのには「選べるのか?」とまたまた私は驚きます。大量の出血で一時はヘモグロビン(正常値は16くらい)が2まで落ちて担当医師は死を覚悟したそうですが、それでも著者はこの世にとどまることを“選択”しました。
 ここで話はさらに過去に遡ります。著者の生い立ちについて、なぜ彼が地雷撤去の活動をすることになったのか、の半生記です。彼が経験した「農業体験」「ボランティア体験」「軍隊生活」「金融関係の会社勤め」が組み合わさると、出てきた“回答”が「地雷撤去活動」だったというのです。人生にムダなことはない(経験を無駄にしないように生きる人がいる)んだなあ。
 著者が身を投じたNGOは退役軍人を中心に構成される「ヘイロー」と呼ばれる組織で、世界各地で地雷撤去を行っていました。ただし自分たちで地面をほじくり返すのではなくて、現地で組織を立ち上げ現地の人たちに地雷撤去の指導を行いその組織がきちんと“経営”できるようにすることが仕事の中心でした。助けを必要とする人たちが、自力で活動ができるように支援すること、それが、彼らのプライドを取り戻し、自立した生活を取り戻す道なのです。
 著者はカンボジアに赴任します。ボスは「地雷除去のとっておきの魔法などない」と断言します。「作業はどちらかと言えば、園芸学や考古学に近い」とも。地道な訓練を終え、著者は100人のカンボジア人を受け持つことになります。撤去の方法は「人道的地雷撤去」。戦場だったらある程度の犠牲は覚悟して周囲を破壊しつつ80%の撤去を目標とします。しかし人道的撤去では、丹念な手作業で周囲の破壊はせず99.8%の撤去を目指します(大型機械で一挙に撤去、という手もありますが、それだと撤去率は90%にしかならないそうです。地雷の側にも「撤去されないための対策」があるのです)。著者はそこで地雷の撤去活動をすると同時に「カンボジア社会の一面」をしっかり見つめることになります。
 20箇月のカンボジア生活の次はモザンビーク。そして3箇月後に著者は地雷を踏みます。
 ロンドンの病院で著者は、義手・義足の生活を始めます。ちなみにカンボジアで義足は一本125ドル。そう高くないように思えますが、平均月収が数十ドルの国では“贅沢品”です。手足の切り口に義手義足は食い込み苦痛でしたが、著者は前を見ます。これから一体何ができるだろうか、と。生きるためには「人生の目標」が必要です。著者は、マラソンの完走を「目標」にします。そのリハビリテーションの“ついで”のように、大学院進学・会社設立、そして結婚。いやもうここの文章が泣かせます。「しばらくして、僕らは婚約した。僕は素晴らしい人生の右腕を得たのだった」。
 地雷の事故から1年後、著者はロンドンマラソンに初挑戦します。そもそもフルマラソンへの挑戦自体が初めてだったのですが。マスコミはそれを取り上げ、カンボジアの地雷犠牲者支援チャリティ・マラソンとしました。著者はもう“現場”に出ることはできなくなりましたが、走ることで地雷撤去の費用を集めることができるのです(ちなみに、2万ポンド集まったそうです)。フルマラソンを何回か完走したら、次の目標はサハラマラソン。砂漠を220km、(水は主催者が用意しますが)食糧やその他の必需品はすべて自分で背負って走らなければなりません。「クレイジー」(その予定を聞いたダイアナ元妃のことば)です。この「クレイジー」は、もちろん褒め言葉でしょう。
 長野オリンピックの開会式で走った後、著者はそのまま日本で「サハラの何倍も苦しいマラソン」に挑戦します。その顛末については本書をご覧ください。
 オリンピックは「平和の祭典」です。そこで地雷の犠牲者が走ること、あの時それは「平和」の意味をもう一度考えさせてくれるきっかけとなりました。いつしか私はそのことを忘れかけていましたが、本書を読んでまたそれを思い出すことができました。さて、私には何ができるのかな。



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