【ただいま読書中】

おかだ 外郎という乱読家です。mixiに書いている読書日記を、こちらにも出しています。

親米の未来

2013-10-14 07:27:36 | Weblog

 イランははじめは親米でした。シャーの時代に一種の蜜月状態。ところが……
 次にアメリカはイラクに肩入れをしてイランを叩こうとしました。サダム・フセインは大喜びでアメリカの援助を受け取りました。そして……
 アフガニスタンで、アメリカは反ソ勢力に援助を惜しみませんでした。その努力の結集が「アル・カイダ」です。

【ただいま読書中】『ターミナルマン ──空港に16年間住みついた男』サー・アルフレッド・メヘラン、アンドリュー・ドンキン 著、 最所篤子 訳、 バジリコ、2005年、1600円(税別)

 著者が空港で“乗り継ぎ便”を待ちながらシャルル・ド・ゴール空港で15年過ごしたところから本書は始まります。
 テヘラン大学で心理学を専攻し、イギリスのブラッドフォード大学に留学した著者は、シャーの圧政に反対するデモに参加します。イランの国内情勢にも(例によって)アメリカが密接に関係していますが、著者は一度第一次世界大戦にまで遡り、簡単に「いかにアメリカがイランに肩入れして国を乱したか」を描写してくれます。その中で印象的なのは「イラン国内では米兵に不逮捕特権を与える法律」をシャーが通過させたことに、国民が憤激したことです。日本でも似たことが起きていますが、沖縄県民以外には「憤激」はありませんよねえ。
 イランから追放、イギリス・フランス・オランダ・西ドイツで亡命の申請をしますがすべて拒絶。フランスに再チャレンジしますが入国そのものが拒否。ユーゴスラビアも受け入れ拒否。イタリアも。もう一度西ドイツに難民申請をしようとしますが逮捕されベルギーに追放。ブリュッセルの国連難民高等弁務官事務所に難民申請をします。そのとき、テヘランではアメリカ大使館占拠事件が起きます。52人の人質解放の交渉は不調。アメリカは救出作戦「イーグルロー」を強行しますが、失敗。そのとき著者は難民認定を受けることができました。著者はイギリスに向かいます。イランのパスポートはありませんが、ベルギー政府から旅行許可書をもらうことができます。しかしその旅行許可書と難民認定書は紛失。イギリスは著者の入国を拒否します。正当な身分証明書が無い、という理由で。著者はシャルル・ド・ゴール空港に送還され、そこで足止めになってしまいます。1988年8月8日。
 著者はベンチで一晩を過ごします。翌日の新聞は「イラン・イラク戦争の終結」を大々的に報じています。8年間で100万人が死に、国境線は1cmも動かなかった戦争を。
 著者は逮捕されます。罪状はフランスへの不法入国。刑務所に収監され、釈放。著者は行き場所が無いのでまた空港へ。そして再逮捕。
 そこで人権派のブールゲ弁護士に出会い、著者の“環境”に変化の兆しが生じます。ここで用いられるのが「著者が生粋の英国人である」と主張してみる、という抱腹絶倒の戦術です。マスコミの取材も来るようになります。そこでまた逮捕。保釈。裁判。
 このあたりで私は首を傾げます。一度はベルギーで難民認定を受けているんですよね。本人に交付された認定書は失われたにしても、その記録はブリュッセルの事務所に残されているのではないですか?
 裁判は続きます。91年に「砂漠の嵐」が始まります。著者は空港で、ペルシャ語を英語に翻訳する“アルバイト”をします。9箇月の裁判が終わります。「法廷に通訳がいなくて被告はフランス語をよく理解できなかったから、「有罪」とした原判決は破棄」。たったそれだけです。ということで、また裁判。
 著者は「空港の有名人」になります。個人からの手紙が届くようになり、トイレで突然殴られたりもします。
 解決法がやっと見つかります。フランスでの難民認定が得られ、フランスの滞在許可と旅行許可書がもらえることになります。ただしそのためには、ブリュッセルに本人が行って難民認定書をもらってくる必要があります(代理人ではだめです)。しかし身分証明書が無いから著者はフランスから出られません。フランスの旅行許可書が無いからベルギーに入国できません。ベルギーに入国できないからフランスの旅行許可書がもらえません。……一体どうしろと?
 著者は「自分はイラン人ではない」と主張し続けていました。何か理由があるのだろう、と思っていましたが、その真相はあまりにつらいものでした。著者はイラン人としてのアイデンティティを、国籍を失う前にすでに剥奪されていたのです。それも家族の手によって。
 10年経って、ついに身分証明書が発行されます。しかしそれは著者が望んでいたものとは違いました。著者は署名を拒否します。
 「人生」は、自分が動いて形成していくもの、というイメージを私は持っています。しかし本書では(特に空港に滞在するようになってからは)、一定の場所にとどまり、そこで、破壊された過去の記憶の断片をつなぎ合わせ、通り過ぎる人々との関係をそこに加えることで、著者は「自分の人生」を形作ろうとしているかのように、私には見えます。
 何か、もっと“ほかの道”はなかったのかなあ。




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