何年前だったか、岩国市が米軍基地関連で日本政府の言うことをきかなかったら、市庁舎の建て替えの補助金数十億円を建て替え工事が始まってからカットする、という手で、市長に政府の言うことをきかせたことがありました。
で、こんどは名護市長に言うことをきかせるために、500億円の基金をカットするぞ、と政府は匂わせているそうです。
これもアベノミクスのインフレ効果?
【ただいま読書中】『都市の誕生 ──古代から現代までの世界の都市文化を読む』P・D・スミス 著、 中島由華 訳、 河出書房新社、2013年、2800円(税別)
》7000年前のシュメール人にとって、エデンは楽園ではなく都市であった。彼らの伝説によれば、最初の都市はエリドゥといい、神がつくった。この神は、人間のために避難所をつくろうと考えた。容赦なく猛威をふるう自然から逃れられる場所である。
こういう印象的な文章で本書は始まります。
そしてアステカの都テノチティトラン(16世紀はじめ)、ニューヨークと移民を出迎える自由の女神(19世紀末)、古代の都エリドゥ(イラク)……様々な「都市」が読者の目の前を通り過ぎます。まるで見知らぬ都市で道に迷った旅行者が様々な「都市の断面」を目撃するかのように。
都市は人を保護するための理想郷であると同時に、人為的な悪の巣窟でもありました。だからこそ人は「理想都市」を夢見ます。その最古の例がプラトン(『国家』に描かれたカリポリス)です。そこは哲学者に支配され、心身が不健全な者は追放される都市でした。レオナルド・ダ・ビンチの理想都市は、上流階級には理想的ですが、平民は地下に追いやられていました。
「文字」も都市の生活には重要なものでした。残されている経済・教育・行政などの記録から「人々の生活ぶり」が生き生きと読み取れます。そして「文字改革」は「都市」で行われました。多国の人が集まれば、言葉はかき混ぜられ変化していくのです。
都市には、出身地によって人が集まる地区があります。チャイナタウンやリトル・トーキョー、ゲットー。ゲットーはもともとユダヤ人のためのものでしたが、19世紀アメリカには黒人ゲットーが出現しました。ニューヨークのハーレムは、19世紀にはイタリア系とユダヤ系住民の地区でしたが、20世紀には黒人のものになります。戦後にはプエリトリコ系住民が急増しスパニッシュ・ハーレムが広がっているそうです。
都市は成長して巨大都市になります。すると、郊外や田園都市に住む人も増えますが、そこもまた都市化します。こうして「外縁」が栄えると、そのうちこんどは中心部の人口がまた増え始めます(人口の再集中化)。「東京」は行政区画の「東京都」を越えて「トーキョー」になっているように見えますが、そのうちまた中心部に人が流入し始めるのかもしれません。
交通インフラ・市場・公園・娯楽……様々な“切り口"で様々な都市が取り扱われます。「都市」という切り口で世界史を眺めた上で、その都市そのものをまた別の切り口で扱う、という多重構造の構成で、読んでいると本当に“迷子"になってしまいそうです。
そして最後は「未来都市」……と思ったら、本当の最後は「廃墟」でした。いやもう、笑っちゃいます。
非常にユニークな視点の本で、著者の他の作品も読みたくなってきました。
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